続々「橋下徹現象と部落差別」について
News & Letters/331
3、糾弾闘争
「新潮」ら週刊誌が橋下徹攻撃に名を借りて全面的な部落差別攻撃を仕掛けてきたが、橋下はこれを個人の出自や血脈への攻撃だとしてその卑劣な手法に反撃をした。
しかし、決してこれを部落差別攻撃とはみなさなかった。
この本では、橋下のこうした対応を評価し称揚している。せいぜい個人への部落差別攻撃を「きょうだい」への攻撃として全体化することができなかったというに過ぎない。
しかし、今回の「新潮」者らの攻撃の場合は、個人への攻撃を超えて被差別部落全体への直接的な差別攻撃の様相を呈しており、「独裁者」、「裏切り」、「うそ」つき、「博徒」、「爬虫類のような目をしている」、「血も涙もない人間」という個人攻撃がすべて「橋下の生い立ち」としての被差別部落との関連性、「路地二つを、橋下はルーツにもっている」(以上「新潮45」2011年11月号)という事実、その悪い本性がすべて被差別部落ににつなげられているのである。被差別部落が悪の温床という宣伝なのである。
もちろん、橋下徹個人に対しては、この攻撃は、第1に誹謗中傷であり、第2に個人のプライバシイへの攻撃であり、そして第3に橋下及びその家族や地区の人々に対する部落差別攻撃であることは言うを待たない。最高裁の判例でも公的人間についてもそれがいかに真実であっても人身攻撃は許されないことになっている。橋本は当然裁判で相手を訴える権利がある。
しかし、橋下も、この本の著者らも、裁判闘争を否定する。
引用された橋下のツイッタ―によると
「今回の週刊朝日は、個人の人格否定、危険な人格の根拠として,血脈を利用しようとした。この「ロジック」が問題なんですよ。・・・・事実誤認でもプライバシーの問題でもない。ましてや記事の全ての発行を許して、、裁判で決着をつける問題でもない。表現にも許されない一線がある。その表現を許せば、回復できない著しい被害が生じるときには、表現自体が許されない。こんなの悠長に裁判なんかやってられない・・・。」(178頁)という。
またこの本の著者も橋下のこの考えに同調して「差別行為が行われたときに、法的に裁判に訴えて法廷で決着をつけるという、差別問題の解決にはあまりなじみのないやりかたではなくて、権利が侵害されたときに、法律上の手続きによらないで、直接自らの力で権利を守り実現する自力救済行為というやりかたー「糾弾」というのは、そうした自力救済行為として認められているという判決があることは前にいったが―、そういう闘いかたを選んでこそ、差別をめぐる係争の解決ができる、ということが示されたということにほかならないわけだ。」(230頁)といい、そもそも「差別事象は、いったんおこなわれたら、それによって受けた損害を回復することが法的にはできない。」(54頁)とか、差別に対しては糾弾という自力救済の方法で「社会的に」解決するしかないというのである。
糾弾によって相手が謝罪したり反省したりして解決出来たと考えているようであるが、今回の橋下の糾弾によって、何か解決したであろうか。
確かに、週刊誌らはこれ以上部落差別キャンペーンはやらないということになった。しかし、大々的に売りさばいた週刊誌や月刊誌はばらまかれたままだし、新聞等の雑誌の広告でのえげつない差別見出しは1枚も回収されていない。差別キャンペーの大きな効果は、糾弾によって解消されていない。
糾弾はもちろんしなければならない。差別者が振るえ上り、心から反省するまで糾弾の手を休めてはならないだろう。しかし、それをやったからといって何故裁判闘争を否定する必要があろうか。これまで解放運動は相手が仕掛けてきた不当な裁判に応訴し裁判闘争をやってきたが、こちらから差別事象について提訴して闘ったことは聞いたことがない。
しかし、裁判闘争の分野は糾弾闘争の一環として当然取り組むべきものであった。
差別は「社会的に」解決し「法的に」は解決できない、などという根拠のない駄法螺はおいておけばよい。何のためにこんなことを言うのかいぶかしい限りだ。
憲法で保障された人権を踏みにじられたもの、虐げられた者らが、その回復のために裁判に打って出るのは、それこそ裁判に最もふさわしいことだ。糾弾闘争は差別者に対して社会的に提起され裁判所でも差別反対の荊冠旗が翻らねばならない。
訴状の形式は損害賠償や謝罪広告を要求するということになるであろうが、法廷で不当な差別を糾弾し、部落大衆が天賦人権を等しく共有するという権利を確認しなければならない。全ての個別差別事象は、差別の当事者への糾弾だけではなく裁判闘争として普遍化させ裁判所を人権の砦として鍛えなければならない。
これまで差別者は個別的な糾弾で謝罪し反省の格好をしておれば許されてきた。
今回の週刊誌の差別キャンペーンでは、それらの謝罪や反省が心からのものではなく、糾弾の嵐が過ぎるのを待つほう被りに過ぎないことを露呈した。
糾弾闘争を民亊・刑事事件として裁判官や司法当局に部落大衆の怒りや悲しみをぶっつけ、部落大衆の法的地位を明確にさせることは極めて重要な戦線の拡大である。
身分差別は一般社会に根付いているのであるが、それは、元々は権力機構の中に胚胎したものだからだ。
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