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2010年6月

2010年6月26日 (土)

奇妙な判決

News & Letters/196

6月27日の高知新聞によると、高知地裁安芸支部で名誉毀損損害請求事件で奇妙な判決が出たようだ。
これは一昨年町議リコールで追求された田島毅三夫が、リコールは名誉毀損だと言うことで訴えた民事事件である。
こんな事案を裁判で取り上げると言うこともどうかと思うが、一部その請求が認められたと言うから驚きだ。

6人の住民に総額30万円払えという不当判決である。
住民と一緒に私も訴えられていたが、判決では「関与の証拠がない」とかで無罪となった。
別にリコールに関与していても違法だといわれる筋合いはないが、判決文を早くみたいものだ。

新聞報道によると、損害賠償が認められた一部というのは、税の滞納についての「分納」制度の問題であるようだ。
ある町会議員(当時町の監査委員)が長年税を滞納していて、それが問題となった。その町会議員を問題にしていたのは実は
田島毅三夫議員であったが、田島毅三夫は新町政になってから、やおらその滞納町議を擁護しだしたのである。
町議は非を認め全額支払い、監査委員も辞めた。しかし、田島毅三夫は自己一流の主張をやめない。

いわく、町には滞納について「分納」制度がある、その滞納していた町議は少しずつ分納していたから問題はない、というのである。平成20年3月に田島毅三夫について町民からリコール請求があったが、その理由の中に、この税の分納問題も入っていた。住民は、税金の分納制は法律上存在しない、そんな分納制を認めたら税金はまともに集まらない、みんなが分納を申し出るようになる、そんな主張をする町議は不届きであり、リコールしようということで立ち上がった。

田島毅三夫へのリコールの理由は外にもあり、核廃棄物の埋設施設を東洋町に導入し、国からの核交付金で町を発展させようと主張したことも追求されていた。
地裁安芸支部の判決では、分納制度は町に存在した可能性があり、住民の主張は町議田島毅三夫の評価を貶めることになるから、賠償する義務があるという、とんでもないものであった。

たしかに、東洋町役場では、事実上「分納」制度が存在していた。しかし、それは、正規の法的根拠があり、適法な手続があったわけではない。それは、代々の税務課長ら執行部が滞納者から少しでも税金をおさめてもらおうとして仕方なく認めてきたものである。証拠の書類は滞納者からの「分納誓約書」なるものが存在している。この分納誓約書は、しかし、町が分納でも構わないというものではなく、滞納者が今は一括して支払えないから税金を分割して納めるという一方的な約束をしてきたものであり、
民法上は債務確認書のような代物に過ぎない。

地方税法上「分納」が認められるのは、災害などの被害者が1年か2年間ぐらいの期間に税金を分割して支払っても良いという特別な規定であって、納期を破って、税や滞納を分割して納めてもよいという法律は何も存在していない、また、首長にも担当課長にもそのようなことを許す裁量権はあり得ない。

今回の判決で分納制を何か正当な制度のように判断しているが、もってのほかであり、税法という国法をないがしろにするものである。仮に町に分納制度があったとしても、それは違法であり、違法行為を揚言して止まない町議が町民から批判を食らうのは当然である。

地方税法をないがしろにし、滞納議員を擁護する議員を、かばい立てする判決が、高裁や最高裁で通用するであろうか。高知地裁の東の端の安芸支部という小さな裁判所も、れっきとした裁判所である。幼稚な判決文で世の秩序を紊乱させるべきではない。

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2010年6月11日 (金)

核の抑止力

News & Letters/195

社民党系と思われる週刊誌「週刊金曜日」を愛読している。
いろいろな分野で教えられることが多いし、貴重な資料として活用している。
しかし、何か論調に物足りないものを感じる。

中でも安全保障の問題では堂かなあと思うものがある。
例えば、2010年の6月4日(801号)の「日米安保条約をめぐる4つのウソ」の4氏の小論であるが、いずれも核の抑止力や核の傘を主要テーマにし、抑止力理論を批判しているが、不十分であると思う。

第1氏の論文:『重大なのは日本が「攻める」危険性』という見出しで「・・・もし攻められたら」と夢想するよりも「もし攻めてしまったら」というリアリティに敏感であるべきです。という。

確かに現実はその通りであるが、問題のテーマは日米安保条約をかざしてその「リアリティ」を現実に推進している核の抑止力理論をどうするのか、という論点がはぐらかされている。日米帝国主義の現実の分析がテーマではないのである。

第2氏:『軍事力の対朝圧倒優位では意味をなさない』の見出しで
「北朝鮮には日本に届く核ミサイルがあり、金正日は何をするか分からない」というのです。でも、そんなことをしたら次の瞬間、米国はそれを格好の口実にして、圧倒的な軍事力で朝鮮をたたきつぶします。」といい、さらに
「・・・戦争を仕掛けられるのを恐れているのは朝鮮です。(だから、かつて米国がソ連にしたように、核ミサイルで身構えているのです。)」という。何のこっちゃ、これは抑止力理論そのものです。

第3氏:『戦争する意図も能力も必要ない』という見出しの論文で、「朝鮮の空軍力は機能しません。・・・・だからこそ朝鮮は核やミサイルに特化して「ばかにするなよ」というメッセージを出すわけです。軍事力の比較をして弱国が非力を補うために核武装している現実を描いている。北朝鮮の核の抑止力をバカにはしているが、日本の北朝鮮を相手にしての核武装を止める論理にはなっていない。

第4氏:『抑止力の概念の援用に問題あり』という見出し。「海兵隊は、先制攻撃・敵前強襲を専門とする水陸両用の殴り込み部隊なのです。」だから抑止力というのは間違いだという。どうして間違いなのでしょうか。日米安保条約を支持する手合いは全てこのようなすごい海兵隊の攻撃性をこそ評価し、抑止力として必要だと考えているのである。海兵隊の本性的威力を説明するだけでは抑止力理論を批判したことにはならない。

かくて、週刊金曜日の掲載した4氏の小論文はすべて帝国主義者どものパワーポリティックスの理論であり、核や海兵隊の抑止力を肯定した理論でしかない。

1、原発・原爆は軍事的にも経済的にも何も人類に有益なものを提供しない。それを使用しなくても製造するだけで、他国民だけではなくむしろ自国民の廃滅をもたらすものである。放射能漏れを防げないし、いつの日か大事故が必ず起こる。

2、核爆弾は使うことは出来ない。使ったら「敵国」だけではなく自国民や関係ない他国民までをも攻撃することになる。放射能には国境はない。地球を駆けめぐる。

3、核兵器や原発など核施設を持つだけで、その国は一切の戦争行為は出来ない。
すでに核施設を多量に保有している日本は、武器を持って対峙する政治的行為も出来ない。核施設は通常兵器で攻撃しうるし、自爆行為で破壊することも出来る。核兵器はともかく原発は余り人里に離れていては意味がないから、市民的姿での破壊活動を防止できない。

 我々は、社民的体質を克服しなければならない。
沖縄にも本土にも米軍は要らないのである。無益であるばかりか危険だ。勿論日本が核武装をする必要性は全くない。
日本人は、そんな金があれば、先の侵略戦争で被害を与えたアジア諸国の人々に損害賠償をしなければならない。

国家予算を傾けるわけにも行かないがこれから100年計画で払うべきものは払わねばならない。
抑止力じゃなんじゃといえるのは血の負債(血債)をはらってからのことであり、そのようなことをしている国を攻めてくる国はないであろう。

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2010年6月 5日 (土)

不祥事件

News & Letters/194

すでに5月31日の東洋町臨時議会で公表したとおり、東洋町社会福祉協議会(社協)で公金横領の事件が起こった。東洋町は社協に対し、デイサービスの事業を委託していた。

この事業は新町政になって復活させたものである。前町政では、福祉事業は赤字だ、という理由でほとんど全ての福祉事業が廃止されていた。
デイサービスも廃止され、豪華な福祉センターは閑古鳥が鳴いて機器類がさび始めていた。

平成20年度、21年度のデイサービスではお年寄りは1回につき1000円払っていたものを、そのうち500円は商品券でバックしてあげることにした。実質半額にした。
22年度からは、1000円の支払いに対して1000円の商品券をバックし実質無料に切り替えた。

お年寄りのデイサービスは全国的に行われているが、実質半額とか無償にしているのは東洋町だけだ。お年寄りには大好評である。

東洋町としての責任は2点ある。

1、1つは、社協のずさんな事務体制について指導できなかったという団体に対する町の監督責任。

、2つ目は、毎回納入されるべき金を事業実績(お年寄りの人数など)と照合して確認せず、漫然と横領事件を起こすに任せていた事務執行の直接責任である。少なくとも毎月照合作業をして、入るべき収入を確保すべきであった。

商品券は渡すが、いずれにしても毎回1人1000円の現金は、社協が収納する。収納された現金は東洋町の会計に入れることになっていた。
この現金を平成20年度は40数万円、21年度は2百数十万円、22年度は4月5月分50万円ほどが全額横領されていた。

横領した社協嘱託職員が悪いのは言うまでもない。だが、問題なのは社協の事務遂行の姿勢である。非常勤の会長はともかく事務局長がこのデイサービス事業になんにもタッチしていなかった。

社協の事業全体でもデイサービスは最も中心的な事業である。社協の拠点である福祉センターはこの事業のため週4日は占領される。社協にはこの事業の日々の成果、金銭徴収や納入の事実についてパソコンに入力した記録がない。事務局長が毎日の金の流れを把握せず、月々の締めもせず、年度末の決算もしていない。

すべて嘱託職員に任せっきりであったとしか思われない。
これではお年寄りからもらった金はその嘱託職員に自由にせえというに等しいのである。

社協会長と事務局長は町長に報告と謝りにきたし、また報告書も提出してきた。しかし、それらには横領者の行為について経緯が語られ又綴られるのみで、この事業を遂行する団体の執行責任が1つも語られていないのであった。監督不十分でした、などというが、社協役員や事務局長は監督責任ではなく、執行責任があるのである。

例の高知新聞の報道によると、社協の談話として「複数で入金を確認、抜き打ち調査するなど再発防止に努める」などといっているという。驚くべきだ。自分の毎日の仕事を抜き打ちに調査するというのか。それともこの事業を町から請けて、嘱託職員とパートの女性に丸投げ委託でもしていたというのか。

それにしてもこのデイサービスは事務局長のデスクから数メートルから数十メートルのほんの息のかかる距離内でしきりのない同じホールで行われており、集まるお年寄りの数も毎回20名前後にすぎない。職員の声も、お年寄りの声もよく聞こえる。「抜き打ち調査」など大げさなことを言うほどのことではない。抜き打ち調査などというのは、自分の仕事を放擲し、無関心であったということだ。

この間の事実は、社協は当事者として能力がなかったし、当事者としての責任観念もないということを露呈した。町としては委託契約を見直し、町が責任をもって事業を遂行しなければなるまいと思っている。

町の職員(町長も含む)もこの事件でそのずさんな事務が露呈した。
担当職員が当然日々の料金の支払いをその実績と照合して確認し、その金額の納入を確保しなければならない。当然それら記録はパソコンに入力し、社協と町で同一のデータとして保存されねばならなかった。

その上司、課長補佐も課長も、そして町長もこの担当職員の記録を点検し、実績全体の推移を見守っていなければならなかった。
そして、会計管理室も、ただ入金を記録すればいいのではなく、その入金の根拠と年度当初の予算調定額とを照合し、足らざる金について質問したり督促するなり・・・・、は出来なかったのか。

町長としてはむろん日々の職員のデータ管理の実体を把握することは困難であるが、少なくとも管理職にその点検を怠るなと指示できたはずであった。
町の結論。
委託事業に対する監督体制を強化し、自己の収納事務の厳格化が必要である。

県下の多くの社協について組織的に問題があり、福祉法人(社団法人)なのに会員がいない、従って正規の総会もない、会員や総会がないのに「選出」された理事などの役員が存在して運営されている。以前「総会」だというので呼ばれていったが、理事と評議員たちの役員の「総会」だった。理事は誰が決めたのかというと、評議員が決めた、という。評議員は誰が決めたのやというと、理事が決めたのだという。こんな事が平然と行われてきた。

私は口を酸っぱくして法律に定められているような会員制を布いて民主的な組織にするように促してきた。しかし、福祉法人は私の直接の指揮監督下にあるわけではないから、事態は少しも改まらない。私が町には監督責任があるといってきたが、それは事務の調査程度のことで強いものではない。正確には福祉法人については国や県が監督官庁である。
福祉関係団体を不祥事件の温床にせず、監督官庁である県庁が福祉団体へ法令遵守、民主的運営の指導を強化すべきである。

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2010年6月 1日 (火)

核の抑止力

News & Letters/193

沖縄の普天間基地の問題は、結局日米安保同盟のもと、アメリカの核の傘に覆われた日本の安全保障の論理が問題である。核の抑止力理論である。この理論は死の商人とそれと結ばれた政治家軍人どもの編み出したものだ。

この抑止力理論の前には、民主党などは一ころもないのは勿論、社民党もその社民的体質からこの抑止力論から脱却できるはずがない。
「社民的体質」というのは、社会主義的ポーズをとってはいるが、その本質は帝国主義に迎合する本性をもっている、ということだ。

武力と武力、力と力の均衡で国を守るというのは孫子の兵法以来の話だ。
しかし、その論法はもう通用しない。
通常兵器での力の均衡論はそれなりに有効であった。しかし、力の均衡は報復行為可能性を前提とする。

、ところで、北朝鮮の潜水艦から発射した魚雷で韓国の艦船が撃沈された事件でわかるとおり、通常兵器で誰がやったか分からないような攻撃が可能である。日本海側の原発や日本の核施設など重要施設に対して潜水艦から核兵器とは言わず通常兵器の攻撃があった場合でも、攻撃してきた敵を確定することは難しい。

報復する相手が分からないでは、抑止力は働かない。ロシアか、北朝鮮か、中国か、アメリカか、その他の国か、まるで見当がつかない攻撃があり得るし、「敵」はそうするだろう。適当に目星をつけて反撃するというわけにはいかない。

どのように恐ろしげな武器を持っていても誰にやられたか分からない相手と戦争するわけにはいかないのである。振り上げた拳が如何に巨大な威力があっても振り下ろす先がない。

、そうして、通常兵器でも、原発など核施設を攻撃すれば日本列島に人が住めなくなるような大被害を与えうる。原発を持つと言うことで、核による均衡どころか核を持たない「敵」に対しても決定的に劣勢になっている。今の日本の置かれている軍事状況を回復するいかなる武器もあり得ない。

日本は「敵」が平地に立ってかまえているのに、いわば累卵の上に立って剣を構えているのと同じであり、少しでも動いたり脅かしの声を出すだけでひっくり返るであろう。

原発。巨大な核爆弾。これを持つと言うことはいかなる敵もつくってはならないし、いかなる抑止力=報復力も稼働させることもできない弱みを持ったと言うことなのである。
抑止力を持つためには核施設をもってはならない、といおうとしているのではない。すでにおびただしいほどの核施設を持ってしまったし、全ての原発を中止してもどの施設も満杯状態の死の灰を抱えている以上どうしようもないのである。

原発など核施設を持つ日本は、核の抑止力などは幻想であり、幻想のために核兵器や原子炉など核燃料を増大させるのはナンセンスなのである。日本のブルジョワジーたちの巨大なえさを提供し続ける虚構に乗ってはならない。

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