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2014年4月23日 (水)

言葉

News & Letters/353

私は、4月18日佐賀の玄海原発の裁判の傍聴に出掛けたが、その日の朝、江藤新平が脱藩の罪を得て蟄居させられていたという佐賀市郊外の金福寺に古い温泉宿のご主人に連れて行ってもらった。そのお寺のそばに饅頭屋があってその店のご主人が寺と裏山の洞窟を案内してくれた。饅頭屋のおじいさんと温泉宿のご主人とがしきりに会話をしていたが、おじいさんの話す言葉がよくわからなかった。

その地の古い言葉を使っていたのであろう。私は、この高齢のおじいさんがなくなってしまったら誰がこの古寺の案内をすることになるのだろうか。そして、そのおじいさんの話す言葉は、今の若い世代は話せるのであろうか、と思った。言葉は文化の化石である。地元の元々の言葉を使う人がいなくなれば、その言葉も消滅するであろう。

私が若いとき学生が私の家に泊まりに来た。私の叔父や近所の男達と夕ご飯を食べながら酒盛りをした。その学生は私の叔父や男達の話す言葉がさっぱり分からない、と言っていた。私の村(灘という)の者、そのなかでも学校にもろくに行っていないような者ほど、
よく純粋に地の言葉を使っていた。古典に出てくるような古い言葉が無数に使われていた。例えば、おらぶ、もがる、いたくる、あたける、・・・・。今生き残っている村人は相当教育も受けており、テレビや都会生活などの影響で地の純粋の言葉を使うことが少なくなった。貴重な文化の化石が消滅しようとしている。故郷の言葉があって初めて故郷というものがある。ふるさとのなまりなつかし停車場の・・・・、だ。

せめて録画として残すべきではないか。一つの地方の言葉の記録を残すだけではなく、村々が消滅している今日、全国的に方言が消滅しつつあるのだから、国民運動として言葉や会話を記録するべきではないか。

私は、学生時代に京都の古本屋で北原白秋の詩集を見つけ安い値段で買って帰った。
その詩集を開くと、中に付録としてソノシートがついていて、北原白秋の肉声が録音されていた。「邪宗門」などいくつかの詩と短歌を白秋自身が詠んでいるのである。
「邪宗門」に出てくるデウスという文字を私はで、う、すと読んでいたが、白秋の音声ではデゥースと読んでいた。また、短歌を詠むときには白秋はお寺の御詠歌のような哀調を帯びた韻律で歌っていた。

この詩集とソノシートは数年前柳川市の白秋記念館に寄贈したが、私は寄贈するにあたって、カセットテープに白秋の声を移しかえて保存している。寄贈した白秋記念館では大変喜んでくれて近くの立花家の御花とかいう旧大名の御殿旅館で歓待してくれた。

言葉は生きたものである。文字はやはり実際の言葉に劣る。言葉は又実際の感情に劣る。生きた人間が情感を込めて村々の言葉を伝承するのがベストであるが、せめて録画にして残すべきであろう。なまり懐かしい言葉の、その故郷を守るためには、また、地方を犠牲にする悪政と、そして戦争と原発に抵抗しなければならない。

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