差別事件とは
News & Letters/361
一、
私が立命館大学2年生のころか、私が差別者だということで「糾弾」されたことがあった。
それは、私が学生大会か何かで、部落解放運動の現状について述べて、日本共産党のドグマから脱却しない限り真の解放運動はない、という趣旨の主張をした、というのが事件であった。私は立命の民青系の部落研に呼ばれ「徹底糾弾」を受け、あろうことか大学の学生課に呼ばれ、差別事件として学生部長の教授らから取り調べを受けた。
学生部長いわく「あなたの文章には部落民の痛みが全然見えない、・・・」
頭にきたので、私はこの学生課での尋問の時初めて、自分が部落出身だということを明らかにした。
「私は、高知県の・・・という部落に生まれ育った。差別の痛みや実情について私はあなた方から説教されにこの大学に来たのではない。私は自分や父祖が受けてきた言われない差別の原因と解決方法を学ぶために立命の日本史学に入ってきたのだ。」という趣旨を言い放った。学生課も部落研もその後私に何も言ってこなかった。後で聞いた話ではその部落研には部落出身者は一人もいなかったということだ。
このように差別事件はでっち上げられ党派的な差別糾弾闘争なるものが展開されることを私は身をもって知った。
①差別の原型
部落差別事件とは、(A)部落出身者らに対して(B)旧賤民身分を直接的にかまたまたは間接的に明示、もしくは暗々裏に示唆して(C)侮辱したり、部落が一般社会に害悪をなしているとし、(D)その侮辱や非難でもって対象者を排除したり不当な扱いをしたりする行為をいう。(B)または(C)と、(D)が結びつけば部落差別事件と言える。
②路線対立。
部落解放運動上の理論的対立は戦前からいろいろある。物とり主義批判は運動内外から常に起こっていた。解放運動の執行部ではいかにしてこの物とり主義を克服するかが最大のテーマだったと言える。
解放運動に関する自分らの理論や運動路線が批判されたからといって直ちに差別事件だ、糾弾だということにはならない。私が受けた立命大の「差別事件」と糾弾がそうだ。
③1963年3月大阪市教組東南支部の役員選挙運動の中で起こったいわゆる矢田教育差別事件はどうか。
これは、①と②の中間に位置する。
日共系教員らの役選立候補の挨拶状に、「同和などで遅くなることはあきらめなければならないでしょうか」など同和教育の実践が教育労働者の過重な労働になっているという趣旨で、「同和」が労働者を圧迫したり、職場締め付けの原因となっているという主張である。この主張は明らかに間違っており、過重労働の責は当然教育行政側に持っていくべきで、職場締め付けも権力の方へ闘いを向けるべきであって、「同和」に向けることは筋違いであった。
これは①の様な直接的な差別事象ではないが、主観的意図はともかく、「同和」を敵対視する結果になることは明らかであるという意味で、差別事件と断ぜられても仕方がないものであった。特にその表現が同和教育というものであれば、教育運動の路線上の対立と言い逃れもできたかもしれないが、「同和」という言葉を使っていた。それは、同和教育の実践の問題を意図していたと思われるが、しかしその「同和」という言葉は多くの場合地区や地区住民を指して言われるのであるから、①の部落差別の原型につながるこの挨拶状を出した教師らが部落の子供を差別している訳ではないし、そのような意図もなかったであろう。
「同和」について粗雑な言葉を使い、自分らの労働と対立するような表現にした事について、真意ではなかったと謝罪し、地域の住民と今後協力して同和教育を進めるということを確認し実践すれば、事件は早急に終息していたであろう。
だが、日共大阪府委員会は、教師らの謝罪を許さず、居直り、本当に「同和」が労働者や国民への圧迫だという頑迷な主張に転化したのである。
公党が同和敵論を主張するとなればこれはもう路線上の対立を超えて一大差別キャンペーンとなる。
二、
革共同中核派の内部論争に広島差別事件というのがある。手元にはインターネットなどからのわずかな資料しかないが、判断をしてみる。
この論争のもとになったある学習会での学生の発言(全国連はものとり主義だ、住宅闘争がそうだ。」)には①のような直接的な差別性は認められない。
それでは上掲③の矢田のような差別性があるのか。
学生の発言は確かに問題があった。私が知る限り全国連はそれなりに狭山闘争や三里塚闘争など経済闘争以外の闘争も積極的であり、また、住宅闘争も単なる物取りではなく住民にとっては死活的な生活のかかった闘いであった。それをものとり主義だといって全国連の闘争を全否定しかねないような発言は余りにも不見識であった。
このでたらめな否定的発言などを浴びせかけられた女子学生がショックを受け悔しがったのは当然だ。そしてマル学同を指導する革共同中央が発言者や合宿での学習会のあり方について厳しく反省し、当事者を叱責するなど厳格な指導がなされる必要があった。
それなのに、居直り、逆に差別事件のでっちあげだといって反撃するに及んだ。そうなれば、党内の部落出身者が党内にいる場所がなくなる事は明らかだ。発言内容や、元の事件そのものは直接的な差別性はないとしても、正当な理由もなく、その誤った発言内容(ある戦線の戦いの全否定)が正当化されれば、戦線の党員はいたたまれず、排除されたと感ずるであろう。広島の女子学生の感受性はそれを差別と受け止めたのはやむを得ない。党はその感性を尊ぶべきだ。
合宿での発言内容はあくまでも路線上のものであって大きな誤解であり、差別性はない。しかし、その発言内容が部落出身者らの闘いの全否定であるから、全否定の理由の説明がない限りいわれのない排除の理論に転化する。もちろん一般的に路線が全否定される場合もあり得るが、革共同全体が、全国連のこれまでの戦いを全面的に支持してきたのに、全否定の理由などあり得ないから、女子学生らが排除される合理的な理由がない。従って、理由なき排除の攻撃を部落差別だと感じた女子学生には理由がある。
部落差別以外に理由が考えられないからであろう。
大坂矢田の事件には、当初の挨拶状の文言自体に労働と「同和」を対置するなど差別性が濃厚であった上に、日本共産党がそれを居直り正当化したことによって露骨な差別キャンペーンに転化した。マル学同の広島事件の場合には、「物とり主義だ」という発言自体には差別性はなく路線上の主張と考えられるが、その発言の内容が路線の全否定であるがゆえにその正当化キャンペーンは女子学生らのそこでの存在の否定を帰結し、不当な排除となる。
しかし、公表されている事実関係を見る限り、広島事件には、上掲①の部落差別の原型中、(B)または(C)の契機が決定的に欠如していると言わざるを得ない。
但し、付言しておく。
物とり主義だと全国連を批判している学生や革共同中央らは、解放運動におけるそうでない闘争とは何なのか、これを提示しない限り、物とり主義批判は単なる誹謗中傷となる。
部落解放運動は武装闘争であるという理論と実践を示して、それに照らして物とり主義批判をするべきだろう。その武装闘争路線(実力糾弾)を掲げ、それを実践してきた者を暴力でもって排除してき、その武装闘争路線を捨てた連中が互いに争論をして何になる。
武装闘争でなくては権力から物も取れないだろう。
2007年、私が東洋町で核廃棄物阻止闘争で死力をふるっていた時、革共同関西では3・14事件という「党の革命」をやっていたという。3・14で彼らが鉄槌を加えたというその革命の対象者は、しかし、部落問題もろくに知らず、何の実績もない人間を彼ら自身がちやほやと育て上げた傑作ではなかったのか。党内で億単位の資金を調達しそれで豪勢な生活をさせてきたのは、だれのせいだ。
差別は満ち満ちているのに、権力に対して、日本のプロレタリア人民に提起する新たな差別糾弾闘争は何一つ出されなかった。解放運動は水平線下に没した。
差別でもないものを差別だといったり、わが身も顧みず相手を物とり主義だなどと悪罵を投げつけあう、党内紛糾に明け暮れるのではなく、権力への実力糾弾闘争の一つでも切り開き、この暗い世の幕を切り開く新しい地平を目指すべきだ。
思えば、1968年前後ごろ激発した我々の差別糾弾闘争は、
例えば大阪豊中高校の差別事件糾弾闘争では、教師らのバリケードを突破して構内に入った糾弾隊と決起した全豊高生らが合流し、逆に校内から警官隊に対してスクラムを組んで阻止線を張った。逮捕者一人が出た。
また、和歌山向陽高校糾弾闘争では、差別事件を融和的に解決していた日共系解放同盟委員長の車を地元青年らと包囲し運転席の委員長をそのままに車を仰向きにひっくり返した。
差別映画橋のない川の上映阻止闘争では、奈良市と高知市で実力糾弾を敢行し民青系部隊と激突し、数名の逮捕者を出した。・・・・・・。
合法的な戦いももちろん大事であるが、実力闘争なしには合法闘争の枠も段々縮小していく。
狭山事件でも現地調査隊を組織し、石川さんとの面会や家族との連絡体制を構築し、公判闘争を盛り上げてきたが、浦和地裁を実力で糾弾するという闘争が本命なのであった。糾弾・奪還路線は、暴力に対しては暴力で臨むという路線だ。
権力は法を守っているだろうか。人民には法で縛り、自分らは法を守っているという恰好をしているだけで全てその実態は暴力でもってその意思を貫徹しているのである。
国民の意思に反して原発を稼働するのも、権力の実力行使なのだ。裁判所も軍隊や警察、監獄などの暴力装置の一環に過ぎないのである。
暴力に対しては暴力でしか応戦できない。往時都に出没した酒てん童子のように、韓国映画トンイのコムゲの様に我々は悲しい運命を背負わなければならない。
言論も既成新聞やテレビが壟断しており、支配階級の暴力の発動の一環をなしている。
帝国主義を打倒するためには、嵐のような実力闘争、糾弾闘争が全国各地であらゆる部署で澎湃と起こらなくてはならない。これがかつての私の考えであった。
今、私には実力はなく、組織もない。権力にとって無害な存在となっている。だが、気概だけは残っている。生活の戦いに打ちひしがれ市民オンブズマンとして世の不正の一端を究明しつつ、反原発の裁判闘争に辛うじてつながりながらほそぼそと存在しているにすぎない。しかし私は転向はしない。
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