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2011年5月12日 (木)

反革命の論理

News & Letters/243

人の話では、高知新聞のコラムでは、今回の町長選挙をコメントして、
  町民は、配食サービスなど福祉の充実ではなく「融和」がほしかったのだ、と書いてあるらしい。

  これが本当なら、あたかも私が、町民融和に反する行為に明け暮れたような言い方ではないか。話は全く逆である。

確かに私は、行財政を徹底的に改革する中で、悪しき利権行政を断ち切ることをする中で、ごく少数の町民にとって耐えきれないであろう立場に追い込んだことは確かである。しかし、それは数名の町民にすぎない。また、町会議員の一人がリコールにかけられたことも一つの事実だ。しかし、それ以外、町民たちを追及したり、その利権を断ち切った事実はほとんどない。

  古い慣習を断ち切ろうとするどこの行財政改革でもそれくらいの事はあってしかるべきであろう。
  問題はそれを根に持ち、私が進める行政にことごとく難癖をつけ、町内で反町長の騒動をしてき、そうして今回の事態を演出した事実である。

  「融和」を旗印にしているものこそ反「融和」の集団であった。
  ばらまきだ、等私が進める福祉事業の事業の評価をこき落としたり、借金が大幅に減っているのに借金だらけにしたというデマを飛ばしたり・・・・、

  その反融和の事実は、議会に現れていたから毎回の傍聴席で新聞記者は知っていた。
  例えば政府の交付金で教育機器である天体望遠鏡やプらネタリューム購入の予算案を議会に提案すると、そんなものは無用であると言って、否決し、せっかくの交付金1500万円を政府に返上した。その金は東北の震災対策に使うべきであるというのである。

  特別な趣旨と目的をもった交付金を他に流用できるであろうか。そんなことをいうなら、政府の交付金や国庫補助金で大半の予算を組んでいる市町村では、議員の報酬を含め予算を削って震災対策に金を回すべきであろう。
  私の提案に反対する理由がなければ、思いついたことはなんでも理由に挙げて反対する。

  たとえば、昨年22年度の当初予算案の審議をするある常任委員会では、最後に締めくくりの意見表明の為に立った議員(プらネタリューム反対の論客)は、ながながと私の予算案をほめたたえた。ほめる以上は大賛成かと思って可決されることは間違いないと安心していたところ、最後にその議員が言うのには、「この議案は、素晴らしい、余りにも素晴らしいので私は賛成できない。」という趣旨で締めくくった。

  出席していた課長補佐以上の幹部職員はあまりにことに唖然として、次にがっかりしたのであった。
  地方議会とはいえこの様な反対理由がこれまで憲政史上にあったであろうか。
  この発言、私のやっている行政が余りにも素晴らしいからつぶせ、というのが今回の反革命の運動の論理を端的にあらわしている。

  これが、何事にも融和しないぞ、という反「融和」の実態なのである。

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