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2011年8月18日 (木)

橋下大阪府知事

News & Letters/274

橋下大阪府知事を一言でいえばファシスト的政治家というべきだろう。

地方や国民を無視した新しい国家主義運動の扇動者であり、その行政手法は弾圧型だ。
何か分からぬ狂気で大衆を煽り、支持を急速に拡大する手法は見事なほどだ。
行政の弛緩したルーズさ、無駄、腐敗を厳しく追及して大衆の支持を得る。

そして向かうのは福祉切り捨て、弱者見放し、資本家たちへの財政的テコ入れ、強権的な命令と組織規律の徹底だ。これにサーベルを佩かせ軍靴を履かせたら立派なファシストが完成する。

例えば、君が代・日の丸事件。
橋下は、公立学校の教員はきょういく委員会の命令に従え、という。教育委員会の決定は上司の命令だ、従えぬものは学校をされ、という。そして、条例まで作った。
橋本は戦前と戦後を取り違えているのではないか。

教育委員会は教員に命令することができるのか。教育委員は教師の上司か、教育基本法や教育行政に係る如何なる法令を見ても、教育委員が、教師の教育活動を直接指揮したり監督したりする権能を定めた規定は何処にもない。

教育委員会の所轄業務はあくまでも教育条件の整備であって、教育内容ではない。
教育内容そのものを担当するのは学校であり、地域であり、家庭であり、職場である。
地域ではお年寄りや青年団や婦人会、消防団などが地域の若者に教育をし、家庭では祖父母、父母や兄姉らがその子女弟妹を教育する。職場では上司や先輩が教える。

学校では先生が教育担当だ。教壇の上の教師には如何なる権力も影響を与えることはできない。教壇上では教師は帝王であり、ただその良心に縛られるだけだ。

憲法で謳われた「思想及び良心の自由」(19条)とか、「学問の自由」(23条)とかは教育の場でこそ貫徹されねばならない。心ならずも強制された教育をしていた教師をわれわれは恩師と呼べるだろうか。第1、人は自分の思想信条に反する事を教えることができるであろうか。

日の丸や君が代は、私などはそれを見、聞けば震えが来る。少年時代に刻印された心情は消し難い。
しかし、日の丸にも君が代にも思想的には問題がある。国家が定めたものでも問題は問題だ。

君が世の歌詞は明らかに国民主権に反する。日の丸はかつてアジア全域の侵略の旗印であった。その事にこだわるのには現代的にも歴史的にも重大な意味がある。

君が代の君は天皇の事であるが、先の大戦で果たした天皇の戦争責任は何ら問われていない。侍従などの残された記録を見てもアジア太平洋戦争を実際に指揮しけん引したのは間違いなく天皇ひろひとであった。

戦争をおっぱじめ狂喜して追行しただけではない、終戦を遅らせたのも天皇であった。天皇身分に拘泥せずに速やかに無条件降伏をしておれば広島長崎の原爆投下もあり得なかった。太平記や雨月物語に出てくる話だが、天皇(上皇)が冥界の棟梁となって天皇家が統べるこの世をのろってやると遺言したというが、自らの血族に呪われた一家をどうしてわれわれが歌にしてまで尊崇しなければならないのだ。

これは思想信条にかかわる事であり、天皇制批判も学問の自由の中にある。
歌を歌いたくないものは歌わなくてもいいのだ。

ファシストには権力がすべてであり、選挙で勝てば官軍なのだ。法令も学問もなにもいらないのである。

角川新書の『大阪維新』(上山信一著)という本を見てみた。橋下改革が日本を変えるという副タイトルが付いている。行政の効率化が中心テーマのようだ。大阪市と大阪府を合体して橋下小国家とでもいうものを作ろうという。しかし、この本をどう読んでも、府民の生活がどう変わるのかさっぱり分からない。

大阪にどんな産業、どんな環境が現出するのかも分からない。行政の効率化、市場拡大、経済成長、競争激化、・・・経営者らしい衝動がこの本にあふれている。それを実現するために橋下司令官の権力行使が何の障りもなく行きとおるそういう行政体を作りたいという事らしい。

大阪府はもとより大阪市や衛星都市をディクテイターの号令下に置きたいのである。

私の対案:

1、大阪の文化や伝統は何処へ飛んで行くのだろうか。もういい加減に経済成長教はやめたらどうだろう。スローライフ、低成長でもいいのではないか、静かで優しい社会で生きていけばいいのではないか。薪や木炭をたいて飯や汁を作って暮らしても幸せになれるのではないか。日本には、自然主義的で人間的な生活の革命が必要ではなかろうか。機械文明とは違う新しい文明を創造する力は、東京ではなく大阪にあるように思う。

2、大阪は天下の台所であったのだから、もっと地方や外国と連携し、多種多様な地方の人と産物の交流の場として再生するべきだと思う。外国特にアジアからの学生らの大量の受け入れ、又地方や外国への人材の大量の投入、学習やレクレーションを地方・外国で行うなどして盛んに門戸を開放すべきである。大阪を小アジア社会に変えたらどうだろう。在日のアジア人も多い。

3、省エネルギーでエコ社会を建設する。人口もどんどん減らすべきだ。アスファルトの代わりに、田んぼや畑、緑の農園や果樹園が広がる、放牧の牛や豚が遊んでいて、いたるところに森や木立の茂みがあり、鳥や獣達がいる田園都市に変えていったらどうだろう。
海辺には、コンクリートの防潮堤やブロックの並立ではなく、砂浜に小舟が引き上げられていて、そのそばで漁師が網を繕っている、そのような浦の風景、昔の大阪に返したらどうであろうか。

 効率だの競争だの成長だのと、ぎゃあぎゃあ騒ぐのではなく、大阪がエコ社会への転換都市として、その澪つくしとなるべきではないか。

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コメント

大阪こそ多様性を追求するべきという意見に賛同します。この多様性の追求という点で東京に対抗すれば面白いですよね。「リベラルな街大阪こそアジアの街」みたいな売出し方をすれべ良いのに。だいたい東京と正面から対抗しようとするところが厭らしい。棲み分けすれば良いのにと思います。

投稿: 赤いたぬき | 2011年9月24日 (土) 09時28分

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