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2011年6月

2011年6月24日 (金)

核施設の差別性

  News & Letters/254

2、核施設の差別性

   私が立ち上がったのは、東洋町に高レベル放射性廃棄物を持ち込み地下に埋設するという事についてそれが危険だということだけではなかった。
  私を突き動かしたのは、それをどうしてこの高知県東部の僻地なのかということであった。そこに国家や電力会社の強い差別性、棄民性に我慢ならなかったのである。

  東洋町沖には室戸岬の沖合から大きな活断層が走って伸びている。
  野根キャニオンという名前まで付いている。断層途中の室戸の高岡漁港沖ではその断層から深層水を取水していることは有名な話だ。

  その事実は東大出版会の「日本の活断層」という古典的な書物中の地図に赤く刻印されている。南海地震の震源地の海岸に立地する町で地勢的には、核施設にはもっとも不適当な場所なのになぜだ。

それは、高知県東部の過疎地域は[文化果つる地」(大阪市大の山本登教授の著作)であるからである。核の騒動が起こる前に、ある県会議員が、東洋町は民度が低いから反対運動は起こらないとたかをくくって公言していた、そういう土地であり、遠く昭和45年1月16日には、NHKの[現代の映像」という番組(「民主主義の学校」という題名)で特に東洋町がクローズアップされたことがあったが、戦後民主主義の現代でもまだひどく非民主主義の実態が残っているシンボリックな土地として全国に紹介された、そういうところであった。

  要するに国家と電力会社は東洋町をそのような土地であると偏見して、狙いうちをしたのである。一種の貧乏くじをひかせたのであった。

  それは前にも狭山事件の論文で紹介したが、封建時代の学者荻生徂徠のやり方であり、困難な犯罪事件において犯人として貧しい被差別の人々を犠牲者にでっちあげる手法と同じであった。貧乏くじだ。
  荻生徂徠が将軍に献じたという「政談」か何かの著作でこんな話が紹介されていた。

昔、出石の国のある所で、事件があったが犯人が知れない。役人が江戸にまで上がってきて相談があった。徂徠が答えるのには、一々詮議しなくともよい、どうせ村人の誰かがやったのだから誰かに貧乏くじを引かせたらよい、と。

この論理は多くの書生が読んで感銘を受けたようだ。爾来現代に至るまで日本の権力者たち、とりわけ日本警察や検察の捜査の常道となり数々の冤罪事件を創出した。

  原子力関係の施設の設置は、全部この様な貧乏くじの論理でなされてきた。ただ昔と違うのは電源三法などで金が支払われるということである。そんな金がふるさとの環境と自らの命を購うに足るであろうか、福島の現実を見ればわかるだろう。

  差別政策又は差別意識は、各地方の行政差別や結婚など社会的悲劇を生み冤罪事件の温床となって許されないが、それにとどまらない。
  問題の深刻さは、日本国家の存立の基幹であるエネルギー政策(そのずさんさと危険性)をこの差別政策で代替し、貧しい過疎の人々に転嫁してきたことである。
  この差別政策を実行する上で貧しい地域の人々にたいする差別意識、人権軽視がなければ原発の立地の強行も核廃棄物の埋設地の選択もあり得ない。

  だから、この差別意識の故にこそ、普通なら当然想定される出来事(全電源喪失等)
  をも想定せず、対策を講じなくてもよいとしてきたのである。

最近では同和という事を嫌忌し、人権教育、差別意識の克服事業を軽んずる風潮があるが、差別問題が国家存亡の事態、権力の枢軸を担う連中が人権意識を欠落し、国家の一大事を安易に差別的に解決する道を選ぶ事、→福島原発のような大惨事を引き起こすということをしるべきであろう。

現代科学の結晶とも豪語する原発の施設はもっとも陋劣な差別意識の塊であるのだ。
  私はこのような棄民的差別政策に我慢ならなかった。

東洋町の核施設反対闘争はそう簡単には終息しないであろうと覚悟し、長期のゲリラ戦になろうとも死力を尽くして戦おうと決心して東洋町に赴いたのであった。東洋町は私の父祖の出身地でもあった。

私の祖父は、東洋町野根を幼少のころ追われるように出て、他郷に移った。差別と忍苦の生涯の果てにも「野根に帰りたい」と願いながら死んだという。

  高レベル放射性廃棄物導入反対の戦いは私の部落解放運動と分野の違うものではなく、差別と闘うという点で同じ基調にあった。
   

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2011年6月21日 (火)

東洋町の実験 続き

News & Letters/253

3、自立

  自立といっても東洋町がすぐに自立できるというものではない。税収はきわめて少なく滞納も多い。

  国の交付金など国庫の支出金がなければやっていけない。ここでいう自立というのは、核の交付金、電源3法の交付金に頼らず、自力で町政を運営できるような方向に進むという意味であるが、私が町長に就任してから果たして財政を傾けずこれまで以上の行政施策ができるかどうかが問われた。

  行財政面では、その方向性は十分にこたえられた。50億円近い借金は30億円台にまで落とした。正職員の賃金カットは廃止し、職員数を増強さえした。退職職員数の倍以上を増強したのである。臨時職員の賃金も1万円アップした。

  産業復興の面では、十分ではないが相当な活性化の徴候を示すことができたと考える。町が管理する広い駐車場のあった白浜ビーチは特定利権業者に占領されていたが、海の駅建設によって年間10数万人の人出でにぎわっている。

海の駅の建設も議会内外で得猛烈な反対にあったが、多くの地元商店や生産者の出品を呼び大活況を呈している。いまでは誰も海の駅にケチをつけることはできない。ホテル購入赤字になるから反対だ、といって反対の請願運動がおこり、ついに議会で購入の議案が否決されたが、民間の資本で購入したホテルは2年連続黒字が続い
ている。

福祉や教育面では、他市町村では見られない高い水準の施策を展開した。高知新聞が「ばらまき」だというほどにやったのであった。たとえば、義務教育をほとんど無償化にしたということは、なにもばらまきではない。憲法の趣旨を文字通り実施しただけである。福祉事業を次々と無償化したのは、福祉が有料だというのは矛盾であって、元々無償でなければならないからである。

  公共土木事業も盛んにやったし、東北大震災が起こる前に、防災避難高台建設を実施したが、このような防災対策も見るべきものがあったであろう。

前にも紹介したように、議会で、ある反対派議員が演説したように、「余りにも素晴らしい予算案であるから、私は賛成できない」というものであり、又別の反対派議員が非難したように「次々と新しい事業をやって行くのでついていけない」などという状況となった。これらの地域活性化の施策を遂行する上では旧来の利権をびしびし切って行かざるを得なかったから、その方面から怨嗟の声が上がったのは当然であろう。

  短時日で急速にこれらの改革行政をやったので、多くの軋轢を生じたことも事実だ。
  しかし、他方あの1970年1月16日のNHK「現代の映像」がしめしたように町民というよりも議員や地域の有力者の民主主義の意識の改革には進まなかった。
  予算編成前や新しい事業の説明会の会場には、一部地域を除いて、ほとんどの人が集まってこなかった。

  核廃棄物反対闘争の折には、放射能の恐怖の前に、地域有力者自身が分裂し、有力者が住民を抑え込むという従来の選挙構図(地縁血縁○縁)が崩れ、住民の自由投票が現出したのであった。

  しかし、急速な改革行政の反動によってむしろ古い地縁血縁の構図は徐々に回復したというべきであろう。地元出身だ、地域のものだということだけで他にほとんど何も具体的な施策を示さずとも選挙に勝てる、そうでないと落選するという昔の雰囲気が重く町を覆った。

  行財政の改革や地域復興の政策の方向性ははっきり定まったが、それは行政側の主導によってのみ推進され、それを支える住民の意識や運動は形成されなかった。
  それは成果を急いだこともあり、時間が少なかったこと、など弁解できるであろうが、
  私の力量不足であったことは否めない。

  しかし、東洋町のこの4年間は、首長がやる気になれば、健全財政、地域復興、福祉充実の施策は完璧に実行できるのであって、核の交付金に頼らなくてもやっていけることを十分に実証した。

  東洋町の核施設の政府の企てがとん挫した事の意義とともに、東洋町の4年間の行政実験は、福島原発や全国に散在する原子力施設の立地市町村が陥った原発依存症にたいする、一つの有効な処方箋として歴史的意義があると考える。

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2011年6月20日 (月)

東洋町の実験

News & Letters/252

高レベル放射性廃棄物の埋設施設を導入するかどうかという事の騒動の中で、2007年(平成19年)に私が東洋町長になった。

  私は、一貫して反体制運動の陣営で一兵卒として働いてきた人間であった。
  その私が反核を旗印に町長選に達、町長に就任するには次のような事情があった。
     
  1、核施設の危険性

  原子力産業が人類にとって破滅的な結果を及ぼすということである。
とりわけ、日本全国の核廃棄物を東洋町に集め、それを地下に埋める事の危険性である。このとんでもない事業を私が住んでいた室戸市の足元に収容することについては本能的に拒絶反応を感じたが、核廃棄物を地下に埋めることについてもろもろの著述を集めて読んでみてもこれを無事安全に管理する方法がないという事であった。

反対派の著作はもとより、この埋設について原発推進派の地質学者らの論文集(「放射性廃棄物と地質科学」東大出版会1995年)をみても安全性を立証できないばかりか、結局は立地地域を政治と金(「交渉と説得と補償が基本である」)で納得させる以外にないという話になっていた。科学者の推論の結論が論理ではなく金と政治であるというのである。

素人でもわかることだ。地下の世界は文字通り闇であり、半世紀かそこらの地質学の力量では目をつぶって巨象をなぜるようなものであり、何万年単位で起こる現象を短期間のごく一部的な事象をもってこれを実証的に推理し分析すること等まったく不可能なことだ。

とりわけ地震動でゆりかごのような日本列島、しかも地下水が熱水状態の地下ではなおさらであろう。地下の岩石が「天然バリャ」になるどころか、活発に活動する日本列島では岩石は複雑に変質ししかも亀裂だらけであるからこれを「バリャ」にしたのでは放射能のろ過機、放射能の汚染拡大容器のような役割を果たすだけである。

周囲1里か2里四方程度の東洋町の地下に高レベル放射性廃棄物のガラス固化体(おそらくこれが完成できないなら使用済み核燃料をそのまま持ってくるであろう)を何万本も持ち込めば、東洋町は廃村になることは確実なのであった。

  如何に正常に管理されたとしても排気抗から漏えいされる放射能だけで十分人間が生きてはいけないだろう。
  そういうわけで私は、核廃棄物の地下埋設に断固反対して町長選に立ったのであった。
   
  続く

  2、核施設設置の差別性
  3、町の存立の基本

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2011年6月14日 (火)

ヴォルテールの詩

News & Letters/251

1755年のポルトガルのリスボン大震災が如何にヨーロッパの思想界を揺るがしたかは、ヴォルテールの

       POEM ON THE LISBON DISASTER 

 という詩や、カンディードという物語に現れていて、とりわけ、「リスボン大震災の賦」とも訳される上の一編の詩には、ライプニッツら当時のヨーロッパ思想界やキリスト教神学への痛烈な批判を超えて、現在の原発楽天主義学者への激しい憤りをも感ずる。

東北の大震災、福島原発事故のあり様を目前にして、現代のインテリゲンチャを自任するすべての人々は、ヴォルテールのこの激しい詩を読むべきではないか。
  以下この詩の冒頭を引用する。
   
  Unhappy mortals !Dark and mourning earth !
  Afrighted gatharing of human kind!
  Eternal lingering of useless pain!
  Come, ye,philosophers,who cry,"All is well,"
  And comtemplate this ruin of a world.
  Behold these shreds and cinders of your race,
  This child and mother heaped in common wreck,
  These scattered limbs beneath the marble shafts -
  A hundred thousand whom the earth devours,
  Who, torn and bloody,palpitating yet,
  Entombed beneath their hospitable roofs,
  In racking torment end their stricken lives.
  To those expiring murmurs of distress,
  To that appalling spectacle of woe,
  Will ye reply:"you do but illustrate
  The iron laws that chain the will of God"?
  Say ye, o'ver that yet quivering mass of flesh:
  God is avenged:the wage of sin is death"?
  What crime,what sin,had those young hearts conceived
  That lie,bleeding and torn, on mother's breast?
  ・・・・・・・・・・・
      ・……
  テレビの前で福島原発の大事故にも動じず、大したことはないを連発する尊敬すべき学者先生方にこの詩をささげる。人民の奴僕にすぎない私にもこの詩の憤りが伝わってくる。

  人の苦しみや悲しみにこたえられない哲学や宗教に何の値打があるであろうか。
  人をたぶらかした原発信仰家の科学者達にこそ 

   God is avenged ,the wage of sin is death.

      でなければなるまい。
   

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2011年6月13日 (月)

核の信仰

News & Letters/250

これだけの大惨事を引き起こし続けている原発事故にもかかわらず、
  まだ目のさめない連中がいる。

  政府もいまだにエネルギーの原発依存をやめようとしない。福島原発のほとぼりがさめるのをまって、再稼働の日をまつというのである。

日本人は、過去幾たびか、自国民のみならず、周辺の国々に大きな迷惑をかけてきた。秀吉の朝鮮征伐、日清日露戦争、アジア太平洋戦争などである。今、福島原発事故がアジアをはじめ北半球一帯に放射能をまき散らしている。それは即座には影響は見えないが、今後、五年十年の間にたちまち人間や動植物に深刻な被害が現れ
るであろう。われわれは、この福島原発を深刻に受け止め新らし人類史を切り開かねばなるまい。
   
  かつてフランスの啓蒙思想家ボルテールとかいう哲学者が1755年にポルトガルの首都リスボンを壊滅させた大地震と大津波の結果について、この様な大惨事が起きても人々のキリストにたいする信仰は微動だにもしなかった、といったという。

  チェリヤビンスク、スリーマイル島、チェルノブイリ、そして、福島原発の大惨事にもかかわらず、原子力に対する安全信仰、科学万能宗教が少しも揺るいでいない連中がいる。

リスボンの大震災はヨーロッパの思想界に大きな衝撃を与えたといわれる。敬虔な人々のまさに宗教行事(万聖節)の真っ最中に大震災が起こって教会などにいた多くの人命が失われたのであった。当時の神学や哲学ではこの不幸な大震災をどのように説明したらいいのか分からなかったという。

ヴォルテールだけではなく、カントなどヨーロッパの思想の流れはこのリスボン大震災を深刻に受け止め新しい展開を見せたという。

  原発楽天主義、原発科学の最善論が崩壊したのであるから、これからの人類の生き方について新しい考え方、思想言論界の一新が必要だ。

  電力業界から巨額の広告費などをとって、真実を一切国民に知らせなかった曲学阿世のブルジョワ新聞、雑誌類をこの際一掃すべきだ。新聞テレビに常時出てでたらめな原発安全説を唱えていた学者言論人たちはその公職を追われるべきだ。

  広瀬隆氏がいうようにこれまでのマスコミこそ今回の原発大震災の最大の責任者なのである。
  「福島」を契機に18世紀のヨーロッパのように、日本の腐った言論思想の岩盤に大震動を起こすべきである。
   

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2011年6月 3日 (金)

不信任決議

News & Letters/249

6月2日の国会の様子を見てみた。
真剣な猿芝居という感じである。
  私は民主党政権については何も期待するものはなかったし、震災や福島原発の対応などでは、見識のなさと責任逃れの醜態で目も当てられない、という感じであった。

しかし、今度の失敗した政変で小沢や谷垣ら反菅総理陣営の姿にはあきれるほどであり、むしろ菅総理に同情心が少し出てきたぐらいだ。国難国難といいながら、城内で内乱をやっている状況だ。国民の事など何にも考えていないという政治家の典型的な姿だ。その争点は総理大臣のいすに誰が座るかという一点だけ。末期的な政
治状況である。

  野党側の不信認の主張の骨子は、菅総理が無能だという人身攻撃に終始するのみである。菅に代わって、では誰がリーダーになれるのか。菅よりましな人物、ましな震災対策をもっているのがいるのか、何も分からない。
  震災対策や原発対策で何か相違点があるのかといえば何もないのである。
  お前が嫌いだからやめろ、というのと同じである。
   
  近代になって三陸沖では今回とほぼ同じ規模の震災が起こっていた。
吉村昭がドキュメンタリ風にその恐ろしさを書いてわれわれに警告を発していた。
  私はその本を繰り返し読み、戦慄した。その小さな文庫本をこれまで数百冊買っては人に渡して読んでもらった。だから、私は、東洋町に4基の鉄骨の避難高台を構築したのである。(2基は設計中で未完成)

当然、大津波は繰り返し襲ってくる。必ず来る。為政者は当然その備えをしなければならなかった。小沢は東北の地盤で政治家になった。だが、避難高台の1基も建設していない。大津波は天災だと言って原発の人災と区別する人がいるが、確かに大津波は破壊的な自然現象ではあるが、その対策次第ではこれほどの災害にはならなかった。

 繰り返される大津波があるのに日本人は逆に海岸へ海辺へとどんどん居住区域を拡大してきた。私の生まれ故郷でも私らが幼いころは海辺にはほとんど家並みはなかった。浦の苫屋の秋の夕暮れ・・という王朝時代の風情の中で私らは暮らしてきた。今はどうか。防潮林の松並木を切り倒し波のしぶきをかぶるところまでせり出し開発して人が住んでいる。

 コンクリートが自然に勝てるというおごりと愚劣のなかで、過去の災害の教訓もものかわ、危機は大きくひろがってきたのである。東北の災害マップを見ても、なん百キロという沿岸の町や村で避難高台を建てていたのは一つか二つにすぎない。

  われわれは、大津波によるこのたびの災害も人災に外ならない、と考えるべきだ。
  自然災害の点からみて人は海岸を開発して居住地域とすべきではなかったのであり、住むからには、津波に耐えられる高台を建築しておかねばならなかった。

  これは過去の教訓から当然のことである。
  高知市だけでも、避難高台は一千基以上は必要だ。高知県下では数千基の避難高台が急いで構築されねばならない。そんな動きがいまだにまったくない。

  高知市が津波避難として民間のビルと契約している数は数十でしかなく、収容できるのは2万人に足らない。行政は自主的には動かない。県民が運動を起こさねば1基の高台もつくられないだろう。

  大津波の対策をしなかったばかりか、それどころか政治家たちと電力会社は東北に福島原発など巨大な原子力施設を目白押しに建てた。政治家なら、原発事故の結末を予想していたはずだ。僻地差別を逆に取って原発を次々に導入してきた。
  その連中とその親玉が、国会で菅総理を、災害対策がなっていないなどと言って口をきわめてがなり立て攻撃に夢中になっている。

  私は言いたい、その攻撃の内容はその通りだが、この様な災害をもたらしたのは誰なんだ。与党や野党やという色分けでは語れない。国会に座っている者どもに、このたびの災害について人を論難攻撃する資格があるのか。

  小沢ら東北の政治家だけの責任ではない。佐賀の原口らもそうだ。福島から子供を避難させるべきだ、子供が大事だとか言っているが、佐賀の原発はどうするのだ。日本国中の原発はどうするのだ。福島だけを心配顔で語ればよいというわけではない。

  原発から吐き出された厖大な放射性廃棄物は誰が始末するのだ。誰が、この厄介物を何千年何万年も冷やし続けるのか。国民の気持ちとしては、菅や鳩山、そして小沢、原口、自民党の谷垣やら・・・、お前らがこの猛毒の廃棄物を抱きかかえて始末しろ、と怒鳴りたいであろう。
   

  福島の事故はこれが原発の本当の姿であり、これまでこのような事故が起こらなかったというのが、何かの奇跡なのであった。今のままでは、第2第3第4・・・の福島が次々と起こるであろう。われわれはすでにブレーキの効かない電車に乗っているのである。われわれの南海大地震は百年の周期でやってくるといわれている。

 原発事故は数年に1度か長くとも数十年に1度以上は必ず起こるであろう。
  われわれ国民は、ひどい災害を受けて、又災害の恐怖を抱きながら、なおさらに、自分がしでかした事件を始末ができず、責任の投げ合いをしている政治家失格のお歴々の、その猿芝居を見せられるのである。嘔吐を催す。

  この国会の体たらくでは、この国は救えないことは絶対間違いない。
   

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