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2011年6月 3日 (金)

不信任決議

News & Letters/249

6月2日の国会の様子を見てみた。
真剣な猿芝居という感じである。
  私は民主党政権については何も期待するものはなかったし、震災や福島原発の対応などでは、見識のなさと責任逃れの醜態で目も当てられない、という感じであった。

しかし、今度の失敗した政変で小沢や谷垣ら反菅総理陣営の姿にはあきれるほどであり、むしろ菅総理に同情心が少し出てきたぐらいだ。国難国難といいながら、城内で内乱をやっている状況だ。国民の事など何にも考えていないという政治家の典型的な姿だ。その争点は総理大臣のいすに誰が座るかという一点だけ。末期的な政
治状況である。

  野党側の不信認の主張の骨子は、菅総理が無能だという人身攻撃に終始するのみである。菅に代わって、では誰がリーダーになれるのか。菅よりましな人物、ましな震災対策をもっているのがいるのか、何も分からない。
  震災対策や原発対策で何か相違点があるのかといえば何もないのである。
  お前が嫌いだからやめろ、というのと同じである。
   
  近代になって三陸沖では今回とほぼ同じ規模の震災が起こっていた。
吉村昭がドキュメンタリ風にその恐ろしさを書いてわれわれに警告を発していた。
  私はその本を繰り返し読み、戦慄した。その小さな文庫本をこれまで数百冊買っては人に渡して読んでもらった。だから、私は、東洋町に4基の鉄骨の避難高台を構築したのである。(2基は設計中で未完成)

当然、大津波は繰り返し襲ってくる。必ず来る。為政者は当然その備えをしなければならなかった。小沢は東北の地盤で政治家になった。だが、避難高台の1基も建設していない。大津波は天災だと言って原発の人災と区別する人がいるが、確かに大津波は破壊的な自然現象ではあるが、その対策次第ではこれほどの災害にはならなかった。

 繰り返される大津波があるのに日本人は逆に海岸へ海辺へとどんどん居住区域を拡大してきた。私の生まれ故郷でも私らが幼いころは海辺にはほとんど家並みはなかった。浦の苫屋の秋の夕暮れ・・という王朝時代の風情の中で私らは暮らしてきた。今はどうか。防潮林の松並木を切り倒し波のしぶきをかぶるところまでせり出し開発して人が住んでいる。

 コンクリートが自然に勝てるというおごりと愚劣のなかで、過去の災害の教訓もものかわ、危機は大きくひろがってきたのである。東北の災害マップを見ても、なん百キロという沿岸の町や村で避難高台を建てていたのは一つか二つにすぎない。

  われわれは、大津波によるこのたびの災害も人災に外ならない、と考えるべきだ。
  自然災害の点からみて人は海岸を開発して居住地域とすべきではなかったのであり、住むからには、津波に耐えられる高台を建築しておかねばならなかった。

  これは過去の教訓から当然のことである。
  高知市だけでも、避難高台は一千基以上は必要だ。高知県下では数千基の避難高台が急いで構築されねばならない。そんな動きがいまだにまったくない。

  高知市が津波避難として民間のビルと契約している数は数十でしかなく、収容できるのは2万人に足らない。行政は自主的には動かない。県民が運動を起こさねば1基の高台もつくられないだろう。

  大津波の対策をしなかったばかりか、それどころか政治家たちと電力会社は東北に福島原発など巨大な原子力施設を目白押しに建てた。政治家なら、原発事故の結末を予想していたはずだ。僻地差別を逆に取って原発を次々に導入してきた。
  その連中とその親玉が、国会で菅総理を、災害対策がなっていないなどと言って口をきわめてがなり立て攻撃に夢中になっている。

  私は言いたい、その攻撃の内容はその通りだが、この様な災害をもたらしたのは誰なんだ。与党や野党やという色分けでは語れない。国会に座っている者どもに、このたびの災害について人を論難攻撃する資格があるのか。

  小沢ら東北の政治家だけの責任ではない。佐賀の原口らもそうだ。福島から子供を避難させるべきだ、子供が大事だとか言っているが、佐賀の原発はどうするのだ。日本国中の原発はどうするのだ。福島だけを心配顔で語ればよいというわけではない。

  原発から吐き出された厖大な放射性廃棄物は誰が始末するのだ。誰が、この厄介物を何千年何万年も冷やし続けるのか。国民の気持ちとしては、菅や鳩山、そして小沢、原口、自民党の谷垣やら・・・、お前らがこの猛毒の廃棄物を抱きかかえて始末しろ、と怒鳴りたいであろう。
   

  福島の事故はこれが原発の本当の姿であり、これまでこのような事故が起こらなかったというのが、何かの奇跡なのであった。今のままでは、第2第3第4・・・の福島が次々と起こるであろう。われわれはすでにブレーキの効かない電車に乗っているのである。われわれの南海大地震は百年の周期でやってくるといわれている。

 原発事故は数年に1度か長くとも数十年に1度以上は必ず起こるであろう。
  われわれ国民は、ひどい災害を受けて、又災害の恐怖を抱きながら、なおさらに、自分がしでかした事件を始末ができず、責任の投げ合いをしている政治家失格のお歴々の、その猿芝居を見せられるのである。嘔吐を催す。

  この国会の体たらくでは、この国は救えないことは絶対間違いない。
   

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