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2013年2月 6日 (水)

「橋下徹現象と部落差別」という最近の本について

News & Letters/329

「橋下徹現象と部落差別」

解放運動の関係者と思われる二人の方が、2011年、12年に渡る「週刊新潮」らの橋下大阪市長への部落差別攻撃について論じている。
全体として言わんとする方向性にはうなづけるものが多い。しかし、かなり問題を含んでいる。摘記してみる。

1、橋下は、「新潮」らの攻撃を部落差別攻撃ととらえているのか。
 回答:とらえていない。橋下が問題にしたのは、出自をほじくり出して攻撃するその卑劣な手法が許せないというのである。この本が引用する記者会見での橋下は、
「僕は公人なので、両親、先祖について必要に応じて報じられるのも仕方がない。虚偽の事実でない限りは名誉棄損にはならない、・・・当該地域が被差別部落という話について、それが僕の人格を否定する根拠として、先祖、実父を徹底的に調査するという考え方を問題視している。
・・・血脈、DNA、先祖、実父という発想のもとで、どんどんぼくと無関係の過去を無制限に暴きだしていくということは、公人であったとしても、認めることができない・・・・。」と言っている。(22頁)
出自を調査しそれを暴きだすという手法を問題にしているのであって、被差別部落に対する攻撃を問題にしている訳ではない。

著者らは「橋下の人格が悪いのは部落の『血脈』を引いているからだ」という主張のもとに、個人の出自を暴くという行為が問題であるとされたわけだよ」(203頁)とか、
「橋下は、これが部落差別による個人攻撃であるという、問題の本質を一点にしぼって明らかにし・・・」と橋下を称揚する。

しかし、「新潮」など週刊誌の攻撃は部落差別攻撃が主眼であって、決して橋下への個人攻撃ではない。橋下自身は出自による個人攻撃だととらえ、その出自攻撃の手法を問題とした。著者らはその出自が部落差別であるとするが、個人への出自攻撃だとする点では橋下と同列である。

週刊誌の論調は、橋下のゆがんだ性格(非寛容な性格)、橋下の本性→橋下家のルーツ→被差別部落という流れであって、個人の性格からその先祖・出自、そしてそこから部落差別に向かっている。部落差別キャンペーンが週刊誌らの最大の目的であるし、結果としてもそうなった。今日、橋下徹ほどの人間をその出自を暴いたとして何の影響があるであろうか。権力の頂点に立ちマスコミの寵児となった男の出自が何であれ、本人も一般市民も蚊に刺されたほどの痒みしかないだろう。

少なくともこう考えるべきだ。
確かに週刊誌は、個人攻撃の手段に部落問題を用いたのかもしれない。そうとしても、主客転倒してもちいられた手段の方が大きな問題となる場合があるのだ。

        (以下続く)

            2、部落民について
            3、糾弾と裁判について

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