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2010年5月20日 (木)

同窓会

News & Letters/191

公務のついでに大学の同窓会に顔を出した。
用談がいくつかあり2時間も遅れて出席したが、歓待してくれた。同窓会といっても同学年ではなく、同世代の反戦運動や学園闘争のお歴々のあつまりであった。半世紀近くの間隔があり、紅顔の美少年美少女たちも、あわれ、老いさらばえて見る影もないが、かすかに昔の名残の面影があった。

口舌の方は依然として活発であった。
昔のあこがれた片恋の人に会わなかったのは、むしろ幸運であろう。美しくはつらつとした姿はそのまま胸にしまっておきたい。

賤(しず)や賤、
  しずの緒だまき 繰り返し
    昔を今に 
       返すよしもがな  (静御前)
懐旧の念に胸が熱くなり、みんなで肩を組んでインタナショナルの歌を歌うときは目頭が熱くなった。

活動からは離れていても、ほとんどの者が、昔抱いた思想は思い出と共にしっかりと心に残しているようであった。

会席では、私は度々発言の機会があった。
昔、世界革命や日本帝国主義打倒など太いことを言って多くの年下の学友を惑わしたものである。

さしずめ、日本プロレタリア革命の革命評議会の議長と名乗りたかったところであるが、いかんせん今の私は、新国劇の島田正吾ではないが、
「しがねぇ姿の土俵入り」というところで勘弁してもらいたい。今の仕事が私の横綱土俵入りなのである。

この会合で、私はますます原点に返り、純真な自分を取り戻した感じがした。
純乎として純なる革命的パトスを注入された。
私の愛唱歌「イタリアパルチザンの歌」を教えてくれた山陰の男も来ていた。

ある朝 目覚めて
  さらば さらば 
      恋人よ
目覚めて われは見ぬ
   攻め入る敵を

われをも 連れ行け
  さらば さらば
     恋人よ
連れ行け パルチザンよ
     やがて死す身を

いくさに 果てなば
   さらば さらば
      恋人よ
いくさに 果てなば
     山に埋めてや

埋めてや かの山に
    さらば さらば
       恋人よ
 埋めてや かの山に
    花咲く下に
 
道行く 人々
    さらば さらば
     恋人よ
道行く 人々
    その花愛(め)ぜん

すでに痛ましくも亡くなった人への哀惜の念とその面影が余韻のように響き、たゆたっている。

星霜は移り去り、昔を今に返すよすがもない。
私は、マルクス主義者として生き続け、人民解放の闘いの中で生涯を終える覚悟である。

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