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2008年11月

2008年11月28日 (金)

大政奉還

News &Letters/133

大河ドラマ「篤姫」でも大政奉還の話は終わった。
日本の政治でも再び大政奉還が必要だ。
恒例の11月26日の全国町村長大会に出席してその思いが強くなった。

麻生総理大臣の登場はその感じをいよいよ強めている。ちんぴらまがいの発音で、字もろくに読めない、礼儀作法も分からない、その挙動に対して国家の「危機管理」を発動しなければならない、ふがいない総理大臣。首相とはその識見においてその品性・道徳において他にぬきんでた者であるはずが、その対極にある。本人はまるでそれに気がつかないからなおやっかいだ。

今の国政はもはや統治能力をほとんど喪失しつつある。ぼんぼんのおぼっちゃま達が、権力欲さへもなく、日本国の政権をおもちゃか何ぞのように手にしたが、それを持ちあぐねて引っ込みもつかなくなって泣きべそを掻いている。もはや、この連中に国の運命を任せておく訳にはいかない。
大政奉還が必要だ。
それは、封建権力から天皇へではない。
誰から誰への政権の奉還か。

回答:
     国から地方への大政奉還である。

そもそも日本は、その歴史の大半が地方に政権があった。
律令時代の数百年と、明治以降の百数十年と、この2つの期間を除いて、ほとんどの時代は地方権力によって国が分割支配されていた。

1183年寿永2年、当時の朝廷の主である白河法王が頼朝への宣示で主として東国地方の統治権を渡したときから中央王朝政治は地方分権に傾きかけ、守護地頭制度をへて、戦国時代から江戸時代(幕藩体制)にかけて完全に地方権力体制が完成した。もちろん地方権力といっても地方の土豪劣紳、大小名ら凶暴性のある武士集団の権力にすぎないが、権力が地方に割拠していたことは事実だ。

明治の回天事業で「大政奉還」となって中央集権が復活してから今日までは、未曾有の地方抑圧・搾取の体制が続けられてきた。
全国999(数年前までは2500あった)の町村長の大会において、様々な実のある地方分権を、との声があがった。今年は、政府が推し進める道州制についても明確に反対の決議までするに到った。

今、中央権力が空転し、時代に処して国民を牽引して未来を切り開く展望すらもない、考える力すらも喪失しているときにおいて、全国の市町村長は、単に「分権」だの交付金削除反対だのという泣き言ではなく、百尺竿頭一歩を進めて、堂々と、地方に政権を返せ、大政を奉還せよ、という声を挙げるべきではないか。

全国の市町村自治体の代表団が最高権力を構成し、その連合体が財政などほとんどの内政を牛耳り、
その下に、国会を置いて、その管轄下に外交や法制、通商や災害対策などの国政を担当する省庁を置き、・・・・。決して現在の国会や省庁を上にあげたままではいけない。

こういうようにこれまでの権力関係を逆倒させ、地方権力が国政全体を睥睨し、統括する権能を回復するべきであろう。
「地方分権」などチョロいことをいっている間は中央の世襲的お坊ちゃま達にいいようにされるだけで、そのうち日本は中国とアメリカに挟殺されて蒸発してしまうだろう。

全国町村会の時にはいつも、皆さんとは別行動で私は宿を鎌倉にとって、鶴岡八幡宮を訪れ、山の上の頼朝の墓に詣でて、地方分権とは何か、800年の昔を回顧しながら、かくのごとくのことなどを考えてもみるのである。

秋の早朝、若宮堂の舞の袖の香を慕いつつ古歌を口ずさんでみた。

賤やしず しずの緒だまき 

  繰り返し  昔を今に 

          返すよしもがな
                     静

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2008年11月22日 (土)

東洋町「海の駅」

News & Lettrs/132

来年4月、東洋町白浜ビーチに新装「海の駅」がオープンすることになりました。
これまで約1年間、試運転3ヶ月を経て、小さなプレハブ店舗で本格営業していましたが、昨日(11月21日)の臨時町議会で4000万円の予算で新しい建物を建てる事が決定となりました。

これまで10ヶ月の実績では3000万円の売り上げがありました。レジを通った客数だけでも4万人を超えています。残る2ヶ月で600万円以上は確実ですので、新しい建物では軽食などもありますので5000万円以上の売り上げがあるものと考えます。
建設費の内訳は、国の臨時の交付金1270万円、県の補助金(未定)と過疎債(70%国が負担)でまかない、町の実質的な負担は数百万円となる見通しです。県知事が今力を入れているアクションプランにも東洋町の海の駅が位置づけられています。

今のプレハブ小屋よりも町の負担は少なくなるわけです。議員の期待も大きく、いろいろな激励的注意がありました。
ところで、町の発展や行財政の改革には何でも反対という1人の議員がいますが、またぞろこの人が1人で「海の駅」建設の補正予算に反対の演説をしました。議員も傍聴人もうんざりです。
結局この4000万円の補正予算は反対するもの1人だけで後の議員はみんな賛成で可決しました。

しかし、私はこの反対人が上げた十四項目の反対理由の演説に注目をしています。
この議員は今回は質疑という形を取らず反対意見の表明という仕法でやってきた。質疑という形式を取ると完膚無きまでに反論され恥を掻くのでそれを避けたのであろう。賢明なやり方だが、中身は依然として はちゃめちゃ である。

「十四項目のうそ」という改題をつけてみました。

1、海の駅を運営するリボルト社(社長は町長)の役員に正副議長を入れている、「正副議長は町(社)長と一心同体」であるから反対だ、という。
夫婦でもあるまいし一心同体であり得るはずはないが、一つの会社運営において役員が一心同体であるのは望ましいことである。

2、リボルト社に監査規定がない、という。
リボルト社は株式会社であるから、取締役も監査役も国の会社法によって規制されている。会社法の監査に関する規定に従って監査を行えばいい。不正な経理がないかどうか、帳簿類などがそろっているかどうか、などを監査をすればよく、監査基準を作れと言うことは会社法にはうたわれていない。
東洋町の監査委員会も監査基準とやらは作っていないがちゃんと仕事をしている。

3、役員の責任の規定も明確ではない、だから「海の駅」の新築工事予算に反対だ、という。
役員の責任はそれぞれ、国の会社法に規定されているし、当然、民法にもうたわれている。何もこれこれの場合に役員がいかなる責任を負うのか、いちいち規定する必要はない。

4、この事業による「リスク」の負担は町が取るのか会社が取るのか、明確ではない、という。経営責任は会社役員が取るのは当然であろう。この議員が擁護している東洋町営フェリー会社シーラインの冒険的巨大損害事業については役員(町長や議員やら)は報酬だけはたっぷり取ったが一切の責任を負わず全て東洋町に責任を負わせた。会社の債務補償を役員も保証人であったのに、その責任を解除し町が債務を全て負うという決議を議会でやった。そんなでたらめは忘れたかの如き反対意見だ。

5、リサイクル業者に電気製品など特定発注をしている、それによて10~20%町が損をした、だから海の駅に反対する、という。
中古リサイクル会社に電気製品など備品を発注していることは事実だ。これによって東洋町役場の備品購入に価格破壊が進展している。破格の値段で購入しているから、普通の買い方に比べると巨額の差額が発生している。全国の市町村役場で備品購入に中古品市場に踏み込んでその商品を導入しているところはどこもあるまい。中学校の炊事場の給湯器などは、予算がないのでただで頂いたこともある。

住宅の風呂桶が壊れていたので新品同様の風呂桶を探してもらって購入した。冷房の空調設備も中古を入れた。生ゴミを堆肥化する機会も新品では600万円もするが、新品同様のものを150万円で世話をしていただいた。このほど、高知駅の駅舎を壊したときもこのリサイクル店に世話になった。駅舎の窓のサッシの使えるものをただ同然で大量に払い下げてもらった。運賃に十数万円かかっただけである。やがて町が温室ハウスを作るときには立派に役立つだろう。

今や、これは企業秘密であるが、東洋町は郵便切手も中古品を買い集め、それらを七がけで購入している。古い切手で貴重で使うのがもったいないが、格安切手を既に数百万円購入した。毎年郵便代が数百万円いる役場でこうしてその三割が助かっているのである。
何でも新品を購入するのが役場であるが、東洋町は中古品でも役に立つものはどんどん購入している。
必要なものがあれば、①リサイクル店に連絡し、中古市場を探索してもらう、②どうしてもなければ、新品を購入する、これが新東洋町の備品整備の原則であり、しがない行政改革と言われても、背に腹は替えられないのである。
この議員は、そういう役場の努力は何とも感じない。町長交際費でこの業者に接待をし2万円使った、などといって、「裏に不正の疑惑がプンプンする」という。お得意の名誉毀損だ。

確かにその業者2人のために旅館代を支払ってやった。東洋町のために様々な中古備品を探してくれ運んでくれる業者が夜遅くなって疲れているので一泊していくように勧め、その宿泊代を負担した。
東洋町役場の価格破壊のパートナーにそれぐらいのお礼はしなければ罰が当たるであろう。
もちろんこれらの購入は随意契約の法令の範囲内の行為である。

6、リボルトの会計資料をいくら請求しても開示して くれない、から「海の駅」建設は反対という。
 会社の会計資料は、毎日の現金出納簿にいたる まで議員に公開している。これ以上何を開示せよと言うのだろう。但し、彼が知りたがっている「海の駅」の出店者の売り上げの資料の開示は制限される。出店者の営業実績は出店者のプライバシイだからである。例えば県庁に漁業組合の業務 報告書を開示請求しても、たとえその組合の組合員であっても会計上の数値は黒く塗られて出てくる。
 かの人は、出店者の営業実績まで知ってどうするつもりなのか、議員だからといって人のプライバシイまで入り込む権利はない。

7、リボルトの賃金、退職金、弔慰金、昇級規定が ない、これらが未整備だから「海の駅」建設に反 対だ、という。
 リボルト社の社員の給料表は公表されている。退職金規定は案を作っている。弔慰金の規定は要らない。昇級は実績によって予算の範囲で決定される。定期昇給などはない。これらのことは会社の運営上の問題であって海の駅の建設には何の関係もない。

8、町の臨時職員をリボルト社の事務員に研修棟言って出向させている、だから、「海の駅」には反対だ、という。臨時職員を出向させて悪いという法令はない。しかもこの臨時職員は、正職員採用試験に合格しており、来年4月に正規採用が決まっている。
 100%町が出資の会社の経営は町の責任でもあり、担当課がその対策室を設けている。その課員 が研修をかねて毎日一定の時間出向いて業務を把握するのは当然のことだ。

9、海の駅での販売で地元産品が売れないという苦情が出ている、から海の駅は反対だ、という。
「海の駅」の出店者は今100人以上である。出店者は誰でもよく、小売店でも問屋でも、直接の生産者でもよい。初めて商売する人でもよい。誰でも自由な共同市場である。事実、魚屋は地元の小売店であり卸問屋であり、漁師のおかみさんらである。

地元だけでなく近隣の農産物や水産物を持ってきても構わない。高く売ろうが安く売ろうが自由であり、我々が価格を規制することはしない。地元商店街に影響があるからといって、止めさせるわけにはいかない。商売は自由であり競争である。誰かが栄えるために他の者が引っ込んでおれ、というわけにはいかない。競争的に共に発展する以外にない。
これまで、東洋町民の多くが県境を越えて買い物に出かけていた。それで地元商店は廃れに廃れてほとんど青息吐息であった。隣県のスーパーは東洋町の人で賑わってほくほくであった。いまその風潮に大きなブレーキがかかりつつある。

「海の駅」が繁昌し、東洋町全域に東洋町でしか使えない商品券がたくさん出回りだした。町の支給する補助金などが商品券で支給されだしたからである。そんなことをしてまで地元の商圏を守ろうとしている市町村はどこにもないであろう。
今や、どこの市町村でも億単位の金をかけて「道の駅」や「海の駅」を建設しているが、地元商店街がつぶれるから止めろ、という声は聞かない。

その商店街の商売人も含めて多くの人がものを生産し、ものを仕入れ、それを共同の公設市場で売って生活の糧にすることは、大変良いことなのだ。
東洋町はなるだけ地産地消でいっているが、「道の駅」のなかには、地元商品が少なくて、他府県の産物の方が多いというところもある。全国から産物を集めて販売しているというところもある。それぞれ、独自の経営方針を持って町や村の活性化に取り組む事が肝要である。

10、海の駅は3000万円売り上げたというがそのために要ったコストの報告がない、だから反対だという。
現行プレハブの「海の駅」の建設と管理費は町役場の予算書で明確に記載し説明している。この議員は議会に出席していなかったのであろうか。

11、プレハブのこの店舗が建築基準法違反であった、そのために移転費に72万円かかった、その謝罪も引責もない、だから海の駅には反対だ、という。リースで借りてきた小さなプレハブ小屋を鉄枠の上に載せて営業を始めたのは、確かにうかつであって短期間であり、こんな田舎であっても建築基準法違反であった。しかし、建築基準法では届け出違反など軽微なもので危険ではないものは、暫時営業用に使用も許されるとなっている。違法だが、許される範囲の違法と言うことで、手直しと手続きをする間営業は続けても良いという県の指導であった。
この違法によって何らの損害も発生していない。

第三者に迷惑をかけたり被害を与えたわけでもない。このプレハブ小屋はそもそも、「海の駅」の試運転のために借用したものであり、出店者も集まらず、お客も少なければ、閉鎖しなければならないものであった。本格的営業のためにはいずれは補強しなければならないものとして出発したのであり、県への土地の借用申請も6ヶ月という限定つきであった。しかし、うまく試運転は成功し、「海の駅」の営業を続行するということになった。新たな政策の判断によりこのプレハブ店舗で本格営業をすることを決定したのであった。その補強費用を「海の駅」設置試運転の予算の枠内で出費した。
何の損害も発生していない。商売をするにあたって予算内の多少の試行上の行為は許容されねばならない。

12、「海の駅」の建設jは、地元商店とのかねあい、民間経営を圧迫する、だから反対という。
これは、9項目目で述べたとおり、既存の商店の権益を守るために他の者は控えておれという、論理である。地元商店を含め出店者は「海の駅」という共同市場で自由な販売活動が許されているのであるから、何にも民間経営の圧迫にはならない。

東洋町の「海の駅」は魚がメインであるが、魚を出している人は全部地元の商売人である。地元の商売人の販路拡大がどうして地元商売人の経営圧迫になるのか。ポンカン、小夏など果物は生産者が出店しているがこれら生産者はもともと同時に販売もする商売人でもあった。「海の駅」は地元商売人によって主要な出店品は支えられている。

13、リボルト社の収入に町の駐車場の収益もいれている、これでは前の観光協会への丸投げと一緒だ、だから「海の駅」には反対だ、という。
確かに駐車場の収益は何の適法な契約もなしに観光協会にまるまる取られていた。観光協会のその収益の使途についてはろくに領収書も残っていないので実際何に使われたか実証のしようがない。観光協会が管理していた駐車場の割引カードも大半が行方不明だ。
今は違う、町が法令や条例に基づき、町の管理会社リボルトに駐車場の管理を委託し、その収益金は施設の修繕など経費に使った上で、残りを会社の収入として会社が押さえている。その収益金は、トイレや公園などの施設管理の費用などに使用されている。これらは全て明確に会計処理され、責任者の決裁処理され、領収書もそろっている。

かの人は、長年目の前の駐車場が町営であるにかかわらず、その料金を収納せず、責任も定かでない私人が作った任意団体の好きなようにさせていた事実については一言も批判をしてこなかった。それどころか、この団体の不法行為を盛んに議会内外で擁護論を展開して恥じないのである。
前の議会では、この議員が、この団体の役員だったものの代弁をして質問するといって、議場審議がストップした。議員の質問ならいいが、誰かの代弁の質疑ということでは答弁は許されない、議員の質問か誰かの代理質問かはっきりしろと迫られ、最後に議員自分の質問だといって質問が許されたという経緯もある。議会の質疑もそれほどまでに腐ったしまったのあろうか。
今、町は、議会の協力も得て、正規の手続きを踏んでその駐車場料金を正しく収納し、公共のために有益に使っている段階で、それに反対するのである。

14、最後にこの議員は、今回の新装「海の駅」の建設費4000万円に県の補助金が入るという説明だったのに、予算書にそれが財源として入っていない、だから海の駅に反対だ、という。
県の元気の出る補助金というのはくれるということであったが、しかし、それが確定するまではどうなるか分からない、ということは、再三にわたって説明している。臨時議会まえの議員協議会でも説明し、議運委員会でも説明した。町長が説明し、課長も説明を繰り返した。この男は、大事な会議に欠席したり、出席していても人の話を聞いていないようだ。自分の想像や画策に夢中になっているのであろう。

以上の通り彼の14個の反対理由はすべて「海の駅」に無関係か、関係があっても当てこすりであって、知らない人が聞いたらほんまかいなと思うかもしれないが、全く事実無根であり、また、見当違いである。以上「14項目のウソ」について報告しました。

「赤字補填を永久に公費で賄うというフェリー以後最大の公金投入営利事業である。」という。
たとえ、いくらか赤字であっても公設市場のために公費を出すのは何も損ではない。築地の魚市場や高知の弘化台の市場に公費を費やしたからといって、誰か議員がこれに反対するだろうか。
東洋町には地方交付税交付金の商工費として毎年1000万円以上交付されている。これを他に流用して、商工業、産業復興のための政策はほとんど何もしてこず、商店街は見るも無惨に寂れたのであった。そのために人口の減少は拍車がかかった。
この1000万円は町内の商工費のために存分に使わしてもらう。

しかし、東洋町の「海の駅」は来年から赤字にはならないだろう。このたびの数百万円の町の出費で毎年5000万円以上、さらに億単位の商売が永続的に展開することになるであろう。評論家ではないのであるから、議員も町民の足を引っ張ることばかりに夢中になるのではなく、町の発展のために身を粉にして働くべきである。

最後に一言。
決して「海の駅」の事業は彼が比較するようなフェリー会社の経営とは同じではあり得ない。
古来商売のうち船会社ほどリスクの高いものはない。

第1に、出航して戻ってくるかどうかはわからない、時化にあって船荷もろとも転覆しかねない。

第二に、積んだ商品の取引がうまくいくかどうか、乗客があるかどうか分からない。

第三に飛行機や船の燃料費は巨額であり、相当な利益がないとこれを補えない、・・・など非常に危険な冒険的事業だ。行政機関たる東洋町がそれをやって惨めにも大失敗をしでかした。
しかもこのフェリー航路は民間会社が事実上倒産した事業を引き継いだものだった。最初から巨大なリスクと巨額の経費負担を承知しなければできない事業だった。どんな馬鹿でも東洋町のような小さな町の財政で支えられるものではないことは明らかだった。
前町長や議会はそれを敢えてやり出したのだ。

数年もたたぬうちに赤字になり、未熟な経営・航海技術は荒れ模様の海をおして出航してその船を座礁までさせた。そしてその損失は全て町や町民に負わせ町執行部も議会も逃げ切った。その大損害の愚行を推進したもの達が、地道な小さな町民達が寄り集まって「海の駅」の経営をやり出したからといって、自分たちがやった愚行を引き合いに出して、反対を唱え妨害をする資格があるであろうか。

言論の自由はウソを言う自由でもある。
しかし、そのウソはやがてウソをついたその人の頭の上に汚物となって降り注いで来るであろう。

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2008年11月18日 (火)

続空幕長

News & Letters/131

空幕長等の所行は、戦後日本の建国の思想(憲法9条)を践みにじろうととする、クーデターでした。

私は、幼児には、戦没遺族の家で世話になって暮らしていました。そこは私の叔父の家で、叔父は東部ニューギニア・タラワという島で戦死したということでした。
叔母と、女の子4人、男の子1人で私が加わり、文字通り赤貧洗うが如き生活でした。私のおぼろな記憶ではいつも私は泣いてました。

そこの女の子供は学校に行ったけれど誰も修学旅行には行けませんでした。ごく少数でしたが修学旅行に行けない生徒は学校に残って勉強をしていました。
私は子供心にも従姉妹らがかわいそうだと思いました。そこの長男はほとんど学校には行っていませんでした。

叔父は、タラワ島で米軍に撃たれ、「腹部貫通銃創」の致命傷で苦しみながら死んだと言うことでした。故郷に妻や子、年老いた親をおいて、異国の地まで連れてこられて死ななければならなかった兵士達。後に私は戦没学生の遺稿集である「聞けわだつみの声」を何度も読みました。この遺稿集は私の反戦運動の原点となる本でした。その中で戦没学生のことを「護国の鬼」と自称していました。

鬼というのは鬼畜の鬼ではなく、鬼籍に入った亡者のことです。無謀な戦争で祖国が滅んでいくことを悼み、鬼となってそれを守ろうというのでした。

日本国中の戦没者の遺族は多かれ少なかれみんなひどい生活の中で暮らしていたと思います。当時は遺族年金はほとんどなかったのです。

侵略者の側の兵士の家族も惨めでした。しかし、侵略を受けた側の人々の方はもっともっとひどいものです。男だけではなく女も子供も年寄りも何千万人もの人が理由もなく日本軍に殺されたのです。

殺されて残された家族の生活は・・・・。想像を絶するものがあります。
戦争の惨禍を私たちは語り継がねばなりません。
私たちのどんな社会運動にも、どんな政治行動にも、どんな行政行為にも、二度と戦争をしない、反戦の思想が貫かれていなければなりません。

アメリカのあのキング牧師の人権・公民権運動にも反戦運動が貫かれていました。反核の運動にも、反公害の運動にも全ての運動の根底に反戦思想がなければなりません。
空幕長らの侵略戦争美化の歴史観を絶対に許してはなりません。それを許すことは、この世に人殺しの思想を蔓延させることであり、強盗を正当化することです。それは、祖国を再び瓦礫と灰燼に沈め、世界を破滅に追いやることなのです。

このような戦争を繰り返すことでしか生き延びることができない資本主義の世の中を一刻も早く克服する必要があります。

日本全国の追悼式の式辞は幾百万の戦没者に対して、二度と戦争はしないということの誓いでなければならず、アジア諸国人民への謝罪の言葉でなければならないのです。
その日は耳を澄まして「腹部貫通銃創」の弾丸の痛みを感じ、みずく屍、草むすかばねとなった「英霊」達の苦しみの声に耳を傾けてください。

最後に、知事さんへの私のお願い。
戦没者追悼の式典には白いネクタイではなく、せめて黒のネクタイを締めて出席してください

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2008年11月17日 (月)

空幕長の歴史観

News &Lettes/130

シビリアン・ノン・コントロールの自衛官らの歴史観が披瀝された。恐るべきものであった。
国民も議会も誰も関与しないうちに、彼らは、独自の世界を築いていた。憲法や政府の見解を無視するどころか、積極的にそれらを否定しようとしている。これだけの思想性があれば、後もう一息の勇気があればよい。武力を持っているのだから、いつでも権力を簒奪できる。

しかし、彼らの思想は、孤立しているのではない。
学者や政治家の中にそれを支持する連中がたくさんいる。麻生にしても安陪にしても実はそういう侵略戦争美化の戦争史観を抱いている。]

それだけではない。
日本各地の戦没者の慰霊祭に行ってみよ。
戦没者を、あなた方は国のために闘って死んだ、
あなた方の犠牲のおかげで戦後の日本がある、などというアジア太平洋戦争とその戦士をたたえる式辞が蔓延している。

この戦争が間違いであり、この戦場での死が、無駄死に、であるという言葉は一つもない。
所によってはその追悼文に、先の大戦を侵略戦争だと言うことに対して真っ向から批判する連中も出てきている。

何せ、戦没者の慰霊祭だというのに、黒服なり、せめて黒のネクタイなりもせず、結婚式か何かの祝い事の様ないでたちで参列する方々が多いのにはおどろく。
戦後教育のどこかが大きく間違っているのか。
空幕長だけではない、世は、戦争の惨苦を忘れ、アジア諸国民への多大の加害行為を忘却し、いつか来た路への大きな道が掃き清められている感がする。

現在の教育の危機はまさにこの歴史観の歪曲に最大に現れた。なだれのように傾斜する亡国への運命を阻止しなければならない。
数百万の「英霊」達の慟哭が聞こえないのか。
数千万人のアジア諸国の人民への血の負債、血債をどうするのか、俺たちは、人間としての良心があるのか、私たちは死ぬまでこれを問い、背負い続ける必要がある。

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2008年11月 4日 (火)

アメリカの大統領選

News & Lettes/129

アメリカの大統領選がいよいよ明日決着がつく。
マケイン氏の共和党よりは民主党のオバマ氏が勝てばよいと思う。
オバマ氏が特別に良いというわけではない。
ましだ、というにすぎない。
共和党の侵略戦争政策にブレーキをかける必要がある。マケインは戦争を止められない。

もっと戦争を広げる可能性もある。恐慌を乗り切るために第3次世界大戦を企てる可能性すらある。
第1にオバマは、初の黒人候補としてアメリカ差別社会打破の象徴として意義がある。

白人でなくても良いとするアメリカはそこまで危機が深いと言うことだ。
黒人の大統領の出現は多くの被差別民衆の忍苦に満ちた生涯に対する慰謝となる。根深い人種差別の長い歴史に大きな転機を与えるだろう。

第2に、アメリカの金融破綻から始まる世界的な恐慌のなかで、伝統的な危機打開の方策である戦争政策を止めるということは、恐慌に対し新しい政治経済的な解決方策を樹立する以外にない。
オバマがイラクやアフガンの戦争を本当に止めるかどうかはわからないが、止めるとすれば現在の資本主義の危機をどうして乗り切るのか提案がなければならない。
「CHANGE」だけでは何もわからない。
私は侵略戦争で世界を混乱させ無駄な金と人材の消耗を重ねるのではなく、別の戦争、地球温暖化や食糧問題などへの大々的な戦争を宣言し、これに戦争と同じほどの巨額の資金と人材を動員してもらいたいと思う。そうすれば、失業者も減るだろうし、景気の浮上も期待できる。
利権にまつわる一切の侵略戦争を止め、人類が自ら作り上げた大災害に対し、宣戦布告し、これで、今の人類の苦境を救うべきだ。それは資本主義とか社会主義だととかの体制を越えた人類協同の事業である。その事業遂行の中で新しい政治的経済的秩序が出てくるだろう。
おそらくオバマには無理な話だ。

今回のアメリカ大統領選にはグリーンピース(緑の党)からも候補者が出ている。黒人の女性だ。マスコミはこの党や候補者の事は全く報じようとしない。

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