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2009年1月

2009年1月31日 (土)

オバマ大統領

ews & Letters/154

オバマ大統領のアメリカがいよいよ本格的に稼働し出しました。いろいろな点で期待できる面がある一方、大きな限界もあるようです。しかし、ブッシュ前大統領よりは相当ましではないかと思われる。

内政、特に雇用や環境問題に重心を移しつつあり、その点では前政権の無為無策とは全く違っている。
大統領就任演説を読んで見たがアメリカの常識派という程度のものだ。世界をどうかするというようなものではない。オバマは原発推進派である。

私として最も印象に残った演説の文章は次の箇所である。

Our challenges may be new. The instruments with which we meet them may
be new.But those values upon which our success depends -hard wodk and
honesty ,courage and fair play,tolerance and curiosity,loyalty and
patoriotism -these things are old.These things are true.They have been the
quiet force of progress throughout our history.

What is demanded then is a return to these truths.
What is required of us now is a new era of responsibility-a recognition,on
the part of every American,that we have duties to ourselves ,our nation,and
the world,duties that we do not grudgingly accept but rather seize
gladly,firm in the knowledge that there is nothing so satisfying to the
spirit,so defining of our charakter ,than giving our all to a difficult
task.

This is the price and the promise of citizenship.
This is the source of our confidence-the knowledge that God calls on us to
shape an uncertain destiny.

This is the meaning of our liberty and our creed-
why men and women and children of every faith can join in cerebration across
this Mall,
and why a man whose father less than 60 years ago might not have been served
at a local restaurant can now stand before you to take a most sacred oath.

この文章の最後が44人の大統領の中でオバマ大統領しか言えない言葉であって、日本の片隅の寒村の1人の首長の椅子で、身につまされて読む文章であった。但し、whose father をwhose motherとする。

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2009年1月30日 (金)

児童生徒の体力・学力

News & Letters/153

誠に嘆かわしい事です。高知県民の子供の体力・学力が他府県に比べ著しく劣っているということです。産業部門でも最低クラスだし、平均寿命でも何もかもそこをはい回っている。人種が違うのかという感がする。

数日前県のアクションプラン作成とかいうことで、安芸郡下の市町村と住民が集まって会合を持った。

その中で地産地消という欄に学童の給食の事が県のレジメに載っていた。
私が、給食に地場産物を提供するとしても高知県の場合学校給食そのものが余り普及されていない。30%台ではないか。全国的には60%~70%である。全国並みに引き上げたら、数万人の地産地消のうけ皿ができるのではないか、と意見を言うと、座長がそれは市町村の問題だから関係ない、というし、県はそれは教育委員会の問題だ、とかいうのであった。それであれば何も県のアクションプランに載せる必要はない。アクションプランの策定委員会は市町村の首長や住民が主体的に問題を立てるのであって、市町村のことは関係ない、などという座長の発言の意図がわからない。

給食を普及するのは、地場産品を即採用してもらう上で量的にも重要であり、さらに地場産品を食べる事の食育上の意義を子供や保護者に分かってもらうためにも大事な事業である。産業復興の一つのテーマとしてレジメに書き込んで学校給食をテーマにしたのは正しい。そのレジメに沿って意見を言うと、それは関係ない、教育委員会に伝えておきます、では何のためのレジメだい。市町村の問題だから関係ない、というのであれば何のための市町村長・住民の会議ぞや。県下市町村の各地域での産業復興や特産物を論じている場が単なる陳情の場であっていい訳はない。自分ら各地の計画、体験、失敗・成功例を出して安芸郡域の産業の発展を図るために開いているのだ。
住民がどう動くか市町村が行政としての手だてはどうするのかを具体的にだしあうべきであろう。

学校給食法には県や市町村や教育委員会は給食を普及しなければならないという義務が課せられている。
高知県の普及率は極端に悪い。朝飯もろくに食べずに学校に来、昼ご飯は菓子パンか何かの店屋物ですます。家が近いといっても家で子供達が自分で短時間でラーメン類の食事を用意して食べている。そういう子供達の体力:骨格と筋肉とが丈夫なはずはない。健全な食事をしていない子供達の血や体から学力がのびてくる余地は少ない。
戦後半世紀を遙かに経過してもそのような悪食の習慣、酒やタバコ、口当たりの良いものばかり偏食する食事状況から平均寿命がのびてくるはずもないだろう。異常に伸びるのは医療費だけだ。

市町村長や、住民代表の発言は大いに制限しておいて、オブザーバーだとかいう県会議員は委員の頭ごなしに無制限に発言を許す。このような会議の有様では、わざわざ、出席する価値はない。

アクションプランには高速道路などのことも出ている。8の字の四国高速道路のネットである。
しかし、無条件かつ安易にその話にも乗れない。
その8の字ができあがって、四国の経済は果たして活性化し、地域発展の基盤になるのか、現状では極めて疑わしい。ストロー現象では吸引力の強い方に栄養分が吸い取られる。ストローを大きくした場合、四国、特に高知県が急速に枯渇して町や村がたちまち疲弊するという可能性が高い。相当な吸引力の地力をつけていなければ、吸い取られて消えてしまう可能性があるのだ。

ドライバー(DRIVER)とパッセンジャー(PASSANGER)ばかりでビジター(VISITOR)はほとんどいないということになりかねない。
東洋町では、道もろくになく、他と隔絶されていた時代ー江戸時代よりも現在の方が人口が半分ほどに減っている。江戸時代の末には約6000人いたと推定されている。今よりはるかに道の事情の悪かった昭和30年代に9千人もいた人口が今は3000人ちょっとまで落ち込んだ。

鳴門・明石大橋や瀬戸大橋が出来、道路事情が良くなるに従って高知県勢はあがったのか下がったのか、知れたことではないか。
道が良くなるにしたがって人がいなくなってきている。こんな田舎では地域の繁栄は道路の発展とどんな関係があるのか実証されたものは何もない。
8の字の道路を造って、その惨憺たる結果を招いて悔やんでもはじまるまい。もっとそのこと自体の討論をしてみようではないか。アプリオリに、高速道路建設は善であり、結構なことだという無証明の話は止めようではないか。今の地元の底力のままでは高速道路のストローに吸引されてやせ衰えることは間違いない。そんな危惧を何ももたない能天気な
連中の魂胆は見え透いている。

1000億円いるという北川村ー東洋町間の高速道路。猿と鹿しか通らない、といわれるが、猿や鹿は県境を越えて自由に行き来しているから、それを見習え、とある県会議員がいう。猿も笑うだろう。
000億円の使い方の順序が間違っているのではないか。道路建設は大いに結構だ。しかし、それは人を引きつける強力な磁力(地力)をつけてでなければ、今のままでは、逆に引っ張られ吸い取られてしまうのである。死滅の道を急いで建設するなかれ。我々が死滅すれば、その道路自体も吸い取るものがなくなって直ちに廃れのである。

満 足な討論もなく、貧弱なプランをいくら作っても県庁職員の何かやっているアリバイ工作に加担させられているだけだ。

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2009年1月27日 (火)

SNCCについて

News & Letters/152

それは、遠い昔のことです。
まだ、解放運動全体が活気に満ち、健全な部分が主導的であった時代のことです。
私は、大坂桃谷の解放同盟中央本部で青年対策の書記として勤務していました。水平社の生き残り活動家がきら星のごとく本部に出入りしていました。
共産党も社会党も民社系も色とりどりでした。
私は歴史上の人物、伝説的な彼らと寝食を共にして活動してきたことを今は誇りに感じています。

上田音吉、朝田善之助、北原泰作、岡映、・・・。
特に岡映(おか あきら)は豪傑でした。旅館の宿舎では常に私は一緒の部屋に連れ込まれ寝物語に戦前の水平社運動を聞かされたものです。
彼は、旅館の障子がびりびりというほど、ものすごいいびきをかき、私は、いつも寝不足でした。
私は、書記として執行委員会や大会や地域の集会や、幹部らの鞄持ちや、また解放新聞の編集やら種々様ざまな仕事をしていました。

確か1968年8月9日、それは正午のことでした。
恒例の全国青年集会を東京で開き、それを解放同盟本体の中央行動とぶっつけて実力闘争を政府に挑んだのです。それは戦後解放運動の一つの頂点でした。それを領導したのは中央本部常任執行委員の西岡智と書記の私でありました。
西岡智は大坂の男で、下からたたき上げた人物で、狭山でも私と共同してその闘争を全国闘争にまで発展させた。その当時30代の働き盛りでした。西岡は戦後部落解放運動では最優秀の実力派の活動家で、私が私淑していた人物でありました。

大坂には当時西岡を含め偉大な糾弾闘争の指導者が5人ばかりおりました。たしか、西岡智、泉海節一、松田慶一、上田卓三、大賀正行の5人だったと思います。
今でも身の毛のよだつような場面を思い出します。
大阪府警本部の小さい部屋で高松という本部長とある差別問題で団交中、本部長が解放同盟側の口の利き方が気にくわないということで座を立って去ろうとしたとき、五人の解放同盟大坂府連幹部が立ち上がって大声で怒鳴った、

   ・・・出て行けるものなら出て行ってみろ・・・。

その剣幕に、後に警察庁刑事局長にまでなった高松府警本部長ら府警幹部は立ったまますくみ上がって、しばらく呆然として立っていた。そしてどっと腰を下ろして団交を再開せざるを得なかったのであった。書記として同席していた私も仰天したのです。大阪府警本部の権力の中枢において多数の警察官に取り囲まれていながら、庁舎に響き渡る裂帛の気合いでもって、相手を圧倒した、その糾弾力のすごさであった。今はもうそんな活動家はいない。

西岡智は病体を引きずりながら、まだ私ども後輩を叱咤激励している。激励されずとも、私の体には水平社の残党達の思いが残る魔的な息吹と、当時解放運動の中核的指導者達の糾弾闘争の熱い炎の伝搬がまだ燃えたぎっている。

話が脱線しました。SNCCの活動家を全国青年集会に呼んだのは私ですが、その黒人学生の名前はすっかり忘れました。解放同盟中央に記録を尋ねたら分かると思います。私はそのアメリカの活動家の演説の内容もよく覚えていません。私は全青の集会に集まった青年達を総理府に突入させる段取りで精一杯でした。総理府は事前の情報で厳重に機動隊で包囲されておりました。

全青には共産党系の青年も三分の一ほどおりましたので突入戦術を巡って激しい論争が起こっていました。それでもその連中も含めて全国の青年1000人ほどは総理府に突入し機動隊と乱闘を演じ、その庭に入ることに成功したのでした。解放同盟中央委員・中央執行委員100名ほどもそれと呼応して庁舎内に入り込み庁舎内を騒然とさせながらデモと座り込みを敢行しました。わたしは決死隊と称して京都の駒井昭男ら5人で総理府の警備隊と乱闘し押し勝って屋上を制圧し屋上から巨大な垂れ幕2本を垂らし、数千枚のビラをばらまきました。屋上から原水禁のデモが見えたので手を振りました。

戦後解放運動の歴史的な管制高地(実際権力の屋上に立ったのですから)にたって、私はSNCCの学生のことをすっかり忘れてしまったのです。
ごめんなさい。

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2009年1月24日 (土)

東洋町の教育事情

News & Letters/151

東洋町には4つの小中学校があります。

野根中、野根小、甲浦中、甲浦小です。

野根中は今12名の生徒です。この校舎は昭和30年代の終わりに造られたもので耐震補強もなく、耐震診断もしていません。すぐ近くに野根小学校があり、30数名の生徒ですが、耐震補強も出来ています。小中ともいづれも数百名を収容していた学校ですが、ごくわずかとなりました。

問題は野根中ですが、体育館は大丈夫と思いますが、校舎はもう使い物にならないでしょう。
それで町長は、隣の小学校が空き教室がいくつもあり、また、音楽室など小学生と共同使用も出来る教室もあるので中学校は小学校に移ったらどうかと提案しました。しかし、野根小中の先生方は誰も賛成がありません。

野根中は生徒12名に対して先生9名がおり、事務員が1人おります。生徒は本来はもう少し多いはずですが、甲浦中学校などに越境通学をしています。
12名の生徒に対して9人の先生の人件費はざっと推定しても年間5000万円位になるのではないか。

中学校の老朽化した大きな施設をこのまま耐震診断、補強をすれば大変な費用がかかり、しかも、年数から考えて何年も持たないでしょう。
それでは、国民経済的に考えて野根中学校10名程度の生徒のために新たに中学校をワンセット新築することがゆるされるであろうか。新築には数億円はかかるだろう。極めて困難ではないでしょうか。

野根中と甲浦中の合併をという根強い声もあります。事実町の校区を決めた条例を無視して相当の越境入学があり、これまで野放しにしていました。

施設老朽・崩壊の危険性から見ても、中学生は隣の小学校に避難するべきではないだろうか。
数百名を収容していた野根小学校も今は30人ばかりに激減しています。小中合わせても40数名の少人数です。改装すれば何ら支障はないと思います。私が小中の自分には狭い吉良川小学校に中学生も入れて1000人ぐらいの生徒がひしめいていました。それでも体育も音楽も支障なく授業が出来ていました。

野根の校長先生が言うのには、地震が来たら校庭にすぐに逃げられるから大丈夫だという。
そんな安易な考えで半生記近くになる老朽校舎の危険の中に子供を放置して良いのであろうか。
すなわち、生徒12人に先生9人という自分たちの安穏な身分を守るために、生徒の命を犠牲にして良いのだろうか。

甲浦小学校も問題があります。運動場は野球も出来ないほどせまいが、この敷地全部が民間の所有地であり、1年契約でこれを更新です。5年とか10年とかの契約ではありません。毎年町長が遠くの地主の所にお願いに行っています。地主は大変いい人なので何とか契約更新がされています。

しかし、学校設置者としてはこの異常な状況について不安を押さえられません。これでは法律で定められている「施設の確保」とは言えません。
甲浦中学校も体育館が無く、隣の公民館のホールを使っています。また運動場も狭く、野球とソフトボールをすると双方のボールがひゅーひゅーと飛んでくる状況で危なくて仕方がありません。

東洋町の総合計画(昨6月議会で可決)は甲浦小中については根本的解決の方針(移転新築)を立てていますが、地域はまだまだまともに討論する雰囲気ではありません。
物事を合理的に考えていけば結論は見えています。今までほとんど見当もされず、計画もなかった東洋町の教育環境の整備。

住民の同意があれば新町長はすぐにでも整備・建築の計画を行動に移す用意があります。

南海地震など災害の危険を考えるなら、一刻も早く計画を実行しなければならないのです。教育委員さん、町民の皆さん、どうかこれをやらせて下さい。
物言わぬ子供達を代弁して伏してお願いします。

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2009年1月18日 (日)

「海の駅」の活況

News & Letters/150

「海の駅」の出品物では最大の売り物は魚です。
魚は地元で捕れたものがほとんどです。売り上げの半分以上は魚です。干物、マグロの切り身が都会の半値ぐらいで売られています。新鮮さと安価とで隣県のスーパーも太刀打ちできないでしょう。

野菜類も半分ほどは地場の産物です。
その他は近隣のものを集めています。

全てを地場のもので埋めるのは今の段階では困難です。近隣の産物も店頭に出しています。他の「道の駅」、「海の駅」では、全国の産物を集めて売っている所もかなりあります。

東洋町の「海の駅」は、地場産品が主となるよう奨励しています。「海の駅」ですからどうしても魚が主力になります。当初立ち上げの時には、「海の駅」に非協力的だった人々も目の色を変えて出品に精を出しています。
徳島から主婦や旅館など水商売をしている経営者が毎日続々と買いに来ています。新年以降、去年の状況とは全く違う活況が続いています。

徳島と高知の県境ですから、両方からお客が来、両方の生産者が出入りしてその産物を出品・売買するのは当然です。

今までは高知の人間が一方的に徳島に流れていました。今、徳島の大きなスーパーを通過して甲浦白浜の「海の駅」へと、逆転現象が始まっています。
「海の駅」の勢いはもはやとまりません。

新しい「海の駅」が建築中ですが、基礎もできあがりました。3月には、やがて美しい立派な建物が出現するでしょう。従業員もすっかり仕事になれてきたようです。昨年末12月1ヶ月で500万円を売り上げました。小さなプレハブ小屋で年間4000万円ほどを売り上げたわけです。出品者の収益は別として、店としても4人分の人件費ぐらいの収益はありました。今年は、黒字が出るようになるでしょう。

もはや東洋町の「海の駅」は私の手を離れ自己運動を始めたと言うべきです。
私は次々と新しい事業に取り組んでいきます。

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2009年1月15日 (木)

庁議

News &Letters/149

東洋町では毎週庁議を行っています。

庁議は一階の空きスペースで行っているので誰でも傍聴できます。白熱した議論になる場合もあります。議題は全て町長が準備します。
本来は各課長が職場からの議題を準備することになっているが、ほとんどあがってきません。

だから、町長は各課の現場の諸問題をよく把握しておかねばなりません。事業遂行の上での職員や住民の話をよく取材しておかないと議題が出せないし、議事をリードできません。
法律上の難問も出てきますが、煩を厭わず、庁議で調べます。町長の叱咤する声が庁内に響くことも何度かありました

今回の1月13日からは、パソコンと画像をつないで壁に映し出し、議題だけではなく、即座に決定内容も印刷できるようにしました。町長が自ら打ち込みながら議事を進行します。誰が町長か分からなくなります。なんせ、町長よりボーナスが数十万円多いというエライ職員に囲まれていますので、そうなるのも仕方がありません。

以下「庁議」の内容を公開します。 PDFファイルを参考にしてください。(クリックしますと読むことができます。)

「toyoutyou-tyougi.pdf」をダウンロード

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2009年1月 4日 (日)

江藤新平と甲浦

Nwes & Letters/148

  明治七年佐賀の乱で破れ、敗走して上京中の江藤新平は、同年3月29日、土佐甲浦にて土佐藩の捕吏によって捕まった。高知まで籠でかん送され軍艦で佐賀に送られて、きょう首(さらし首)にされて刑死した。

佐賀県の人にとっては甲浦は因縁のある地であり、維新の元勲江藤新平の怨念のこもった土地と言うことであろう。2週間後の4月13日に死刑が執行されているから、新平にとっても甲浦の最後の場面は忘れることは出来ないだろう。

  江藤新平一行が敗走したルートは佐賀ー鹿児島ー宇和島ー高知ー甲浦であるが、高知に入ったときから既に包囲網は布かれていて、野根か甲浦で逮捕の筋書きは出来ていたようだ。何も東洋町の住民が積極的にこの逮捕劇に活躍したわけではないが、この地で悲劇の結末をつけたのはやはり後味は悪い。最後の望みである上京のためにせめて大阪方面に船で逃がせなかったか、の思いが残る。

  物の本によると、江藤新平は貧しい下級武士の生まれで刻苦勉励して人となり、佐賀藩では早くから 勤王思想を抱き、脱藩して京都に上り、諸藩の勤王の志士や公卿らと親交を結ぶなど、先覚者として活動した。

佐賀藩は名君鍋島かんそうによって、相当高度な軍事力(アームストロング砲などを持っていた)を備えていたが、倒幕の内戦では出遅れていた。江藤の先陣的活動によって佐賀藩(肥前)は辛うじて薩長土肥の最後尾に引っかかったのであった。幕府が倒壊してしばらくのいわゆる朝幕時代(天皇を頂く薩長土肥権力と徳川幕藩体制の二重権力)に江藤は朝廷にあって極めて重要な仕事をしてきている。

とりわけ、岩倉や木戸、大久保らが欧米視察に出ていた数年間は留守を任されていたが、明治五年頃実質的に西郷ー江藤の政権を樹立していたと言うべきで、この間を頂点とする江藤新平のめざましい開明的施策は日本を近代的国家にする上において大きな功績を残したと言うべきであろう。

明治六年の政変(いわゆる征韓論争)から明治7年の佐賀の乱までは、ビスマルク的天皇制絶対主義を標榜する大久保利通と民権的近代政治を進める江藤新平との闘争であり、政略にたけた大久保の完勝に終わったものである。

  佐賀の乱は、江藤新平の失敗であったことは明らかだ。西南の役も西郷の失敗だった。大久保の巧妙な挑発にのせられたのであった。
江藤や西郷は決して保守反動勢力ではなかったが、大久保に対抗するのに、保守反動の旧武士団を率いたことが最大の敗因だった。
確かに倒幕戦争・明治維新においては旧武士団とりわけ西南雄藩の武士集団がその戦闘の中核を担った。全国各地に農民や都市貧民の騒動は激しく起こっていたが、それらは封建体制打倒の背景にはなったが主導部隊ではなかった。明治維新はブルジョワ革命ではあるが、根底的なそれではない。

幼弱なブルジョワジーの部隊の代わりに下級武士や豪農クラスが登場した。これらの階層にはフランス流の共和政治の思想から、極反動的な国学系統まで含んでいた。日本の近代化はこれらの混合勢力によって推進された。革新的な江藤新平は絶対主義者大久保と対立したが、これに動員したのは旧武士団であり、大方が反動勢力であった。

 江藤は自分らが作った近代的な軍事力や政治体制に圧倒された。かつて倒幕の際には、最大限有効であった旧武士団も今となっては足かせにすぎない。それを解体する方がより近代的で合理的であっるものを、これを利用しようとしたのであった。
江藤が寄りかかることが出来るものが他に何もなかった、時代に相応しい新しい勢力を構築することが出来なかったのだから仕方がない。

 東洋町でもそうだ。核反対運動においては、誰も彼も味方にしなければならなかった。

 あれやこれやと人を評価したり、好き嫌いを言っている場合ではなかった。
その運動が勝利し新しい権力が打ち立てられたとき、反対運動の中にいたいくつかの有象無象がわらわらと権力にとりついてきた。わしらの言うことを聞け、・・・をしちゃれ、・・・を認めろ、・・・をどうして切ったんや、とうるさい限りだった。

 特定の利権グループの言いなりになっては新町政は元の木阿弥である。断固としてこれらを遮断し、貧しい町民生活を照準にあてた公正な町政を進めなければならない。
 かつてある時まで自分をもり立て一定の力になったものでも、新しい段階においては、その力をそのまま利用していては、前に進むことが出来ない。

 その者達にも時代に相応する変革を求め、そうしないなら捨て去らねばならない。江藤は、政敵を倒し近代化を推し進めるために、佐賀の反動勢力を利用してしまった。
それ自体は革命的でなくとも時代の流れの中で、革命勢力として役に立つものもある。

 ヘーゲルのいう「理性の狡知」という働きだ。

 しかし、それらはその時代が過ぎれば純粋に反動性をあらわにして、それを利用するものを滅ぼす。

 東洋町甲浦。江藤新平逮捕より126年の星霜が移った。
我々は、江藤新平の残した悲劇の轍を再び践むことがあってはならない。鎮魂。

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年頭の決意

Nwes & Letters/147

         謹 賀 新 年         東洋町長 澤山保太郎

 平成21年正月元旦 明けましておめでとうございます。
昨年中は大変お世話になりました。今年も東洋町をよろしくお願い申し上げます。
昨年の東洋町は、いろいろ困難な問題もありました。
しかし、皆さんのご支援、ご声援のおかげで、何とか乗り越えてきました。
新しい町政のさらなる前進、福祉と教育を充実し、産業の復興を成し遂げるという2つの目標を段々に実現して参る所存であります。

1、来年度は、低額老人ホームを建設する計画です。

 出来れば二箇所実現できればと思います。また、医療の面では予防を重視し、検診体制を整備したいと思います。
将来的にはエコー検診車やMRIなどを持った診療所を開設したいと思っています。
今年は高齢者や、中学生までの子供達の医療費を無料化しようと計画しています。
 教育費については学用品の無料化を維持し、さらに給食費の無料化も出来ないか検討しています。高校生にも奨学食育助成として毎月1人10キロ(4000円相当)の米を支給しようと計画しています。
 もちろん米は全て東洋町産です。
学力向上については、県が力を入れていますが、特に何かを期待できるものはないようです。東洋町来年度には学力養成道場を設置して、基礎学力・高学力保証体制を整備したいと考えています。

2、産業面では物産センター「海の駅」を充実し、6千万円の売り上げを実現したいと思います。

 また、その近くにある巨大な県のシャワー室(年中ほとんど閉鎖)を改装しサウナなど温浴施設にして活用させてもらおうかと考え設計屋と相談しています。
無料温浴(商品券購買)による住民の保健・福祉と集客効果をさらに図ります。

 失業対策・産業復興策として、リボルト社に①間伐・製材事業部隊、②放棄農地の工作部隊、③加工調理部隊、④ゴミ資源化部隊などを創設し、相当な人材を雇用し地域活性化を図ろうと思います。

 また、木質バイオ・ペレット工場、太陽光発電パネル、太陽光温水器の設置などエコ・エネルギーの利用を計画し、出来るものから稼働させたいと思います。

 ソーラーヒーター(ただで取得予定)は福祉センターの風呂ボイラーにすぐに取り付け工事に入るべく業者と打ち合わせをしています。
 食用廃油を利用したエコ・石鹸を無料配布していますが、これを全世帯に拡大し、また、EM活性液の散布量を増やして全河川に染み渡るように努め、ただで手に入れた木炭製造器を稼働させ、木炭と鉄粉を廃油石鹸で固めたクリーン爆弾を本格的に製造し、東洋町をクリーンモデル地区にしていきます。

 こうして10ヶ年の新総合計画を半期5年の中に着実に実現するよう努力します。
今年も核廃棄物から解放された東洋町の自力更生への大きな飛躍の年にしていきますので、よろしくご支援をお願いします。

 破邪の剣を右手に持ち、左手(ゆんで)に愛の旗を掲げ、東洋町長は前進します。

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2009年1月 3日 (土)

平成21年成人式の祝辞

News & letters/146

                                      平成21年1月3日
                                      東洋町長澤山保太郎

一、謹賀新年

平成21年度正月 明けましておめでとうございます。
今日は、肌寒いですが天気晴朗にして、波静か、身も気持ちも引き締まって、皆さんの新成人としての門出に相応しい日であります。誠におめでとうございます。

二、失業者あふれる

さて、現在皆さんを取り巻く社会情勢は非常に厳しいものがあります。都会には多くの若者が就職できず、また次々と職を失いつつあり、政府も十分な救助もなしえません。
昔は必ず国には失業対策事業というのがありましたが、それも絶えて久しくなりました。
次々と短命内閣が交替し、政治が混迷している上に、世界的な不況の波が押し寄せています。アメリカ・ヨーロッパなど先進国だけではなく、中国やインドなどアジアの大国の経済的発展はものすごく、そのなかで、資源のない日本は気押されて、極めて困難な事態に追い込まれています。

三、ますます厳しい状況

この不況はすぐに解消するであろうという楽観的な見方もありますが、私はそのようには思いません。良くなる材料が極めて乏しいのです。ますます厳しい経済情勢が続くという風に覚悟すべきです。徐々に悪くなっていくか、それとも急速に大規模な国家的・世界的破綻がやってくるか、予断を許さない時代に入ったと言うべきであります。こんなめでたい日に、悲観的なことばかり言って申し訳ありませんが、その場限りの甘いことをいってばかりもいられないのです。

四、国やぶれて山河あり

こういう時において、皆さんの強みは、故郷があるということです。故郷に親や兄弟、親戚があると言うことが大事になってきます。
かつて、60数年前アジア太平洋戦争があり、日本は侵略戦争の夢が潰え、大敗北を食らいました。都会という都会は灰燼に帰し、政治経済社会全般が麻痺して大混乱しました。そのとき、都会の多くの人々は、どこへ生きる場を求めたでしょうか。それは故郷です。東洋町も室戸市も全国津々浦々どこもここも大人数の人々が都会からやってきて住み着いて暮らしていました。
国やぶれて山河あり、です。戦後日本は再建され、世界有数の先進国に名を連ねましたが、その元になったのは緑の山河であり、田や畑、海や川の故郷であったわけです。
故郷は暖かく、職を失い、家を失った人々、無一文になった人、傷ついた人々を受け入れてくれたのです。

五、豊かな東洋町建設

皆さんは、東洋町は言うまでもなく、全国どこへ出て行っても、自信を持って戦い、生きぬいてください。
私は東洋町におられる諸君とともに、いつでも皆さんが帰りたくなった時に、皆さんを安心して受け入れられるような暖かい、豊かな東洋町を建設してゆきたいと思っています。

六、文明の大転換

皆さん、今日明日の厳しい社会情勢だけではありません、時代は、これまで化石燃料を消費する安易な私たちの生活を大転換する事を求めています。大気や、海を汚さない、環境を破壊しないクリーンな生活への急速な革命が求められています。大変な時代でありますが、また、皆さんにとっては夢多い楽しい青春でもあります。一刻が千金の値打ちがあります。大いに楽しんでください。
皆さん、花の命は短いのです。青春を謳歌すると共に、また、困難が予想される明日に備えて一生懸命勉強してください。勉強も又楽しんで下さい。

七、 YES,WE CAN

最後に
アメリカの次期大統領オバマさん達は、いいました。
CAN YOU OVERCOME?
YES,WE CAN  と
私は皆さんに言いたい、    YES,YOU CAN  と 
これで、私の皆さんへのはなむけの言葉に代えさせていただきます。

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2009年1月 1日 (木)

謹賀新年

News & Letters/145

2009年1月1日
開けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

東洋の夜明けを告げる雄鶏の高鳴きによって、いよいよ、我が町の本格的な建設が始まる。
元旦の初日を浴びながら、敵よ来たれ苦難よこい、この裂帛の気合いを込めて甲浦白浜に立っている。
常に巌頭に悍馬を立てる気持ちを忘れないように。

「海の駅」は年末年始毎日営業をしています。
魚は魚市場が休みなので、売るものを集めるのに苦労しています。売れるものは何でも売りますからどんどん持ってきてください。
町長が店頭にたって、売っています。来年はもっと段取りよくたくさんのものを用意し売りまくるつもりです。

元旦は白浜ビーチのトイレ掃除が町長にまわってきました。朝と昼が終わりました。夕方にもう一度やります。
1月2日、明日は朝からいくつものチームがB・Gのグラウンドに集まって新春の野球大会があります。町長はサードで4番に定着しています。

1月3日は成人式です。

自分や内に向かっては厳格な上になお厳格にし、町民に対してあくまでも姿勢を低く、懇切丁寧を心がけ、少しでも多くのものが町内に流れていくように心を配らねばなりません。
町政にからまって利権にありつこうという輩はもう1人もいなくなりました。公正に、平等に、そして効率を常とし、原則を押し通す。

何でもそうだが、愛郷心というのも、心で思うだけではなく、実践的でなければならない。
町内の建設業の従事者、農業者や漁師らに比べ法外に高い給与を受けていながら、「海の駅」や町内の商店、町内の農家から何も買おうとしない公務員がいるとすれば、獅子身中の虫を飼っていると言われても仕方がないだろう。
公務員は自分たちの俸給の源泉が東洋町、町内の繁昌にあるということをだれよりも分からねばならない立場にある。たとえ100円の駄菓子でも町内で買おうという姿勢が大事だ。
公務員の意識が変わらなければ、東洋町は変わらない。自分くが餅屋なのにわざわざ余所の餅を買ってたべるだろうか。誰のおかげで生活が出来てきているか胸に手を当てて考えるべきだ。
へをするにも自分の田んぼに向かってするという百姓のように、意識を変えなければならない。
また、町長をいくら替えても町民の意識が変わらなければ町はよくならない。少々の不便はあっても、少々高値でも自分の町の商店でものを買うというのでなければ、町を守ることは出来ない。

町の公務員、町民に望むのは、自分で自分の首を絞めるような愚かなことはやめてもらいたいということだ。自分の町は自分たちで守る、そのためには何でもするぞ、という根性があれば、90%町は安泰だ。後の10%は何でもいい、試行錯誤をしながらでも実践することだけだ。

町長は先頭を切って最前線で戦うが、しかし、冷めた目で、じっと町の公務員と町民の姿を見ている。
本当の夜明けにはまだ時間がかかるようだ。

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