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2011年6月20日 (月)

東洋町の実験

News & Letters/252

高レベル放射性廃棄物の埋設施設を導入するかどうかという事の騒動の中で、2007年(平成19年)に私が東洋町長になった。

  私は、一貫して反体制運動の陣営で一兵卒として働いてきた人間であった。
  その私が反核を旗印に町長選に達、町長に就任するには次のような事情があった。
     
  1、核施設の危険性

  原子力産業が人類にとって破滅的な結果を及ぼすということである。
とりわけ、日本全国の核廃棄物を東洋町に集め、それを地下に埋める事の危険性である。このとんでもない事業を私が住んでいた室戸市の足元に収容することについては本能的に拒絶反応を感じたが、核廃棄物を地下に埋めることについてもろもろの著述を集めて読んでみてもこれを無事安全に管理する方法がないという事であった。

反対派の著作はもとより、この埋設について原発推進派の地質学者らの論文集(「放射性廃棄物と地質科学」東大出版会1995年)をみても安全性を立証できないばかりか、結局は立地地域を政治と金(「交渉と説得と補償が基本である」)で納得させる以外にないという話になっていた。科学者の推論の結論が論理ではなく金と政治であるというのである。

素人でもわかることだ。地下の世界は文字通り闇であり、半世紀かそこらの地質学の力量では目をつぶって巨象をなぜるようなものであり、何万年単位で起こる現象を短期間のごく一部的な事象をもってこれを実証的に推理し分析すること等まったく不可能なことだ。

とりわけ地震動でゆりかごのような日本列島、しかも地下水が熱水状態の地下ではなおさらであろう。地下の岩石が「天然バリャ」になるどころか、活発に活動する日本列島では岩石は複雑に変質ししかも亀裂だらけであるからこれを「バリャ」にしたのでは放射能のろ過機、放射能の汚染拡大容器のような役割を果たすだけである。

周囲1里か2里四方程度の東洋町の地下に高レベル放射性廃棄物のガラス固化体(おそらくこれが完成できないなら使用済み核燃料をそのまま持ってくるであろう)を何万本も持ち込めば、東洋町は廃村になることは確実なのであった。

  如何に正常に管理されたとしても排気抗から漏えいされる放射能だけで十分人間が生きてはいけないだろう。
  そういうわけで私は、核廃棄物の地下埋設に断固反対して町長選に立ったのであった。
   
  続く

  2、核施設設置の差別性
  3、町の存立の基本

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