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2010年8月30日 (月)

第3セクター

News & Letters/202

  激しい夏が終わろうとしています。ブログを書くのも久しぶりです。
第三セクターリボルト社の支援活動に忙殺されました。

朝晩の釜たき、ホテルのシーツなどの洗濯、部屋の掃除メーク、皿洗い・・・、
めまぐるしい肉体労働、そして公務。体重は5キロ以上減量。ずぼんのバンドの穴2つ分腹がへっこみました。盆の3日間が最高のピーク。山のような洗濯物を1人で処理したため、左手首が炎症のため腫れ上がりました。今も少し腫れたままです。夜は氷で冷やしています。

よく第三セクターが赤字だ、つぶれた、残った債務はどうする、など議会や新聞で騒いでいますが、その場合出資者ら関係者がどのくらいその事業に力を入れたか、誰かに任せっきりではなかったのか、その点が少しも問題にされていない。

まかせるにしても、常にそばに行って点検をしなければならないし、出来るだけの支援・声援をしなければならない。

自分が出した金のように、市町村が出資した場合でも、金を出しっぱなしでどうでもせえや、ではいけないのである。
公金が生きるように出資側も真剣に事業に参加しなければならない。

まして、町長や職員が第三セクターに関わること、それを支援することを議会内外で非難しようと構えている人がいるが、一体どういう感覚なのであろうか。

外から企業を誘致することが困難な過疎の地域で、その産業基盤を強化するために導入し設立した第三セクターを死守すること、これは公務の延長であり、最も大事な公務の1つである。

釜で湯を炊くことによってガス代が半分に節約され、地元の学生アルバイトを雇って洗濯を自ら手洗いをすることによって毎月数十万円の節約が可能となった。徳島市内の洗濯業者に年間巨額の金を払うよりも自力で処理することの利益を教訓として残した。西の方の市でホテル経営が赤字だという新聞記事が大きく載っていたが、確かにホテル経営は厳しい。収益が上がらない反面、経費が大きい。だから、経費を削減することが最も肝心なのである。洗濯などを外注していたのでは、採算が取れない。

      澤山保太郎はもう入らない、か。

昼行灯と呼ばれた播州赤穂の城代家老大石義雄。
しかし、いざというとき主君の仇を討って歴史にその名を残した。
大石義雄は、普段は無役であった。太平が続いた時代においては城代家老は仕事はない。 平和なときには、何もしないで良いのである。いざ鎌倉と言うときに軍隊を率いて戦闘を指揮し、領地と城を守る。 江戸時代ではそれで良かった。

しかし、3000人少しの小さな市町村では、その首長はそういうわけにはいかない。
昼も夜も四六時中働かねばならない。その労働も、単にデスクワークであってはならないのである。

  確か、出典は定かではない。諸葛孔明を評した中国の古文に「出でては将、入りては相」(いでてはしょう、いりてはしょう)という言葉があった。

ふるさとや祖国の危機にあっては将軍となって軍隊を率いて戦野で闘い、平時には宮廷で宰相として国民の福祉のために働くという意味である。

私は高校生の時には、この漢文を愛読し、常に朗読しては「出でては将、入りては相」を男子としての理想像としてきた。

最近、人が言うのには、澤山保太郎は核騒動など戦時のときに必要な人間であった、平時においてはもういらないとのこと。

核騒動の戦時においては怖じ気づいて隠れていた連中が、戦後、利権屋どもを引き連れてのこのこと現れて、平時の安楽をむさぼろうというのであろうか。しかし、出でても、入りても、困難は同じである。

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