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2011年8月

2011年8月19日 (金)

リスボン震災

News & Letters/276

リスボン大震災再論

今日初めてリスボンの大震災とその歴史的意義についての論評が出た。
日経新聞(8月19日付)だ。ある建築家で大学教授がいう。
「リスボン地震は、歴史のハンドルを90度切るほどの大きな災害であったと言われている。

近代科学も、啓蒙主義も、フランス革命も、すべてこの災害の産物であったと考える人さえいる。・・・リスボン地震は、神が人類を見捨てたのではないかと考えざるを得ないほどのショックを人々に与えた。その絶望から近代科学や啓蒙思想が始まったのは、極めて自然な流れである。」、「すべてがリスボンの災害から始まり、その流れの行き着いた先が20世紀の文明社会であった。」という。

原発事故を含む今度の東北の大震災は、リスボン大震災に比肩されるべきだ。

リスボン震災では神への信仰が根底から揺らぎ、今回の東北震災はそれに代わる科学への信仰が揺らいだ。今や人類は思想的に、突然、大空位時代に陥落し、生きる支えを失ったかのようである。
震災の始末も原子力産業の始末も急がなければならないが、空虚となった精神の再建も急がなければならない。それはどのような思想か。

回答:

神や観念論体系を否定し、原子力産業という悪魔的な産業を生み出し人類や生態系を滅亡させてもかまわないという資本主義のこの様な姿を予見し、その克服を自然主義・人間主義の立場で訴えてきたカールマスクスの思想以外に現代の人類の思想的危機を脱する方法はない、と私は考える。

マルクス主義といっても、原子力産業を核の平和利用などと言って賛美してきた連中、それどころか、広島・長崎の原爆さえもその威力を謳歌していた共産主義者たちのことではない。えせ共産主義者について、私が敬愛するラーヤ・ドゥナエフスカヤ女史がその著「疎外と革命」(MARXISM AND FREEDOM)の序文で次のように書いている。
1945年8月8日フランスの共産党機関紙「ユマニテ」は次のように広島への原爆の効果を賛美したという。

「広島に投ぜられた原爆は相当の破壊をもたらしたように思われる。アメリカの報告は30万人の人口を擁する都市がまさに地表から姿を消したとのべている。原爆が発見されたことの効果はまことに著しい。それにもかかわらず、法王庁ヴァチカンは、すすんで原爆の効果を承認しようとは決してしなかった。! 

ここに、われわれがこのことを知った時感じた驚きの念を率直に表明させていただきたい。・・・」という。
ユマニテというのは人間性という意味のようであるが、こっちの方がその非人間性に驚きである。

また、イタリア共産党の機関紙「ウニタ」(団結)も1945年8月10日号で広島・長崎への原爆の効果を賛美した。

「われわれは決して若干の新聞の解説の中に示された恐怖感にくみするものではない。
なぜなら、われわれは恐るべき破壊のエンジンによってなされた具体的な効果のことを考えているからだ。」

ラーヤ女史は、マルクス主義のスターリン主義的歪曲に抗し、マルクス主義の本来のヒュウマニズムを明らかにしてアメリカの最底辺で活動してきた。

右であろうと左であろうと、神を否定し、人間性を踏みにじる科学の信奉者たちは、人類の破滅も恐れない。現代人は、18世紀の西洋人がしたように、大震災を文明のエポックとして思想の大転換を図らねばならない。そうでないと、原子力産業を究極的に止めることもできないであろう。

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玄海3号炉の耐震安全アセスメントの九電による誤入力

News & Letters/275

玄海原発プルサーマル裁判の会事務局へ

私が先にメモを送りました玄海3号炉の耐震安全アセスメントの九電による誤入力につき、再度ご検討をお願いします。
3号炉のプルサーマル裁判に影響あると考えます。

The Mainichi Dayly News (8月7日付)
によると、その誤入力は2点あって

①は原子炉建屋の上のコンデンサートタンクの屋根の重量をけた違いに軽く計算し、

②建屋の基礎部と地面との関係計数を2倍に計算していた、という。

いわば計算式の分子をけた違いに小さくし、分母を2倍に膨らませていた、ということになる。

この「誤入力」の「発見」はJNES(原子力基盤機構)が、ストレステストの発表直後にしたという。これは2009年だけではなく、2008年も同じ数値であったという。

このアセスメントを九電から請け負ったのは大林組である。
NISA(原子力安全・保安院)は、これまで、この報告をリ
ーズナブルであると評価してこの「誤入力」に気が付かなかったという。

1、JNESは、しかし、ストレステストをするという発表の直後に、現場の再検査をしたわけでもないのに、突然この「誤入力」がどうして分かったのであろうか。
初めから分かっていたのではないか。ストレステストの発表(7月6日)と「誤入力」の発見(7月22日)との時間差からすると、意図的な「誤入力」がなければ、簡単に「発見」とはならない。

2、この「誤入力」の数値を是正しただけで、耐震安全が確保されるのであろうか。
上に載っているものが260トンと、その十倍の2600トンの重圧差はただものではない。

3、NISAは耐震安全の数値の点検は、紙の上ことなのか、結局現場での検証はゼネコンなど業者に任せきりであり、電力会社も、政府も、誰も実際のことは知らないのではないか。

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2011年8月18日 (木)

橋下大阪府知事

News & Letters/274

橋下大阪府知事を一言でいえばファシスト的政治家というべきだろう。

地方や国民を無視した新しい国家主義運動の扇動者であり、その行政手法は弾圧型だ。
何か分からぬ狂気で大衆を煽り、支持を急速に拡大する手法は見事なほどだ。
行政の弛緩したルーズさ、無駄、腐敗を厳しく追及して大衆の支持を得る。

そして向かうのは福祉切り捨て、弱者見放し、資本家たちへの財政的テコ入れ、強権的な命令と組織規律の徹底だ。これにサーベルを佩かせ軍靴を履かせたら立派なファシストが完成する。

例えば、君が代・日の丸事件。
橋下は、公立学校の教員はきょういく委員会の命令に従え、という。教育委員会の決定は上司の命令だ、従えぬものは学校をされ、という。そして、条例まで作った。
橋本は戦前と戦後を取り違えているのではないか。

教育委員会は教員に命令することができるのか。教育委員は教師の上司か、教育基本法や教育行政に係る如何なる法令を見ても、教育委員が、教師の教育活動を直接指揮したり監督したりする権能を定めた規定は何処にもない。

教育委員会の所轄業務はあくまでも教育条件の整備であって、教育内容ではない。
教育内容そのものを担当するのは学校であり、地域であり、家庭であり、職場である。
地域ではお年寄りや青年団や婦人会、消防団などが地域の若者に教育をし、家庭では祖父母、父母や兄姉らがその子女弟妹を教育する。職場では上司や先輩が教える。

学校では先生が教育担当だ。教壇の上の教師には如何なる権力も影響を与えることはできない。教壇上では教師は帝王であり、ただその良心に縛られるだけだ。

憲法で謳われた「思想及び良心の自由」(19条)とか、「学問の自由」(23条)とかは教育の場でこそ貫徹されねばならない。心ならずも強制された教育をしていた教師をわれわれは恩師と呼べるだろうか。第1、人は自分の思想信条に反する事を教えることができるであろうか。

日の丸や君が代は、私などはそれを見、聞けば震えが来る。少年時代に刻印された心情は消し難い。
しかし、日の丸にも君が代にも思想的には問題がある。国家が定めたものでも問題は問題だ。

君が世の歌詞は明らかに国民主権に反する。日の丸はかつてアジア全域の侵略の旗印であった。その事にこだわるのには現代的にも歴史的にも重大な意味がある。

君が代の君は天皇の事であるが、先の大戦で果たした天皇の戦争責任は何ら問われていない。侍従などの残された記録を見てもアジア太平洋戦争を実際に指揮しけん引したのは間違いなく天皇ひろひとであった。

戦争をおっぱじめ狂喜して追行しただけではない、終戦を遅らせたのも天皇であった。天皇身分に拘泥せずに速やかに無条件降伏をしておれば広島長崎の原爆投下もあり得なかった。太平記や雨月物語に出てくる話だが、天皇(上皇)が冥界の棟梁となって天皇家が統べるこの世をのろってやると遺言したというが、自らの血族に呪われた一家をどうしてわれわれが歌にしてまで尊崇しなければならないのだ。

これは思想信条にかかわる事であり、天皇制批判も学問の自由の中にある。
歌を歌いたくないものは歌わなくてもいいのだ。

ファシストには権力がすべてであり、選挙で勝てば官軍なのだ。法令も学問もなにもいらないのである。

角川新書の『大阪維新』(上山信一著)という本を見てみた。橋下改革が日本を変えるという副タイトルが付いている。行政の効率化が中心テーマのようだ。大阪市と大阪府を合体して橋下小国家とでもいうものを作ろうという。しかし、この本をどう読んでも、府民の生活がどう変わるのかさっぱり分からない。

大阪にどんな産業、どんな環境が現出するのかも分からない。行政の効率化、市場拡大、経済成長、競争激化、・・・経営者らしい衝動がこの本にあふれている。それを実現するために橋下司令官の権力行使が何の障りもなく行きとおるそういう行政体を作りたいという事らしい。

大阪府はもとより大阪市や衛星都市をディクテイターの号令下に置きたいのである。

私の対案:

1、大阪の文化や伝統は何処へ飛んで行くのだろうか。もういい加減に経済成長教はやめたらどうだろう。スローライフ、低成長でもいいのではないか、静かで優しい社会で生きていけばいいのではないか。薪や木炭をたいて飯や汁を作って暮らしても幸せになれるのではないか。日本には、自然主義的で人間的な生活の革命が必要ではなかろうか。機械文明とは違う新しい文明を創造する力は、東京ではなく大阪にあるように思う。

2、大阪は天下の台所であったのだから、もっと地方や外国と連携し、多種多様な地方の人と産物の交流の場として再生するべきだと思う。外国特にアジアからの学生らの大量の受け入れ、又地方や外国への人材の大量の投入、学習やレクレーションを地方・外国で行うなどして盛んに門戸を開放すべきである。大阪を小アジア社会に変えたらどうだろう。在日のアジア人も多い。

3、省エネルギーでエコ社会を建設する。人口もどんどん減らすべきだ。アスファルトの代わりに、田んぼや畑、緑の農園や果樹園が広がる、放牧の牛や豚が遊んでいて、いたるところに森や木立の茂みがあり、鳥や獣達がいる田園都市に変えていったらどうだろう。
海辺には、コンクリートの防潮堤やブロックの並立ではなく、砂浜に小舟が引き上げられていて、そのそばで漁師が網を繕っている、そのような浦の風景、昔の大阪に返したらどうであろうか。

 効率だの競争だの成長だのと、ぎゃあぎゃあ騒ぐのではなく、大阪がエコ社会への転換都市として、その澪つくしとなるべきではないか。

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2011年8月 4日 (木)

法律家の責務

News & Letters/270

法律家は、法の適用(運用)を柔軟に解釈し、ある時は厳格に、ある時は幅広く他の法律を援用しながら人民の困苦を取り除く方向で努力しなければならない。
  時には、時代や人民のニーヅに応じて法律の改廃も求めなければならない、と私は思う。
  第1例:

このたび政治資金をめぐって県会議員を告発したが、ある法律家が言うのには迂回献金については、現行法律はザル法となっていて脱法行為を取り締まれない、という。企業献金は政治家には直接献金はできないが、政党(支部)などを通して政治家の団体に迂回させてすれ合法的となる。

政党をトンネル化していても形式上は適法な手続きをして資金を集めていることになる。全国的にこういうやり方で企業献金が規制前と同じように横行している。

これに対し私は、今回高知県議の場合に、外国籍会社からの献金問題は別として、迂回献金についてはトンネルとなっている政党支部が実際上ペーパー団体で、迂回路としての役にしかたっていないこと、すなわち実質上存在していないとみなし、政治資金団体として無届の団体が企業から献金を受けたとしてそれを禁ずる政治資金規正法第8条の違反であると考えて第2弾の告発状を用意した。

  この弾劾は、政治資金規正法の趣旨にかなうし、脱法行為による社会悪を防止する上で、現行法を目いっぱい活用する点で評価されるべきではないか、と考えている。

  第2例:

  現在政府原子力安全・保安院や佐賀県知事古川の原発やらせメールが大きな問題となっている。電力会社が自制できずに原発推進に有利な世論形成に動こうとするのは一種本能的であるが、中立を装っている行政機関自らが、世論を偏った側に導こうというのであるから、国民はあいた口がふさがらないであろう。

  この背信的無法行為は単に社会的、政治的な次元で、あるいは倫理的な問題で済むような事柄ではない。法律家はこのような事案について法的規制をくわえる方法を考えなければならない。

  原発の稼働などの許認可については知事の権限はない、というのが従来の考えであるから、たとえ知事や政府がシンポジュウムやアンケートなどでやらせをやっても、政治的追及はできるが法的追及はできない、というのである。

  しかし、実際上現在各地で知事や市町村長が反対すれば、検査後の原発の再開はできずに、日本列島全域で段々と原発が休止状態に追い込まれつつある。

  原子力基本法を見ても原発稼働について現場の首長の意思や権限は確かに直接明文化されていない。国と電力会社は地元同意がなくても原発を設置し運転できるかのようになっている。

  原発だけではなく、再処理後の使用済み核廃棄物の最終処分(埋設)についても、都道府県や市町村長の意見を「十分尊重」するとなっているだけで、事業実施上その同意は必ずしも必須条件ではない。

  何故か。しかし、実際には、地元の反対があれば稼働できないいる。

  東洋町でも核廃棄物の埋設地の立地調査(文献調査)はすでに始まっていて、続行する事も出来たが、私が町長として断りの通知をすると原環関機構(NUMO)やエネ庁はあっさり東洋町から撤退した。

  それは、知事や市町村長の意思はやはり重いのであり、原子力関係の事業等重大な公共事業の実施において、地域の公益を代表するという意味で法律的な裏付けがあるのである。環境影響法などでは直接的に公益、公共の利害が問題となるが、地元首長はそれを住民に代わって代弁する立場にある。

原子力関係施設に不同意な私の場合には、国や事業体が町にやってきて事業を勝手に開始しても、いろいろな理由をつけてその事業の実施を阻止することができると考えていた。

都道府県段階ではなおさらであろう。例えば電気事業法第65条で電線路設置につき、県が管轄する河川や道路上の公共用地の利用の許認可をめぐってだけでも、知事の同意は不可欠なのである。

原発の設置や稼働についてもカバーする諸法律を総合して、地域の公益を代表する地元首長の同意の法的重みを考量すべきであり、短絡的に地元首長の同意は紳士協定にすぎないとして軽く見てはならない。、

  したがって、やらせ事件での知事の行為は違法性を持つのであり、その責任について裁判で弾劾するべきである。

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2011年8月 2日 (火)

やらせの法的問題

News & Letters/268

原子力安全・保安院や古川佐賀県知事のやらせは、不法行為であり、犯罪の可能性がある。

1、刑事事件:公文書偽造

このやらせによってまたはそれに基づいて何らかの公文書が作成され、報告や決定がなされた場合には、刑法第155条公文書偽造、同法156条偽造公文書作成罪に該当しよう。

2、民事事件:不法行為責任

 このやらせは、放送法第3条の1放送番組への干渉となるし、国民の正しい情報を得る権利、知る権利の侵害ともいえる。従ってわれわれ国民は、この不法行為によって精神的被害をこうむり、また、これによって原子力政策をめぐって公益を代表する政府及び国民に誤った判断材料を与えた。

3、放送法第4条 誤った放送の是正責任

6月26日の番組放送局は放送法第4条2項の規定を順守しなければならない。やらせによるメールや発言がなされ、重要な場面で1部誤った放送をした、そのことを知ったのであるから、二日以内にその是正の放送をしなければならない。

6月26日の生放送をしたままで、何の是正もせず、政府や知事のやらせ事件の報道を並列的にしたからといっても元の放送は是正された事にはならない。

 同法同条1項では、国民が放送局に対し放送後3ヶ月以内に誤りを是正請求することができるという。放送局がこれに応じなければ罰条がある。

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