東洋町教育の「異常事態」
News & letters 110/
ものごとの表層しか見ようとしない記者には教育委員の欠員の補充選任問題が異常だと見える。
しかし、東洋町の教育問題の深層(真相)はもっと大きな異常事態が存在する。それを新聞は解明しようとしない。新町政が初めて公然とその切開を試みている。
越境入学問題、耐震診断(耐震補強)率の異状な低さ、アスベスト天井の体育館の放置、運動場全体が借地の小学校、体育館のない中学校、くみ取り式で不快な便所、図書費の異様な低さ(各校年間15万円)、・・・・教育行政不在といっていいだろう。
違法な人為的原因で小中学校が衰滅しかかっているという越境入学などは、前々の教育長が言うには「私らがどうしてもよう取り組まなかったことを新町長がやってくれよる」と言う。
問題はわかっていながらも、あまりの大勢の越境入学者では地縁血縁などのしがらみにまかれて手がつけられなかったのであろう。
それの解決はまだその緒についたばかりだ。
教育委員会が暫定的に現状を追認したからである。これから新規の越境入学をしようとしてもその壁は高い。
高知県下どころか全国的にも異状なこの社会事象について社会部の新聞記者が目をつぶって、一方勢力争いの具にされた感のある教育委員の選任議案だけを取り上げ「異状事態」だという。地域に密着する記者の目は何処に据えるべきか、新聞社の倫理と良心が問われる。
毎朝7時半頃枕辺を騒がしげに子供達の元気な登校の声がする。喜ばしことだ。
しかし、手放しでは喜べない。地域の子供ではないとのことだ。校区外の子供達の集団登校だという。野根中学校は越境入学のあおりを食らって全校十数名にまで落ち込んでいる。野根の世帯数761、人口1351人の町の中学校としては異状だ。私はこれを議会内外で取り上げ克服するよう呼びかけた。まず母子の住居を偽って校区外に持って行くことだけは止めさせた。住民基本台帳の法令だけは犯してはならない。
学校現場の先生は教育行政に過剰に関わるべきではないであろう。しかし、全く無縁でいいというわけにはいかない。教材教具の要望は教育委員会にしなければならない、校舎校庭の整備も教育現場から声を出さなければならない。現場の教員もいろいろ教育行政に関わる場面がある。
中でも、校区制の遵守は義務教育の根幹である。公教育では、明治の学制改革によって、侍の子も貴族の子も、百姓町民、その他のいかなる旧身分のものも等しくこの校区制の義務教育に従うことになった。金持ちの子が貧乏人の子と同席する義務が課せられたのだ。近代日本では、旧身分制はこの公教育での校区制によって事実上打破され始めたのであった。
歴史的な意義を持つ校区制が、いつしか東洋町ではないがしろにされてきた。
越境入学を受け入れてきた学校の校長、担任の先生方もこの乱れた校区制の実情を知っていた。先生方は家庭訪問を何処でしていたのか。空っぽのアパートを尋ねたのであろうか。
甲浦小学校のグラウンドは狭い。野球が禁じられている。しかも、このグラウンド全体が民間人の所有物で賃借料を払っている。地主さんがいい人なので特別な配慮をしてもらって格別な地代で我慢してもらってきた。しかし、民間人の土地であるからいつかは返還するときが来るであろう。そのときには小学生はどこへ運動に行く?
伝統的に体育が盛んな甲浦中学校ではあるが、その体育館は存在しない。隣の公民館のホールを借りてその代替にしている。それも老朽化が進んでいる。
野根中学校の体育館の天井はアスベストが張り巡らされている。ボールが当たるたびに剥落している。又その体育館の周りのガラス窓も鉄枠がさびて相当大きなガラスを支えきれず、1枚1枚ガラスが床に崩落し続けている。直撃されたら即死となるであろう。
各学校図書は貧しい。教具教材費はわずかだ。便所は不衛生だ・・・・。
今年に入って新聞報道では、県下の小中学校の校舎・体育館の耐震化率(耐震診断率)では東洋町は最低の部類に位置づけられていた。
今年冬、厳寒の中、夜遅くまで町長が財政担当職員を引っ張って各学校の現状を点検してまわった。校長先生や先生に立ち会ってもらった。
そうして、東洋町の惨憺たる教育行政が浮かびあがったのであった。
財政担当職員は風邪を引いてしばらく寝込み、町長もこの数十年間で初めて風邪を引いてしまった。
町長や財政担当幹部が学校現場をまわってきたのは初めてだったということである。 新年度予算から、教育行政への相当大きな予算措置が始まった。教育行政の改革が始まった。
予算案を見れば分かるであろう。アスベストの除去工事、窓ガラスの総入れ替え、トイレの改修、耐震診断の完成、図書費の倍増、教材費の町負担・・・・
学校だけではない、2つの保育園の耐震補強の予算も計上した。
新町長は当初、補助事業を止めたり、補助事業のない一部の補助団体の職員給与を減額措置をした予算を組んだが、これには議会から猛然たる異議があがり、当初予算が否決された。特定団体の利益のためには必死になるもの達に、子供達の命にかかる教育行政の改革の意義が見えていたのであろうか。
これまでの議会で教育行政について積極的に発言した事例をきかない。異状に放置された教育行政こそ問題ではなかろうか。東洋町でも教育委員会のその存在意義があったのであろうか、疑問である。
県教委も、新聞も、議会も、そして保護者も、四川省で起こった大地震で中国の学校の惨状を見たであろう。それよりも数ヶ月前に、新町長と職員は東洋町の学校の惨状を見てまわった。
教育委員の選任、教育長の不在などよりも、眼は子供達の命、四民平等の拠点・ふるさとの学校の健全な存続に向いていなければならないはずだ。
その命の守護者達が自己の義務を全うせず、党利党略、利権あさりに目がくらみ、突然の天変地異の前になすすべがない。親たちも、がれきの前で泣き叫ぶ気持ちは分かるが、それよりも前におかしな校舎に気づいていたのであるから、こうなる前に当局に押しかけその前で泣き叫ぶべきであっただろう。
何のために郷土出身の立派な人物を教育委員に選任しないのであろうか。不可解だ。教育行政に無関心だった議会が、教育委員の選任(否認)に異常に執心し理由も言わず否決し続ける。
教育長に関係するかもしれない教育委員選任は、今も昔ももはや何らの利権事案ではない。
大分県の教員採用試験について
地域の有力ボスに対し「お金を出さなければ・・・になれないのやろか」というのはある年老いた母の最近の嘆き言であったという。
これは遠い大分県の話ではない。
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