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2011年4月17日 (日)

高知新聞の記事(2)

News & Letters/239

次に高知新聞は、東洋町の画期的な福祉行政に攻撃の的を絞り、これを「ばらまき?」だとこき落とす。

  しかもそれは、政府の地域活性化の交付金の分配金で東洋町が「財政好転」したので「さまざまな福祉サービスに乗り出した」というのである。

  しかし、交付金の増額はともかく、この数年間に政府自民党や民主党が出してきた地域活性化交付金を福祉事業の「ばらまき」に使えるであろうか。使えない。地域活性化の交付金はそれぞれの趣旨に沿った使い道が決められて交付される。

また、地方交付税交付金は平成18年前後数年の厳しい時代を除いて前述したとおり15億円を超える時代が長く続き、予算規模も今の2倍ほどあったが、米の一粒でも住民にあたがったであろうか。

米の配給にしてもデイサービスにしてもさまざまな福祉事業や教育費の保護者負担の軽減は個別にはほんの数百万円であり、全部あわせてもせいぜい数千万円で達成できる。 毎年十数億円の交付金 のうち数千万円の「ばらまき」事業ができないわけはない。

そして、高新は 小中学校生徒への米代は370万円、配食サービス780万円が「借金」で賄っていると攻撃する。
  しかし、この1200万円の「原資」は過疎債であり、7割は国が負担し、町は3割負担に過ぎない。すなわち360万円を10年間で支払うのである。 毎年36万円、月に3万円の支払いで 子供数 百人と高齢者数百人ほどが恩恵をこうむる。どこも配食サービスはせいぜい週1回できわめて貧しいメニューだが、東洋町では週2回である。

しかも月3万円でこの配食サービスに働く町民5人ほどが生活の糧を得られるのである。これで、1トンの米とお年寄りの弁当1万5百食のサービスが得られるのである。月3万円ほどの負担が東洋町にできないであろうか。

  高知新聞はこの記事の下で東洋町の疲弊を指摘する。だが、この新聞記者や編集局にはこの疲弊と現行の福祉事業とを結びつけて考えることができない。日日の生活ができがたい高齢者が多数なのである。税金はもとより、国保税や介護保険料の負担にさえ耐えられない、安い公営の住宅の家賃も滞納がちなのである。諸税の徴収率はおそらく全国最低であろう。

  この貧しい住民の生活を支援することが行政として優先事業なのだ。
私が就任した平成19年4月では平成18年度とほぼ同じ交付金を基にして財政を組んでいたがそれでも「全廃」されかかっていた福祉事業を再開した。福祉センターは閑古鳥がなき、ボイラーなどはさび付いていたがこの施設でのデイサービス等福祉事業を再生した。

福祉事業は政府の交付金の多寡ではなく、首長の意思の問題なのである。
この間の政府の地域活性化交付金のほとんどは、その交付金の趣旨に従い、県下最悪であった学校の耐震補強や避難高台の建設、道路の整備、廃れていた公共施設の再生事業などに使われた。

  これらの交付金が今後途絶したら公共土木事業の展開は困難になるであろう。しかし、住民の生存をかけた福祉事業は他を切り詰めてでも続行しなければならない。高知新聞が言うように政府の一時的な交付金を当て込んでバラまきをやるという筋合いのものではない。ニューモ(NUMO)の宣伝を受け持ち、核廃棄物の高知導入を意図する高知新聞は核交付金を拒否した町は、どのように財政的に行き詰まるか、というシナリオを描きたいのである。核を拒絶して福祉行政日本一になった、などということはあってはならないのである。

この記者には、福祉行政とは何か、義務教育無償とは何かがまったく分からない。ヒュウマニズムのかけらもないということだろうか。
(続く)

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