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2010年9月16日 (木)

狭山事件について

News & Letters/207

各位

狭山事件に関心を持たれていることに敬意を表しますl。
狭山事件に青春をかけた私から一言申し上げます。
作家佐木隆三さんの事件の要約で、でっち上げの対象になった人の特徴として
「貧困な家庭の知能低俗の青年」をあげております。これが熊谷事件との共通点だとのことです。

果たしてそうでしょうか。狭山事件の石川一雄さんは確かに貧困な家庭の生まれですが、「知能低俗の青年」であったといえるでしょうか。警察がそういう風に取り扱ったことは確かでしょう。また、石川さんが、義務教育もろくに受けず低学力であったこともその通りです。しかし、低学力と「知能低俗」とは違う概念です。

そのことは石川さんが長い獄中生活で自ら学習した力を見れば明らかです。はじめに頑強に否認していた石川さんが何故「自白」に至ったのか、これについていろいろ間違った解説がありますが、石川さんや同和地区に対する偏見が払拭されていません。あたかも同和地区の者は権力に迎合しやすいかのごとき差別的解説がなされてきました。もってのほかです。

狭山事件で石川さんにかけられた攻撃の主内容は、物証ではなく石川さんに対する個人攻撃=貧しい家に生まれた悪逆非道な人間という所に集中しています。権力があげた物証の数々の矛盾は全く公判を維持できないほどですが、それをカバーするために権力は、もっぱら悪虐な犯人像を作り上げ、それを同和地区の人間に押着せたのです。

石川一雄さんは全く普通の農村の青年でした。弱い者をいじめたり婦女を犯したりするような人間ではありません。彼が生まれたところが被差別部落であった。それ故に、差別心旺盛な権力にねらわれたのです。

事件の主体に祭り上げられた人間についての予断や偏見は、事件をでっち上げた権力の意図にはまってしまいます。

一部を除いて佐木隆三のみならず、多くの知識人達(狭山弁護団も含む)が、狭山事件に関わりましたが、部落民像について正しい認識をしている者はごく少数です。民衆の一部を「知能低俗」などという考え方は、驕る権力者の固有の性格です。
そういう感性を払拭することが、狭山闘争に参加する意義です。

狭山事件については、私のブログに論文「権力は踊る」を載せてありますので是非ご一読下さい。

  参考ブログ記事 「権力は踊る」 

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コメント

論文を読みました。怒りと情けなさがこみ上げてきました。

高知で罪無き運転手さんが多くの証言にもかかわらず白バイの事故の犯人に仕立て上げられた事件を思い出し、同時に犯罪的な司法権力と同様な論理で差別意識をあおりまくる日共の差別宣伝を思い出しました。

裁判官を神様、裁判を神聖と思い込むどころか、今回の「菅ー小沢」対決で見られたように、検察官までも無条件に正義と信じきっている大衆は永劫に目覚めることはないのでしょうか。

投稿: アホの小路アホ丸 | 2010年9月17日 (金) 01時01分

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