続「橋下徹現象と部落差別」という本について
News & Letters/330
既に述べたように橋下は、週刊誌の部落差別攻撃に抗議してはいない。
政治家の出自や血脈を暴露するその手法を問題だとしている。
「血脈を俺の現在の言動の源泉というなら、子供も同じだということだな。個人の人格よりも血脈を重視するという前近代的な考えだ。」(124頁)
被差別部落出身だとか部落差別の事実についての暴露や攻撃に抗議しているのではないのである。
この本は、「ここで問題になっている出自にかかわるような「事実」とは、当人の責任によって解決できる事柄ではなく、当人の努力では如何ともしがたい事柄、つまり抗弁することができない性格のものです。」といい、例としてアメリカのオバマ大統領が黒人であることへの差別攻撃を挙げている。しかし、部落問題は黒人差別問題、人種や民族問題と同じような出自の問題であろうか。
2、部落民について
この本が指摘するように、部落解放同盟は今回の一連の週刊誌らによる激しい部落差別攻撃に対し、有効に戦ってこなかった。声明を挙げたり抗議文を渡しただけである。本来なら出版社の建物に怒れる部落大衆と桂冠旗が押し寄せていなければならない。問題の週刊誌らを廃刊に追い込むぐらいの闘争があってしかるべきであろう。そんな糾弾闘争が全くなかった。これはどうしたことであろうか。
それは、腐敗堕落しているからだ、というだけでは何も解明されていない。
この「橋下徹現象と部落差別」という本では、一応それを分析している。少し長くなるが引用する。
「実際今回の事件では、・・・・解放同盟には、現に差別を受けて闘っている橋下徹を「きょうだい」として、ともに肩を組もうとする姿勢が見られなかった。橋下に対する差別攻撃を被差別部落民全体の問題として糾弾するところまでいかなかった。・・・・戦後の部落解放運動が人権と民主主義を掲げて闘ってきたこと自体がまちがいだったとはいわない。その根底に水平社以来の「差別糾弾」と「相互扶助」の精神がありさえすれば、人権を唱え、民主主義を唱えても、運動を誤ることはないと思う。」
「しかし、その根底の精神に、部落民は部落民であることにおいてそのままで貴いという「個人の尊厳」、部落民は自力で助け合って自ら救っていかなければならないという、「相互扶助」を置くのではなくて、人間は人間であるということにおいて貴いとする人間主義、すなわちヒューマニズム、公正な法による支配が正義を実現するという法治主義、すなわちコンプライアンスをとろうとするなら、解放運動に未来はない、といわなければならない。」
独自の見解なので訳が分からない面があるが、「部落民が部落民であることにおいて貴い」として、「人間であるということで貴い」という考えはだめだというのである。
この見解の積極面は、こういう形で部落民とは何かを問い、その上で運動論を主唱しようとする点である。
この本の論者(宮崎学氏)はどうも部落民を「血脈」でとらえているのではないか、ということである。血脈や人種で部落問題をとらえるということであれば、それこそ部落問題は部落問題たりえない。部落民の苦悩がわかっていないのではないか。
封建時代とは違って、現代の人は誰も部落民として生まれてこない。日本人という人間として生まれてきた。にもかかわらず身分差別の遺習を残す現代社会から部落民視され差別を受けてきた。ここに部落に生まれた人間の自己矛盾的精神が形成される。
同じ人間であるのに同じ人間として扱われない自分、藤村の破戒の主人公「丑松」の苦悩する存在となる。この自己矛盾的な存在が差別撤廃の解放運動の原動力となる。行政施策や教育、結婚や就職において差別と不公正撤廃の戦いとなる。平等と公正を求めて糾弾闘争が発展してきた。この外に向かった糾弾闘争は、自分は他の者と同じ人間、同じ日本人だという自己規定と、そうではないというい他者からの抑圧的規定が一個のアイデンティティ内で葛藤していることの、表出なのである。
この自己矛盾的存在としての部落問題を理解せず、人種問題的なとらえ方では、ユダヤ人問題や黒人問題など異人種問題のように独自の金融機関や生活基盤、「相互扶助」世界を築くことが解放運動ということにならざるを得ない。
戦前の水平社時代の糾弾闘争の意識は、おれたちは部落民だが同じ人間だ、差別は返上するというものであろう。それだけ強固な閉鎖性の強い部落差別を受けていた。
戦後は、おれたちは同じ人間だ、同じ日本人だ、部落だとして差別を受けるいわれはない、という意識からの糾弾闘争である。日本人として生まれたという所与の前提が強固にあるなかで、差別と向き合うことになった。
封建時代や戦前では身分差別が異族差別の様相を呈していた感がある。戦後は憲法や民主教育の中で、人間として日本人として平等に生まれたという意識が部落の中にも強く醸成されていた。
戦前も戦後も糾弾闘争の根底には強いヒューマニズムがあることは言うまでもない。
解放同盟的な運動がどうして今回の週刊誌の部落差別攻撃に立ちあがらなかったのか。
それは、解放同盟が既に社会や権力から一定の地位を与えられ既成の権益の中に入ってしまったからであろう。私は、狭山差別裁判に対する闘争によって解放運動の再生を試み一定の影響を与えた。一定の期間その糾弾闘争は清新な息吹を解放運動に吹き込んだ。しかし今は長い沈滞ムードの中に次第にその存在そのものを喪失しつつある。
解放運動は、大衆運動であって機関の運動ではない。
大衆運動は、発生し広がり、さまざまに変形し、・・・・するが、また急速にしぼんだり消滅したりもする。大衆運動が一定の大きさで常に存在して動いているということはあり得ない。
だから、解放運動も大衆運動である限り、新しい起動と爆発が必要である。新しい起爆剤で新しい運動を発展させなければならない。
今回の週刊誌の差別攻撃をとらまえてマスコミに対する全国的な一大糾弾闘争をしかける必要があろう。今日政府など権力機関だけでなくマスコミの権力やアメリカにに迎合する世論操作も大きな問題なのだ。
要するに現在の解放運動が立ち上がれないのは、橋下市長の様に、ある一定の社会的地位や権力を手に入れているので、部落差別を差別として感じる意識構造が閉ざされてしまっている、自己矛盾的精神が1本化して解消し、差別に不感症になっているからであると思われる。差別されても痛くも痒くもない立場にあるからであって部落民であることが特権化しているのである。(続く)
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