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2011年6月21日 (火)

東洋町の実験 続き

News & Letters/253

3、自立

  自立といっても東洋町がすぐに自立できるというものではない。税収はきわめて少なく滞納も多い。

  国の交付金など国庫の支出金がなければやっていけない。ここでいう自立というのは、核の交付金、電源3法の交付金に頼らず、自力で町政を運営できるような方向に進むという意味であるが、私が町長に就任してから果たして財政を傾けずこれまで以上の行政施策ができるかどうかが問われた。

  行財政面では、その方向性は十分にこたえられた。50億円近い借金は30億円台にまで落とした。正職員の賃金カットは廃止し、職員数を増強さえした。退職職員数の倍以上を増強したのである。臨時職員の賃金も1万円アップした。

  産業復興の面では、十分ではないが相当な活性化の徴候を示すことができたと考える。町が管理する広い駐車場のあった白浜ビーチは特定利権業者に占領されていたが、海の駅建設によって年間10数万人の人出でにぎわっている。

海の駅の建設も議会内外で得猛烈な反対にあったが、多くの地元商店や生産者の出品を呼び大活況を呈している。いまでは誰も海の駅にケチをつけることはできない。ホテル購入赤字になるから反対だ、といって反対の請願運動がおこり、ついに議会で購入の議案が否決されたが、民間の資本で購入したホテルは2年連続黒字が続い
ている。

福祉や教育面では、他市町村では見られない高い水準の施策を展開した。高知新聞が「ばらまき」だというほどにやったのであった。たとえば、義務教育をほとんど無償化にしたということは、なにもばらまきではない。憲法の趣旨を文字通り実施しただけである。福祉事業を次々と無償化したのは、福祉が有料だというのは矛盾であって、元々無償でなければならないからである。

  公共土木事業も盛んにやったし、東北大震災が起こる前に、防災避難高台建設を実施したが、このような防災対策も見るべきものがあったであろう。

前にも紹介したように、議会で、ある反対派議員が演説したように、「余りにも素晴らしい予算案であるから、私は賛成できない」というものであり、又別の反対派議員が非難したように「次々と新しい事業をやって行くのでついていけない」などという状況となった。これらの地域活性化の施策を遂行する上では旧来の利権をびしびし切って行かざるを得なかったから、その方面から怨嗟の声が上がったのは当然であろう。

  短時日で急速にこれらの改革行政をやったので、多くの軋轢を生じたことも事実だ。
  しかし、他方あの1970年1月16日のNHK「現代の映像」がしめしたように町民というよりも議員や地域の有力者の民主主義の意識の改革には進まなかった。
  予算編成前や新しい事業の説明会の会場には、一部地域を除いて、ほとんどの人が集まってこなかった。

  核廃棄物反対闘争の折には、放射能の恐怖の前に、地域有力者自身が分裂し、有力者が住民を抑え込むという従来の選挙構図(地縁血縁○縁)が崩れ、住民の自由投票が現出したのであった。

  しかし、急速な改革行政の反動によってむしろ古い地縁血縁の構図は徐々に回復したというべきであろう。地元出身だ、地域のものだということだけで他にほとんど何も具体的な施策を示さずとも選挙に勝てる、そうでないと落選するという昔の雰囲気が重く町を覆った。

  行財政の改革や地域復興の政策の方向性ははっきり定まったが、それは行政側の主導によってのみ推進され、それを支える住民の意識や運動は形成されなかった。
  それは成果を急いだこともあり、時間が少なかったこと、など弁解できるであろうが、
  私の力量不足であったことは否めない。

  しかし、東洋町のこの4年間は、首長がやる気になれば、健全財政、地域復興、福祉充実の施策は完璧に実行できるのであって、核の交付金に頼らなくてもやっていけることを十分に実証した。

  東洋町の核施設の政府の企てがとん挫した事の意義とともに、東洋町の4年間の行政実験は、福島原発や全国に散在する原子力施設の立地市町村が陥った原発依存症にたいする、一つの有効な処方箋として歴史的意義があると考える。

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コメント

沢山町長から学んだこと。
沢山町長が東洋町の町長に当選した時からブログを読み続けてきたので、町政に対する姿勢や施策のほとんどは理解してきたように思う。私が一番学んだことは収入の少ない貧乏な町でも、工夫とやる気があれば考えられないような豊かな施策が可能であるということであった。そのためには利権集団との果敢な闘いがあってはじめて出来たことでもあるように思うのである。私はその秘密を知りたくて東洋町を訪問した。そして今年は2期目の沢山町政を学ぼうと思っていたところだった。昨年の訪問で、施策の中味はわかったが、町の人の反応が良く分らなかった。あれだけの施策を実行していたのだから町民は沢山町政熱烈歓迎だと思っていたのに、そのような雰囲気がなかったのが不思議だった。
似たようなことは秋田県でもあったように思う。確か岩田という町長が豊かな福祉行政を実施したところ、次の選挙で落選した。外からみていただけなので、その原因はわからなかったのだが、東洋町は収入を増やし、借金を減らしつつ豊かな施策を実現したのだから、楽勝すると予想していた。ところが実際は違った。
ここから私が学んだことは魯迅が言ったように、一人一人の人民が自分の頭で物事を判断し決断できない限りその国は滅びるということだ。残念ながら原発にしろ沖縄基地にしろ自分の住んでいる街づくりにしろ多くの人は自らの頭で考えようとしないのが現状だ。長いものに巻かれ自分を苦しめる人を選び、一番の味方を排除する。
政策と実績がいくら良くても、ひとがそれを評価しなければその政策は長続きしない事を今度の選挙は証明した。
私は沢山前町長がこれからどうやって進むのか今まで以上の熱意をもって見ていこうと思う。

投稿: 田島 隆 | 2011年6月21日 (火) 19時20分

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