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2013年6月13日 (木)

不可侵不可被侵

News & Letters/351

松本治一郎の「不可侵不可被侵」、侵さず、侵されずの言葉は解放運動の世界ではよく知られた。

我々の生き方として、また考え方として、非常に重要な言葉だ。
松本治一郎自身の生き方としてはこの言葉は反省がこもっているだろう。
彼は全国水平社の旗を折り曲げ、侵略戦争の翼賛団体に参加した。そして戦後公職追放となった。

我々の生き方として不可侵というのは侵略戦争をしない、という大きな柱とともに差別をしない、人の人権を侵害しないということだ。ただ単に差別を許さないぞ、不可被侵だ、被害者だ、といういだけでは今日の世界は生きていけない。加害者であるということ、加害者にならない、という立場がそれ以上に重要である。

原発問題でもそうだ。われわれは原発に反対する。それは、放射能の被害を受けたくないからであるが、それだけではない。原発に反対するのは、われわれが被害を受けない以上に、次の世代や周辺の人々、アジアや世界の人に放射能の被害を与えない、すなわち加害者になってはならないからである。

福島等の知事や首長が今放射能の被害の声を挙げている。その声は悲痛であり、その被害に対して一緒の気持で戦う必要がある。しかし、彼らが原発を自分らの地域に引き入れ維持し続け、今日の惨事を引き起こすことになった事実について、痛恨し、反省の声がなくてはならない。

原発は被害を受けるという恐れだけでなく、それをうけい入れた場合、又はその存在を容認した場合、加害者にもなるということをはっきり認識しなければならない。

私の町ではあれほど盛り上がった核反対の声も、町内にその施設が来ないことになるとほとんどの人が忘れようとしてきた。町内の選挙で、ある候補はそれはもう済んだことだと公然と発言し新聞もそれを宣伝した。核反対で積極的に運動していたある男は、私の前ではっきり、東洋町に核が来ることには反対だが、それがよそに行くことについては反対ではない、と明言するものもいた。それは核について被害者の立場にしかたっていなかった姿だ。自分さへよければいいという姿勢でも世の中の役に立つ時もあるだろう。しかし、それでは、いつ侵略者に、加害者に加担する勢力の一員になるか分からない。

戦争の問題と同じように原発問題でも、真実の姿は、我々は、加害者であり被害者である、ということであって、したがって松本治一郎の「不可侵、不可被侵」の旗幟こそ反原発闘争の基底になくてはならない。憲法第9条の精神は、まさにこの思想を表している。

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