« 核施設の差別性 | トップページ | 安全基準 »

2011年7月 5日 (火)

悪意

  News & Letters/255

高知新聞の悪意ある記事が続いている

  数日前の新聞で東洋町の新執行部に対して新聞記者が「脱澤山」を催促してやまない。それより前の記事でも町長として新人を選択した以上選択しただけの行政をやれという趣旨の扇動的な記事を書いていたが、いまだに態度のはっきりしない新執行部に対してさらに尻を叩くというまるで右翼の政治新聞並みである。

  脱澤山行政の第一は、澤山町長の独断専行を強調する。澤山は予算執行でも課長に一銭の専決処分権も認めなかったという。それを新町長では元の通り30万円までの専決処分を課長に戻したという。

  確かに私は、課長の専決できる支出を全面的に取り上げてすべての支出を町長の決裁にした。課長に許される30万円以下の範囲での専決権とはいっても、それが積み重なれば何百万にも膨らむ。およそ節約精神がほとんどない連中に湯水のように金を自由に使われたら財政はどうなる。?

  この高知新聞の記者は、行政機関の職場でお金がどのように使われているかまったく知らないのであろう。

一銭の支出も町長が決裁するという体制は、ほめられることはあっても非難されることはあり得ない。例えばこんなことがあった。海の駅がプレハブ小屋の時、入口前の側溝の蓋に穴が開いておりお客の足元が危うい。1ヵ月かそこらの期間応急措置が必要であったので、私は板でその穴をふさごうとした。ところが誰が発注したのか業者が鉄板の上等のものをもってきたのであった。業者の値段は5万円であった。

  私の手製のものはタダである。5万円というのは行政の予算では些々たるものだ。
  しかし、臨時職員の給料でいえば半月分であり、年金暮らしのお年寄りの生活費では1ケ月分である。課長連中の金銭の感覚と庶民の感覚とは大きな差異がある。
  お金はもっと有効な事に使わねばならない。この様な事例が万とある。

  行政の長は、極力節約を旨とし些細な支出にまで目を向けて点検しなければならないのである。何故首長に民間人が必要かというのは、その点にある。
  東洋町には金銭出納の係はいるが、一つのものを買うのにもいろいろな所に問い合わせて値段の吟味をし、値下げの交渉を粘り強くやったかどうかまでは、問題にはしない。役場では中古品など目もくれなかった。私はそれを徹底的にやってきた。

  東洋町役場では、文房具など物品の出納は誰もやっていなかった。使いたい放題に使い、なくなったら購入する、誰が何に使ったのか何の記録も残されていなかった。
  親方日の丸だったのである。

  高知新聞は、私がいなくなって職員は大きな安堵の息をしているという。
  何かわたしが独断専行の圧政をしいてきたかのような書き方だが、役場に出入りする人が言うのには、活気がなく弛緩した状況に舞い戻ったという人もいる。
  私は職員に指示するだけではなく、私自らが現場に入り先頭に立って事業を推進してきた。それが、「独断専行」の姿に映ったのであろう。

  私が「独断専行」してきたのはすべて議会の承認を受けた事業であり、何度も何度も庁議で論議してやってきた事ばかりである。

  高知新聞の記者は、澤山は懲戒処分の審査委員会を設置して職員を脅かしてきたようにもいう。しかし、懲戒処分の審査委員会は本来なければならない組織である。
  東洋町には条例や規則類そのものが存在しなかった。

  東洋町役場には懲戒事案はなかったであろうか。ありすぎるほどあったのではないか。無責任でずさんな行政事務に対して常に目を光らせる組織がいることは言うまでもない。どんな組織にも職場の秩序や人事管理上統制機関が存在する。
  その機関がなければ長が独断で処分を遂行しなければならない。

  問題は、審査に係る事件の内容なのである。大小の事件は日常茶飯事に惹起する。
  実際に処分に至るのはまれであるが、審査にかけて議論することは必要な事であるし、関係者に反省を促さなければならない。役場は仲良しクラブではない。

  行政機関の日常がどのようなものであるか、外部のものは知らないであろう。国レベルでも地方自治体でも同じことだ。極めてずさんだということを知るべきである。
  行政機関を舞台に大小の利権がうごめき、弱い立場の声は踏みにじられている。

  オンブズマンの外部からの追及は、ごく限られ、しかも証拠がつかみにくい。
  行政機関自体に自浄能力を持つようにすることが何よりも重要だ。
  高知新聞は、役場内の厳しい自己点検機関の設置の解除を称揚するのである。
   
  また、リ・ボルト社への攻撃にも余念がない。何かリ・ボルト社はその経営が不透明だという。はたしてそうであろうか。リ・ボルト社は第3セクターといっても民間主導である株式会社であるが、町役場から見れば完全に透明になっている。

担当課の職員は、リボルト社のすべての事業の毎日のお金の出入りを把握してきた。リ・ボルト社対策室があって、それがパソコンですべての日日の業績を集中管理してきた。行政機関が民間会社の事業実績をここまで把握している会社は何処にもあるまい。ほとんど町の公金で運営している社会福祉協議会でも役場はその日常の経理は知る由もない。

  もちろん会社も役場も、株式会社の営業内容を一般には公表できない。
  たくさんの企業や個人の取引など営業内容はプライバシイに係るからである。

だが、町の新執行部は、巨額の委託事業を含むリ・ボルト社の事業実績を把握する部署を廃止したので急に会社への透明性を失った。また、私がいくら説得しても新執行部はリ・ボルト社の株主総会にも出席をしてこない。

 委託事業がたくさんあるからその説明だけにでも担当課長が出てくるべきだと執拗に言ったら前の課長補佐がやっとやってきた。委託事業の話がすんだら途中で帰った。
  経理を把握する部署も廃止し、株主総会にも出てこずに、リ・ボルト社は不透明だというのはどういう了見であろうか。

前にも何度か高知新聞は、他に頼む人がなく、株主である私の姉に一時的に社長に就任してもらったが、なにかそれが私がリボルト社を私物化しているかのようにかき立てた。私の姉は会社の為に巨額の金を出資したうえに、忙しい時には何カ月にもわたって無償で会社の為に労役奉仕をしてくれていた。

 1ヵ月かそこら社長に就任してもらったが労役をしてもらったほかは何の報酬も与えなかった。何の見返りもなしに金銭上の責任と会社の労務を負わせたものを、会社私物化といえるであろうか。

  むしろ、労役を含め私物を会社の為に提供してきたのである。
  その会社は、会社に大きな負担ばかりがかかる町の失業対策事業などを請け負っているのである。1億円に上る失業対策事業など委託事業では、人事管理やトラブル処理などの負担があるだけで会社は1銭も実利はないのである。
   
  こうして高知新聞室戸支局の記者は、「脱澤山」という反動的な記事を書くのに躍起となっているが、室戸市で進んでいる利権行政や、東洋町で復活しつつある新たな利権行政には何一つ批判の手をつけず、腐敗と無気力の温床に肥をやり続けるのである。
   
  ところで、新聞社は、新聞記者の内部学習、教育はどうしているのであろうか。
  新聞記者は完成された教養人ではない。行政や法律、人権問題や環境問題、原発など様々な問題に正しい視座を持つように勉学が欠かせない。

  誰か住民の声を反映しているかに装って、自己の陋劣な思いを新聞紙上に書きなぐる連中をのさばらせるわけにはいかない。

|

« 核施設の差別性 | トップページ | 安全基準 »

公務員の気概」カテゴリの記事

マスコミの報道のありかた」カテゴリの記事

り・ボルト社」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 悪意:

« 核施設の差別性 | トップページ | 安全基準 »