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2012年12月

2012年12月21日 (金)

大反動自民党の大勝利

News & Letters/322

マスメディアが描いたとおり極右反動勢力の大勝利に終わった。
善意に解釈すれば、今回の選挙で、原発の真の責任者である自民党をその責任ある位置に置き据えたという事であって、反原発の総攻撃を自民党に向け、それとの対決での勝利をとらなければ本当に人民が勝ったという事にならない、という事かも知れない。
天は明確な対決軸を我々に与えたという事であろう。
しかし、それにしてもひどい敗北であった。
自民党ら反動勢力の大勝利を、単に選挙制度(小選挙区制)のせいにすべきではない。
確かに、2009年の自民党大敗北の選挙よりも得票数を減らしておりながら、逆に大勝利を得たというのは、小党乱立した選挙での小選挙区制ゆえの結果であるが、その結果については、しかし、機会は平等であったというべきである。
問題はやはり、主体の貧弱さだ。

1、人民の信頼を得るためには、政党として相当の経験と鍛錬の期間が必要である。
 反原発やその他さまざまな戦線では人材はたくさんいる。
 それらの人材を結集し、政治活動の経験と学習を深め政治家として鍛錬したものが党派を作って、選挙に出るのでなければならない。

2、政治宣伝活動や社会運動をする上に、政治家になる者は、オンブズマン活動をする べきだと思う。オンブズマン活動を通じて、行政の不正や腐敗を追及しながら、行政の施策の実務や法律を学習することだ。政治家は、地方や中央の官僚よりも行政実務や法律に熟達していなければならない。
官僚打破、などと叫んでも、実際に権力を握って実務は官僚任せでは、少しも官僚打破にはならない。中央でも地方でも政府を握ったものは、自ら行政実務を担当するのでなければ、権力を握ったことにはならず、結局官僚に頤使されるようになるだけだ。

3、そして、オンブズマン活動など直接請求行動は、選挙と同じぐらい重要な政治分野である、という認識が必要だ。デモや集会、行政への陳情や請願、行政への抗議、政治家に対する批判、そして山のような住民訴訟の攻勢が世の中を変革する力になり、それを背景にすれば権力奪取のための選挙地盤も形成できるだろう。
選挙で負けても、ただ一人でも住民訴訟はできる。
選挙で負けても、直接参政の機会は開かれている。

選挙でなくても、直接行動は民主主義の根幹だ。何千何万という住民訴訟で権力を圧倒することもできる。
本来の意味のプロレタリア革命は「選挙」主義ではない。
イタリアパルチザンの歌 BELLA CIAO のようにファシストに対し人民は武器をもって立ち上がったのである。それが民主主義の本当の姿だ。鉄砲や刀だけが武器ではない。

私は選挙で幾たびも敗北した。
しかし、敗北は我が身を打ち鍛える試練のムチだと考えてきた。
これまでより一層学習し、強くたくましくなろうと決心を繰り返した。
最終的な勝利までは、幾たびもの敗北があると考えねばならない。

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2012年12月 8日 (土)

今回の国政選挙後の大反動時代

News & Letters/321

今回の選挙後大反動が始まるであろう。
いつものように、大小のメディアが作った世論によって基本骨格が作られた総選挙は、今回日本人民にとって悲惨な結果が用意されている。
自民、維新ら極右路線が圧勝し、中道、左派、護憲派はちじこまり、消滅する。
これほど国民の意思や希望と隔絶する選挙結果はかつてないほどだ。
日本の選挙制度には根本的な問題が二つあると思う。

第一に、メディアによる事前の特定候補や党派への大キャンペーンが野放しであること。

維新や自民党への注目度を高める援護宣伝では、社民党や共産党ら弱小党派や 
無所属候補にははじめからとても歯が立たない状況にされる。
候補者も決まっていないのに、すでに当落予想を大々的に宣伝する。
気に入らない政治家はあらかじめ徹底的に攻撃しこきおろす。
マスコミの政治介入、政治宣伝、選挙運動を規制しない限り、人民の真の代表は陽の目を見ることは困難である。まだまだネット力ははるかに及ばない。

第二に、供託金の額の高さだ。小選挙区300万円、比例区600万円。

この額は底辺の国民の生活からは絶壁のような高さだ。それは、その日その日の暮らしに汲々としている庶民には一生かかってやっと貯金できる額だ。貧しい人は被選挙権はないというの
と同然であって、憲法違反であろう。憲法で保障された基本的人権の行使を金額の障壁で遮っている。公職選挙法第92条の供託金の各規定は、憲法(第44条、14条)違反であって無効なものである。アメリカなど多くの国が立候補の選管への名簿登録には金は要らない。

 憲法第44条を見ていただきたい。「両議院の議員及びその選挙人の資格は、法律で
これを定める。但し、人種、信条、性別、社会的身分、門地、教育、財産又は収入によって差別してはならない。」となっている。
選挙人名簿というのは当然選挙、被選挙する人をいうのであるが、憲法では、選挙人になるのに財産や収入によって妨げてはならないことになているのである。  
 確かに投票する選挙人についてはその一票の格差はあるが、投票行為そのものには障害は設けられていない。しかし、被選挙権の行使には供託金の絶壁が立ちはざ 
かる。誰かが、訴訟を起こさねば、いつまでも人権蹂躙、不法行為が続き、日本の大多数を占める貧乏人が頭をもたげる機会はないであろう。一票格差の問題よりももっと深刻ではないかと思う。要するに日本の参政権は戦前の・・円以上の税金を負担している者に限定されていた時代とそんなに変わらないという事だ。金持ちが立候補し、それを国民大衆は新聞やテレビで煽られ催眠状態にされて、あるいは熱狂し、あるいはおろおろと、指定された候補者に投票する。
   
日本の現代の選挙の主役はメディアだ。世論を操作して大勢を決める。
今回も勝つのはメディアである。熱狂が覚めると厳しい現実が待っている。
先ず原発の稼働が一斉に始まるであろう。次々と戦後民主主義といわれていた既得
権が音を立てて崩れ出すであろう。・・・・・
冥界の魔王とその使徒、古代中国道教の言葉の本来の意味の「非人」達がこの世に踊り出る。

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2012年12月 2日 (日)

今回の国政選挙について

News & Letters/320

戦後幾たびもの総選挙が行われた。しかし、今回の選挙ほど危機的な選挙はかつてなかったと思う。日本にとってもアジアにとっても。

安倍自民党、石原・橋下維新、民主党野田・・・、これらの三局が日本滅亡のシナリオを実行しつつある。それが、重点を中近東からアジアにシフトするというアメリカオバマと協同して、緊迫するアジアに突出しようとする。

そこには各国帝国主義の資本を吸収して太りきった中国の覇権主義が待っている。特に安倍、石原・橋下が危険だ。

彼奴等は、①核武装し中国や朝鮮を脅迫して外では軍事を引き起こし、②内では、人民の福祉や雇用や教育など生活全般を破壊し、③日米の資本家どものために放漫財政を組んで国家そのものを破滅に向かわせる。

④特に原発については、電力やエネルギーとしてではなく、何よりも核兵器の資材源(プルトニウム)製造装置として維持し稼働させ、絶対にこれをやめようとしない。
橋下ら旧維新組(これらは幕末の新撰組というべきだ)は、ポピュリスト然として時に脱原発の風を装っているが、本音は、憲法九条廃止核武装派であり、原発推進派であることを顕然としてきた。

これらに対し旧勢力の共産、社民は風にあおられて消滅寸前であり、最近の嘉田滋賀県知事「未来の党」も極めて弱々しく、ないよりましであるとは思うが、十年を目標にとか国家の品格とかいう程度の上品なことを言って、よたよたしている。

日本の原発は辛うじて緊急炉心冷却装置を頼りにして綱渡り的な稼働をするという品物にすぎず、この冷却装置も本当にブレーキが利くのかどうか誰にもわからないコンピュータでのシュミレイション上の保障しかない。何にも実証試験なしの装置だ。
福島の深刻な犠牲でやっと原発が国民の議論の俎上に上ったが、今の政治勢力の状況では、反原発の勢いは弱く、第二第三の福島が起こらないと国民の認識(マスコミの認識か)が変わらないのかと思うほどだ。

同じ屋根の下の工場で、巨大な火薬の製造と毒薬や毒ガスの製造を一緒にやっていて、その工場の一角で煮炊きし、子供たちとファミリーで幸せそうに生活をしている、そういう状況であることを国民はよく認識するべきだ。

原発は、国家の品格の話ではなく、人類の生存(絶滅)の問題であり、実は食うか食われるかのしのぎあいなのである。今全ての原発を即座にやめても遅いぐらいである。
使用済み核廃棄物の量は膨大であり、これをどう処理するのかという問題だけでも絶望的なのである。六ヶ所村の議会が、核廃棄物の再処理を止めるのであれば、すべての核廃棄物をそれぞれの原発が引き取れ、と決議したそうだが、引きとったらどこの原発も廃棄物でいっぱいになり、原発稼働をやめなければならない、という。

何千年、何万年もこの厄介な廃棄物を管理し続けられるのであろうか。
未来において地球上で今のように人類が支配的な生物として存在しているのかどうか、人類が支配的であっても、果たしてその人類がその廃棄物をまともに管理するのかどうか、全く分からない。戦国時代のような乱世、第一次、第二次大戦のような世界的な大戦争が起こるときに、誰が一銭にもならず、極めて危険な核廃棄物の世話をするであろうか。むしろ敵対勢力同士がその施設を真っ先につぶし合うであろう。

昔学生自分に「24時」という本を読んだが、もう実際原子力の時代は「24時」を過ぎて何もかも手遅れなのではないか。福島原発事故での除染した瓦礫や材木の収容施設でも行く先がない、まして燃え盛る核廃棄物の行くところはないであろう。
かつてNHKのドキュメンタリテレビ番組「現代の映像」で最も遅れた政治的後背地として描かれた東洋町においてさえ、核廃棄物の収容施設は拒絶された。

安倍、石原、橋下・・・この連中は確かに立派な人間である。功なり名遂げたという一流の人物だ。しかし、これらには原子力というものの恐ろしさがわからず、判らないはずは二のだがそれを敢えて無視し、ただ権力争奪の道具としてしか認識していない。表面の顔では立派に見えるが、人間としての理性のかけらもないのではないか。人類を滅亡に導く使徒として冥土から送られてきた人々ではなかろうか。

冥土といえば、・・・・。
日本では、「非人」というのはかつてはエタ・非人と呼ばれた被差別の人々であり、不当な差別用語だった。
私は、この言葉の語源を突き止めるために記紀など日本の古書籍を探し回った。
日本の本には、それらしき根拠は見つからなかった。そこで中国の古い文献を渉猟していると道教関係の本に次々と「非人」という言葉が載っていた。

この世のものではなく、冥界の閻魔大王の使徒であり、獄吏だ。冥界の下級役人というところだろう。別に悪い者ではない。
日本では古い神社の祭礼などの行列の中にその「非人」が位置付けられていた。
これが、異界のものとして差別される「非人」となり、被差別と結び付けられたのであろう。

ただ、冥界の者だから気味が悪い。その上閻魔大王の使徒だからなおさらだ。

私は安倍や石原、橋下らを「非人」だというのではない。むしろ閻魔大王とその幹部ではなかろうか。

崇徳上皇は四国の配所で死んだが、死ぬるとき朝廷に祟ってやると言って血文字を書き残した。死んで後、天狗の姿をして冥界の大棟梁となり、長しえに天皇家に災いがもたらされるようにした、ということだ。雨月物語にも西行法師の書にもそう書いてある。
原発を推進する連中は、すくなくとも私には異界の者ののように映る。
剣や槍、弓、鉄砲をもって暴れる連中ではない。人類のほとんどを放射能という毒薬づけにしてもかまわない、という恐るべき連中なのである。

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