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2012年3月

2012年3月26日 (月)

橋下維新の核武装への論理

News & Letters/295


先に私は、橋下の「船中八策」が日本の核武装路線を基底に持っていると指摘した。
橋下の最近の3月22日のツイートはそのことを立証した。それによると、次のような文章が載っていた。

「原子力の技術を保持しておく安全保障上の理由についてはこれは電力供給の話とは別次元ですから完全なる国策であり、電力供給問題とは混同してはいけないと思います。」

「安全保障上の理由」とは核武装のことである。安全保障上原子力の技術を保持しておくというのは、核兵器製造の技術を保持しておくということであって、電力供給のための原子力発電はだめだが、核武装のための原子力技術、とりわけ使用済み核燃料から取りだすプルトニウム精製の技術、そのための高速増殖炉や核の貯蔵施設、高レベル放射性廃棄物の処理施設は必要だというのである。

これまでの原発推進派が原子力の平和利用という名で隠れて核武装の材料と技術を保有してきたが、橋下は、そのようなまどろっこしいことではなく、国策として安全保障、核武装を公然と掲げて原子力を利用するという考えなのである。

この考えは、さきにこのブロッグで明らかにしたわが高知県の中谷元や山本有二らと同じであり、極右の幸福の科学とかとも共通の亡国国防論なのである。

ただ、橋下が、原発を廃止しようという動きをしているのは、それはそれでわるいことではない。彼は自己が核武装国家として日本を「自立」させようという政治活動をする中で、どうしても権力を奪取するためには一旦は脱原発の大衆の気運に迎合する必要があるという事でそうしているに過ぎない。

我々の立場からは、それは理性の狡知として評価はすべきであろうが、しかしその狡知は理性の大道に収容し解毒してから咀嚼するべきものであって、それ自体が善であるわけではない。

橋下が、悪をなさんとして善をなす、というものだ。

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2012年3月15日 (木)

出資金返還

News & Letters/294

高知新聞の報道(3月10日朝刊)によると、東洋町議会は、9日、「出資金返還要請を決議」したとのことである。町が4年前に立ち上げたリ・ボルト社に出資した500万円は用が済んだので返せということだ。東洋町はリ・ボルト社200株のうち、1株10万円の株を50株保有している。

この発議した議員は、例の架空の住所をでっちあげ町外から立候補して当選した西岡議員であった。

一体この様な非常識な決議がどうして公的機関でまかり通るのであろうか。
地方新聞とはいえ高知新聞も、この様な決議がおかしいという事がわからないのであろうか。知的レベルが疑われる。

法律では出資者への出資金の返還は出来ないことになっている。これは商法(会社法)では常識だ。そんなことが許されるのなら会社の存立する信用が崩壊し株式制度も崩壊するであろう。それであれば、都合が悪くなれば株主は、いつでも元の出資金をひきあげることができるということになる。株主に許されるのはその持ち株を他人か会社に譲渡する以外にない。

株式というのは、いわば会社に対する株主の一定限度の所有権である。
例えば、金を出して購入した土地が4年後にもう使用済みだからと言って、元の地主に金を返せ、といえるであろうか。

それは、元の地主との間で土地の再売買の商談をするべきことであって、支払った金を返せという話ではない。松延町長もこの馬鹿げた議会の決議を「重く受け止める」という。

西岡議員ー松延町長ー高知新聞真崎記者のこのトリオのリ・ボルト社攻撃はかくも無茶苦茶であり、ほとんど正気を失った行為というべきであろう。
議会がこの様な無法行為をする場合には、本来なら、町執行部はそれに異議を申し立て、是正させなければならない。

たとえば、飲酒運転をさせろ、とか売春をさせろとか、してはならないことを議会が決議して、町執行部がそれを「重く受け止める」という、こんな話があっていいであろうか。新聞がそれを何の批判もなしに報道するであろうか。

この報道は、商法に疎い読者たちを惑乱させ、リ・ボルト社への信用をかく乱するというのがその狙いであろう。

出資金の返還要請という非常識な決議は町議会の権威を失墜させ議会を世間の笑いものにする愚行である。直ちに町民に謝罪し、決議を撤回すべきである。

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2012年3月12日 (月)

維新の会の危険な傾向

News & Letters/293

維新の会の橋下は、脱原発の動きを見せ、関西電力には一つの脅威となっているようである。しかし、反原発の住民投票については否定的意見を添付するなど、果たして本音は奈辺にあるのか、不明である。

関西を脱原発の方向に転化させるのはあるいはそうなるかもしれない。しかし、核兵器については、また別の考えがある可能性がある。

船中八策の中にある二つのポイント。

一つは、憲法9条の否定であり、もうひとつは自立した国家の建設論である。

1、憲法9条の否定は国際紛争における戦争の肯定とそのための武装の肯定である。
 そして現代の戦争において武装とは核武装のことである。
  中国、北朝鮮、そしてロシアの核に対抗する又は抑止力を示すには、核武装しかないと考えるだろう。パワーポリティックスの論理を取れば必然的に核武装である。

2、自立した国家を言う。橋下としては、アメリカ帝国主義の核の傘をのけなければ自立した国とはいえない。したがって橋下らは、必然的に日本の核武装を言いだすで あろ う。
  
核武装は、今や橋下の喉のびきにまで出かかっているが、ただ今ポピュリストの橋下には出すべきときではない、と様子をうかがう。

そして、核武装を唱える輩は、必然的に原発や高速増殖炉の維持の方向に向かわざる得ない。だから、橋下が、脱原発から脱線し出す日もそんなに遠くはないのではないか。

このポピュリストは大方の意表を突き、度肝を抜くことを面白がりそれで点数を稼ぐという性向をもっている。その方向性は悪魔の極殿に向かっており、破滅的である。

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断罪

News & Letters/292

福島原発の大事故の後に、誰一人として罪に問われないのか。
そんな声が聞こえない。
天罰ではなく、日本の刑法に基づいて、この大罪をもたらした者どもに、
正当な誅罰が加えられねばなるまい。

①東京電力の関係者、原子力産業団体の役員

②国の関係者、国政の政治家

③ 学者先生、報道関係者

④地方自治体の首長及び議員達 

⑤電力関係の労組指導部

・・・・・。①~④・・・これらには罪の軽重はない、皆同罪である。

これらの徒輩は、死刑を含む重罪が課せられる必要がある。

放射能の噴煙を吐く福島原発のその猛毒の煙は、これら徒輩の腐った腹わたで醸成されその口から出る煙であり、これらを断罪しない限り、福島原発からの放射能は絶やすことはできない。国民からの嵐のような粛清がない今、彼らは、これからも高給をはみ枕を高くして寝そべっていられる。

ロッキード事件、サリン事件は言うはおろか、万引きや飲酒運転から、どんな些細な犯罪にもそれぞれ刑罰が科せられる。人類史を奈落に沈めた福島原発事故には、ただの1人の捕縛もないのはどうしてだ。

一般的な責任の追及ではなく、厳正な刑責が問われねばならない。

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2012年3月10日 (土)

3・11一周忌

News & Letters/291

3月11日がやってきた。巨大地震と大津波の犠牲、それに原発事故。
自然災害の結果であるが、それに備えなかった人間の敗北でもある。

とりわけ原発事故については、われわれ日本人の、というより人類の歴史的敗北である。
地震や津波の災害からは再起は可能である。だが、原発事故からはそうはいかない。

1年前のこの日の福島原発の事故から、人類史のその前史は終わった。おそらく終末に向かって敗残の歴史が急速度に展開するだろう。昔歴史学の学生時分に終末論というものを習ったが、それが本当のことだとは思いもしなかった。

人類は原子力をエネルギーや武器として使用することを選択し始めてから、その終末論を準備していた。去年の3月11日までは、そのことを自覚できなかった。その日から誰もが自覚的にか無意識的にか、人類の終わりを感ぜざるを得ない状況になってきた。
私は、だからもうどうなってもいい、という自暴自棄を勧めている訳ではない。

我々はこの半世紀の栄耀栄華のために、制御不能な猛毒発生器・原発や核兵器でこの地上を放射能だらけにし、自分自身が平穏に生きることが出来ない世界にしてしまう、この終末論を準備して来て、去年からそれを発動し始めたのである。

この認識の上にたって、なお我々は平家の落人のように、いかに美しく生を全うするかという事に専念しなければならない。

だれもこれまでのようにこの地上での幸福論や繁栄論を主張することはできない。
盛者必衰の祇園精舎の鐘の音を聞きながら、自ら招いた非業を観念し懺悔しながら、せめて余生を静かに清らかに生きなければならない。

浜に降りて流木を拾え、山に入って薪木を刈れ、それで風呂を焚き飯を炊け、どんな些細な試みでもいい、これ以上地球を汚染しない実践を積み重ねよ。

核を推進するぺてん師を見たら、つばを吐きかけろ、その声を聞いたら耳を漱げ、一枚のビラでもよい放射能の危険性を訴える資料をバラまけ、どのような選挙でも核を推進しようとする者、核にあいまいな態度を取る者に一票たりとも投票するな。・・・・・
これらの天からの声を実践し、せめての償いをしようではないか。

我々の周辺に目をやってみよ。
高知県選出の国会議員、自民党の中谷元と山本有二は、根っからの原発推進勢力である。彼ら二人は、1993年以来現在に至るまで、「社団法人 原子燃料政策研究会」(The Council for Nucler Fuel Cycle)の理事を務めてきた。

その団体の主な活動目的は、原子燃料のリサイクル、特に使用済み核燃料からのプルトニウムのリサイクルであって、その恐るべき機関誌の名前もずばり「Plutonium」という。福島原発3・11の後もなお一層その活動は強化されている。

この団体の活動目的がMOX燃料のプルサーマル原発の推進、FBR(高速増殖炉)の迅速な実用化などとともに「高レベル放射性廃棄物地層処分の技術的安全性」の理解を促進しその建設推進である。

平成18年から19年に起こった東洋町や東津野村への高レベル放射性廃棄物埋設施設の導入の騒動の折にも、二人はこの社団法人の幹部を務めていた。

高知県民は、福島原発の悲劇のあとでもなお公然とプルトニウムの活用を主張するこの二人の国会議員の原発推進活動を許してはならないし、そもそも国会議員への再選を許すべきではない。

二人の自民党議員は直ちにこの社団法人から身を引くことを求める。
選挙の折、彼ら二人は、少しもこの原発推進活動を県民に知らせていない。
東洋町の町長や議長が中谷元の選挙支援をすることは、町の条例に反する。

この社団法人「原子燃料政策研究会」は核不拡散、核兵器廃絶、日本の核武装には反対だという。しかし、その真意は、「原子燃料サイクル技術を保有」することによる中国、朝鮮、ロシアなど近隣諸国への「核抑止力」(2011年「Plutonium」NO.75 6頁)を発現することだと主張している。

すなわちプルトニウムを保有しいつでもこれを核兵器にすることができるぞという技術を顕示することで日本の「防衛上のセキューリティを高める要素」(「Plutonium」2012年NO.76 1頁)だというのであるから、れっきとした核武装推進勢力なのである。

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2012年3月 9日 (金)

独断専行の「新・町政」の問題点

News & Letters/290

風邪をひいて3日間も寝てしまい体力を消耗しました。やっとパソコンの前に座っています。

最近の高知新聞で、突如として沢山町政の福祉無料施策の大半が全廃されたという記事が出ました。東洋町執行部が3月議会への議案でわかったことだ。

福祉無料施策が実行されていたという記事はこれまで全く出ていなかったから読者は初めて、沢山町政4年間で、教材費無料から給食費無料や医療費無料、米の配給実施等たくさんな福祉無料政策が実施されていたという事実を知らされたわけだ。

一つ一つの福祉無料の事業の開始や実施が報道されず、ばらまきだとかいうさんざんな悪口雑言を書き連ねそれで選挙キャンペーンまでやった新聞の「脱沢山」の総仕上げが無料施策の全廃報道だ。ざま見ろと言いたいのであろうか。

しかし、県民はバカではない。新聞を拾い読みすれば「全廃」された施策の一部でも何であったかがわかるから、澤山町政の本当の姿勢がわかったであろう。
新町政は、過去一年間は澤山が組んだ23年度予算を実行してきた。

だが、24年度は新町政の作成した予算だ。それは、福祉や教育予算をぶち切っただけではない、あれだけ澤山が力を入れてきた失業対策も
ほとんど切ってしまった。
漁業や農業への施策も見るべきものは一つもない。
そして、光ファイバーに14億円を投入するという事で大幅な借金財政に急旋回を開始した。澤山は4年間かけて10億円ほど借金を減額し健全財政を堅持して来たが、新町政はたった1年で10億円の借金を積み上げた。

新聞が拾い上げた一つの積極施策は、澤山が凍結したというサーファーへの助成金を200万円差し出したという話だ。ほとんどが県外であるサーファーへのサービスには熱い思いをかけ、町内のお年寄りや子供たちへのサービスは打ち切る、確かにこれは斬新な行政の在り方だ。福祉打ちきりでは大阪の橋下に似ている。

澤山も最初は徳島方面のサーファーに助成金を出していた。しかし、実績報告書を挙げてこなかった。ほとんどの補助金は徳島方面で使われていた。
澤山は、補助金を出す条件として町内での宿泊と弁当も町内仕出し屋利用を出したが、にべもなく断られた。だから、その条件が満たされない限り助成金は出せないと言明したのだ。

観光協議会とかにも400万円の補助金を出すという。澤山町政では観光協会に30万円出したが、何もすることもなく年々そのほとんどが残っていた。

県の観光振興課では、東洋町の観光拠点施設として海の駅とホワイトビーチホテルを挙げている。いずれも私が経営している施設であって、新町政や議会が口をきわめて非難攻撃をしている施設だ。

しかし、東洋町の観光施設は生見海岸の民宿街と白浜のホテルと海の駅が主力であることは誰でも知っている。中でも、年間10数万人ものお客が来る白浜海岸が東洋町の観光の拠点であることは県の統計でも明らかだ。その海の駅やホテルを除外して何の観光というのであろうか。

リボルト社や沢山町政へのヒステリックな攻撃の現実は、「町内融和」と地元出身を二枚看板にして当選した新町政と大きく矛盾するものであり、その新町政は、独断専行型の町政を敷いて町民を犠牲にした財政破たんの道を歩んでいくであろう。冷酷な福祉打ち切りを実行する現実を前に、新町政に期待した多くの町民が離反することはすでに見えている。

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2012年3月 1日 (木)

維新の教育思想(その2)

News & Letters/289

橋下は、教員が組合の政治方針を教育現場に持ち込んでいるではないか、教員は選挙の洗礼は受けていない、選挙で選ばれた首長が教育内容を決めるのは当然だ、と叫んでいる。しかし、
「組合の方針」というのは、それは教員たちの政治思想の結晶であり、倫理観である。持ち込んでいるのではなく、自らの精神を発現しているのである。

政治家は教育のあるべき姿を主張したり宣伝することは当然自由だ。しかし、政治家は教育者ではない。

教育の世界は思想と学問の世界だ。政治家の活動世界も思想(理念)が重要だが、理想通りにはいかず、現実の利害関係に拘束される。権力に関係しない全くの批判勢力の場合は比較的理想に合った主張や行動が現出されるが、権力にかかわる政治家の場合には、その言うところは利害関係の色合いが濃厚となる。時には虚偽の宣伝をし策謀、欺瞞がまかり通る。情勢が変われば転々とその主張を変えるし、その徒党は離合集散し、その政策的主張が180度変わっても平然としている。

そんなものが青少年の教育にふさわしくないことは言うまでもない。
政治家が教育者でありうるのは、その所属する政治団体、政党内部だけだ。
そこでの教育内容はおぞましい権謀術数の手練手管だ。

要するに政治家の世界は結果倫理であり、教育のそれは目的倫理なのである。
野球部は試合に勝ちさえすれば何をやってもいいというわけにはいかない。
負けても身につけるものを得なければならない。教育の世界は目的に達するまでの道程や動機が大事であり、結果だけ良ければいいのではない。

政治(戦争も含む)は、たとえ狡猾でダーティな動機で、卑劣な手段を使っても、政治目的が達成されればそれでいいのである。
動機が純粋でいくら善であっても、国民の福祉や災害対策などに無力であれば政治の世界では評価されない。

私の言うのは、政治の世界では動機は不純でも構わないと言っているのではない。
理想を高く掲げ動機も手段も清純でなければならないことは言うまでもない。

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