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2011年12月30日 (金)

今日この頃

News & Letters/282

私は、町長をやめてから自分が作った㈱リ・ボルト社で働いている。
私は、50人ぐらいの社員の差配と各種業務の指揮監督をしているが、
特別任務としては夜勤であり、それで日給5000円ほど頂く。年中無休である。

朝5時すぎに起床し夜12時ごろ就寝するまで、ほとんど間断なく毎日働く。
散歩したりスポーツをしたりする時間が全然なくなった。読書の時間というものもない。
しかし、仕事の合間に本や新聞は読む。この頃の本は宮城谷昌光を耽読している。

この人の著作物では、間を置いていると前後がわからなくなる。登場人物が大勢であるからストーリーを忘れてしまいかねない。すごい小説家が現れたものだ。
ホテルの飯炊きもやっている。普通の白いご飯と玄米ご飯を毎朝薪で焚いている。

薪だきご飯に替えたら、お客さんのご飯の食べ量が2倍になった。工事関係で泊まる客が多いので、パンよりもしっかりご飯を食べたいという事であろう。
薪だきはおいしさが断然違うのであって銀シャリと言えるご飯となる。

薪は浜辺の流木がご飯だきには最適だ。たきつけには松葉がいい。
松並木沿いの道路の清掃を兼ねて落ち葉松をかき集めている。
近くの徳島の浜辺にたくさんの流木があがっていて、見渡す限りの流木であった。これでは十年ぐらいは焚き物に不自由はしないな、とほくそ笑んでいた。

先日その浜辺に行ったら、流木は跡形もなく、ところどころに黒い灰の山が残されていた。
県が業者に頼んで全部焼却したという事だ。何という事だ。

東北の被災地の積まれた廃材の山。放射能汚染の心配がなければ東北の人も薪だきご飯に替えたらどうだろう。ご飯はおいしく、電気やガスもいらず、廃材も処理できる。
日本国中の人が、昔ながらの薪で煮炊きすれば、原発一基や二基ぐらいの節約になるのではないか。燃料源として薪木の源泉である山も生き返るだろう。

私は高校生の時国木田独歩が好きであった。その小作品に「たき火」という短い詩のような文章があった。何故か私はこれが好きで何度も何度も声を出して読んだものである。
座って飯炊きの炉の火を見ていると、その詩篇が思い浮かび、私も昔の懐かしい生活がよみがえる。

かまどの火をたきご飯を作り、いろりの火を囲んで楽しく語り合った夜のことがちらちらとまぶたに浮かぶ。独歩の作品では伊豆の岬角のとある浜辺で通りすがりの旅人が放置された焚火を見つけてその火に手をかざししばしの暖をとりながら、昔の温かい家庭を思い出す。

そして思いが覚めて立ち上がり・・・・あらずあらず昔は昔、今は今と言って去っていく、というストーリーだ。

また、遠い幕末の人、広瀬淡窓の漢詩にこんな句があった。

言う事をやめよ他郷苦辛多しと
同胞友あり自ずから相親しむ
柴扉暁に出づれば霜雪のごとし
君は川流に汲め我は薪を拾わん

今私は、早朝から毎日大小5個の簡易なかまどを焚いてご飯、お茶、みそ汁、餅蒸し、等をやっている。最近はパンを焼く窯を作って実験中だ。

電気やガス釜ではどうして美味しいご飯が出来ないのであろうか。どうして流木の薪だきご飯がこんなにおいしいのであろうか。九州電力など電力会社には説明できない。

最近ホテルは手動式の製粉機を購入した。電動式でもよかったが、価格が安く、なるだけ電気を使わないように手動式にした。私は左手がやや不自由で右手の3分の1程度の力しか入らない。いわゆる内ゲバの名残だ。この左手はしびれて痛む。物を両手で提げていてもさげたものを落とすということもしばしばだった。

ところがどうだ、手動式の製粉機を毎日回して米粉を作っていると、左手の機能がずいぶんと回復し、ひねったら痛かった腕の痛みもかなり楽になった。この分で行くと完全とまではいかないまでも子供ぐらいの力には回復するであろう。これは電気代の節約だけではなく障害ある身体のリハビリともなる。しかも手動を十分もこいでいると一枚、又一枚と服を脱がなければならないぐらいじんわりと体が温まるのである。

私は労働・運動という考えをもっている。わざわざ散歩したり走ったりの運動そのものを目的にした運動もさることながら、労働や清掃など何か有益なことをしながら運動をするという考えである。

浜辺の散歩をするにもゴミ拾いの篭を下げて歩けばいい。運動もできて浜や町もきれいになる。足で踏む脱穀機が復活し、また足踏み洗濯機などもあればいいのにとおもう。
何もかも機械化すればいいというのはおかしい。自転車等人力を有効に活かすという機械ならいいが、電気や石油などを使わなければ動かないというのは、極力避けるべきである。

本格的な木炭自動車が出てくればいいのにと思っている。

少しも努力しないで毎日たっぷり電気を使いながら、原発反対とかいうのは、どうであろうか。福島の事故にもかかわらず原発を維持しようとする電力会社や政府の言い分は、水力や火力の電力供給力の不足や燃料費の高さを根拠にしているのである。

原発や核兵器の危険性を指摘し人民の力で放射能の汚染を食い止めるという真っ向勝負で戦いを推し進めることは基本的な戦略であるが、また、核推進派の原発やむなしのその言い分をつぶすことも反原発の有力な方途であるし、何よりも人間の健康と地球環境の保全を図るスローライフへの王道ではなかろうか。

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