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2013年12月 3日 (火)

玄海町長に本を贈呈

News & Letters/384

12月2日玄海原発プルサーマル3周年を記念し、玄海町に佐賀の裁判の会メンバーと赴き、副町長に面談。私は、その場を借りて最近影書房より出版された『脱原発で住みたいまちをつくる宣言』という本を町長に進呈した。

この本は福島県の双葉町長など原発事故の直撃を受けた首長らの痛恨の思いと反省、そして原発など核施設を拒絶した各地の市町村の首長の元気な街づくりの話が綴られている。私もその著者たちの末席を汚す形で東洋町の核廃棄物受け入れをめぐる戦いとその後の行政の姿を書いてみた。

その本を玄海町の副町長に渡し、庁内各戸へのビラまきをして帰った。
原発さえなければ玄海町は牧歌的で風光明美なところである。

住民が工夫すれば十分心豊かに暮らしていけると思われた。
前日の伊方原発再稼動反対の大集会は冷たい雨にもかかわらず主に四国から遠くは北海道や沖縄方面からも大勢の人が参集していた。

粘り強く戦っていればいつかチャンスがやってきて我々の主張が主流になるときが来ると確信する。

本の贈呈についてご挨拶とお願い

                            平成25年12月2日
玄海町長 殿
                 高知県安芸郡東洋町大字河内1081-1
                                    高知県東洋町前町長
                  澤山 保太郎
                     
今年は暑い日が続いていましたが、今は大変寒くなっています。
玄海町の町長さんには公私とも多忙な毎日を過ごされご苦労様に存じます。
さて、私は、数年前まで高知県東洋町の町長を務めていました。

平成18年から19年にかけて東洋町では高レベル放射性廃棄物の地下処分地の受け入れをめぐって大きな騒動が起こり、その騒動の中で、核廃棄物の受け入れに反対するということで受け入れを推進していた町長に替わり私が町長に選ばれたわけです。
既に高レベル核廃棄物の貯蔵施設に関する文献調査が始められていましたが、平成19年4月に、私はこれを政府に申し入れて撤回して頂きました。

原発を抱えた玄海町の長として町長さんが大変なご苦労をされてきたことは察するに余りあります。玄海町に原発があるというのは、国の事情や玄海町の事情など色々な事情が重なり、町長さんとしてはやむにやまれぬ選択の結果であったと思われます。

しかし、ソ連のチェルノブイリに続く福島原発の大事故が起こり、日本では一旦は全部の原発が休止する状態が現出し、これまで通り稼働を再開するについても脱原発の世論が強まりグリーンエネルギーへの転換の声が日増しに大きくなってきています。
最近では、あれほど原発を推進してきていた小泉元総理までもが脱原発を盛んに唱え各方-面に大きな衝撃を当て得ています。

小泉元総理の主張の中心をなすのも、原発から出る使用済み核燃料の始末の困難さであります。まことに核廃棄物は何十万年も放射能を出し続け人間の能力では始末できず、原発がなくなっている次世代の子孫に大きな負の遺産を強制することになります。
さて、今日、私は『脱原発で住みたいまちをつくる宣言』という本を玄海町長さんに差し上げに参りました。

この本では、福島原発を支えてこられた現地の首長さんの苦渋に満ちたお話や、原発を拒否して元気に町づくりで頑張ってこられた自治体の責任者たちの貴重な体験が記されています。

私は、僭越ですが、玄海町長さんがこの本を読まれるなら、この本からこれからの町政について何か参考になる事柄が必ず出てくると思います。よろしくお願い致します。
ふるさと、玄海町を誰よりも思われる町長さんのご奮闘とご健康をお祈りいたします。

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