« 佐賀の江藤新平 | トップページ | 町長の立場 »

2009年5月30日 (土)

江藤新平の墓参

Etoushinpeibosan

News &Letters/126

 2009年5月23日、東洋町民としておそらく初めて江藤新平の墓にお参りをしました。私はすでに5月20日に訪れていました。

1874年3月に不幸な出会いをしてから130有余年の星霜が移り、人は代わり時代は変わりましたが、江藤新平の怨念は未だに土佐の国甲浦にたゆたっていたのでした。

明治7年3月のあの事件より甲浦の人々の間では、この町から絶えて人傑は出ないであろう、と自縛的な観念を抱き続けてきたのでした。いそのかみの明治の事件の重しはそれほどまでに野根や甲浦の人々の胸を圧してきたのでした。

町長と町の婦人5人は墓前で跪き、過ぎし日のことを謝罪しました。私たちの心は少し晴れてきました。私たち東洋町民は、一昨年金権を振りかざした国家権力対決し高レベル放射性廃棄物を拒絶しました。この闘いの勝利より私たちは江藤新平に大きく近づいてきたのでした。

私たちが訪れたその日は、ちょうど、プルサーマルの燃料が玄海町の原発に運び込まれた忌むべき非でした。私たちは駆けつけましたが、少し遅れてしまいました。それでも玄海原発へ行ってきました。
そして、一晩泊まって朝早く起きてあちこちと太田県議、鶴田先生、プルサーマル反対の石丸さんご夫婦の案内で佐賀で江藤新平の足跡を尋ねたのでした。

幽冥はるかに隔つとも、私たちの心と江藤新平の心が繋がったと思います。
江藤新平の怨念を鎮め江藤新平が目指した人民の権利の確立のために私たちは前進しなければなりません。
今佐賀は明治7年の内戦よりも、もっと深刻な危機的状況に置かれています。

九州の焦点は、衆院選挙でも経済危機でもありません。佐賀の危機は、玄海の原発であり、プルサーマルです。それはすでに四国伊方に、そしてやがて東海の浜松に、日本列島を冥界の火の連環で貫こうとしています。今、我々は地獄の門の前に立っているのです。

お詫びするだけではなく、私たちは、江藤新平の霊魂が佐賀の人々や我々の行く手を守ってくれるようお祈りしました。

|

« 佐賀の江藤新平 | トップページ | 町長の立場 »

佐賀との交流」カテゴリの記事

歴史観・世界観」カテゴリの記事

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/408473/29860598

この記事へのトラックバック一覧です: 江藤新平の墓参:

« 佐賀の江藤新平 | トップページ | 町長の立場 »