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2008年10月28日 (火)

学力テスト

News & Lettes 127/

文科省の学力テストの公表問題が論議されている。大阪府のはちゃめちゃ知事がその公表を巡って騒いでいる。
学力テストが何か教育に効果があるかのごとくである。学力テストの結果は何かをあらわしていることは事実だ。ある答案に対する生徒達の解答率か何かだ。決して正解率ではない。当てずっぽの解答が相当あるからだ。
生徒達の本当の学力を測るには遙かに遠い。
生徒の抱えている困難はそんな程度のことではない。例えば、
中学三年生の普通のクラスで、中学1年生の英語の教科書を読ませて、満足に読める生徒が何人いるのだろうか。おそらくまともにすらすら読める生徒は3分の1も居るまい。逆に3分の1は読めない。
まして、2年、3年の教科書はまるで歯が立たない。
読めない教科書を理解しろ、単語を覚えろ、家で勉強してこい、といっても不可能だ。字が読めないのだから、覚えられない。目が見えない真っ暗闇で勉強しろと言うのと同じである。
こういう生徒を相手に学力テストをやって何の意味がある。学力テストは大概マークシート方式だから助かる。それなら正解は確率の問題でいける。
学力テストが意味があるのは、クラスで成績上位の数割の生徒に限られる。

学力テストの効果は、別の所にある。
未成熟な生徒達の学力上の等差をつけ、その等差を基礎に上級進学の等差をつけ、そうして国民の社会的階層を一層固定的に基礎づける、ということだ。テストをする度に多くの生徒や親には、絶望と自暴自棄が与えられ、やるたびに夢が一つ一つ消えていく。そういうシステムだ。
それは徹底していて答案用紙どころか模範解答例も示されない。夢をたぐり寄せるよすがも与えられない無慈悲なテストだ。
社会階層が「一層」固定化というのは、生徒達のその学力の差は、ほとんど現在の社会階層の経済的社会的格差の結果として表れていて、数代に亘って永続的に固定化され強化されているからである。

文科省の学力テストとは別に十数年前から高知県など全国の教育委員会は、CRTという業者の学力テストを導入し毎年小中学校で実施している。
東洋町は、県下の小中学校がやっているこの学力テストを今年から止めた。
理由1:
この学力テストは文科省や県教委が禁止していた業者テストである。この費用(県と市町村が半分ずつ負担)は違法な公金の支出にあたる。
自らが禁止した業者テストを学校現場に導入して何とも思わないのか、県教委の良心を疑う。
理由2:
この業者テストは、欠陥だらけで私が検討した数学のテストだけでも無数の間違いがあった。
文科省にへばりついているいい加減な利権グループの作成したテストは全く信頼性がない。
理由3:
このテストは、マークシート式で、多くの受験生は当てずっぽで解答している。マークシート式テストは教育専門家も疑問視している。
理由4:
しかも答案用紙も返還されず、解答も教えられないから、生徒は間違った解答を正解と考える。教育上有害である。
理由5:
全く点数も違い、学年も違っているのに生徒にかえってくる個人評価が同じものだった、という機械的な処理がなされており、評価がでたらめだ。
理由6:
このわけの分からない業者テストのために一日の授業がパーになる。数学の年間授業が90時間とすると、一日5時間の占める割合は小さくない。それだけの授業を割愛する価値があるのか。
1時間の授業の大切さを思う教師にとっては、1日の全授業を失うことはとても悲しいはずだ。
高校などでは、正解も分からない、教育上無価値なテストのために正規の授業をつぶすなどもってのほかといわれるだろう。公立高校では業者模試をやっても授業外しかやらないし、強制ではない。
正と負の数の計算も満足に出来ない生徒がいる教室で、1時間の授業は貴重だ。

かくて、東洋町ではCRTなる業者テストの予算を廃止した。そのテストがどんなものか知らないものが、そのテストの廃止に文句を言っても取り合う必要はない。
親は、自分の子が中学1年生の英語の教科書がすらすら読めるかどうか、テストしてみるがいい。それこそが大事なテストだ。
私は、せめて中3のクラス全員が、中学1年生の英語の教科書が読めるようにしてやってほしいと思う。私は、大阪で同和教育の現場で英語の講師として働いたことがあるが、教科書を何十回も一緒に読んでやり、何百っ回も声を出してに読むことを薦めた。その結果生徒の成績は飛躍的に上昇した。頭が覚えるのではなく、舌や目が覚える。
子供達にはばかげたテストの時間よりもそういう声を出して読んだり、声を張り上げて歌を歌ったりする時間が大事だ。
官僚どもの自己満足の材料にされるのではなく、教師と生徒の現場での協同の中で生まれる実践と理論が大事なのである。貧しい家庭の子弟がどんどん国公立の大学に入れる、この世の差別社会を根底から解体できる教育実践が必要だ。
特権的社会秩序では国は持たない。
日本国の再生のためには、下克上的な社会階層の永続的回転、永続的刷新が必要なのである。

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