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2013年7月18日 (木)

部落解放運動について

News & Letters/359

部落解放運動は部落差別に抵抗する部落民の存在からして武装闘争性を根源的に持っている。部落民の実態は労働者(労組に入っている者もいる)であり、零細商工業者であり、農漁民、被救恤的窮民等であるが、総体として旧身分差別を受ける集団である。封建時代には、差別をわきまえろ、と恫喝されて生きてきた。身分差別が廃止され、差別だ、という指摘では、逆に差別者が震え上がる、という時代になった今も、部落差別は厳然と存続している。

一部には近代的プロレタリアも含むが決してプロレタリアとしてくくることができない。
すなわち資本主義が生む相対的余剰労働ではなく、旧体制下の過小農漁民、雑業者、旧賤民らが資本の原資蓄積の結果プロレタリア化され封建的きずなから切り離されるのではなく、ほとんどそのまま土地や地域に残ったまま産業予備軍として資本主義(帝国主義段階)に編成されたのである。

それらの産業予備軍は、土地や集落に滞留しつつ農漁民雑業者として生活しながら大都市の労働者の予備軍として使用されたり打ち切られたりしてきた。また、彼らは帝国陸海軍の兵士の供給源であり、帝国主義政府の反動思想の一大受容体でもあった。

明治維新を画期とする資本主義の導入は、日本ではいわゆる資本の本源的蓄積過程(原始的蓄積)はごく限定的であり、その本格的発展期にはすでに帝国主義段階であり、資本の有機的構成が高いがゆえに、資本論で描かれた様に農村の住民を暴力的に土地から剥離し広範にプロレタリアを創出するという展開にはならなかった。

近代化は形式的であり、地主小作関係、部落差別など半封建的な紐帯が残された。
戦後から現在、しかし、世の中は大きく変わった。全国には部落差別の原型はそのまま残っているが、激しい解放運動の結果でもあるが、戦前のような露骨な差別事象の発現は表面的には少なくなったと言えるだろう。

が、形を変えて格差社会はむしろ発展しておりその底辺に依然として部落とその差別は存在し続けている。しかも、解放運動自体は同和対策事業の利権の中に沈没し、闘争力はほとんどなくなった。

私は最近分裂状況の革共同の党内論争の記録を読んでいる。
その論争の中心に部落問題があるようである。しかし、双方のその論ずるところを見てもどうもピンとこない。私はこの論争に加わるつもりがないし実践的組織的にも無関係であるが、双方の問題について少しずつコメントを試みていく。

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