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2009年11月24日 (火)

町長の仕事

News & Letters/153

リ・ボルト社への出資者の中には、「町長は、役場の仕事をしておればよい、事業に関わるべきではない」、等といって、会社の経営権を握ろうという手合いが現れたようだ。会社はもうつぶれかかっているなど悪宣伝に余念がない。
その連中に近い人の話では、総会屋的な意図で、リ・ボルト社で「大もうけをする」といっていたという。

現在の日本の行政の実態を知らないようだ。否、日本の行政府の歴史を知らないのであろう。
一般には意外なことと受け止められることであるが、日本の官僚ら公務員の数は、欧米諸国の中では極めて少ない。半分以下ではないか。雇用者全体に占める割合でも、GDP全体の賃金が占める比率でも最低の数値に位置している。この少ない役人の数で、膨大な行政を遂行しているのは立派なものと言わねばなるまい。そのやり方は、官庁外に無数の外郭団体や補助金団体の樹状を張り巡らし、それら民間、半民間の団体を無数の規則や行政指導で動かしてきたのである。日本の役人は、その行政機構を通じて欧米に追いつけ追い越せの動因で経済行政をどんどんやってきたのである。このような能動的な役人軍団は世界的にいって日本だけであろう。

天下りなどそれについての毀誉褒貶はいろいろあるであろう。しかし、日本という国家は、明治以来そのような官僚や公務員によって成り立ってきたのである。それは、今、動脈硬化を起こして腐朽しつつあるあることは否めず、確かに歴史的な使命を終えようとはしているが、それに替わる政治形態は未だ出ていない。

民主党が如何に政治主導といっても政官業の癒着体制は容易に崩れない。しかし、それを非難するだけで能事終われり、というわけにはいかない。それに代替する政治機構を構築しなければならない。

それとは趣が少し違うが、地方では行政が主導して福祉や産業を推進するというシステムは社会を存続させる上で不可欠なものである。少子高齢化、過疎などで民力が著しく衰えている東洋町などでは、底力のあるのは行政機関だけである。そこが踏ん張らなければ、誰が社会を担当できるだろう。市町村役場が、その首長から職員らが鍬やかまをもって野や山に出かけ、海や川に入って産業を興し、雇用の場を開拓しないで誰がする。

祭も災害出動も公務員はその先頭に立たねばならない。それが何時の時代でも本来の公務員の姿だ。
そういうことで私は朝出勤前に出勤し、会社の用務員のような仕事で一汗かき、そうして役場で仕事をし、夕方はまた、会社の用務をこなしている。

それは薪釜で芋を煮たり、おにぎりを作ったり、洗濯をしたり、便所の消毒をしたり、「海の駅」で皿洗い・・・などの雑用である。産業復興とはこういう仕事のことを言うのであって机の上で計画を作ったり文書を作ったりすることではない。
かくて、「海の駅」はおかげで4ヶ月余りを残して悠々と7千数百万円台を越えている。

新しいホテルもオフシーズンではあるが、購入してから2ヶ月あまり、月々黒字が続いている。
首長が汗を流して住民と一緒に働くことが地域復興の要諦である。

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