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2012年9月13日 (木)

警察手帳

News & Letters/306

植松のおばあさんが、この間2回もお見舞に来られた。
もう90歳を超しているはずであるが、元気しゃくしゃくとしておられ、
何事があっても負けたらいかん、がんばりなさい、と励まされた。
以前は私が度々お邪魔して、いろいろな世間話を聞かしてもらっていた。

この植松家は、室戸市佐喜浜町の大きな古い屋敷であるが、大きな地震が来ればつぶれてしまいそうである。
幕末維新に、この家から植松直久氏が出た。

日本の近代警察創設の祖といわれる川路利良の下で働き、川路の述べた事を「警察手眼」という記録に残した。その原本は今も植松家にあり、何回か見せてもらった。
川路は、大久保利通の懐刀で佐賀の乱や西南の役で活躍し、江藤新平や西郷隆盛を歴史から葬り去るのに大きな役割を果たした男だ。
だから、川路には近代日本の警察制度をフランス流に仕立て、権力の走狗ではなく国民の権利を守るものに替えたという外面(警察手眼)と、政敵を倒す陰謀の権力としての暗黒の日本警察を創設したという二面性をもっている。

この「警察手眼」は、従って、川路の真の言葉ではなく、編纂者の植松直久氏の思想を川路の言葉として表出したものであろう。
暗黒面は、かつて私が紹介した荻生徂徠の、犯人が見付からなければ「貧乏くじ」を引かせて適当に犯人をしたてろ、という刑事政策をも引き継いでいる。

最近私は、高知県の私の身近で、この植松氏の「警察手眼」と全く正反対の警察の実態を見せられて、うんざりしている。

一つは、高知県の司法警察員による人間の「密漁」と
今一つは、「海の駅」火災の原因についての室戸署の発表である。

高知県は、戦後80年近く漁業法第65条違反だとか、漁業調整規則第7条違反とかいう事で貧しい漁民を捕縛し刑罰を加えてきた。
しかしいずれの法律・規則も、「違反」した漁民を捕まえ処罰することはできない。
漁業法65条を見てみよ。その条項は漁業を禁止したり制限したり罰則を設けたりする規則を知事や水産庁の大臣が作ることが出来るという、権限付与の規定があるだけであり、漁民を罰する規定はない。

漁業調整規則第7条も、かくかくしかじかの漁業については「知事の許可」がいるという規定しか載っていない。・…を禁止する、とか制限するという文言はないし、何よりもこの7条には罰則規定が設けられていない。

罰則規定がないのに人を刑罰に科せられるか。高知県庁や検察庁、裁判所はそれをやってきた。これは、人間を「密漁」する行為であり、逆に、特別公務員職権乱用の罪で重い刑罰が科せられねばならない事態だ。
憲法第31条には、日本国民は、明確な法律の規定なしには刑罰を与えられないと明記されている。

最近の海の駅の火災は、明らかに漏電ではない。
数日前、室戸署の刑事の説明は全く腑に落ちない奇怪な話であった。

1、漏電の形跡がないことは鑑識の警察官が現場で私たちに説明がなされた。
配線類を押収するときにも、漏電ではないという証拠としてもって行くと言っていたほどだ。
電線のつなぎ目や電線そのものに異常はなかったことは、警察が押収した証拠で明らかであろう。
レジ付近の出火現場の燃え方は、床から火があがっていて、他の土台の上の横柱には焦げ目もないがレジ付近の床近くの横柱だけが焦げて燃えていた。このことは火の気のないレジの床に何か燃えやすい物を置いて燃やしたと思われる。

2、第1発見者である私の証言を無視し、裏の勝手口はしまっていたという。
しかし、勝手口には二つの扉が連なっていて、北側の扉は閉まっていたが、
海側の扉があいていてそこからもうもうと煙が出ていた。
そのことを目撃したのは私だけではない。
海の駅の主任は、出火当時、消防隊員に裏の勝手口の扉を開けるように言われて
3人の隊員に付き添われて勝手口に行ったとき、一つの扉は開いていて煙が噴出していたこと、閉まっていた扉を開けようとしたが開けられなかったこと、その時消防隊員が海側の開いていた扉には手を触れるなといったことを我々に証言している。

 消防隊員は結局閉まっていた扉をバールかハンマーかで打ちこわしたりこじ開けたりして開けた。消防隊員が開けたのであれば、両方とも同じ手法で開けたはずである 
  が、一方はカギの根元をきれいにはずし、一つも戸に傷がついていない、もう一方はめちゃめちゃに打ち破られたような姿になっている、このことをどのように説明するのだ。

 また、別の海の駅の従業員も、出火直後に駆け付けたが、勝手口の扉が一つ空いていたこと、そこから煙が噴出していたことを確認していて、また、その時消防隊員の話では、海側の扉のカギがバールのようなものでこじ開けられていると言っていた、と証言している。

3、そして不思議なのは、遺留品(たばこ)と思われるものについて室戸署の警察官は「知らない」、「初めて聞いた」というのである。
海の駅に接続してトイレがある。そこは煙は入ったが、火は入っていない、今でもトイレは使おうとすれば使える。翌朝の現場検証でトイレの手洗いの床に焦げた煙草の箱が1個あった。
それは火災のあくる日の現場検証で私と主任とそして役場の総務課長が警察官に案内されてその確認を行った。警察はその1個のたばこの箱に薬品を塗っていたから指紋を採取しようとしたに違いない。そのたばこは「わかば」というもので、茶っ褐色に焦げていた。何故そこに焦げた煙草が1箱あるのか。

海の駅の店内ではタバコを売っていたが、火災を受けた煙草が1人で歩いて隣のトイレに入ってくるとは考えられない。おそらく、犯人が携帯していて、服に火が燃え移ったときにこげたとしか考えられない。警察が現場検証で我々に確認させた重要証拠物を刑事(係長か)が知らないというのは極めておかしい。

東洋町に置かれている消防は、私が火災を通報したとき、「それじゃ確認に行きます」と答えた。消防車はなかなか来なかった。しばらくしてから海の駅に来た消防車は何も消火活動をせず、署員が海の駅の周辺を何か調べてうろうろしていた。やがて、海の駅の正面に止めていた消防車両を移動し始めた。それとともにやっとサイレンが鳴り消防団の召集が始まった。どこへ行くのかと思っていると消防車両は100メートルほど東のホテルの入り口付近にとまった。何故消火活動をしないのか極めていぶかしい感じで、いらいらした。後でわかったがそこで川からの取水の準備を始めていたということだ。何と悠長なことであろう。

水の一滴も、消火器の一つも持たずに火事の現場に来た消防車両。放水が始まったのは消防車が来てから数十分たつであろう。この消防では火事の類焼は防げるかもしれないが、その現場の火事は消し止めることは不可能だと後で考えた事である。
初期消火の活動があれば海の駅はボヤ程度で収まったかもしれない。それが悔やまれる。
かつて私の息子が中学生の時、隣家で不審火があった。誰も住んでいないあばら家が冬の深夜に燃え上がった。放火だ。

通報したが、消防はなかなか来なかった。しかし、私ども近所のものはあらかじめ消防団から古くなったホースをもらいうけており、そのホースを消火栓につないで消火活動を独自でやった。だからほとんど類焼をまぬがれた。
自分たちの家や部落を守るのは自分達であって消防の到着を待っていてはらちが明かない。
「警察手眼」がいうように警察も消防も国民の「信」がなければ何か別の目的のための恐ろしい権力でしかない。

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