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2014年1月 1日 (水)

誰が為に鐘が鳴ると思うなかれ

News & Letters/395

人は罪なき人を殺してはならない。殺したものは償いを受けるべきである。
無辜の民を殺戮した者は、死ななければならない。

今、ロシアや中国で起こっている自爆テロは、だから死をもって償っている。
その行為が正しい目的をもってしたものであっても、多数の無辜の人を殺したその罪の報いは当然支払わねばならない。

東条英機らA級戦犯らは、他国の厖大な無辜の民を殺した。誰に裁かれたかではなく
裁かれてその償いをさせられたことは当然のことである。本来なら日本人民の手でその犯罪を裁き、極刑を科すべきであっただろう。

我々は天皇を頂点とする日本の戦争指導者たちがアジアのおびただしい無辜の民をむごたらしい死に追いやった史実を永久に忘れてはならない。

中国、朝鮮、ベトナム、フィリピン、・・・・その死体を並べても地球を一周するほどの人を殺した、それは真に戦慄すべきことだ。その殺戮を指示した戦争指導者が、神社に祭られるいわれはない。それは神への冒涜である。

我々は、無残に殺されたアジアの人々の無念の運命を自分の身、自分の親兄弟の身に置き換えて考えてみなくてはならない。その弔いの鐘の音を、他国の人の悲劇として聞いてはんらない。

   誰がために鐘が鳴ると思うなかれ、そは汝が為なり。

(Never send to know for whom the bells tolls,its for thee.)

スペインの反ファシズムの戦いを描いたヘミングウェイの傑作「誰が為に鐘が鳴る」の小説のタイトルは、もともとイギリス中世の詩人が書いたものであった。
その文章の前には、いかなる人の死も、私自身の体の一部の死としてうけとめるという趣旨が書かれている。

ファシストの手で殺されたもの、日本の軍国主義で殺されたもの、原爆や原発で殺されたもの・・・・これらの人達の弔いの鐘を、自分自身への鐘として聞いて余生を過ごす。
 

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