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2013年12月

2013年12月31日 (火)

使用済み核燃料の処理と三里塚

News & Letters/394

使用済み核燃料を再処理してプルトニウムを取り出し、核燃サイクルを実現しても核廃棄物は処理しきれない。むしろ普通の原子炉で出る使用済み燃料よりもはるかに毒性の高い高レベル放射性廃棄物が大量に産出される。原発や核爆弾開発の後に残る核廃棄物をうまく処理したという国はどこにもない。

フィンランドがオルキルオト島で試みているオンカロとかいう地底の処分場もどうなるかわからない。
火山列島の日本では、地震だらけで、どこを掘っても水や温泉がわいてくるから、とても地中に処分場を求めることは不可能だ。

それでも政府や電力会社は、処分場を造らなければならない。原発をさらに稼働し続けるにしても、これを今やめるにしても現状のように原発建屋や敷地に放置しておく訳にはいかない。これまでは、地方自治体からの応募を待つという姿勢であったが、現在ではそれをやめて、政府が適当に候補地を定めて地方に働き掛けて処分場を建設しようという事に転換した。応募方式は、東洋町の闘争で打ち砕かれた。

これまで政府が強権でもって処分場を決めるという手法を避けていたのは、成田空港建設の三里塚方式が、極めて危険であり、多大の犠牲と時間がかかったという認識があったに相違ない。

三里塚は空港建設であり、目に見える直接の犠牲者はその土地の農民に限られていたが、核廃棄物の処分場はそうはいかない、広範囲な国民に関係してくるから、三里塚方式の強権を発動すれば、巻き起こる大騒動は処分場どころかその本源である原発そのものの運命にも影響してくる。三里塚以上の大闘争が起こり政権がいくらあっても持たないということになりかねない。

それを避けるためには、利益でつって応募方式に如くはない、ということだったのであろう。その意味で三里塚闘争は、それ以降の国策の強権実施にとっては大きな重しであり歴史的教訓であった。日本では強権発動は、極めて困難だ。

今、政策転換した政府は、核廃棄物の地下処分場開発のために、第二の三里塚を強行するであろうか。

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2013年12月24日 (火)

革共同中核派の流れ

News & Letters/393

古い同志たちと過去の運動について話し合った。
そこで一つの事件を中心にして革命運動の根本的な流れについて考えさせられた。
それは私が確か大学(立命館大学)の3回生か4回生の時、革共同全国委員会中核派がアメリカの革命家ラーヤ・ドゥナエフスカヤ女史を招いて各地で講演会を開いたことがあった。私は立命広小路のマル学同中核派を結成した一員であった。

関西ではラーヤ女史の講演会が開かれないということであったので、私は立命大の新聞部に話を持ち込んで、新聞社の主催でラーヤ女史の講演会を開くことになった。
立命大の新聞部は当時の大学新聞部としては相当な高いレベルの編集をしてい、そうそうたる部員がそろっていて学内では一目おかれていた。

ラーヤ女史は、アメリカのデトロイトなどで労働運動を指導していた。トロツキーの秘書をしていたという女性で彼女の「マルクス主義と自由」という著作が日本では「疎外と革命」という本のタイトルで翻訳出版されていて、私はその本を読んで深い感銘を受けていた。

そのマルクス主義の解釈は初期マルクスのヒューマニズム(人間主義)とプロレタリアの自己運動(主体性)とソ連・中国型の共産主義の根底的否定という三点に要約できるであろう。

  Down with Imperialism! Down with stalinism!

これが彼女らのスローガンであった。
革共同中央では岸本健一氏が中心になってラーヤ女史を各地に案内していた。
関西で私は後にラーヤ主義者と呼ばれ揶揄されるようになった。

だから、私から言えば、ラーヤを受け入れる素地のあるものと、そうでないもの達が革共同にいたという事である。

今革共同中核派には、関西派と中央派なるものに分裂して抗争しているが、それらは真実の対立ではないと考える。私はラーヤを受け入れる人々ープロレタリアの主体性派ともいうべき人々と、そうでない人々ープロ・スターリン主義的な連中との、この二層の対立と溝があったし今もあるのではないかとみている。私のようなものたちはほとんどパージされるか脱落して今の革共同には残っていないだろう。この二層の流れの対立は単に革共同だけではなく、左翼全体に存在していると考えられる。

ラーヤ女史の哲学は日本では哲学者梯明秀に通じるものがある。ヒューマニズムとプロレタリアの主体性に基づいた革命の哲学としてのマルクス主義が革共同の主流であったはずである。

混迷する日本の左翼戦線を復興させるためにも、マルクス主義者は、マルクスやレーニン、宇野派の経済学の文献だけではなく、ラーヤ女史や梯先生の著作を読んで、ヒューマニズムとしてのマルクス主義を、その本来の姿を再建することから始めるべきだと思うのである。そうすれば革マル派と殺し合うこともなかっただろう

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2013年12月21日 (土)

教育委員会制度

News & Letters/392

自民党政府は現行の教育委員会制度を骨抜きにし、教育の中立性を解消しようとしている。愛国主義教育、大東亜戦争史観の植えつけ、秘密保護法、憲法改正・・・など一連の反動攻勢の一つとして教育委員会制度の破壊を目論んでいる。

個々で現在の教育委員会制度について意見を述べる。
現在の教育委員会は制度としての建前は一応立派であるが、重大な問題がある。

1、二重の意味で現行の教委制度は自民党らの策謀が実態となっている。

①一つは、教育委員は教育行政の執行官であるが、現状では教育委員会事務局の飾りのようなもので、せいぜい諮問委員程度の機能しか働いていない。
従って実際は自民党らが策謀するとおり首長の教育委員会支配の実態になっている。

②また、現在の教育委員は首長が推薦し、議会の承認を得て委員が決まり、そしてその5人の委員の互選で教育長が決まる、ということになっている。従って実際には首長の意向で教育委員や教育長が決まっているのである。

③そしてさらに重要なことは、事務局の職員は結局首長が任命する。教育長の次のポストである教育次長が実権を握ることになる。
東洋町で私がびっくりしたのは、教育委員会の組織図であった。事務局を統括するのが教育次長と言う位置づけで、その下に事務局職員が束ねられるという図表であった。
教育長はその事務局の上で教育委員と一緒に並んでいた。教育長が事務局を統括するという図式ではなかったのであるから、教育長は委員会だけしっかり出てきて普段はぶらぶらしておればいいわけだ。この東洋町の組織図は毎年県教委に提出されていたが、県からは何も言われなかったという。

④教育委員会の予算の編成権も教育委員会にはなく、市町村長ら首長にある。
だから、権力から相対的に自立して教育行政を行うなどと言うのは単なる制度の建前であって実際はとっくの昔に権力の前に無力化していた。自民党らはこの悲惨な実態を新たな法制度にしようとしているにすぎない。それではどうするか。

改革案:

1、教育委員を公選化すること。首長選挙の時か議会議員の選挙の時に同時におこなえ 
 ばよいし、農業委員のように独自に行ってもいい。

2、委員の常勤化。5人のうち少なくとも3人は常勤としなければならない。
 常勤化しなければ、日常業務を執行できないし、教育現場の実態を把握できない。
 15万円以上出来れば議会議員と同等の待遇を与えることだ。
 教育委員は諮問委員ではなく法律的には行政執行官である。
 その分一般職の職員を本庁に返し、委員が全般的な事務をとららければ責任ある教育 
 行政とはいえない。ボランティアでやれというのも酷だ。

3、首長の教育予算編成権も大枠の予算と、施設整備や給食など学校費用だけにとど
 め、細部の個別事業への関与は排除すべきである。教育のソフト面に使う費用など教 
 育員会の独自予算編成権も設定するべきだ。


教育委員公選制でない以上、教育の権力からの独立と言ってもほとんど機能していない。

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2013年12月19日 (木)

東洋町の利権行政

東洋町の利権行政

News & Letters/391

現在の東洋町の利権行政の1例として、町営斎場の委託について
住民訴訟が始まった。これで裁判は3つ目である。

地方自治法第10章で定められた「公の施設」を、同法第九章の第六節の契約の規定で委託先を随意契約で決めた、それが何が悪いという
お粗末な答弁書が高知地裁の公判で出てきた。町長や総務課長、監査委員会段階でこのような見解が出されたのであるなら、その程度のものかと腹も立たないが、れっきとした弁護士先生の手になる答弁書であるからあきれる。

地方自治法の読み方がわからないのか。随意契約で斎場が委託された、その会社Tの所在地は、ある町会議員の会社Kの建物であり、その建物は町長選挙戦前に現町長の後援会があったところであった。その会社Tの二人だけの役員はその町会議員の会社Tの現職の役員とかつての従業員でもあった。その町会議員が事もあろうに現在東洋町の監査委員であり、この斎場事件の私の監査請求書についても審理していた。

自分の利害関係を追及されて、それはいけない等と言う人はいないだろう。
 この町会議員の会社Kの現職の役員とかつての従業員の会社の現職の役員や今でも会社に出入りしている元従業員は利害関係者ではないというのである。

平成25年(行ウ)第19号 損害賠償請求事件
原告 澤山保太郎
被告 東洋町長松延宏幸

原告準備書面(1)
平成25年12月17日
高知地方裁判所 御中
                 原告 澤山保太郎

被告の答弁書について弁論を準備する。

一、地方自治法第九章及び第十章の相違

被告答弁書2頁目の「第3 被告の主張」は、要するに、地方自治法244条(公の施設)は、公の施設の管理運営については、地方自治法施行令第167条の2の随意契約に基づいて、ただの民間団体にでも委託することを排除していない、というのである。
しかし、上掲施行令の元の地方自治法は第234条第2項であるが、この条文は地方自治法「第九章 財務」の「第六節 契約」の中の一規定である。

しかし、地方自治法244条は地方自治法「第十条 公の施設」の中の規定である。
被告が依拠する地方自治法「第九章 財務」は次のような内容である。

第一節「会計年度及び会計の区分」、第二節「予算」、第三節「収入」、第四節「支出」、第五節「決算」、第六節「契約」、第七節「現金及び有価証券」、第八節「時効」、第九節「財産」、第九節第一款「公有財産」、第九節第二款「物品」、第三款「債権」、第四款「基金」、第十節「住民による監査請求及び訴訟」、第十一節「雑則」。
学校や公民館、図書館、公設市場、斎場なども公有財産であるから第九章の「財務」の対象物であることも間違いない。

しかし、地方自治法が「第十章 公の施設」として、財務会計上の問題視点から離れて、新たに一章を設けたのは、決して無意味なことではない。
公の施設は住民の福祉、住民サービスの手段として適正に管理・運営されるべきだという観点から、その管理・運営の手続きや方法について特別な法的規制をかけたのである。
財物としての公の施設の建築や処分については成るほど第九章の第六節「契約」の条項で取り扱われる必要がある。その場合には一般競争入札に拠らず例外的に随意契約で業者を選択して請け負わせるということもあり得るかもしれない。
今原告が問題にしているのは、そのような財務上の問題ではない。
地方自治法第十章の公の施設の管理運営上の違法性を追及しているのである。
 そのことは、地方自治法第百四十九条の地方自治体の首長の「担任事務」の規定でも、予算、決算、税金徴収、会計監督、財産の管理や処分等と区別して「公の施設」の管理が別段に挙げられている通りである。

二、指定管理者制度

被告は、公の施設の管理を民間に委託するときは、必ず地方自治法第244条の2第3項の指定管理者に行わせなければならないということではなくて、随意契約によって民間の団体に委託することもできると主張する。
しかし、指定管理制度をうたっている現行法でも、改正前の地方自治法でも、どんな団体でも公の施設の管理運営を委託できることにはなっていない。

現行法(及びそれに基づく管理条例)では地方自治体の直轄運営の外には、指定管理者への委託しか認められていない。旧法でも、その地方自治体が出資している法人か又は公共的団体(農協など)にしか管理の委託は許されていなかった。

現行法は、効率性やサービスの充実等の観点から広く民間に公の施設の管理運営を委託させようとして改定されたものであるが、それでもその委託する団体について地方自治体がしかるべきものとして指定し、それを議会の議決事項としたのである。
明示的に禁止されていないからと言って他の団体や個人が許されるという考えは無法な言い分であろう。一定の条件にかなうものに委託が許されるという規定は、その条件に該当しない者には許されないという意味である。

三、条例

地方自治法第244条の2の規定は次のように言う。
「公の施設の設置及びその管理に関する事項は、条例でこれを定めなければならない。」
そして被告は、「東洋町斎場が東洋町が設置した公共施設であり、管理に関する条例が制
定されていることは認める・・・」という。
 この条例でも、民間団体に委託する相手は、町によって指定管理者として指定された法人や公共団体に限定されている。法によって義務付けられた条例でありしかも自分が作ったその管理条例を無視してよいというわけにはいかない。

 被告は法律の規定を無視し、条例の規定も無視し、特定の利害関係者に公の施設の管理を強引に委託した。本件の場合、地方自治法施行令の随意契約に当たるかどうかなどというのは論外である。
 東洋町監査委員が、その監査報告書の末尾でおずおずと提言しているように、町の条例に従った運営が求められているのである。

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2013年12月15日 (日)

続秘密保護法(5)

News & Letters/390


オンブズマンやジャーナリストの本来の仕事は、政府など権力機関が持っている秘密を暴露し、その秘密の行為による当局の責任と損害の賠償を追及することである。
秘密保護法は、我々のその仕事の核心に反撃してきたのである。

新聞とか、ニュースとかいう言葉は、いいことであれ悪いことであれ、人が知らない新しい情報という意味である。国民にとって大事なことで隠されていたことを、すなわち秘密を明らかにすることこそ報道機関の使命なのである。虚偽や操作された情報の提供は本来報道と言うべきではなく、それは単なる政治的宣伝にすぎない。

実際には日本の新聞は政治的宣伝を大量に流しているのであるが、個々の社員たちには真実を国民に知らせようという報道機関の一員としての、ジャーナリストとしての矜持を持っているものも少なくない。

1、権利ではなく恩恵か

秘密保護法は知る権利や報道の自由という憲法上の権利の基盤を破壊し、その天賦人権とも言うべき権利を、官僚や権力にある特定政治勢力の、単なる思いやりか恩恵程度に貶めようとするものである。

2、脅迫文

そして秘密保護法自体が、取材方法が不届きであるとか、それとも知らぬ秘密事項を漏らしたとか言ういいがかりを付けて、そういう者(ジャーナリストやオンブズマン、公務員や一般国民)を牢獄に放り込むぞという脅迫の文章になっている。
脅迫だけではなく実際にそれを実行する無制限の自由を官僚に与えている。

3、光と闇

あらゆる冤罪事件の裁判闘争、あらゆる行政訴訟、原発裁判などあらゆる公害関係の裁判闘争でも、権力の握っている秘密情報をいかにして取得しこれを公判で暴露するか、ということが勝敗を決するカギなのである。裁判そのものが、秘密の扉を開ける国民の仕事なのである。裁判だけではない、本来議会というものは、そこで何かが達成されるというものではなく、そこでは権力の真の意図、権力の陰謀を暴く場として位置付けられている。これが戦前の闘士山本宣治らの言うところの革命的議会主義であった。

秘密保護法はそれらすべてを暗黒の網にかけて抹殺しようとする。
秘密保護法によって、光と闇のこの戦いは明示的に日本人民の永続的闘争となった。
真実のジャーナリストやオンブズマンは、牢獄を恐れず、権力が隠している秘密に肉薄しこれを大衆に暴露するために日夜奮闘するべきである。

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2013年12月13日 (金)

情報操作

情報操作

News & Letters/389

秘密保護法のような天下の悪法を強行制定し支持率が大幅に低下したという安倍内閣をいかにしてじょうずに擁護するか、これからの日本マスコミの大きな難問となった。
世論調査での支持率が落ちたと言っても決して50パーセントは切らないように歯止めはされている。一年半後の統一地方選までには支持率回復の措置が取られるであろう。
まして3年後の総選挙までには万全の回復措置が取られるに違いない。

秘密保護法の制定も脅威だが、日本のマスコミの世論調査結果発表をはじめとする情報操作について国民はもっと切り込んでいくべきだ。

例えばその世論調査だが、それが創作ではないという証明ができるであろうか。
読者の、国民の見えないところで、新聞社の誰が担当して行われているのか、全く何も分からない。第三者の見ている所でオープンで行って初めて信ぴょう性がある。
大本営発表のようにただ信じろという。この支持率の変動の発表が非常に大きな影響を与える。情報を操作して、世論を操作し、選挙に大きな影響を与えて、政権を変替させる。そのような力が現在のマスコミにはある。

既にその都度ブログに発表した私が経験した新聞報道の実態を報告してみよう。

1、虚偽報道

平成22年1月だったか、東洋町町議会選挙の開票のことについて翌日の高知新等の新聞記事は、全くでたらめな虚偽報道がなされた。
  開票の作業が遅れ選挙結果発表が深夜に及んだことについて、それを失態として高知新聞らは、東洋町の開票会場が「騒然」となった、と報道した。
開票後の得票確定作業が投票数の数え間違いで滞った事は事実であり、また会場 が、「騒然」となったことも事実であった。しかし、会場を「騒然」とさせたのは4,    5人の新聞記者たちであり、どうなってんだ、原稿が間に合わない、など町の選管に    向かって口汚くののしり、突き上げていたのは、町民ではなく、新聞記者たちだった。
  しかも、開票会場には公選法によって、有権者しか入れないことになっていた。高知    新聞の記者らが有権者であるはずはない。入ってはならないところに入り込んで大騒    ぎを起こしていたのであった。

さらに、開票会場で「騒然」行為をするものについては公選法で厳罰規定がある違法行為であった。開票結果の確認がとどこおり、会場が大騒ぎになっているという報告が町長室にあって、選管書記が私に対処方法につき相談してきたので、わたしは、記録書類の数え方 について、一枚一枚ナンバーを打つように助言した。そうして、数の数え間違いであ    って、問題が無かったことが判明し決着した。
  そうしてあくる朝の高知新聞にでかでかと東洋町の選管の失態と「騒然」状態が報道    されて、びっくりしたのであった。確認作業が停滞し深夜に及んだのはお詫びしなけ    ればならないが、時間をかけて慎重に調査したのは仕方が無いことだ。
 だが、「騒然」の事態は東洋町役場や町民の責任ではない。  
 私はすぐ、各社に厳重な抗議文を送った。朝日新聞が来た以外にはどの社も何の釈明もなかった。この報道は、私が関与する東洋町政を貶めるための悪意ある虚偽報道であるというほかにない。それにかかわった記者らは、公選法違反を自ら実行しそれを報道したのである。これにかかわった高知新聞の当時の室戸市局長は自らこれについて弁明してみよ。

2、偏向報道

『徳島県民くらし安全課よりラベル表示が適切でないとの指摘を受け、しばらくの間、落花生と干し芋の販売を中止します。 阿南市 ****フーズ**』
これは、徳島県阿南市の****フーズ**という八百屋が店内に表示した張り紙を東洋町の職員が写し取ってきた張り紙の内容だ。
平成22年から23年にかけて私らが運営していた東洋町の海の駅でその落花生と干し芋の表示について間違っており、中国産を徳島産だと思って表示した。
高知新聞らに厳しく批判された。批判されたことについては、何の弁解もできない失敗だった。

しかし、高知新聞らは、私どもがその商品を仕入れた阿南市の八百屋が、その落花生などの商品表示に関して徳島県から行政指導を受けていたという事実を報道しなかった。
それどころか、私どもの仕入れ先のその八百屋はちゃんと表示をしていたとその店を擁護したのである。新聞社の言う通りなら、私らは、商品の本当の生産地を知っていて嘘の表示をして売っていたという話になる。事実の半分(発生源)を伏せて、後の半分だけを報道すれば、事実は偏り、半分嘘になる。

その八百屋が高知新聞が言う通りちゃんと表示してあったというのであれば、どうして徳島県からその落花生や干し芋の「ラベル表示」について「指摘」を受けるであろうか。
わたしどもは、中国製の商品で中国と言う産地を隠したりはしたことはなかった。
はるさめや小豆製品など当時十数点の中国製品も棚において販売していた。中国製の落花生は問題の落花生以外にももうひと種類を売っていた。

その問題の落花生も一袋130円で仕入れて150円で売っていたから、手数料や消費税を引けば原価割れになって売っていたのである。
産地を偽って損までして商売をする者がいるであろうか。
この報道では実際にラベルを張った会社の担当社員からは何も取材はとらず、町長の澤山保太郎という名前が前面に出された。

阿南市の****フーズ**は今はその場所では営業していない。
その店の名前は、JAS法では行政指導の段階では公表されないことになっている。
この事件の偏向報道でも前掲の高知新聞前室戸市局長が活躍していた。

また、それから数カ月後、またしても高知新聞で私どもが運営する海の駅でキャベツの産地を偽ったという趣旨の報道が私の名前入りで大きく報道された。
しかし、場所は海の駅であったが海の駅とは直接無関係の事件であった。
海の駅の出店者はそれぞれ独立しており、商品の出品、商品の管理等はすべて出店者の自己責任であった。朝日新聞は、一旦高知新聞と同じ内容の報道をしたが翌日の新聞記事では訂正がなされた。高知新聞は偏向記事を何も顧みることはしなかった。

間違ったラベルを付けて出品した地元の農家は、最近テレビでもそのミカンの収穫作業が報道されたこともある家族である。その日、その家族は海の駅の店頭では関東地方の産地表示の記載がある箱でキャベツを売っていたが、店内の表示には徳島産というラベルを張っていた。それは明らかに間違いであって、意図的なものでないことはだれにもわかることであった。意図的なものであれば店頭での販売も偽りのラベルを張るであろう。
店内のたなのキャベツにラベルを張った息子は文字が得意ではなかったという。
管理責任のない事件についてもその責任者のごとくに私の名前入りの報道をして攻撃をした。出店の業者名等はどうでもよかったのである。そのしつような偏向報道の姿勢に問題はないであろうか。しかも町長選直前であった。

3、平成23年4月に東洋町長選が行われた。

 その選挙の前の高知新聞の東洋町政についての報道は極めて偏向に満ちたものであり、相手陣営と思われる者らが、その新聞のコピーを東洋町内に戸別にばらまいたほどであった。義務教育のほとんどの無償化、米の配給や多くの福祉の分野で無料化をおこなった、それをバラまきだ、と評価して否定した。
高知新聞は、私について、オンブズマンらしく大胆な行政改革を行ったという趣旨の一行か二行の記事を書いたが、その行政改革の具体事例については何一つ書かなかった。
福祉や教育を極力無料化し、失業対策や産業復興など住民本位の予算に大転換して、しかも借金を減らしたという事実を、完全に抹殺した。
そして選挙後現在の松延町政が、私が作り上げた行政実績を見るも無残に次々と廃止してきた事実についても、何も書こうとしていない。

報道機関は、その幹部から平社員に至るまで構成員について公の選挙で選ばれたわけではない。彼らは一般的な教養試験で選抜されるか、又は何らかのコネで社員や役員になる。社員採用の選考の過程、内容は秘密だ。
彼らは正義人道を標榜しているが、それぞれ思想信条、宗教や政治的傾向は隠されている。巨大新聞は、その時の政権に変動を及ぼすほどの影響力を誇っている。
地方新聞は戦時中の1県1新聞の政策によって、一地方の報道をほぼ独占し、地方の政治に決定的な影響力を発揮する。大新聞も地方新聞も商業新聞はブルジョワジーの支配下にある以上、国民の真実の味方にはなり得ない。

秘密保護法によって情報が権力に囲い込まれ、さらにマスメディアに操作され、真実が国民からより遠くなっていく。前に書いたように、権力もマスメディアも、

①虚偽の報道を公然と行う。

②事実の一側面だけを取り出し都合のいい事実だけを偏向報道する。

③事実そのものを無視・抹殺する。

という風にして国民を致命的に重要な真実から隔離し、独占資本の延命に奉仕する。
一日も早く全世界の人民が、インターネットなどを通じて独自の情報網を持ち、事実を多面的に考究し、正しい判断ができ、その判断に基づいて支配的な権力者たちに対して勇気ある政治的行動ができるような社会にしなくてはならない。



  

  

 

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2013年12月11日 (水)

東洋町の情報公開の実態

News & Letters/388

国家の情報管理へのすざましい執念を秘密保護条例で見せつけられた。
情報公開という制度の意義、民主主義の意義などまるでわかっていないボンボン宰相や世襲議員、格差無資格当選議員らが占領する国会には合法的にはただ絶望という感じしか湧いてこない。きゃつらに天誅が下るのを祈るだけだ。

東洋町の情報公開の実態も似たようなもので絶望的な無知と驕慢とが見えるだけだ。
都合の悪い情報はただ墨で塗りたくるというごく単純・野蛮なものだ。

平成 年(行ウ)第8号損害賠償請求事件
原告 澤山保太郎
被告 東洋町長松延宏幸

文書提出命令申立て書
高知地方裁判所 殿                
 平成25年12月  日
                         原告 澤山保太郎

原告は民事訴訟法第221条第1項に基づき以下の通り、被告保有の文書について文書提出命令を申立てる。

       記

一、文書の表示

 その文書は、高知地裁平成25年(行ウ)第8号事件の、被告提出の乙第5号証・乙第6号証の「東洋町賃貸借地一覧表」(以下 上掲文書 と呼ぶ)
である。

二、文書の趣旨

上掲文書は、平成25年(行ウ)第8号事件被告である東洋町が、公的機関または公的団体又は一般個人にその公有地を賃貸するか、又は賃借した事実の概略を一覧表に掲載したものである。

三、文書の所持者

 東洋町

四、証明すべき事実

  上掲文書は、被告東洋町がその公有地を誰に、どのような趣旨で、いくらの地代で            
  賃貸してきたか、または賃借してきたかを示している。

五、文書提出義務の原因

1、上掲文書は、被告東洋町が上掲平成25年(行ウ)第8号損害賠償事件で町内で被告が公有地貸借の実態を示すものとして書証として公判に提示したものである。
しかるに、その提示された公文書中の貸借物件の表示について、その土地の住所の字名、番地、用途、そして貸借の相手側の団体名又は個人名などが墨塗られて見えなくされていた。

これでは、本件裁判で東洋町内で被告が実際に貸借している実態がわからない。
被告東洋町が貸し付けている土地の対象者には、東洋町もその構成団体となっている芸東衛生組合など公共団体や、町内会、消防、神社、共同墓地・・・などが含まれていると考えられ、これら公共用としての用途のあるものは、本件のような賃貸借の比較から除外すべきものである。本件の宮田歯科医院などのように、一般民間人の営業用に貸した土地でなければ公正に比較することにはならない。

2、そこで、同じ文書について原告が東洋町に開示請求したところ、公判に提出されたものと同じように黒塗りの文書が開示された。部分開示をした理由として被告東洋町は、「東洋町情報公開条例第6条第1項第1号及び第2号の規定」を根拠にしたものだという。しかし、東洋町の該条例の第6条の第1項の各号は但し書きであって、個人情報であっても非公開から除外されるというものであって、これに基づいて開示請求文書を部分開示処分とすることはできない。

そもそも東洋町公開条例第6条は「個人に関する情報であって・・・」というものであり、公有地についての情報は個人に関する情報ではない。またその他第6条各項(2)項~(9)項のどれにも公有地を非開示にしてよいという規定に該当するものはない。
公判に出された乙5号証・6号証文書中の墨塗られた字名や地番、用途等は、公有地のものであって個人のものではない。

被告の墨塗り開示の行為は東洋町の情報公開条例の趣旨に反したものであり、上掲文書は原告が当然に全ての文面を閲覧することができるものであり、また本件裁判の公正な審理に必要なものである。

3、個人に関する情報ではない情報、例えば公有地や公共施設などの管理運営に関する情報の中にも、個人の氏名などが記載されているものがある。しかし公共の財産の管理に関する情報の中の個人に関する情報は、債務債権などの契約関係の書類などであり、本来公開されるべき性質のものであって、東洋町を含めどこの情報公開条例でも非開示の個人情報から除外されている。

すなわち、高知県情報公開条例第6条第1項2号(東洋町情報公開条例第6条の(1)のイに相当)の除外規定である「公表を目的として作成し、又は取得した情報」について、高知県の『情報公開条例解釈運用基準』ではその事例として「県との債務債権の履行に関して提出された請求書や契約書等に記載されている担当者の氏名等」を挙げている。
 およそ公有地の売買や賃貸借、管理状況など関係情報の重要部分が非開示とされ、議会にも町民にも秘匿されて、首長ら執行機関によって自由に処分されうるとしたら、地方自治体の財産の私物化はどのようにして防ぐことができるであろうか。

4、本件裁判の乙5号証6号証の公有地の地番等の墨塗りの行為は、本件裁判での歯科医院に対する町有地の賃貸料が不当に格安である事実をごまかすために遂行されたと考えられるものである。
 東洋町では、営業用に個人に貸した土地はほとんどなく、賃貸しているのは専ら公共団体や町内会の集会所、神社、墓地、道路など公共用に格安で提供しているものがほとんどであると考えられる。番地等を公表すればこの事実が特定され明るみに出て被告東洋町の本件裁判での主張の根拠が崩れる可能性がある。その故に、被告町は自ら提出した乙5号証・6号証の書類に墨を塗ったものと推量できる。

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2013年12月 7日 (土)

続秘密保護法(4)

News & Letters/387

参議院においても安倍晋三自公政権は強行採決を図り、それを実行している。
彼奴等は、特定秘密といいながら、秘密の範囲を特定せず権力の裁量(恣意)のままに国家の重要情報を壟断しようとしている。

情報を独占するものは、世界を支配できる。それによって国民の生殺与奪の権を握る。民主主義は圧殺されだすことは確実だ。

秘密保護法とは、権力が情報を独占し、それを自由に操作する権限を特定政治勢力に付与するという法案なのである。
彼奴等は、おのれが善良であるから情報の秘密指定についてひどい裁量にはならない、と思っているようだ。

しかし、その善良の実相は、現在の国会の姿によく映し出されている。
また、その善良さは、「禁じられた遊び」の映画のように、極めて無垢で単純な意思によっても大それた行為をしでかすということにもなる。
みんなや維新らは、法案内容は良いが、国会の審議や手続きについては間違っている、と考えて行動しているようだが、
その手続きのありようや姿が、この法案の抱える大きな為政者側の裁量権の、その行使の有り様をそのまま映し出している。

民主主義のルールについては、法案制定の手続きや手段はその法案の内容に深く関連しているのである。
今の国会の傍若無人、問答無用の審議・採決のやり方、すなわち暴力的国会運営で、重要情報も取り扱うということなのである。

それは、日本帝国主義の軍隊が、中国や朝鮮・アジアの諸国で展開した「三光作戦」-焼き尽くし、殺しつくし、奪いつくすーという手法がその「大東亜戦争」の内容と目的を如実に示したと同然なのである。
手段と目的は切っても切れない。

ところで、これほどの事態になった現在、特に参議院で強行採決が確実視されている12月6日のNHKのテレビ番組は、秘密保護法案のニュース番組がまったく見えないのはどうしてであろうか。

我々は、情報についてはインターネットの発達した現在でも国家権力と報道機関に大きく依存している。

権力やそれに迎合するマスメディアの情報操作は

 ①虚偽の報道をする・・・アメリカ政府がイラクを攻撃するときにフセインについて虚偽の報道をした。

 ②偏向報道をする。・・・事実はいくつかあるのに、その中で都合のよい事実だけを報道する。大本営発表のように。

 ③無報道を決め込む。・・・大規模な抗議デモなどが起こっても事件や事実を全く黙殺したり少ししか報道しない。

 ④情報を隠す(秘密にする)・・・国民の安危にかかわる事実や不正・腐敗の事実を隠ぺいする。

今日のNHKテレビの番組編成は③であろう。事件を過小に評価し、報道することによる国民の憤激を恐れる。

テレビも新聞も秘密保護法についてしきりに反対キャンペーンを展開しているが、しかし、安倍内閣打倒、安倍総理退陣という言葉がまったく出てこない。これほどの暴挙を行っている内閣、しかも一票の格差裁判で選挙・国会そのものが違憲とされたが、その違憲国会によって構成された内閣について当然退陣を求める社説の一つも出てきてもよさそうなのに、それがまったく聞こえてこない。暴走族にブレーキの効かない自動車を貸し与えたのに、その暴走を非難しても何のかいがあるであろうか。

暴走族に自動車(国会)を与えてはならないのである。

野党の現在のスローガンは、

  秘密保護法粉砕! 原発再稼働阻止!  
  
   安倍政権打倒!  国会解散!

   憲法改正反対!   護憲民主主義統一政権の樹立! であろう。

国民に、この程度の政治的姿勢を示せないでは、政党とはいえない。

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2013年12月 4日 (水)

続秘密保護法(3)

News & Letters/386

秘密保護法で問題なのは、その法律そのものよりも、この法律の制定を推進している自民党、公明、みんな、維新などの党派を支持し選挙で投票した国民やマスコミなのである。次の選挙で秘密保護法を強行採決した党派に投票する国民、それらを免罪して応援するメディアが問題になる。

秘密保護法は暴力で制定されているのではない。欠陥があるが一応選挙で選ばれた国会議員が衆参両院での採決で制定しようとしているのである。

自民党らにそれをする権限を与えたのは日本国民なのであって、党派ではない。
次の選挙で彼奴等を一掃し秘密保護法反対勢力に勝たせたら、この悪法は廃案にすることもできる。しかし、日本国民は自民党に決定的な敗北を与える選挙をすることができるであろうか。

メディアはやがてまた自民党らの売国政党を持ちあげるようになるだろう。
悪法が成立しそれへの国民の反発がつよかっても、やがて日常茶飯事の中にその反発も融解していくだろう。そして選挙でまたぞろ自民党などが勝利すればこの悪法は追認されたことになり定着し始めることになる。大半の国民は、行政情報についての知る権利などには無関心になるだろう。

やがて、日本の国家は、安倍などのような愚劣な売国政治家や、官僚たちの権力慾の踊り場となり、アジア諸国民と対立し孤立しながら、そして原発の放射能を全身に浴びながら衰滅するだろう。

衆参両院での悪法強行採決の暴挙を見て、国民は何を決意すべきか。
次の統一地方選挙や国政選挙で自民党などの反民主主義政党をつぶしてしまえるか、
これからどうなるかは、すべて国民の判断にかかっていて、他の誰をも非難することではない。国民が低レベルであれば、その代表者も低レベルであるよりほかにない。

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カン・ウギュという抗日闘士について

News & Letters/385

朝鮮のカン・ウギュという抗日闘争の義士は日本では元朝鮮統監だった伊藤博文を倒した安重根よりも知られていない。

カン・ウギュは1919年3・1独立運動が勃発した朝鮮で、新しく赴任してきた朝鮮総督斎藤実の一行に対して手りゅう弾を投げつけ多数の日本人役人らを殺傷した。斎藤総督を爆殺することは出来なかったが、日帝の植民地支配者たちの度肝を抜き、朝鮮の民族解放闘争に大きな影響を与えた。

私が感銘を受けるのは、この英雄的な行動だけではない。この義挙を遂行したときかれが64歳の当時としては高齢であったことである。

かれは、医者であり教育者でもある廉潔の士であったが、年老いても民族の独立運動を活発に続け、年老いてなお、老人同盟という闘争組織を作って、むしろ急進的な武装闘争を推進したのである。

若いときは過激な運動に従事していたが、高齢になればそんなことは無理で後方で若い者を支援する、というのが常識的な考えだ。
私も若いときには、関西部落解放研究会、とか全国部落研とか、また、部落青年戦闘同志会などという急進的な団体を作って、相当過激な闘争を繰り広げた。
しかし、中年以降は反体制であることは違いないが、やることは極めて穏やかなあるいはほとんど権力には無害な行動しかとってきていない。

しかし、カン・ウギュは違っていた。戦闘的な高齢者の団体を作り、日本帝国主義の先兵である重臣とその一行を爆弾をもって襲撃したのだ。死をも恐れない勇気に敬服するばかりだ。カン・ウギュはその行動の翌年処刑された。

考えてみれば過激な行動はむしろ高齢者に最も適している。
若い者が闘争で早く死んだり、長く牢獄につながれたりすることは大変なロスであり負担であろう。残りの命が少ない年寄りが闘争で処刑されてもさほどのことはない。

私も30歳代の半ばに、狭山闘争の浦和地裁襲撃事件で2年の懲役を打たれ実質1年8ヶ月刑務所にいた。妻とは別離していたが家に老母と幼少の息子を置いて下獄した。

短い期間であったが老母と息子のことを思うと一日千秋の思いで懲役に服し時に涙を流して耐えた。若いころの牢獄はシャバに保護すべき係累が多く精神的に大変だ。

高齢であれば、今はむしろ牢獄は安息の場にもなり得る。飯は保証さているし本も読めるし規則正しい生活がある。たとえ処刑されても十分生きたのであるから悔恨は少ない。
むしろ、カン・ウギュのように高齢者こそが若者にできない勇敢な行動を起こす立場にあるのではないか。若者は先が長く恋人もおり、養うべき親や子供がいる。親より先に死んではなるまい。慎重な行動が求められる。

年寄りは、その時が来たら武器を持って立ち上がっても何も問題はない。
若い者のことを嘆くのではなく、困難な仕事を高齢者が進んで担当すべきではないか。
今、我々は、カン・ウギュに倣って、日本で戦闘的で命知らずの老人同盟を結成すべきではないか。高齢者が闘いの前列に進みこの暗黒の時代を切り開くべきであろう。

手に手りゅう弾をさげて敵陣に突撃するカン・ウギュの英姿を思い浮かべてみよ。

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2013年12月 3日 (火)

玄海町長に本を贈呈

News & Letters/384

12月2日玄海原発プルサーマル3周年を記念し、玄海町に佐賀の裁判の会メンバーと赴き、副町長に面談。私は、その場を借りて最近影書房より出版された『脱原発で住みたいまちをつくる宣言』という本を町長に進呈した。

この本は福島県の双葉町長など原発事故の直撃を受けた首長らの痛恨の思いと反省、そして原発など核施設を拒絶した各地の市町村の首長の元気な街づくりの話が綴られている。私もその著者たちの末席を汚す形で東洋町の核廃棄物受け入れをめぐる戦いとその後の行政の姿を書いてみた。

その本を玄海町の副町長に渡し、庁内各戸へのビラまきをして帰った。
原発さえなければ玄海町は牧歌的で風光明美なところである。

住民が工夫すれば十分心豊かに暮らしていけると思われた。
前日の伊方原発再稼動反対の大集会は冷たい雨にもかかわらず主に四国から遠くは北海道や沖縄方面からも大勢の人が参集していた。

粘り強く戦っていればいつかチャンスがやってきて我々の主張が主流になるときが来ると確信する。

本の贈呈についてご挨拶とお願い

                            平成25年12月2日
玄海町長 殿
                 高知県安芸郡東洋町大字河内1081-1
                                    高知県東洋町前町長
                  澤山 保太郎
                     
今年は暑い日が続いていましたが、今は大変寒くなっています。
玄海町の町長さんには公私とも多忙な毎日を過ごされご苦労様に存じます。
さて、私は、数年前まで高知県東洋町の町長を務めていました。

平成18年から19年にかけて東洋町では高レベル放射性廃棄物の地下処分地の受け入れをめぐって大きな騒動が起こり、その騒動の中で、核廃棄物の受け入れに反対するということで受け入れを推進していた町長に替わり私が町長に選ばれたわけです。
既に高レベル核廃棄物の貯蔵施設に関する文献調査が始められていましたが、平成19年4月に、私はこれを政府に申し入れて撤回して頂きました。

原発を抱えた玄海町の長として町長さんが大変なご苦労をされてきたことは察するに余りあります。玄海町に原発があるというのは、国の事情や玄海町の事情など色々な事情が重なり、町長さんとしてはやむにやまれぬ選択の結果であったと思われます。

しかし、ソ連のチェルノブイリに続く福島原発の大事故が起こり、日本では一旦は全部の原発が休止する状態が現出し、これまで通り稼働を再開するについても脱原発の世論が強まりグリーンエネルギーへの転換の声が日増しに大きくなってきています。
最近では、あれほど原発を推進してきていた小泉元総理までもが脱原発を盛んに唱え各方-面に大きな衝撃を当て得ています。

小泉元総理の主張の中心をなすのも、原発から出る使用済み核燃料の始末の困難さであります。まことに核廃棄物は何十万年も放射能を出し続け人間の能力では始末できず、原発がなくなっている次世代の子孫に大きな負の遺産を強制することになります。
さて、今日、私は『脱原発で住みたいまちをつくる宣言』という本を玄海町長さんに差し上げに参りました。

この本では、福島原発を支えてこられた現地の首長さんの苦渋に満ちたお話や、原発を拒否して元気に町づくりで頑張ってこられた自治体の責任者たちの貴重な体験が記されています。

私は、僭越ですが、玄海町長さんがこの本を読まれるなら、この本からこれからの町政について何か参考になる事柄が必ず出てくると思います。よろしくお願い致します。
ふるさと、玄海町を誰よりも思われる町長さんのご奮闘とご健康をお祈りいたします。

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