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2008年10月

2008年10月31日 (金)

最高裁が依拠した行政実例について

News & Lettes128/

本年4月の東洋町・町会議員リコール請求は実際には完全に成立していた。
農業委員がリコール請求代表者に名前を連ねていたから、その関与した署名簿は全部無効だと言うことで、町の選管は法令上何の瑕疵もないこのリコール請求を無効とした。
今裁判で争われていて、12月5日に高知地裁で第一審の判決が出る。
この町選管の無効決定は、昭和29年の最高裁の判例に基づくという話である。

ところで、最高裁の記録によると最高裁のこの判例というのは、直接請求の解職投票に準用される公選法の規定は、住民投票の段階だけではなく資格証明交付申請から始まる「一連の行為」に適用される、したがって公選法で立候補が禁じられている農業委員は請求代表者とはなれない、というものである。これは、昭和29年度の「最高裁判所判例解説民事編」によると、昭和28年1月28日の自治省の出した行政実例によったものと解説されていた。

ところで、
「最高裁判所判例解説民事編昭和29年度82頁」引用されている「昭和28・1・28自丙選発第17号山口選挙管理宛自治省庁選挙部長解答」は、必ずしも、農業委員が請求代表者になっていることによる署名簿の有効無効を判断したものとは解することは出来ないものである。むしろ全くそう言う趣旨のものではなかったというべきである。
そもそも、この行政実例は、請求代表者証明書交付申請の申請時間または受付時間に関する東京都選管の問い合わせ(公選法第270条の選挙関係文書の届け出の受付時間の準用の可否)に対して、その準用を可とするものであるが、

①昭和27年12月のその問答は次の通りである。
「問 地方自治法第85条により、公職選挙法第270条の2・・・が、同条は賛否投票告示以前の請求代表者証明書交付申請の当初から準用されるものであるかどうか。
「答 当初から準用される。」(昭和27、12・13 自丙選発第137号)
というものであった。

結論として請求代表者の資格証明交付の時間を公選法関係の書類の受付時間と同様とするという点では、公選法を準用するで何も問題はないが、この回答については、明らかに回答の範囲を超える可能性のある粗雑なものであった。

②そこで、翌月昭和28年1月、山口県選管が「同件」で疑義を申し出た。
「問 地方自治法第85条は解散の投票、解職の投票に限利公職選挙法中普通地方公共団体の選挙に関する規定が準用されるという法意で回答の如く「当初から準用される」事はないと思われるが御教示願いたい。」と。

この当然の質問に対し、自治省選挙部長は、
  答「地方自治法第85条にいう解散の投票及び解職の投票とは、請求代表者証明書交付の手続きに始まる一連の手続きをいうものと解せられる。」
(昭和28、1・28自丙選発第17号)
と回答した。自治省選挙部長は前回と同じく極めて粗雑な回答を繰り返した。
ここでいう「一連の手続き」とは何か明らかにしてはいないが、「一連の手続き」とは、あ
くまでも「手続き」であって、必要書類の届け出その他直接請求にかかる選管が取り扱う事務上の手続きのことであって、これが、請求代表者の資格や署名収集等解職請求の活動全体を指して言っていないことは容易に推察される。

③そこで、この問答の数年後、福岡県選管からいくつかの質問が出された。そのうち中心的な問いは以下のとおりであった。
すなわち、
「問一 地方自治法の規定による解散又は解職の請求における賛成又は反対の運動は解散又は解職の投票運動と、その前提である署名の収集を成立させ又は成立させない運動とに判然と区別されるべきものであり同法85条で準用される公職選挙法第13章の選挙運動に関する規制は、投票運動についてのみ適用するものと解してよいか。」
「問四 公職選挙法第135条から137条の3の規定により、投票運動を禁止又は制限される公務員等は、他の法令で規制される場合を除き、署名の収集又は署名の収集反対運動を行うことは可能であると解してよいか。」
          (昭和32、11・18自丙管発90号)

これらに対して昭和32年自治省選挙局長の見解では、いずれも「お見込みのとおり」という明快な回答があったものである。
ここにおいて、①②で「一連の手続き」が何を意味するのか、我々の推定(選管の事務取扱上の手続きにすぎない)が正しいことが判明するであろう。

③の昭和32年の選挙局長の見解では、
第1に、地方自治法85条の規定による解散又は解職の請求における賛成又は反対の運動は、解散又は解職の投票運動、その前提である署名の収集を成立させ又は成立させない運動とに「判然と区別」されるべきものであり、同法85条で準用される公職選挙法13章の選挙運動に関する規制は、「投票運動についてのみ」適用するものとはっきり説明されている。

第2に、また、公職選挙法で運動に制限のある公務員は、「署名の収集又は署名の収集反対運動を行うこと」は可能であること、が闡明されている。
以上の通り、最高裁や他の裁判が依拠したとされる行政実例(昭和28、1・28自丙選発第17号)は、自治省当局といくつかの県選管との一連の応答の一部であり、それは、届け出や申請書の受付時間など事務手続き上の範囲の話であるのに、それが拡大曲解されて「一連の手続き」(行政実例)を「一連の行為」すなわち請求代表者の資格やその活動全体の話にまで付会されて解釈されたことは明らかである。

昭和29年段階で最高裁判事達の判断のために用意された材料は、②だけであったが、判事達は事案の裏付けとなる法令とその趣旨、自治省の行政実例の限界をよく分別せず、受付時間などの些末な手続き上の質問に対する回答を飛躍翻転し、国民の参政権を侵害する野蛮な判断をでっち上げたのである。
それは、法の定める「成規の手続き」を経て提出された本件東洋町議員解職請求の署名簿の有効無効には何の関係もないものである。

本年12月5日の判決が、我々東洋町住民が日本国民への権利擁護のための第二の大きな貢献の日となるよう祈る。

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2008年10月28日 (火)

学力テスト

News & Lettes 127/

文科省の学力テストの公表問題が論議されている。大阪府のはちゃめちゃ知事がその公表を巡って騒いでいる。
学力テストが何か教育に効果があるかのごとくである。学力テストの結果は何かをあらわしていることは事実だ。ある答案に対する生徒達の解答率か何かだ。決して正解率ではない。当てずっぽの解答が相当あるからだ。
生徒達の本当の学力を測るには遙かに遠い。
生徒の抱えている困難はそんな程度のことではない。例えば、
中学三年生の普通のクラスで、中学1年生の英語の教科書を読ませて、満足に読める生徒が何人いるのだろうか。おそらくまともにすらすら読める生徒は3分の1も居るまい。逆に3分の1は読めない。
まして、2年、3年の教科書はまるで歯が立たない。
読めない教科書を理解しろ、単語を覚えろ、家で勉強してこい、といっても不可能だ。字が読めないのだから、覚えられない。目が見えない真っ暗闇で勉強しろと言うのと同じである。
こういう生徒を相手に学力テストをやって何の意味がある。学力テストは大概マークシート方式だから助かる。それなら正解は確率の問題でいける。
学力テストが意味があるのは、クラスで成績上位の数割の生徒に限られる。

学力テストの効果は、別の所にある。
未成熟な生徒達の学力上の等差をつけ、その等差を基礎に上級進学の等差をつけ、そうして国民の社会的階層を一層固定的に基礎づける、ということだ。テストをする度に多くの生徒や親には、絶望と自暴自棄が与えられ、やるたびに夢が一つ一つ消えていく。そういうシステムだ。
それは徹底していて答案用紙どころか模範解答例も示されない。夢をたぐり寄せるよすがも与えられない無慈悲なテストだ。
社会階層が「一層」固定化というのは、生徒達のその学力の差は、ほとんど現在の社会階層の経済的社会的格差の結果として表れていて、数代に亘って永続的に固定化され強化されているからである。

文科省の学力テストとは別に十数年前から高知県など全国の教育委員会は、CRTという業者の学力テストを導入し毎年小中学校で実施している。
東洋町は、県下の小中学校がやっているこの学力テストを今年から止めた。
理由1:
この学力テストは文科省や県教委が禁止していた業者テストである。この費用(県と市町村が半分ずつ負担)は違法な公金の支出にあたる。
自らが禁止した業者テストを学校現場に導入して何とも思わないのか、県教委の良心を疑う。
理由2:
この業者テストは、欠陥だらけで私が検討した数学のテストだけでも無数の間違いがあった。
文科省にへばりついているいい加減な利権グループの作成したテストは全く信頼性がない。
理由3:
このテストは、マークシート式で、多くの受験生は当てずっぽで解答している。マークシート式テストは教育専門家も疑問視している。
理由4:
しかも答案用紙も返還されず、解答も教えられないから、生徒は間違った解答を正解と考える。教育上有害である。
理由5:
全く点数も違い、学年も違っているのに生徒にかえってくる個人評価が同じものだった、という機械的な処理がなされており、評価がでたらめだ。
理由6:
このわけの分からない業者テストのために一日の授業がパーになる。数学の年間授業が90時間とすると、一日5時間の占める割合は小さくない。それだけの授業を割愛する価値があるのか。
1時間の授業の大切さを思う教師にとっては、1日の全授業を失うことはとても悲しいはずだ。
高校などでは、正解も分からない、教育上無価値なテストのために正規の授業をつぶすなどもってのほかといわれるだろう。公立高校では業者模試をやっても授業外しかやらないし、強制ではない。
正と負の数の計算も満足に出来ない生徒がいる教室で、1時間の授業は貴重だ。

かくて、東洋町ではCRTなる業者テストの予算を廃止した。そのテストがどんなものか知らないものが、そのテストの廃止に文句を言っても取り合う必要はない。
親は、自分の子が中学1年生の英語の教科書がすらすら読めるかどうか、テストしてみるがいい。それこそが大事なテストだ。
私は、せめて中3のクラス全員が、中学1年生の英語の教科書が読めるようにしてやってほしいと思う。私は、大阪で同和教育の現場で英語の講師として働いたことがあるが、教科書を何十回も一緒に読んでやり、何百っ回も声を出してに読むことを薦めた。その結果生徒の成績は飛躍的に上昇した。頭が覚えるのではなく、舌や目が覚える。
子供達にはばかげたテストの時間よりもそういう声を出して読んだり、声を張り上げて歌を歌ったりする時間が大事だ。
官僚どもの自己満足の材料にされるのではなく、教師と生徒の現場での協同の中で生まれる実践と理論が大事なのである。貧しい家庭の子弟がどんどん国公立の大学に入れる、この世の差別社会を根底から解体できる教育実践が必要だ。
特権的社会秩序では国は持たない。
日本国の再生のためには、下克上的な社会階層の永続的回転、永続的刷新が必要なのである。

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県下工業高校生の原発視察

News & Lettes 126/

高知民報(10月26日号)に、県内工業高校が原発への視察に生徒を連れて行っているという記事が載っていた。
平成18年度から事業化され、19年、20年度と実施されたということである。

コメント1:

これは、非常に危険なことだ。
第1に、生徒や保護者の同意を得ているのか。原発施設に入ることは多少に関わらず放射能を浴びると言うことである。放射能は五感に感じられない。
ガイガー計数機を持って入所しているわけではない。原発施設の言うままの数値を信じられるか。
放射能はたいしたことはない、と原発施設はいうだろうが、その施設で働く労働者が癌にかかっている事実は隠せない。原発について電力会社が言うことを信じる人は多くない。原発施設に一生近づきたくないという多くの人が存在しているが、それには根拠がある。
教育者が教育を名目に若い人を半強制的に死地に立たせていいのか。
生徒や保護者はこの教育視察を拒否する自由があることを教えるべきである。

コメント2:
第二に、
この事実は、高知だけではなく、全国的にやっている可能性が強い。高校生だけではないであろう。
調べる必要がある。

コメント3:
第三に、議会が何故これを見過ごしたのか、だ。
予算審議で県や教委はこれをまともには説明をしないだろう。
議員がチェックしなければならない。闇融資事件でもそうであるが、議員が予算の使途をチェックしない。事件が起こってから、知らなかった、説明がなかった、という。しかし、予算に計上されていたのだ。予算書で、使途が分からないものは、いちいち質さなくてはならない。全部の予算の使途をいちいち確認する作業が必要なのである。あたりまえのことだ。議会中の審議に入ってからではなく、予算書を事前に配布されたとき、議員が手分けして全ての予算の使途を把握する作業が必要である。

コメント4:
現場の校長や先生がたも、原発について賛否両論があることは知っている、両方を勉強するべきだ、というかもしれない。
アジア太平洋線戦争についても賛否両論がある。
賛成論を教えるのか。しかも実践的にだ。
温室効果ガスについてもそうだ。
朝鮮や台湾の植民地支配にも賛否が分かれる。
一国の総理が植民地支配を正当化している。・・・・
何事においても世の中には賛否が分かれている。
どっちを教えるのか、教師は、自分の良心をかけて教えることにも重点の置き方、事実を紹介してもコメントの仕方に選択を迫られる。
原発施設に生徒を強制連行することは、賛否を超えて、いながら賛成を強要し、その上、放射能を浴びせる。

高知民報は、学校側を擁護的に、これは、実験材料費が不足しているからだ、苦肉の策だという意見を紹介している。原発施設視察費を取れば、学校の実験材料費がまかなえるのか、両者にどんな関係があるのか記事ではよく分からないが、実験材料費の不足は不足で堂々と予算要求すべきだ。まんじゅう1個を食いたいために、原発の大毒素まで飲み込ませる必要はない。事の軽重をわきまえる必要がある。

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2008年10月20日 (月)

日本の反核運動の象徴として

News & Lettes 125/

10月18日、「原子力廃棄物を考える国際市民フォーラム」(NUMO関連団体主催)なる集会が東京で開かれた。このフォーラムに東洋町前町長の名前で田嶋裕起がビデオ出演をしたという。東洋町内では、あきれ、また怒る住民が多い。何で東洋町の名前がそんなところで出されるのか、腹が立つ、情けない、いい加減にしてくれ、という声が上がっている。
先月、高知市ではエネ庁が開催した核廃棄物キャラバン集会があり、そこでは一荒れあったそうですが、その集会の後の会場で、県民の1人が、政府職員に話を聞いたところによると、政府はまだまだ、東洋町に望みを持っている、という。
何か近じか、リコールが起こって反核町長が追放されそうだ・・・ということだ。
確かに、田嶋前町長グループやそれにつながって、新町政をつぶそうという勢力がごく一部に存在してうごめいている。
しかし、これらは、町内ではほとんど相手にされていない。孤立状態だ。したがってこの連中は、町外にデマを飛ばす。インターネットのヘイトサイトで誹謗中傷を繰り返していたが、疲れ切ってそれも消えた。議会内外でデマを飛ばしていた男は、住民によるリコールの集中砲火の洗礼を浴びている。
自分が大混乱に陥っているのに、「東洋町政は大混乱状態だ」などとあらぬ声を挙げて悲鳴を上げている。改革が発展する東洋町政からはじき出されたその連中は今度は、
「東洋町は今大変なことになっている」、「新町長に対して・・・月・・日にリコールが始まる」などとしきりに不安をかきたてるデマを飛ばしていた。そのリコールが始まるという期日は次々と変わっているが、一向に始まらない。何の名分でリコールをやるのか、分からない。誰が始めるのか、分からない。
今年の初め町長の「不信任決議」をせよという「請願書」が出されたとき、署名集めがされたそうだが、10名ほど集まったという。「請願書」は最近否決された。
シャボン玉のような反改革の夢はあがっては消え、消えてはあがる。事情を知らない他国の人は、それが本当かと心配したり、喜んだりしている。
一部の新聞までが、根拠もないことを書き立てていたが、それも下火となった。
エネ庁や原環機構(NUMO)の東洋町への希望も、このようにはかないシャボン玉にすがっているようなものである。

東洋町はとても小さい町だ。日本帝国主義・原子力産業の全重量をかけた攻勢をはっきりと拒絶した。
その主体は老翁であり老婆であり、貧しい住民たちだ。食うや食わずのその日暮らしではあるが、渇しても盗泉の水は飲まぬぞ、と言う意気は軒昂だ。

東洋町は、この四国の一隅にあって、昼は雲の柱、夜は火の柱となって日本の反核運動の象徴として存在し続ける。
国民の皆さんに理解していただきたい。東洋町の町政は健全に前進している。決して根も葉もないデマゴギーに惑わされることがないように。
今や、デマの発信者は特定されている。
そのデマと、幻惑される人々の存在こそが、エネ庁等原子力推進派の唯一の依拠するところであり、そのデマを根拠に東洋町が誤解され、邪悪な夢の舞台とされ、責められることが、私にとって一番つらいことだ。

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2008年10月 9日 (木)

東洋町議会

News & Lettes 124/

東洋町の「海の駅」に反対するなど、現町政のほとんどあらゆる改革に反対と言う議員が1人いて、「質問」を繰り返している。質問があることは非常に歓迎であり、うれしく思うのであるが、その質問もある程度のレベルが保持される必要がある。
今9月議会でのその「質問」についてコメントする。

、町営の「海の駅」へ赤字補填は許せない、という。

コメント:

「海の駅」でも何でも公共施設の建設や運営に行政が金を出すのは何も赤字補填ではない。
町直轄の会社がそれを運営すること、その運営のために金を出すことは当然のことである。
図書館でも福祉センターでも保育園でも・・・あらゆる公共施設は建設費や運営費で「赤字」経営であり、利用する国民は利用料や手数料はわずかか又は無料である。利用料などで建設費や運営費を出せ、それで採算をとれと言うことになると、公共施設は大変なことになる。この議員はプレハブの小さな海の駅店舗のための500万円の支出についてさえ「暴挙だ」といって議会で騒いだのである。「赤字の垂れ流しだ」などと非難するのであった。
その建設費と運営経費でこの1年間で1000万円程かかるが、「海の駅」としては出店者手数料500万円の収益が見込まれる。その上に、出店者自身の収益、5万人の集客等を考えると町としての、いわゆる  B by C は十分達成されている。
公共施設については、国民は無料か低額の利用料で利用しているが、しかし、それは、あらかじめ国民が税金負担でまかなってきたのである。

他所では道の駅や海の駅の建設のため億単位の公費出費を惜しんでいない。貧しい農漁業民の産品の販売拠点を建設することは小さな市町村では戦略的課題である。
公共施設の建設費から運営経費を国民の利用料でまかなえというのであれば、採算を取るためには利用料を万円単位で徴収するか、それとも、何千年単位での回収計画を立てるかしなければならない。それより第一何のために税金を出しているのか、問われるだろう。質問の中身が公共施設についての観念が完全に調子が狂って、非常識というか無常識を根拠にしているのである。

、また、町長が行政は町の直営と言っても町は株式会社には債務保証は出来ない、損害が出たら会社(会社役員も含む)自身の力で支払う、役員がその損失を保証するのだ、といったら、町が債務保証できないのに個人が出来るのか、と「質問」してきた。
コメント:
これなども無常識の質問の部類に入る。
役員であれ個人であれ、債務保証が出来るのか、などという主張はあきれる話だ。世間には債務保証だらけであり、他人のための連帯保証のおかげで財産を失ったと言う話は井戸端会議によく出るだろう。誰でも町の会社の事業のために債務保証でも
損失補償でもしてくれる人が居れば歓迎だ。
小学生であればそんな質問もあり得るが大人が議会で大声を上げてそりゃ大変だ、と言って騒ぐというのは、正気の沙汰ではない。

、東洋町の駐車場割引カード発行部数2万8000枚で行方不明が2万枚近いと発表したら、その議員が弁明(「質問」というかたちでこの議員は人の弁明もする)して曰く、それは観光協会が以前にフェリーを経営していたシーライン社に1万枚渡したからそれは不正ではない、という。
コメント:
町の財産を勝手に持ち出してただで配った、ということがどうして不正でないのだろうか。
シーラインは町が主として出資者の会社で前町長や観光協会の会長等が取締役をやっていた。
そこへ勝手に持って行ったとしたら、重大な違法行為(刑事、民事上)の責任問題が出てくる。町のためにやった、と言えば何でも許されると考えているのであろう。町の公金でも町のためだといえば領収書も決裁文書も何にも要らないということになる。実際に誰が持って行って、誰に渡したか、何のために使ったのか、1枚1枚これらを実証しなければ町のために使ったと言うことにはならない。町の相当な財産が勝手に使われたというのに、何の不正もない、不正だというのはおかしいと言って「質問」してくる議員。非常識も甚だしい。

4、町長が核、核といって危機意識を煽るのはやめろ、という「質問」

コメント:
町長は何もことさらに核の危機意識を煽っているわけではない。核禁止の条例の趣旨に従って、高知県内外の核廃棄物関係の事実(高知市に出来た核導入促進のNPO法人)について少し報告しただけである。そう言うことを数行の行政報告で触れたというだけで、このかつての核推進議員は頭に来るらしい。この議員は核廃棄物反対で大騒ぎになっている東洋町の議会(平成18年12月町議会定例会)で、臆面もなく核導入の交付金で町を振興させるのだ、それに賛成だ、と主張し、前町長にその約束の履行を迫っていた。(議会議事録は誰でも見られるから確認されたい) そして翌年1月には政府にも「要請文」まで送って核施設調査に賛成だという誓約まで出していた。それがいつのまにか、核「反対」派だと言いだし、さらに終始一貫反対派だった、などと主張している。自分をだましても住民をだますことは難しいということを知るべきだ。本会議での発言は記録されており録音テープも残っている。筆者等もその本会議を傍聴していた。そのときは何にも驚いていない。彼が推進派であることをみんな知っていたからだ。

彼は、最近の議会でも反対派を装って変な提案までしていた。核を巡る様子がおかしい、怪しい動きがある、だから、条例を改正せよ、東洋町の核禁止条例を変えるには議会で4分の3以上の議員の賛成がいる、というものにかえろ、という。
しかし、議会の表決や特別多数決は地方自治法で決められており、勝手に条例で国の法令を変えるわけにはいかない。地方自治法では、条例の採決は過半数という規定になっている。

いたずらに、訳の分からない提案をし危機意識を煽っていたのはこの議員その人であった。
このような一般質問は本人が恥を掻くだけである。

5、また、彼が所属する総務委員会での質問では、
町長の部屋は暗い、電気代がもったいない、窓を開けろ、と言う趣旨の質問があった。完全にいやがらせ質問だ。

コメント:
町長室は暗い。昼間は滅多に電気をつけないし、夕方につけても三列ある電灯のうち一列だけである。お客さんが来たらもう1列点ける。
冷暖房もあるがこれもほとんど全く使わない。
従って町長室の電気代は以前に比べて遙かに節約されているだろう、そういう風に理解するのが自然だ。だがこの議員は違う。
部屋が暗い→電気代が無駄に使われている、と「追求」するのである。
こういうくだらない、はちゃめちゃ質問のために議会は10日間も開期を構えなければならなかった。
さすがにこの議員に賛同するものはごく少数であった。

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2008年10月 7日 (火)

麻生政権の誕生

News & Lettes 123/

麻生太郎氏によって自民党が完璧につぶされると思う。この品格のなさ、この無教養、その差別主義と戦争賛美・・・、これほど完璧な反ヒュウマニズムの人物は外にいないだろう。
小泉、安部、麻生と続く人脈は、米国追従の売国と戦争・外国侵略体制を推進する点でイーポクメイキングな反動権力として記念されるべきだ。
このような好戦的で反人民的文官政府の登場は、日本にとってもアジアにとっても極めて危険である。

第二次大戦は軍部によって推進された。というのは全く正しい。だが、政府や天皇がそれに嫌々引きずられた、というのは全くの虚偽である。
その事は次の史実で明白である。

日本軍が中国東北を「満州国」として占領し、さらにろ溝橋事件などをきっかけに南京攻略など中国侵略を全面化・本格化したとき、
そのなかで、陸軍参謀本部と政府が対立した。

陸軍は、緒戦の「連戦連勝」を続けたにもかかわらず、中国人民の澎湃と揚がる抗日闘争の底深い抵抗にあって中国全土の制圧など到底不可能と考えた。そこで蒋介石中国政権と早期に「和平」しようという論陣を張った。ところが、時の政府近衛内閣は、軍部のこの弱腰にいらだち、軍部と対立し、蒋政権を相手にせずといって、強行な戦争拡大政策の遂行を主張して譲らなかった。そうして、遂に軍部をその線で屈服させた。その政府の強行策の背後には天皇がいた。天皇裕仁はこの対立において明確に政府を支持し、中国全土での侵略戦争を選択し、こうして泥沼の太平洋戦争に自ら突入する方針を裁可した。

関東軍や、朝鮮軍、それを後押しする参謀本部らは勝手に戦争をぶっぱじめたが、中国人民の激しい抵抗に遭い、現場で悪戦苦闘し、「敵」の手強さを知り、たじたじとなり「和平」の路をさぐった。

だが、何も知らない好戦的な文官政府等が太平洋戦争の無限拡大を主導し、今度は尻込みする軍部を引っ張って遂に亡国の路を歩んだ。
これが史実である。

小泉、安部、麻生ら戦争がなんたるか何も知らない文官反動連中も近衛文麿や天皇裕仁と同じように戦争へ戦争へ国家を導くことは出来る。
だが、まだまだ日本列島には太平洋戦争の惨苦をなめた国民が大勢生きている。麻生らは国民大衆の平和憲法を守ろうという牢固とした決意の前で、やがてあえなくその高姿勢が崩壊する日を迎えるだろう。
われわれは、過去の戦争の原因の真相をしっかり把握する必要がある。

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