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2011年8月 4日 (木)

法律家の責務

News & Letters/270

法律家は、法の適用(運用)を柔軟に解釈し、ある時は厳格に、ある時は幅広く他の法律を援用しながら人民の困苦を取り除く方向で努力しなければならない。
  時には、時代や人民のニーヅに応じて法律の改廃も求めなければならない、と私は思う。
  第1例:

このたび政治資金をめぐって県会議員を告発したが、ある法律家が言うのには迂回献金については、現行法律はザル法となっていて脱法行為を取り締まれない、という。企業献金は政治家には直接献金はできないが、政党(支部)などを通して政治家の団体に迂回させてすれ合法的となる。

政党をトンネル化していても形式上は適法な手続きをして資金を集めていることになる。全国的にこういうやり方で企業献金が規制前と同じように横行している。

これに対し私は、今回高知県議の場合に、外国籍会社からの献金問題は別として、迂回献金についてはトンネルとなっている政党支部が実際上ペーパー団体で、迂回路としての役にしかたっていないこと、すなわち実質上存在していないとみなし、政治資金団体として無届の団体が企業から献金を受けたとしてそれを禁ずる政治資金規正法第8条の違反であると考えて第2弾の告発状を用意した。

  この弾劾は、政治資金規正法の趣旨にかなうし、脱法行為による社会悪を防止する上で、現行法を目いっぱい活用する点で評価されるべきではないか、と考えている。

  第2例:

  現在政府原子力安全・保安院や佐賀県知事古川の原発やらせメールが大きな問題となっている。電力会社が自制できずに原発推進に有利な世論形成に動こうとするのは一種本能的であるが、中立を装っている行政機関自らが、世論を偏った側に導こうというのであるから、国民はあいた口がふさがらないであろう。

  この背信的無法行為は単に社会的、政治的な次元で、あるいは倫理的な問題で済むような事柄ではない。法律家はこのような事案について法的規制をくわえる方法を考えなければならない。

  原発の稼働などの許認可については知事の権限はない、というのが従来の考えであるから、たとえ知事や政府がシンポジュウムやアンケートなどでやらせをやっても、政治的追及はできるが法的追及はできない、というのである。

  しかし、実際上現在各地で知事や市町村長が反対すれば、検査後の原発の再開はできずに、日本列島全域で段々と原発が休止状態に追い込まれつつある。

  原子力基本法を見ても原発稼働について現場の首長の意思や権限は確かに直接明文化されていない。国と電力会社は地元同意がなくても原発を設置し運転できるかのようになっている。

  原発だけではなく、再処理後の使用済み核廃棄物の最終処分(埋設)についても、都道府県や市町村長の意見を「十分尊重」するとなっているだけで、事業実施上その同意は必ずしも必須条件ではない。

  何故か。しかし、実際には、地元の反対があれば稼働できないいる。

  東洋町でも核廃棄物の埋設地の立地調査(文献調査)はすでに始まっていて、続行する事も出来たが、私が町長として断りの通知をすると原環関機構(NUMO)やエネ庁はあっさり東洋町から撤退した。

  それは、知事や市町村長の意思はやはり重いのであり、原子力関係の事業等重大な公共事業の実施において、地域の公益を代表するという意味で法律的な裏付けがあるのである。環境影響法などでは直接的に公益、公共の利害が問題となるが、地元首長はそれを住民に代わって代弁する立場にある。

原子力関係施設に不同意な私の場合には、国や事業体が町にやってきて事業を勝手に開始しても、いろいろな理由をつけてその事業の実施を阻止することができると考えていた。

都道府県段階ではなおさらであろう。例えば電気事業法第65条で電線路設置につき、県が管轄する河川や道路上の公共用地の利用の許認可をめぐってだけでも、知事の同意は不可欠なのである。

原発の設置や稼働についてもカバーする諸法律を総合して、地域の公益を代表する地元首長の同意の法的重みを考量すべきであり、短絡的に地元首長の同意は紳士協定にすぎないとして軽く見てはならない。、

  したがって、やらせ事件での知事の行為は違法性を持つのであり、その責任について裁判で弾劾するべきである。

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コメント

はじめまして。室戸市在住の修一と言います。僕は難しいことはよくわかりませんが、沢山さんが、町政や県政、原発の問題に真摯に取り組んでいることが、このブログを通じてよく分かりました。応援しています。頑張って下さい。

投稿: 修一 | 2011年8月 5日 (金) 22時33分

 立法者が法を犯したときにどういう身の処し方をするのが適当であろうか。今までの例だと、「秘書がやったとか、知らなかったとか」の程度です。
 そういうことの有無を言わさずに、法で規正をすることに政治資金規正法の意味があったのではないでしょうか。それにも拘わらず、何もなかった被告発人及び名の上がった人はどういう弁解をするのか。
 もう、その人は立法者としたの資格は無く、その時点で去るのが当然ではないのか。それでも居座り続けるのならば、議会は「No」といわなければ立法府として何の価値も見出すことは無い。
 あまりにも見苦しいが、高知県民は何も言わない状況から、経済も学力も、民の意思隠れてしまったのは、四国山地と太平洋の障壁だけが原因であろうか。否。むしろ、情報や流通は日本全国変わりはしない。
 変わらないのは、高知県民の「意志」に他ならないと思う。

投稿: 正義の仕置人 | 2011年9月22日 (木) 17時00分

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