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2013年1月

2013年1月23日 (水)

暴力について

News & Letters/326

大阪桜宮高校の体罰―生徒の自殺を巡って例の橋下市長の強硬姿勢が問題になっている。
体罰は暴行であり、認められない。私も小学校の時に受けた体罰を忘れられない。

一つは、教室で頭の良い良家の同級生が、いたずらをしていた。
鏡を持って机の下にもぐって女子のスカートの下を写していた、自分はその子が何をしているのか知らずに呼ばれてその鏡を見せられた。何が写っているのかもわからなかったが、それを女教師が見て、私の頭を強くたたいた。
鏡を持って下から映しているのは安岡という子供であることは明らかだった。その子は大きな屋敷に住み、親は教師であった。

罰すべきはその子供であって私がたたかれるいわれはなかった。
私はその女教師が憎々しげな顔をして私に迫ってきた姿を忘れることは出来ない。
私は母子家庭で親は出稼ぎに行っておらず、二つ上の姉が所帯をしてさみしく暮らしていた。その女教師は地元出身で確か岡村という先生だった。私がどういう地区に住んでどういう家庭かを熟知していたはずだ。私はただ卑屈になって耐えていた。

もう一つは、小学校で運動会の行進の練習をしているとき、私の前を行進していた生徒が、隊列を離れて音楽が流れているスピーカーの位置を変えてすぐ元の隊列に戻った。いたずらをしたのだ。スピーカーは地面に置いてあった。行進曲の音調が変になった。それで私は隊列を離れてそのスピーカーの向きを元に直した。そうすると運動場の本部席にいた先生が色を変えて駆けつけてきて私の頭をいやというほど殴った。

その先生は私がいたずらをしたと勘違いをしたのであろう。
その先生は吉岡という男の先生だった。私が受けた体罰はこれだけであるが、今も許せないと思っている。

これらの先生は、腹立ちまぎれに生徒を殴ったのである。子どもの人権とか、子供の心とかは歯牙にもかけていないのである。私がいい家庭の子供であれば、このような暴行は受けなかっただろう。中学校3年生ぐらいになるともう大人のように威厳をもっているから先生も手が出せなかった。
小学校5年生、6年生時分以降は一度も体罰は受けなかった。

桜宮高校はまるで教師による暴力学校だ。橋本市長が強行姿勢を取る理由もある。
私は、関係した教師はもとよりそれを黙認していた教師も教員失格であると思う。辞職するべきだ。校長や教頭も教師を辞めるべきだ。市の教育委員も全員引責辞任するべきであろう。生徒が死をもって抗議したのである。

しかし、不思議なのは、高校生にもなっていながら、暴行を受けてただ黙って耐えていたという生徒の有り様である。試合に負けた、試合でミスをした、などということで暴行を受けたとなると私なら黙っていない。何をするんですか、といって逆に相手を叩き伏せるであろう。実力で対抗できなければ不登校で抗議する。

私は、この学校では人権教育は何もしていなかったと思われる。人権は他人の人権よりも何よりもまず自分の人権から始めねばならないのだ。
教師であろうが誰であろうが、人として対等であることが人権のはじめだ。
日常的に暴行を受ける関係は、今では牢獄でも存在しない。

生徒たちは自ら立ち上がり人権宣言をしなければならない。
橋本市長も、このような教育環境について行政としての責任がある。
いじめや暴力を学校現場から排除し、安全な教育環境を用意するということは、行政の仕事である。人権抑圧的で、競争と弱者切り捨て政策、人の心も配慮せぬぶっきらぼうな物言いの橋下市長の登場は、桜宮高校の暴行教育を一層助長させたと思われる。

橋下もこの際公職を退くべきだ。入試中止だとか予算を出さないとか強権を振るっても、暴行教育は治らない。それどころかこのような人に対する思いやりのない行政の仕法、権力を振りかざした姿勢が大阪の暴行教育の精神的支柱となる。
予算執行権を言う前に公務員の人権教育と生徒たちの人権意識の確立が先だ。

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2013年1月18日 (金)

1月17日

News & Letters/325

1月17日は18年も前、阪神淡路の大震災の日であった。

1月17日は歴史的に見て何かと大きな不幸が起こった。

阪神淡路の大震災、ロスアンジェルスの大地震もそうだった、湾岸戦争もそうだった、江戸の明暦の大火事もその日だった、朝鮮戦争も・・・・、

明治の文豪尾崎紅葉の「金色夜叉」のあの熱海の海岸で、貫一お宮の別れもその日だった。
間貫一:

「今月今夜のこの月は、僕の涙で曇らせて見せる」
と1月17日を呪ったのである。

 無教養な私の亡母であったが、熱海の海岸の別れの日が1月17日であることを 
私に教えてくれた。何故なら、高知県の寒村吉良川で昭和19年のこの日に母は私を生んだのであった。

 私が生まれた事は、この人の世に幸か不幸か。ただ親に感謝し、誠実に生きるのみだ。

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2013年1月 6日 (日)

自民党の憲法改正案

News & Letters/324

自民党の憲法改正案が現実味を帯びてきた。

その内容は極めて反動的で、原発と同程度の危険性をもっている。

第1に

憲法九条に自衛権と国防軍の規定を設けた。
国防軍は①自衛行動に加え②軍事行動を海外に拡大し、③国民に対する治安出動 
を義務付けた。

第2に

、国民の基本的人権を抑圧するために、それに「公益及び公の秩序」のたがをは
め込んだ。権力は、公益及び公の秩序に反するという事で、いくらでも人権を制限し抑圧できる。

第3に、

「緊急事態宣言」なる新章を設けたが、これにより、内乱など非常時には、①国民
の権利を無制限に制約し、②法律同等の政令を無制限に制定し、③現行権力を無制
限に存続させる道を確保できるとする。

これらの内容の憲法を改悪するために自民党は、憲法改正の国会発議の制限を緩和しようとする。現行の両議院それぞれ3分の2以上(supermajority)の議員による発議の枠を解体し、単なる過半数(simple majority)でことを行えるようにもくろんでいる。

アメリカをはじめ世界的に見て、憲法改正の手続きで simple majority でよいとする国はほとんどないであろう。
自民党安倍内閣と原発は人類に対するその猛毒のゆえに直ちに廃止されねばならない。

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2013年1月 4日 (金)

新年のあいさつ

News & Letters/323

やっとブログを開く余裕が出来たので、皆さんに新年のあいさつをせねばならない。
年末から風呂にも入る時間がなく、早朝から夜中までホテル業の下働きで精を出した。

1月三日にして昨年来のごき(あか)を洗い落した。
年をとればとるほど段々と強壮になり、かしこくならなければと思っている。

身体のあちこちを修復しながら、年少のころには到底務まらなかった激しい労働をこなすことが出来るようになった。年老いるという事で弱気になり心身が衰弱するというのは、愚劣な考えだ。そうではなく、高齢になるにつれてますます強くたくましくなるという新しい神仙思想を打ち立てなくては。これは冗談ではない。

さてしも 謹賀新年
人々に幸せが来ることは祈るが、私一身には幸福を祈らない。

戦国時代尼子の武将山中鹿之助のように、むしろ、
敵よ来れ、苦難よ来い、我に七難八苦を与えたまえ、と月に向かって叫びたい。
内外の情勢は極めて厳しいからだ。

昨年は惨憺たる結果であった。海の駅は焼き打ちに合い、愚鈍・横柄な民主党に代わり超右翼連中が権力を握った。これからは民主主義というオブラートに包まれた対決ではなく、実力と実力、歯と歯、拳と拳、真剣の刃と刃が火花を散らし、骨を切るつばぜり合いの時代に入る。

極右に対しては極左しか対応できない。
あいまいな中間派は競り合いから放り出される。
ストレートに根底から真実に迫る者が生き残る。

原子力産業の出現によって初めてプロレタリアートの全世界的な連帯の現実性が浮かび上がった。資本の支配の姿より放射能はより直截かつ急速に全世界を席巻し全人類の団結を呼びかける。一国主義では解決がつかない。いきなり世界革命路線が必要だ。

この聖戦に勝つためには、学習を重ね理性を磨きプロレタリアートの原理を何度も研ぎ澄ませることにかかっている。理性がなければ情熱はいつの間にか反革命に脱線する。
私は今、身は低く、ホテル家業の汚れの中で沈殿しているが、強靭な精神は堅持している。

日本書紀天智紀の中に、日本最古の里謡(わざうた)が拾われ記されている。

      み吉野の
     吉野の鮎、
     あゆこそは 島辺(しまべ)もゑき
     ゑ苦しゑ
     椥(なぎ)のもと 芹のもと
     吾れは 苦しゑ

(吉野の鮎はいいなあ、島影の清らかな水の中で暮らしている。
それに比べ私は、椥の木や芹の生える泥沼ではいずるまわって
苦しんでいる。苦しいなあ、苦しい)

 この日本最古の民謡を 誰か音楽家が作曲してくれないだろうか。私は自分勝手ないい加減な節をつけて歌っている。
君が代ではなく、この歌が国歌となり、正月には必ずテレビで流されて政治家の頭に響き渡るように。悲しげだが荘重な曲。日本最古のフォークソング。

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