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2013年9月23日 (月)

大衆運動主義者

News & Letters/371

私が追放された当時、私は大衆運動主義者だと非難されていた。
しかし、実際には、大衆運動的だったのはある時期のある瞬間、瞬間でしかなかった。
むしろ、ほとんど常に少衆運動であり、孤立無援闘争であった。
それが、私の週数社運動や個人的営為が、幸運にも大衆運動に転化したことがあった、ということだ。

69年11月14日の浦和地裁占拠からしてそうだ。これ自体全くの少数者の突出した行動であり、何ら大衆運動の爆発とかいうものではなかった。

その前日、一橋大学の校舎の一室に主に関西からの数十人の若者が集まり、差別徹底糾弾闘争として翌早朝浦和地裁に突入するという決起集会を開いた。そこに集まったみんなが行くのではなく、私一人が行くということだった。ところが、その集会で我も我もといって数人の高校生と青年が志願してきたので私を含め合計4人に絞り、無実の石川青年に部落差別攻撃をかけた浦和地裁の占拠を敢行したのであった。

全く少数精鋭主義であり、大衆運動的なものではなかった。
私が日ごろ夢見てきたのは大衆運動の先頭に立って前進する自分の姿であったが、浦和地裁の正門をかけのぼるときのその姿は、一瞬何か泥棒か何かのようなみじめな感じがした。後についてくるのはたった3人だけだった。

しかし、それは仕方のないことだった。もう時間的余裕が無かった。狭山闘争(この闘争名自体ずっと後になって名付けたものだ)はほとんだ誰も知らず、当時の弁護団は有罪情状酌量論から一歩も出ず石川青年は井波高裁裁判長に圧殺されかかっていた。
解放同盟も動かず、労働組合も誰も動かず、学者市民も動かず、・・・一生懸命になり焦っていたのは、石川青年と家族と我々のみであった。

全国民にこの暗黒の差別裁判を暴露するためには、裁判所占拠という普通では考えられない狂気じみた行動をとるしかないと決意し、私自身のあらゆる夢と希望を捨ててこの闘争に自らを拘束させるべく、浦和地裁の高い正門を乗り越えた。

しかし、寒い風の吹く朝まだき、それは私が夢見た怒れる大衆とともにする行動ではなかった。そのあと浦和地裁での数時間にわたる機動隊との激闘で、その寂しさも吹っ飛んだ。当時代官屋敷のような木造の浦和地裁の2階に陣取った私は掛け声を挙げて階段を駆け上ってくる数十人の機動隊に瓦などを投げつけて、一度、二度、数度は撃退した。
機動隊が後退するときは階段を、どどどど、どう、という大きな音を立てた。

最後に力尽きて裁判所2階で十数人の機動隊が私の上に乗っかかり、ぺしゃんこになって捕縛された。
着てる服は汗で湯を浴びたようにほ気が出てずぶぬれだった。

私は獄中から「浦和の空は美しかった」という手記を「前進」に載せてもらったが、しかし実際は、浦和の冬空は淋しかったのである。
確かに後に残った関西部落研、特に寝屋川国守部落の住職斎藤君(彼は50歳ぐらいで亡くなった!)らの闘争によって私ら4人の行動は、燎原の火が燃え広がるようにひろがり、解放同盟を動かし、知識人たちを立ち上がらせた。

ちなみに、部落の若き住職斎藤君は、私と一緒に、戦闘的な解放運動の先駆者として献身的に活動した。奈良の西光万吉のような存在だった。彼は激しい闘争心を内に秘めていたが、極めて優しく純真な男だった。常に私と行動を共にした。斎藤君らの活躍によって狭山闘争という大衆闘争が切り開かれた。

しかし、浦和地裁占拠闘争そのものは、大衆的な糾弾闘争ではなかった。その点については非難されても仕方が無いし、私としても不本意なものであった。
革命家が、ごく少数でもって敵陣に突入するというのは匹夫の勇であって、推奨されるものではない。私の場合は斎藤住職ら多くの人が立ち上がり私の戦いが無に帰することなく、大衆闘争に転化させてくれたから幸運であったのだ。

結果論的には、浦和地裁占拠闘争は狭山闘争という大衆闘争への一契機となりこの闘争を通じて多くの解放運動の戦士を生み出し、部落問題の存在を政治的課題とすることに導いた、と考えて自らを慰めている。

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