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2011年5月

2011年5月26日 (木)

(続)軋轢

News & Letters/248

越境入学は絶対に認められないという事ではない。事情によっては教育的配慮で越境して別の学校に通学させる必要もある。だが、住所をごまかし、ふるさとを嫌忌してする越境入学は法令上の問題だけでなく、人権問題でもある。これを放置していると特定の者たちにたいする差別感情を合理化する。

私は役場に入る前から東洋町のこの事実について聞いていたので教委の事務局にこれをただしたところ、そのような事実はありません、という回答であった。これを問題視し、議会内外で論議し出すと、多くの人たちから反目の目が私に注がれた。

いろいろな理由で多くの場合は教育委員会が現状を認めるという事になったが、越境して通学する子供の親たちは、苦々しい思いで私をみていたことであろう。野根中学校の生徒が激減し全校生徒が10人前後になっているのに、甲浦中学校の運動会では地域対抗のリレー競走で、野根地区のチームが優勝するという光景が見られたのである。

  正常な心でこの光景を見ていられようか。だが、教育委員会や父兄の方々ににとっては私の言動は許せない事であったであろう。

  ②校舎・体育館等の耐震補強整備

高知新聞の記事では、東洋町の耐震補強整備率は県下最低であり、その前提である耐震診断すらも満足にできていなかった。教育委員会は何をしていたのであろうか。補強工事ができないまでも診断は完了させ、全校舎の補強工事の計画ぐらいは立てておくべきではなかったか。全体の2,3割しか進んでいず、整備工事の残りはすべて私の行政時代に完遂しなければならないという事になった。

  教育環境の整備は教育委員会の最も重要な仕事である。私などは、予算を組む前に財政担当職員を連れて学校の状況を見て回り屋根裏までよじ登って修理個所を確認してきた。教育委員会が学校整備事業に無関心であったのではないか。

  ③東洋町だけではないが、学校教育で必要な教材はほとんど保護者負担ではないかという状況であった。

公費負担は極端に少なく貧しい子供たちへの請求書の方がはるかに比重が高いのであった。私は義務教育無償を段々と実現しようと決心し、公費負担分を拡大し、最後にはほとんどの教育費において無償化を実行した。

  鉛筆もノートも学級費もPTA会費もそして給食費も無償にした。
  教育委員会は、保護者や子供たちへの負担の転嫁について何の手だてもしようとしなかった。この4年間の教育に関する新しい事業はほとんど私の主導によるものであった。教育委員会の影がかすんだのではないか。

  ④東洋町の教育委員会では数年間教育長が不在であり、教育次長が教育長を代行していた。

議会が町長の推挙する教育委員を認めなかったからである。
  それは、高知新聞等が騒ぐような違法なものではない。教育長が不在の場合は事務局の職員が代行することが法令で決められている。
  しかし、実際上東洋町教育委員会では教育長は私が役場に入るずっと以前から不在であった。教育長は存在していたが、いないも同然であった。そのようなシステムになっていた。

  東洋町教委のパンフレット(これは県教委にも提出されていたという)を見ると、教育委員会の事務局を統括するのは、教育長ではなく、教育次長ということになっていた。法令では教育長が事務局を統括し事務遂行の中心ということになっている。

  東洋町の場合は教育長は教育委員として雲の上にあり、実務は教育次長が事務局職員を指揮してこなすというシステムだったのである。そのシステムが図表化されていた。だから、教育長はぶらぶらしていていいのであった。

  県教委も新聞も、東洋町の従来の奇妙な教育委員会体制、教育長が存在しているが教育長の任務を解除されている状況を何も問題にしてこなかった。
   
  このように社協や教委の問題点を浮き彫りにし、実践的に突き破っていく中では、軋轢も生じるし誤解も呼ぶであろう。社協や教委だけではない、行政の無責任体制について私は悪戦苦闘してきたが、これによって生じる軋轢や矛盾を恐れるようでは、行政をまともに担当することはできない。

  実践というのは新しい矛盾の創造的展開であり、矛盾のないところに発展はない。
  今までのやり方を続けていたのでは、自分の住む町や村が衰滅するという運命の中にある。

  今の時代で封建時代のようにのたりくたりと同じ平穏の中で息をして時を過ごすことはできないだろう。時代を切り開いていく仕事は、文字通り白刃と白刃の切り結ぶ前線の、血の滴る戦いであって、不立文字の世界である。
  これからおいおいにはっきりさせていくことになる。

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2011年5月25日 (水)

軋轢

News & Letters/247

   
  高知新聞では、澤山町政から東洋町が「改革」に向かうということででたらめな記事を書きだした。
  澤山町政では、教育委員会とか社会福祉協議会とかがうまくいかず、人の言う事を聞かない町長のトップダウン方式で軋轢があったという趣旨である。
  社会福祉協議会とか教育委員会と軋轢があったことは事実だ。
  問題は軋轢の内容ではないだろうか。
   
1、社協の問題

  社協にたいして私が問題提起したのは

①第1に福祉事業を再開する事であった。
福祉事業を止めてしまって、殿堂のような立派な福祉センターが閑古鳥が鳴いていたので、福祉事業をやらないのであれば、運営補助金を削減すると私が申し出たのである。

国の法律で補助金の交付はあくまでも実施している補助事業に基づいて必要経費を補助するというものであるからである。団体の組織を維持するためだけの補助金は出すことはできない。だから私の言いたいのはお年寄りなどを世話をする補助事業をやっていただけば、お金を出すということをるる説明したが、これが猛烈な反発
を招いた。やっと、私の方から数年前までやっていたデイサービス等を復活させて活動するという事業計画を提案してこれを承認してもらって補助金交付にこぎつけたのであった。福祉センターは再びお年寄りの集う場として再生されにぎやかになった。

②第2に、社協の「裏金」問題だ。社協はこれまでに町の補助金の残りをため込んで700万円以上の「裏金」を保有していた。社協の福祉事業はほとんど全額町からの資金であったから精算して残りは町に返還しなければならなかった。しかし、残りはなしとして変換せず、社協の金庫に累積されて裁判費用などいろいろな費用に使われていた。

私は当然これを調査し、返還命令を出して回収した。社協としては不快であったであろうが、公金をごまかすわけにはいかない。 
 
③第3の社協の問題は、その組織の在り方だ。
  東洋町だけではないが、社協は役員だけで会員がいないのである。

社協も福祉法人のれっきとした社団法人だ。社員(会員や組合員など)がいて、その社員総会によって役員が選出されなければならない。だが、誰に選ばれたわけでもないのに理事や評議員がいるのである。社協の「総会」だというので招待されて出席してみると、それは役員の総会なのであった。法令では、社協は、福祉関係の
団体や個人によって組織が構成されなければならないとなっている。

  兼職規定(議員失職)に触れる議員が勝手に役員に入り込むなどはもってのほかだ。
  地方自治法の規定で議員は理事など役員にはなれないのに堂々と役員席に座って意見を述べる。理事は誰が選任したのか、評議員が決めた。評議員は誰が決めたのか、理事が決めた、という問答が続くのである。行政と地域ボスのお手盛りというわけだ。
  会員を募り法令にのっとた民主的な組織に替えて下さいと要請しても馬耳東風なのである。

  そのようなわけのわからない組織であるから、不祥事も出てくる。
  昨年社協の会計事務上の不祥事があったが、社協の役員であってはならない議員から、その責任は町長にあるという糾弾を受けた。
  議事録を見ると、理事として報酬をもらいながら理事会では、事務局から業務報告もうけず、日常業務については何も審議していなかったのである。日常業務に無関心であったのである。そして社協の事務局長は自分がすべき任務なのに第三者風に[監督]不行き届きであったなどととぼけていたのであった。

  私は社協については上の3点について要請したり指摘したりしたが、「トップダウン」どころか日常業務については一切関与していないのである。
   

社協の実態についてはこれまで私はブロッグに書いてきたのであり、この実態はひとり東洋町だけではなく、又社協に限らず県下に多数あるのである。新聞記者であるなら、私を非難するだけではなく、私のブロッグを見て他の市町村の実態を検証して「改革」の機運を盛り上げるべきであろう。地域のボス支配の実態と地域の疲
弊と関係ないであろうか。戦後漁協や農協の法律が改正されたが、何よりもそれら地域の基幹団体のの民主化が地域活性化の要諦をなすというところに意義があったのである。
  網元など有力者だけではなくどんな貧しい漁師でも能力があれば漁協のリーダーになれるという改革が必要だったのである。

  社協とか漁協とかいう地域の公共的団体が民主的に運営されるという事は地域の活性化、地域の自治にとって重大な事であり、また、教育的にも民主主義の実際上の訓練の場でもあるのである。

  地縁血縁金縁や封建因習を打ち破り、地域社会や組織を民主的に運営する能力のある人士がどれほどいるかという事が地域社会ひいては近代国家の底力なのだ。
   
2、教育委員会の問題
   
  私と教育委員会との間に軋轢があったことも事実だ。
  東洋町の教育委員会にはいくつかの問題があった。
  ①一つは越境入学問題であり、②校舎の耐震補強工事、③教材・教育費④委員会の組織体制
  ①越境入学が野放しになり、一つの中学校が廃校になろうというほどすざましい状態であった。主として野根中学校への入学を回避して、甲浦中または甲浦小や徳島方面に越境するというのであった。その底には「同和」問題が潜んでいた。

市町村の条例で決められている義務教育での校区制というのはおろそかにできない重大な使命を持っている。それは、明治の初めから今日まで、金持ちの子も貴族の子も貧しいその日暮らしの家庭の子供も、校区にある子供はみんな同じ学校に入学し通学するという決まりである。四民平等とその意識はこの校区制によって子供の
ころから醸成されるのである。金持ちの子も高級官吏の子も貧民の子供と遊び友人になることによって学科の勉強以上に大いに得るところが出てくるであろう。

  貧民の子も金持ちの子よりも成績がいいという現象を見て卑屈にならず人生を実力で切り開く自信を得るであろう。校区制は近代日本の自由平等や民主主義の実際上の学校なのである。この制度を崩壊させることは、文字通り反動なのである

  東洋町教育委員会はこの校区制崩壊現象を野放しにしてきた。
  その乱脈ぶりは、一般住民はもとより、教育委員をやっていたこともある町会議員や市職員、さらには住民基本台帳の規定を率先して遵守すべき住民課長からして住所をごまかして子供を越境入学させていたのである。住民票や戸籍を扱う住民課長が住所不定という事だ。

  住所を偽るという事は校区制をさだめた条例に違反し、住基法の違反になるのみならず、公正証書原本不実記載の刑法に触れる疑いがあるのである。
  特段の事情も無いのに住居を偽って徳島県にまで及ぶ事態であるから、高知県教委にこの越境入学の実態について調査し指導するように申し出たところ、それは県教委には関係ないという答えであった。
                               (続く)

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東洋リ・ボルトの社長

News & Letters/246

  私は5月から再び東洋リ・ボルト社の社長となった。
  最初は私が社長であった。その後、資本構成の変化で私が社長を続けることができなくなり、誰彼に頼んでなってもらった。社長のなり手がなかなかいない。

それというのも、リボルト社は様々な事業を行ってきているが、ホテル以外はそのほとんど町がらみの委託事業であり、町の意向が直接支配的に影響する。誰が社長になっても、社長の独自性は見えず、実質的には町執行部の方針が貫徹する。だから、経営的に独自の意欲で会社を運営するという企業心が発揮できない、町の下請けのようなものだからつまらないわけだ。

町の委託事業では人件費など経費以上のものはあげられないし収益はないのである。収益はなく、ただ、雇用を確保するというだけの事業で人事管理だけが仕事であるから、金銭上の苦労はないが管理上の負担は負うことになる。委託事業の遂行では社長はただのロボットであり、社長の個人的な意向や経営努力、まして個人的な利害的関与の余地は皆無である。町の委託事業は個別にも全体的にも経営の状況は行政が完全にコントロールしている。

 誰が社長になっても私物化出来る筋合いのものは何もない。責任はあるが、メリットは何もない。
  私が社長を退任してから社長に就任するものが無く苦労した。数人短期間づつ転々としてきたが、結局私にお鉢が回ってきた。
  これからは私が社長をやって行くが、委託してくる事業が続く限りは雇用確保事業として淡々と遂行する以外にない。それは会社にとっては無収益・負担事業にすぎない。

  それどころか、税金の負担がのしかかってくる。
  これまで短期間に社長に就任したものは4、5人いた。私の姉以外はすべて報酬があったが、それは、一般従業員以下の金額にすぎなかった。私も社長の報酬として月額15万円という事になった。私は会社全般の業務遂行と監督の仕事の上に、毎日ホテルの夜勤をしている。従って私には休暇の日はない。

  従業員も含めせめて公務員並みの給与や報酬にしたいと考えている。

そのためには、独自の収益事業を拡大していく以外にない。今は、リボルト社では、ホテル経営だけが誰にも指図されない、独自の収益事業だ。一昨年ホテル購入について公的資金は一銭も入っていないから、行政からの関与は全く入る余地はない。出資者の独断場であり、気を抜いた経営をしているとたちまち赤字となり自分に跳ね返ってくる。今、リ・ボルト社の社長として経営能力が問われるのはこのホテル経営だけである。幸いホテルは購入して2年連続黒字である。

  将来誰が経営するようになっても大丈夫だという経営基盤を固めなければならない。
  独自収益事業を少しずつ拡大し、雇用の場を広げながら、東洋町の復興に寄与していかねばならない。

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2011年5月24日 (火)

反文明論

News & Letters/245

  気のめいるような福島原発のなりゆきである。
  原発の危険性はもはや理論の世界であーだこーだではなく、事実が語るということになってしまった。

  数日前、NHKのテレビ記者たちが東洋町にやってきて、薪だきボイラーなどを取材した。
  昨年3月にオープンした東洋町の温浴施設では、家屋解体の無害な廃材や間伐材の不要な材木類をそのまま釜に入れて、ボイラーを焚いている。湯船の湯はほとんどタダである。これに記者が着目し、取材に来たのである。これまでにもいくつもの見学があった。

  チップやペレットにせずに丸太の薪のまま釜にくべる方式のボイラーを現在使用しているのは珍しいであろう。このボイラーは私が宮崎県にまで足を運んで、そこの農家がハウスの熱源として使っているのを取り入れたものである。宮崎の農家は主に廃材を燃やして数反のハウスを温めていた。

  しかし、このボイラーは高知県土佐山田町の鉄工所が開発し製造しているものであった。高知県ではあまり普及していなかった。物部川の奥地の温泉の木質ボイラーを見学に行ったが、そこのは木質チップを購入し、そのボイラーのシステムを導入するのに数千万円かかっていたが、東洋町の場合は四百万円ぐらいであった。
  このボイラーがなければ、そういうボイラーを業者に注文して新たに製造してもらおうと考えていたが、丁度理想的なものにめぐりあったのである。

高知県の業者はこの様な素晴らしい製品を開発していた。このボイラーは熱湯を焚くだけではなく暖房にも使えるという事であるので、ホテルにも一個導入する計画である。冷房も薪だきボイラーで行けるという話もあるので、ぜひ冷暖房にこれを切り替えたいと思う。そうすれば、毎年500万円以上もいる燃料費をただにできるし、地球にやさしいエコエネルギーとして評価もされる。

  私は、高知県全体がこの木質ボイラーの活用に大きく傾倒すべきだと思う。ボイラーを管理する人件費が要ったとしても、油や電気を使うよりもはるかにましだ。社会全体からみれば人件費は損失ではない。油代が人件費に転換することは何重にもいいことだ。

自動車も木質燃料エンジンに切り替えるべきだ。大手自動車メーカーはすでに木炭自動車の開発に乗り出したというが、木炭自動車(炭または木質ペレットなどをガス化する)への改造は町の自動車整備工場でもできる。戦時中や戦後間もなくの時代は、軍用以外の自動車のほとんどは木炭自動車だった。昔のように森林を用材だけではなく熱資源として見直し、森林を大事にし、森林の整備を進めるべきだ。アジアやアフリカなどの砂漠地帯も森林化すべきだ。地球を再び緑化しなければならない。

  原発や化石燃料の人為的な反自然エネルギーを止めて、大自然の摂理に順応したコストの低い生活を追及しなければならない。

  それが、福島原発事故の最高の帰結である。私が言うのは、一種の反文明論だ。
  高知県はほとんどすべての分野で他県に立ち遅れている。遅れている、遅れていると言って、人の後を追いかけるのはもうやめて、むしろこの遅れを開き直り、これを活用すべきである。

  森林等未開発の財産や原材料を利用して時代の最先端に躍り出るのだ。

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2011年5月12日 (木)

民衆の声

News & Letters/244

  私が書いた「反革命の嵐」は私の見解であるだけでありません。
  私を支持した多くの人の声です。その人々は私よりもはるかに悔しがっています。

  また、選挙で支持してくれた有権者に礼を言え、というコメントがありましたが、選挙のことで公然とお礼を申し述べるのは、公職選挙法違反です。前に橋本大二郎知事が県の広報で選挙の御礼を登載し大騒動が起こりました。

  私の住民への感謝の仕方は、次の通りです。
  私は、4月29日に再度㈱リ・ボルト社の社長となりました。立ち上げた時からしばらくは社長でしたが、保有株などの関係で町長が社長になれなかったので他の株主になってもらっていました。

  私は、借金をして巨額の金で購入したホテルの実質上のオーナーですから、逃げるわけにはいきません、責任者として多数の従業員の為にもしっかりこれを支えなければなりません。

  リ・ボルト社経営の「海の駅」も快調であり、経営者として東洋町発展のために尽力しなければなりません。

  この会社は多くの失業対策事業も受託しています。この交付金を国から頂いている間に一つでも事業が継続的に発展するように鋭意工夫が必要です。私は役場の雑用を逃れ、地場産業開拓の事業に専念し、地元労働者とともに朝から晩まで東洋町のために働ける事を喜んでいます。
   
  革命とは順逆不二の法門にて、不立文字なり。 これは右翼の北一輝あたりの言葉でした。

  町長時代と変わらず、早朝の釜焚きから洗濯、夜勤など・・・実践こそが私の本命であります。

  そして、ここ東洋町は私の故郷ではありません。ここは私の試練の土地です。

    いうことを休めよ 他郷苦辛多しと
    同胞友あり自ずから相親しむ
    柴扉暁に出づれば霜雪のごとし  
  君は川流に汲め 我は薪を拾わん 
    (同胞の胞は確か衣へんだった)

  江戸時代末九州の偉い学者の漢詩を思い出します。
  不立文字とは何も学問をしないという事ではありません。実践が第一だということです。

  真実を認識するだけではなく、それを実現しなければなりません。
  私は学徒に戻って、はつらつとして仕事と勉学に励むつもりだ。

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反革命の論理

News & Letters/243

人の話では、高知新聞のコラムでは、今回の町長選挙をコメントして、
  町民は、配食サービスなど福祉の充実ではなく「融和」がほしかったのだ、と書いてあるらしい。

  これが本当なら、あたかも私が、町民融和に反する行為に明け暮れたような言い方ではないか。話は全く逆である。

確かに私は、行財政を徹底的に改革する中で、悪しき利権行政を断ち切ることをする中で、ごく少数の町民にとって耐えきれないであろう立場に追い込んだことは確かである。しかし、それは数名の町民にすぎない。また、町会議員の一人がリコールにかけられたことも一つの事実だ。しかし、それ以外、町民たちを追及したり、その利権を断ち切った事実はほとんどない。

  古い慣習を断ち切ろうとするどこの行財政改革でもそれくらいの事はあってしかるべきであろう。
  問題はそれを根に持ち、私が進める行政にことごとく難癖をつけ、町内で反町長の騒動をしてき、そうして今回の事態を演出した事実である。

  「融和」を旗印にしているものこそ反「融和」の集団であった。
  ばらまきだ、等私が進める福祉事業の事業の評価をこき落としたり、借金が大幅に減っているのに借金だらけにしたというデマを飛ばしたり・・・・、

  その反融和の事実は、議会に現れていたから毎回の傍聴席で新聞記者は知っていた。
  例えば政府の交付金で教育機器である天体望遠鏡やプらネタリューム購入の予算案を議会に提案すると、そんなものは無用であると言って、否決し、せっかくの交付金1500万円を政府に返上した。その金は東北の震災対策に使うべきであるというのである。

  特別な趣旨と目的をもった交付金を他に流用できるであろうか。そんなことをいうなら、政府の交付金や国庫補助金で大半の予算を組んでいる市町村では、議員の報酬を含め予算を削って震災対策に金を回すべきであろう。
  私の提案に反対する理由がなければ、思いついたことはなんでも理由に挙げて反対する。

  たとえば、昨年22年度の当初予算案の審議をするある常任委員会では、最後に締めくくりの意見表明の為に立った議員(プらネタリューム反対の論客)は、ながながと私の予算案をほめたたえた。ほめる以上は大賛成かと思って可決されることは間違いないと安心していたところ、最後にその議員が言うのには、「この議案は、素晴らしい、余りにも素晴らしいので私は賛成できない。」という趣旨で締めくくった。

  出席していた課長補佐以上の幹部職員はあまりにことに唖然として、次にがっかりしたのであった。
  地方議会とはいえこの様な反対理由がこれまで憲政史上にあったであろうか。
  この発言、私のやっている行政が余りにも素晴らしいからつぶせ、というのが今回の反革命の運動の論理を端的にあらわしている。

  これが、何事にも融和しないぞ、という反「融和」の実態なのである。

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戦国時代のある宴席

News & Letters/242

中国の戦国時代の話。決して現在の話ではありません。
  中国のある国A国は君主が外敵と通じて一人の美人と交換に国の大事な土地を譲り渡すことになった。

  しかし、民はその土地を他国に抑えられると作物ができなくなり、終いには、ふるさとから追い出されるとわかって、大騒動を起こし、西隣から一人の勇者を招来してリーダーとして結局そのよこしまな君主を追い出し、土地を守った。その君主の代わりにその勇敢な西方の勇者を君主とした。

  その君主は、4年間の間に、宮廷を粛清し、民政を改革し、民人の生活を改善し善政をしいた。
  この君主は、東隣の国Bとの外交も成功し、その国に取られていた領土の一部(1千町歩)についても6千億万元で買い取ってもらうことにした。

  しかるに4年後、地元に残った先の君主の王子が、立ち上がり、よそ者ではだめだ地元の者でないと君主は務まらない、今の君主の善政も、ばらまきだ、などといって反乱を企て、莫大な軍資金と兵士を集めて、君主の座を奪回した。

  権力を奪回した王子の祝いの宴席が始まった。その宴席は東隣の国の料亭「春風亭」であった。大勢の地元の有力貴族や武将が集まった。
  その宴席へ、問題の東隣のB国の代表団4人が現れた。占領されていた領土の売買金は期限が来ているが、いまだに支払われていない。

  出席者はなんだか違和感を覚えた。どうも占領されている土地は戻らないのではないか。

  地元、地元と言っているが、この王子は、実は、東隣国の意思に従って蜂起し、我が国の利益ではなく東隣国のために便宜を図るのが目的ではないのか。

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2011年5月 6日 (金)

防災市町村の建設

News & Letters/241

高知県(だけではないが)の喫緊の課題は防災である。

南海地震と伊方原発だ。

①    伊方原発は高知県の被害が最も大きいと考えられる。

だから、愛媛県の原発と考えずに高知県の原発と考えるべきであろう。

  伊方はプルサーマルを操業中であるから、福島原発級の事故が想定される。

  伊方原発の原子炉を廃炉にすることが高知県民の仕事である。

  高知市から100キロ前後しか離れていない。事故があれば県西部は全滅だ。

  原因のはっきりした危険が迫っているのにその原因を取り除こうとしないのはど
うしてか。

②    高知市をはじめ県内沿岸部の市町村はほとんど無防備都市だ。

敵の侵略が明確であるのに、ほとんど何の備えもしない。

古代中国は、敵に備えて国(都市)に防壁を囲堯させた。万里の長城でさえ築いた。

東洋町は私の音頭で数年前から計画して建設・建設中であるが、鉄骨の避難高台を少
なくとも1千基は建設しなければならない。津波に対しては逃げるしか道はない。

  一千基でも300億円程度だ。ここ数年のうちに県下に数千の避難高台の建設が必
要である。

東洋町のように行政が動かなければ、大きな市民運動が必要だ。

今の行政の首長には、放射能や津波に対する危機感が乏しい。市民が立ち上がらなけ
ればならない。

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