電子黒板
News & Letters/234
私のブログに対するコメントに答える。
電子黒板を断った理由。
電子黒板とプラネタリウムを同じレベルで考えるべきではない。
プラネタリウムは、映画だ。宇宙についての映画であって授業や教科書とはなれた映画鑑賞の時間だ。
そういう時間も必要だということだ。修学旅行と同じように普通の授業とは次元の違う話である。
黒板は、先生が手書きすべきものだ。
その子供たちに応じ先生が当意即妙に考え付いたことを紙や黒板に書いて、あるいは生徒自身に書かせて授業を行うべきであろう。教室では機械ではなく、先生と生徒の人間の交流が必要である。
教室での勉強は、基本は教科書である。子供らが勉学に立ち上がるのは先生の息吹であり、情熱だ。
現在、数学でも英語でも、教科書を満足に教えきられているものはほとんどない。
行事がいろいろあって、各科の授業の時間数が絶対的に足らない。
数学の教科書に載っている例題や練習問題を満足に解ける生徒は各教室に数名しかいないであろう。
各教室で、英語の教科書を、満足に声を出して読める生徒は何人いるだろうか。
読めない単語は一つ二つは覚えられるだろう、しかし、数百の読めない単語を覚えろといっても不可能だ。
字が読めない教科書について先生がいくら講釈しても頭には入らないだろう。
授業では、少なくとも字が読めるようにしていただきたい。字が読めたら家で自習もできるだろう。
国語でも社会でもそうだ。
教科書を繰り返し学習し、それに習熟して学問の骨格づくりをしなければならない。
読みの練習は音楽のようなもので、先生について何度も繰り返し発声練習をしなければならないのである。
分からないことは生徒一人ひとり違っている。つまづきは、一人ひとり違う。その都度、黒板や紙で絵解きをしてやらないといけない。電子黒板のような画一化された機械化授業では生徒のニーズにこたえられない。
手取り足取りで先生の熱い息吹が伝わるような授業でないと生徒の頭や心を動かすことはできない。、
授業では、教科書を徹底的に習熟させて欲しいのだ。映像として教科書の1頁1頁が頭に叩き込まれなくてはならない。
英語でも国語でも暗誦するくらいやってはじめて学問の基礎ができるというものだ。それがまったくされていないのが現状だ。
今の状況では、高知県下の小中高校生の学力が上がらない。
教科書を習熟させよ、プリントや副教材など他の余分な教材は教科書学習が完全にできてからやればよい。
教室では先生自身の声と、手や足をつかって教科書に取り組むべきだ。
教科書習熟の重要性がわからない人は一回自分が生徒になったつもりで学科について勉強してみたらどうだろう。
私は数十年生徒と一緒に教科書に取り組んできた経験でこういうのである。私がやっていた学習塾の生徒でも親にでも聞いてみたらよかろう。
だから、理科の実験とか、音楽や美術、体育などは別として、教室での授業で電子黒板だのテレビ学習だの何だの機械類は必要にないというのだ。
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コメント
昭和の時代の話しですか?今は 平成!いくら東洋町が田舎だからって 他市町村よりも 時代遅れの子供達にしてほしくないです。もし 理想の教育があるなら 町長を辞めて 塾を開いたらどうですか?ご自分の想いだけで 断るのは 周りの人達にとって本当によい事なんでしょうか?周りの声をもっと聞く事が大事だと思います。
投稿: 一般市民 | 2011年4月 8日 (金) 22時16分