教育機器
News & Letters/128
県教委のエライさんが来町して、東洋町にくれる今度の政府からの臨時交付金の一部で教室で使うテレビ画像機器を買えということでありました。
私は断りました。有害無益であるというのが私の理由です。
教育は、人と人の人格的交流が基本であり、教科書が最大の材料である、教科書も満足に理解できない、習熟できない状況では機械類を入れても何の役にも立たない。
一番良い例が、例えば今の中学三年生で1年生の教科書を満足に声を出して読める生徒が教室の中に何人いるのか、少なくとも3分の1以上のものは読めない。2年生の教科書になると半分以上が読めないだろう。3年生の現に勉強中の教科書に到っては満足に読める子供は数少ないだろう。
字が読めないのに、どうやって勉強するのか。
学校では少なくとも字が読めるようにしてもらいたいのだ。教室では、先生と生徒が一緒になって何度も何度も教科書を読んでいるという光景が必要なのである。生徒の学力のテストで一番大事なのは、教科書が読めるのか、ということなのである。
読めない単語をどうやって覚えられる?
読めるようにしてやれば生徒は何とか自力で勉強が出来るだろう。
先生が如何に上手に解説したり、板書に書いたり、テレビ画像を駆使しても、それは先生の能力アップにつながるけれども、見ているだけの生徒の力にはならない、それどころかむしろ、アホになっていくであろう。先生が詳しく教えれば教えれほど生徒は自分で想像する力さえも失い、物事を理解しようという努力もしなくなっていくあろう。
生徒には先生が見ていてやるから自分でやってみろ、出来ないことがあればいつでも助けてやる、という教育方法をとるべきなのだ。
教科書を繰り返し繰り返し習熟させろ。
生徒には、学問の骨格を形成させねばならない。
それが教科書なのである。数学の最初の1ページから最後の章末問題まで数回以上全問解かせろ。
問題を見たとたんに解答の数式が浮かんでくるというほどに鍛錬を繰り返させることが肝要なのだ。
自家薬籠中のもの、という言葉がある。
教科書を自家薬籠中のものにすれば、応用は自在であり、後々進学し、学問をしても一生役に立つであろう。先生と教科書があれば、学校は寺子屋方式で十分だ。先生の人格の熱い息吹を生徒の体に吹きかけてやれ。それが教育というものだ。
だから、高い銭をかけて教育機器を買う必要はないし、県教委が何十年もやっている違法なCRT業者テストにも東洋町は参加させないのである。
県教委の教育次長さん、気を悪くしないで、私の意見をよく反芻してからまた東洋町においで下さい。
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コメント
昨日はお忙しい中お話を聞かせていただきありがとうございました。
私のブログで勝手なことを書かせていただきました。失礼がありましたらご容赦下さいませ。
投稿: 明月社・山岸飛鳥 | 2009年6月24日 (水) 04時37分