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2013年12月24日 (火)

革共同中核派の流れ

News & Letters/393

古い同志たちと過去の運動について話し合った。
そこで一つの事件を中心にして革命運動の根本的な流れについて考えさせられた。
それは私が確か大学(立命館大学)の3回生か4回生の時、革共同全国委員会中核派がアメリカの革命家ラーヤ・ドゥナエフスカヤ女史を招いて各地で講演会を開いたことがあった。私は立命広小路のマル学同中核派を結成した一員であった。

関西ではラーヤ女史の講演会が開かれないということであったので、私は立命大の新聞部に話を持ち込んで、新聞社の主催でラーヤ女史の講演会を開くことになった。
立命大の新聞部は当時の大学新聞部としては相当な高いレベルの編集をしてい、そうそうたる部員がそろっていて学内では一目おかれていた。

ラーヤ女史は、アメリカのデトロイトなどで労働運動を指導していた。トロツキーの秘書をしていたという女性で彼女の「マルクス主義と自由」という著作が日本では「疎外と革命」という本のタイトルで翻訳出版されていて、私はその本を読んで深い感銘を受けていた。

そのマルクス主義の解釈は初期マルクスのヒューマニズム(人間主義)とプロレタリアの自己運動(主体性)とソ連・中国型の共産主義の根底的否定という三点に要約できるであろう。

  Down with Imperialism! Down with stalinism!

これが彼女らのスローガンであった。
革共同中央では岸本健一氏が中心になってラーヤ女史を各地に案内していた。
関西で私は後にラーヤ主義者と呼ばれ揶揄されるようになった。

だから、私から言えば、ラーヤを受け入れる素地のあるものと、そうでないもの達が革共同にいたという事である。

今革共同中核派には、関西派と中央派なるものに分裂して抗争しているが、それらは真実の対立ではないと考える。私はラーヤを受け入れる人々ープロレタリアの主体性派ともいうべき人々と、そうでない人々ープロ・スターリン主義的な連中との、この二層の対立と溝があったし今もあるのではないかとみている。私のようなものたちはほとんどパージされるか脱落して今の革共同には残っていないだろう。この二層の流れの対立は単に革共同だけではなく、左翼全体に存在していると考えられる。

ラーヤ女史の哲学は日本では哲学者梯明秀に通じるものがある。ヒューマニズムとプロレタリアの主体性に基づいた革命の哲学としてのマルクス主義が革共同の主流であったはずである。

混迷する日本の左翼戦線を復興させるためにも、マルクス主義者は、マルクスやレーニン、宇野派の経済学の文献だけではなく、ラーヤ女史や梯先生の著作を読んで、ヒューマニズムとしてのマルクス主義を、その本来の姿を再建することから始めるべきだと思うのである。そうすれば革マル派と殺し合うこともなかっただろう

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