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2010年10月 3日 (日)

検察庁

News & Letters/209

 検察庁の犯罪の一部が明るみに出てきた。
犯罪をでっち上げて成績をあげるという手法、難しい事件も難なく解決する手法。

 江戸時代の荻生徂来を思い出す。

 彼の著作「太平策」だったか「政談」だったか、こんな話があった。
昔、出石の国の役人から江戸に相談があった。

 ある村で殺しがあったが、犯人が分からない、どうしたらいいでしょうか。

荻生徂来氏の解答:

 簡単だ。こんな事でわざわざ江戸にまで相談に来るな。
村人の誰かがやったのだから、貧乏くじを引かせて誰かを犯人にすればよい。
 これが日本の伝統的な刑事政策であった。狭山事件から村木事件まで多くの冤罪はこうして作られた。

 検察庁では、今回のデータ改竄の事実を数人の検察官がこれを内部告発のようなものをした、これを幹部が握りつぶした、というのである。
犯人のいい訳もおもしろい。データの改竄をしておいて、誤って・・・・した。などという。

 私が殺したのではない、出刃包丁がやったのだ、というのと同列の弁解が通用するなら、この世に罪につく人は無くなるだろう。

 法律では、公務員は、犯罪を発見したら警察なり検察庁なりに告発する義務がある。
この場合、内部告発なども己の後々の身の証をする隠蔽工作(アリバイ工作)の一種に過ぎない。

 東洋町が作った核禁止条例では、公務員は、核の危険性が分かる情報については、直ちに行政各機関に報告すると共に町民に知らせる義務を規定している。隠してはならない、とまで規定している。

 下っ端のものでも、いやしくも検察官なら、犯罪を覚知したら、告発して国民に知らせるべきだ。

 告発しないことの懈怠は違法行為なのである。今回の事件では検察庁は、上から下まで違法行為に覆われている。

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コメント

今回の事件を特異な人格を持つ人物が起こした偶発的な出来事であるとはとても考えられない。

そのような違法行為をする人物を責任ある地位に就けていることから見ても、むしろ、検察活動において普通に行われていることだったのではないかと推察する。

村木さんなどはそれなりの力を持っていたので助かったが、無辜の弱者が重罪人にしたれられたことも星の数ほどあったにちがいなく、また、その裏返しとして極悪な真犯人を見逃し続けてきたのであろうと思われる。

くわばら、くわばら。

投稿: 摂政関白大アホ大臣 | 2010年10月 5日 (火) 23時40分

高知地検検察官の犯罪隠避の罪に関する、検察官適格審査会へ審査申立てしました。
http://blog.goo.ne.jp/costarica0012/e/b54a1c148accfe9caa0c8d63a438c726

高知県警白バイ事件で、高知地検が動いたようです。生徒のMさんから調書を取るそうです。担当副検事は調書偽造に関し、否認を続けているそう。こうした陰謀をやり遂げる人の特徴。検事正は関与しているのかどうかが問題 http://bit.ly/cnPLIB 

投稿: 山下 由佳 | 2010年11月 1日 (月) 21時00分

http://peaceful-ecovi-costarica.blogspot.com/2010/11/blog-post.html
日弁連への「人権救済申立書」への賛同署名を受け付けています。ご協力を!

現在、日本国においては、軽微な交通違反における現行犯逮捕が濫用されています。申立人は、警察官の職権濫用によるこの逮捕を違法として告訴し、2010年4月6日告訴状は受理され、捜査中です。
この警察による人権侵害を改革するため、日弁連人権救済委員会に人権救済申立を行うことにしました。
なお、賛同者となって頂ける方はcostarica0012@gmail.comにて受け付けます。年齢国籍等は関係なく、誰でも、住所・氏名・連絡先のみで賛同者となれますが、肩書き、氏名の公表の有無、肩書きの公表の有無等を併記していただけるとありがたいです。公表の有無について記載がない場合は、「無」として取り扱います。

氏名情報、(ご記入いただいた場合)肩書き情報は日本弁護士連合会の方に提出されますが、県警等に提供されることはありません。送付元メールアドレスに、情報を送付する場合がありますので、拒否される場合、連絡受け取り拒否を明記してください。

締め切りは12月12日です。

道路交通法の国際法比較 (平成5年犯罪白書に研究論文あり)

ドイツでは、軽微な交通違反は、犯罪とはならず、「秩序違反法」で規定される。秩序違反は不法性の程度が、一般的に軽微であることから、無料の注意(警告)500円からの過料という段階規定であり、これならば、市民と警察官との間に紛争は起こらない。ドイツ同様に、日本の道交法の立法改正が必要である。

徒然憲法草子 ~生かす法の精神~
軽微な交通違反の「現行犯逮捕の違法化」と「警告制度」設立に向けて
(1)ドイツとの比較法学
ドイツは、1968年、交通違反の多くを刑法の「犯罪」の概念から除外した。単なる交通違反にとどまり、他人の身体、生命、財産といった法益に対して具体的な危険を生じさせなかった行為は、酒酔い運転や無免許運転等の少数の例外を除いて、犯罪とはならず、「秩序違反法」による警告から過料までの行政処分扱いとした。秩序違反は、不法性の程度が一般的に軽微であることから、ドイツでは、強制処分には法律上の制約があり、例えば、仮逮捕や勾留は一切認められていない(46条3項)。つまり、軽微な交通違反での警察官の逮捕、勾留こそ「犯罪行為」となる。

ところが、日本では、軽微な違反でも警察官が犯罪を現認したのだからと、異議を申し立て争う市民を現行犯逮捕する。高知県警の情報公開資料「交通反則行為に係る現行犯逮捕一覧表」によると、逮捕件数は平成20年が28件、19年が39件、18年が40件、17年が70件だ。これは、刑罰が必要な他人の身体、生命、財産に対する具体的な危険性を生じる行為においての逮捕ではない。その内訳は、昨年平成20年度の28件の内、一時停止12件、踏切1件、転回1件、通行禁止3件、信号点滅1件、信号無視3件、速度7件が実態なのである。

交通違反者の多くは、免許を携帯しており、証拠隠滅の虞も逃亡の虞も皆無に等しい。車両ナンバーからも住所氏名はすぐに明らかになる。強制的な逮捕という手続きをとらなくても任意同行で十分な状況のはずである。ところが、そのようなケースであっても警察官は権力を振りかざし、市民の正当な反論を反逆行為と捉え、私憤から現行犯逮捕する。この公権力の濫用の実態に関して、刑事政策上、人権との比較考量を再考する必要があるのではないだろうか

(2)国家のための人間か、人間のための国家

高知県警の警察官には、反則金のノルマがかせられているかのようで、車の通りのない道路の赤色点滅付近で、夜間にライトも点けずに、待ち伏せしてまで、市民をカモにするケースを私は体験した。赤色点滅や一時停止や転回などの警告や注意で十分な事案においてまでも、道路交通法の本旨を無視して強制措置をとる。警察官の成績のためだけの不必要な取締りで、市民生活を侵害して平気なのである。市民が警察官と違反の指摘を争うのは、公益侵害や害悪の程度と公権力の行使(反則金の相当額等)との比較考量において、公正性に納得がいかないからであり、ここに紛争の火種が存在している。

さて、ドイツには、軽微な秩序違反行為には3段階の警告制度があり、Ⅰ「金銭支払を伴わない警告」、Ⅱ「500円程~7500円位の警告金」、Ⅲ「警告金に従わない場合や適用外に過料」。その他が刑法の領域であり、危害や公益侵害の程度に応じた、公権力の行使の在り様に関して、相当な段階を設けている。このような、細かい配慮がなければ、交通災害を防止する人間の安全保障体制の構築にはつながらないだろう。この警告制度は、予防にも効果を及ぼしている。なによりも、これらの正義と公正から逸脱した現状の放置は、警察官と市民との信頼関係を崩壊させ、無用な紛争を引き起こしているのだ。そもそも軽微な交通違反での現行犯逮捕には正当性はない。市民を犯罪者扱いするに値する法的根拠、この逮捕行為、公権力の行使には憲法法体系による要請も理由はなく、憲法違反状態の法律体系を放置しているのである。

ドイツは、基本法第一条「人間の尊厳は不可侵である。それを保障し、擁護することは、全ての国家機関の責務である」との「人間の尊厳規範」を遵守し、市民の自由や幸福追求権を奪い、生活を侵害するような国家機関の横暴は許さない制度設計がなされている。この国際人権規約に則った法理念は、世界人権宣言を批准している日本国においても尊重するに値するので、軽微な交通違反は、ドイツや諸外国の規範に倣い、早急に、日本でも非犯罪化し、警告制度を設立する必要があるのではないだろうか。

警察庁のホームページで公開する逮捕件数の統計は、交通違反を除く司法犯罪のみである。日本社会の実態把握からも見落とされている、この軽微な交通違反における「現行犯逮捕の濫用」に関して、憲法学者や公法学者、政治家や政府のご見解を伺いたい。

著書『初めてよむ世界人権宣言』で、國弘正雄氏は「公法学者としても高名なヘルツォ-ク独大統領が、国の民主化が人権を実現すると説き、自称民主国家が人権を実現できぬのは、旧体制の遺物か一般国民の意識の低さの故と断じている」ことを紹介している。

平和学者のガルツゥングは「国家のための人間か、人間のための国家か、どっちなんだ」と国家機関の責任者と向き合って、民主度を測る正義の女神の天秤を示した。

憲法第99条は、国家の責任者にどう要請しているのか。これを放置している今の日本は果たして、民主国家に相応しい人権制度設計が行き届いた社会だと言えるのだろうか。
この人間の尊厳規範の侵犯の歴史に終止符を打つために、修復的正義の実現によって、早急にしかるべき立法措置、並びに刑事政策的解決を図って頂けるよう要望申し上げる。

* 参照:平成五年「犯罪白書」
「各国の状況 ドイツ」より

投稿: 山下 由佳 | 2010年11月22日 (月) 15時42分

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