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2008年2月

2008年2月28日 (木)

ゴミの処理 メルトセンター方式でいいのか

News & letters 69/ゴミの処理 メルトセンター方式でいいのか

私は、安芸広域組合のメルトセンターの会議に出席して考えました。50億円を超す巨額の溶融炉を作り維持費の負担で安芸郡9市町村が毎年何億円も負担しなければならない。そして地球温暖化に限りなく貢献する事業。こんな事業に莫大な経費をかけて協力する義務があるのだろうか。

例えば、考えてみよ。東洋町では週に4日、2トン車と4トン車の2台でゴミを集め安芸のメルトセンターに送って焼却している。
そのごみを徹底的に分別して生ゴミと紙類にわけ、生ゴミは堆肥にし、紙類は圧縮し丸めてペレット様にして木質バイオと一緒に燃料化する。
本や新聞紙、ビニール類などはこれまで通り資源ゴミにする。
そうして東洋町からは、焼却炉にはチリは何も出さない。
東洋町からはゴミは出さないゼロ作戦。
このために十数人のスタッフを町民から雇用しても
数千万円で収まる。
同じ経費を出すとしても雇用によってその金は町に納まり、何より環境負荷をきわめて低く抑制できる。

今の溶融炉はいくらでも、何でもゴミとして出してくれ、どんどん焼かし溶かさせてくれという反社会的、反人類的な営業方式だ。
私の目指すのは、ゴミ量を大幅に減らすこと、出てくるものはこれを選別して堆肥化、資源化、燃料化してゴミを外に出さない。そして手数を多くしてその処理に必要な出費はすべて町内雇用で吸収するという方式である。それによって我々から地球温暖化へストップをかけるということである。
この方式で完全にゴミを始末できないまでも、これまでのやり方よりも遙かに人間的で経費節減的あろう。この1年私はじっくり考えて準備をしたい。

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2008年2月24日 (日)

高レベル放射性廃棄物の東洋町での騒動について幹部職員の責任

News & letters 68/高レベル放射性廃棄物の東洋町での騒動について幹部職員の責任

東洋町の懲戒審査会の「答申」はその責任は何もなく、処分に該当しないというものであった。
懲戒処分審査の対象になったのは、当時の課長クラスの幹部職員であり、それの責任の有無を審査する委員に任命されたのは、若手職員7人であった。
それが今日の高知新聞に大きく載った。
結論から言う。
彼らには重大な責任があった。この責任は彼らが一生背負わねばならないものであり、東洋町役場の恥の歴史の中で特筆されるべきものである。

「答申」が言うのには、彼ら幹部は昨年平成19年1月25日の2回目の応募があるときまで知らなかったという。こんな答申をだれが信じるだろう。

彼らは十分知っていた。平成18年3月20日の最初の核受入の応募のこと、その応募書が原環機構から3月28日頃に戻された直後(4月3日頃)には、2階の一室で町長からパンフレットを配布され説明を受けたこと、そして、少なくとも3人以上の幹部職員は、すでに町長が原環機構に応募をしていたことも知らされていた。
そして、町役場で議会と執行部が「勉強会」をはじめていたこと、さらにおおっぴらに役場に関係当局を呼び込み町民の各団体に説明会を始めていたことも、知っていた。彼らは新聞を読んでいるから、私が室戸市議会で暴露するのを契機に新聞社が東洋町の核導入の動きを公表したことも、それ以降多くの人が反対運動に立ち上がったことも、知っていた。
彼らは町長等執行部とともに月曜日から金曜日まで一緒に過ごし、時には庁議にも参列していた。
非民主的な手法で訳の分からない連中と一緒になって前町長らが暴走をしている事実も目の当たりにしていた。ある幹部が、核導入で交付金をもらうという策を、「これしかない」と言って机をたたいて支持した事も勿論知っていた。
しかし、彼らは何もしなかった。公務員として自分の命どころか職を賭すなど考えたこともなかった。
前町長等の暴挙は、東洋町の総合計画にも、集中プランにも、その年の予算書にも、議会での正式の所信表明などでも何にも記載されていず、明らかにされていない事柄であるということも、知っていた。
東洋町の美しい自然を守るという憲章や核反対の議会決議書にも反すると言うことも知っていた。しかし、東洋町の幹部職員も、職員組合も沈黙を守った。この場合沈黙は、町長等執行部に賛同するという以外なにも意味しない。それは町民にとっては不気味な存在であった。

ときどき新聞などに出てくる言葉がある。
それは、noblesse oblige (ノブレス・オブリージ)という言葉だ。英語で言えば 
  noble obligation ということだろう。
公務員や貴族など特権を持つ者は、それに見合った義務がある、と言う意味である。
ノブレス・オブリージというのは
  Prestige entails responsibility とも訳されている。
戦争でいえば将校は、兵士よりも勇敢に戦い戦死率が高いということになる。
権力執行という特権を持ち、高い俸禄をもらうのは、
それに相当する高尚なる義務の遂行があるからである。

新聞記事には、いまさら、核廃棄物の問題を問うてなんになるんや、と言う職員がいたという。本当にいたかどうか分からない。新聞記者一流の想像的取材であろうか。
圧倒的多数の町民が必死にふるさとを守ろうとしているときに、一度も自分の意見を表明せず、汲々として自分の身分のみを考えていた、そういう公務員であったということについて、これから一生考え続ける必要があると思う。
新町政は、核に反対する町民と全国の民衆の期待を受けて樹立された。東洋町の核騒動でどう対応したのか、その年度の総括の時にあたり、また人事異動の時を迎えて、繰り返し反省材料にするであろう。
普通の町民が忘れても、町職員は、この前の騒動については千秋万古忘れて叶うまじきことである。

審査会の「答申」の末尾に職員の責任問題を問うよりも「危機管理体制」について考えるべきだという意見が載っていた。笑らかすな、といいたい。
自分の生活を守ることだけで何もせず、住民の生活やふるさとの自然を守ることについて先頭に立って発言し、行動するぞという職員の不存在では、何の危機管理ぞや。
いずれにしても東洋町の職員の意識状況はまだ、あの当時と同程度に低迷中である。

現在東洋町では週一回の庁議が開かれ、役場のすべての問題が論議され協議される。また、職場会議が開かれて職員一人一人が庁議事項や課内の業務について討論し、周知徹底がはかられる。
また、予算の査定はもとより総合計画や懲戒審査会など町長の権限の行使について十分意見表明の機会が与えられる。町長の秘密行政、独断専行は全く不可能な体制だ。

かくて、東洋町平成19年度の核騒動の教訓と反省は永続的に厳しく受け継がれる。

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道路特定財源を巡る思想

News & letters 67/道路特定財源を巡る思想

道路が出来れば便利がよくなります。
たしかに、地域に環流する道路の整備は必要です。また、町外、県外に抜ける道路にボトルネックがあれば解消しなければなりません。人や車の通行で危険な道路は拡張・改修工事が必要です。
しかし、
道路がなければ地域が発展しない、とか、高速道路からはずれているから過疎になったとかいうのはまるで見当違いです。

東洋町でも道路事情の遙かに悪かった数十年前の時代でも今の人口の2倍(8000人)が生活していました。
東洋町(野根郷)に関する県の古い記録でも、幕末には今の2倍程(3000人)の人間が住んでいました。東洋町野根川限東は土佐藩でも隔絶されていたところで、海岸には道はなく、険しい野根山越えしかありませんでした。配所、配流の土地でもあったのですが、それでも今より遙かに人口が多く、漁業や農林業、商いで平和的に賑わっていたのです。
明治十年代に生まれた私の祖母の話では、吉良川から野根へ干し大根を荷車いっぱいに積んで引っ張っていってそれを売り切って3日目に吉良川に戻ってきたと言っていました。そのころには海岸沿いに道路があったということです。
大正8年生まれの私の母の話では野根の町には旧身分のものへの差別が無く、墓所も井戸も寺もおなじで何ら気遣いがなかったとのことです。

過疎の問題は、第1に地域経済の問題であって道路がどうのこうのではないと思います。
その地域にあふれ出るものがない、生産活動が衰弱している所には新しい大きいな道路も何の用にもならないばかりか、都会に人と物が吸引されてますます一層過疎が進行するのです。
また、量販店のネット店舗進出によって地方の商店街は壊滅していきました。
鉱物や材木がないのに、大きな航路(港)も道路も必要としません。

100年前にレーニンの「帝国主義論」の冒頭には、鉄道の発展網が貧しい民衆や労働者に何をもたらすか明確に指摘されています。
それは大資本が自国民衆や従属諸国民を徹底的に搾取する動脈系統の発展であって、大都会の独占資本による周辺地方の富を吸引する導管の整備なのです。

満足に道路がなかっても町や村は繁栄することが出来た。自分たち自身でふるさとを守り、地産地消策を打ち立てて、さらに都会の者を引きつける独自の経済や文化を築くことが肝要です。

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2008年2月21日 (木)

東洋町の予算査定

News & letters 66/閑話休題
東洋町の予算査定

東洋町も来年度予算の編成で大変です。

財政政策を根本的に変革しました。
公債費や人件費など必要経費の他は、住民の福祉、教育、雇用対策(産業復興)に重点配分することにしました。
行財政改革・機構改革は積極的に推進します。
19年度の予算では人件費等で4000万円以上縮減しましたが、さらに来年度も数千万円の縮減を図ろうとしています。

行政改革で最も大きいのは福祉行政です。
豪華な福祉施設を建てていながら、又関係職員を多数抱えていながら、町の施設を空洞にし、お年寄りを県外や町外の施設・業者に丸投げして毎年数億円を出費してきた。
東洋町は人口が激減中です。仕事場も少なく、人が死んでも新しく出生する子供はわずかです。
悲しみと寂寥、弔いの鐘は日ごとに多くなっている。
誰がためにその鐘は鳴る?死んだひとのために鳴っているのではない。町並も農地も、船も、そして役場もすべてが消えようとしているのである。
聖書に言うように、誰がために鐘が鳴ると思う無かれ・・・なのである。東洋町みんなに弔鐘が鳴り響いていることに思いを致す必要があるのです。

これまでの福祉行政は県外町外の業者に貢ぐための行政でした。これを大転換し数億の金を町内に残るように致します。
これまでの財政の政策を転換し、町民の生活再建のために全力を挙げて予算査定を行っている。
無駄なところは切ります。保育や児童生徒や、お年寄りに多くの金を注ぎます。農地の復興に数千万円を出します。道路の暫定税率は予算に入れず産業団体や福祉(保育)などの住民負担軽減に使います。
人民の自己権力である東洋町政は革命的な予算編成が達成されるでしょう。

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2008年2月20日 (水)

戦後解放運動の二つの頂点

News & letters 65/戦後の解放運動は二つの頂点がありました。

一つは同対審答申をうけて(1)同和対策特別措置法の制定闘争 と、(2)狭山闘争であります。
(1)の特措法の戦いの天王山は、68年8月9日の総理府包囲・突入闘争でした。
この闘争は、これまで遊山気分で観光地などで行っていた解放同盟の全国青年集会(約1000人)を東京にもって来て、青年の大衆行動を特措法制定の実力闘争にぶっつけたのです。結局使用しなかったけれども白いヘルメット500個も用意しました。
前日全青の集会にはアメリカのSNCCの急進的学生活動家も呼んで気勢を上げました。
あくる日、総理府周辺は機動隊によって物々しく警戒態勢が敷かれていました。
8月9日の正午を期して、1000人の青年たちと、解放同盟の中央委員及び中央執行員の幹部100人が一斉に総理府に突入したのです。幹部100人は先に庁舎内に入り込み正午を合図に庁内で行動対の服に着替え、総理府の廊下を歓声を上げシュプレヒコールをしながらぐるぐると行進をし、床次総理府長官の部屋の前に座り込みを繰り返しました。外では青年大衆が真っ向から機動隊と組み合い押し合いしながら総理府の廷内に突入しました。
このような白昼騒然とした実力闘争は解放運動始まって以来のことでした。
全国から集まった100人の幹部はその日の朝、旅館で水杯を交わしました。全員逮捕の覚悟を固めていたのです。
私は京都府連の猛者駒井昭夫ら5人で決死隊を結成し、数名の警備員を押さえつけておいて、庁舎屋上を制圧し、そこから数千枚のビラをまき散らすとともに、巨大な垂れ幕2流を総理府の正面に垂らしました。私はそのとき警備員二人の首を両腕に巻き込み押さえつけて動けないようにしました。
なぜか忘れられないのは総理府の屋上から見ると、そのとき原水禁か原水協かのデモ隊が道路を進んでいるのが見えました。

床次長官は我々のこの大胆な実力闘争の前に屈服し特措法の制定を約束したのでした。
これによって、戦後長い間続いた同和対策の国策樹立要求の闘争は収束したのです。
この日の闘争を計画し指揮したのは中央本部の青年対策担当の書記であった私と中央本部で唯一の常勤の中執であった西岡智であります。
西岡智がいなければ、特措法の制定がいつになったかわかりません。お願いします、要求しますの口舌の運動ではとうてい埒があかなかったでしょう。
全員逮捕されてもかまわないという決死の戦いがなければ人民の要求は成就しないのです。
勿論私にしても西岡にしても、この特措法で出された巨額の金で同和地区の幹部連中が今日に見るように鼻まで浸かって窒息状態になろうとは夢にも思いませんでした。しかし、その予感は十分していました。

(2)だからこそ、私らは狭山闘争を起こしたのです。
予算獲得の物取り闘争ではだめだ、狭山の反権力闘争で同盟内部や部落大衆の意識を改革し、反権力・自力更生の道を切り開こうとしたのでした。大衆運動の指導者は、その事業そのものの意義だけではなく、その事業や戦いの歴史的な意義も追求しなければなりません。この闘争を勝利に導くことによって更に次元の高い政治的目的に向かわねばなりません。労働者のパンを求める戦いもパンだけに終わってはならないのです。なぜパンが奪われたのかを究明し、パンを確保する恒久的な政治勢力の形成が必要であることを大衆に分かってもらわねばなりません。
そういう私の意見を理解し受け容れてくれたひとは当時は西岡智一人だけでした。理解だけではありません。その理解を即刻実現しようとしたのも西岡だけであります。西岡は何も哲学や経済学をやってきたわけではありません。彼は切実な要求を持つ部落の大衆運動で感性を磨き、自己を形成した男であります。しかし、彼の天性の感性と頭脳は、即自的に高い政治的判断を可能とするところまでに達していたと思います。だから彼には、中核だとか、どうだとかいって過激派を嫌う既成左翼の頑迷な意識とは無縁であり、広範な反体制運動を包容する解放運動を展開したのです。狭山の闘争はパルチザン闘争のようにあらゆる党派を結集し統一戦線をくんで発展していったが、それは卓越した西岡の戦略的判断であり、包容力だったのです。狭山闘争は、私の浦和地裁闘争で突破口を開き、現地調査体制や、公判闘争などで私が先行し、突出した戦いをしていましたが、やがて解放同盟を基軸にした西岡の戦略的編成の中に吸収されたかたちになったのです。
二人の戦いは期せずして大きな効果を描く結果になりました。
    ・・・・・・ 続く・・・・・

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2008年2月19日 (火)

西岡智「荊冠の志操」出版記念集会

News & letters 64/西岡智「荊冠の志操」出版記念集会に出席して

2月17日(日)夕方6時 大阪上六の都ホテルで開催されました。私も招待され出席しました。
西岡智は私の解放運動の師匠であり現在関西での東洋町支援の司令塔ともなっています。
この人は戦後部落解放運動の最大の功労者でノーベル平和賞ぐらいのものは授与されてもおかしくない、そのような存在でした。今高齢になり病体ではありますが、いまだに気骨のある警句を発し続けています。それを本にしたのが「荊冠の志操」です。
その清廉潔白な姿勢のゆえに現在解放運動の本流から疎遠にされ、いわば「失脚」したようなかたちになっていますが、戦後の解放運動を切り開いた最大のリーダーであったという事実は消えないでしょう。

私が、西岡智にあったのは昭和43年ぐらいの初春であったと思います。当時私は大学を卒業前で、ある新聞社の筆記試験に合格し、就職の前祝いをしていたところ面接試験で私一人不合格になり、奈良本辰也先生の紹介状をもって、大坂環状線の桃谷駅近くの解放同盟中央本部に来ていました。
奈良本辰也教授は立命大学の日本史研究室の中心人物で同時に部落問題研究所の理事長でもありました。私はそこの歴史学徒でありました。
しかし、中央本部の谷口修太郎事務局長はすでに別の人間を採用しようとしていて私の採用についてうんと言いませんでした。私は執拗に3日か4日通って就職させてくれと頼みましたが、修太郎事務局長は肯んじません。先に採用が決まっていた人は地区外のもので、しかも私が大学で立命日本史学の恒例の「夏期講座」で部落史や女性史を取り上げるように主張したときそれに反対したひとでありました。
昔の旅館を改造した木造の中央本部の一室で自分を働かせろと執拗に食い下がっていました。
どうも採用されないという理由は私が中核派の学生運動をしていた、ということが理由だということでした。要するに過激派だということを誰かが悪く告げ口をしたのでしょう。
そのとき、板壁一つで仕切られた隣の大阪府連の書記長で中央本部の常駐の執行委員だった西岡智がその様子を見ていて、「部落の子が大学を出て解放運動で働こうというのは例のないことだ。中核派でも何でも元気のいい青年だから採用してやれ」と言ってくれ、また、たまたま本部に来ていた中村拡三(同和教育)先生が言葉を添えてくれて、私は中央本部の書記の職に就いたのでした。

私が不採用になったある新聞社の面接試験では私にとっては忘れることが出来ないおそるべき事がありました。
面接試験には筆記試験に合格した学生10人ぐらいがおりました。私が呼ばれて入っていくと10人ぐらいのいかめしい試験官がおりました。その中に肩書きが編集長で たかぎはっしゃく とかいう人が主に私に質問をしてきました。他のことは忘れましたが、次の問答ははっきり覚えています。
問 「あなたの父親は誰か」
 私の父は・・・・です。幼い頃父母は離婚しました。
問 「しかし、あなたの戸籍には父親の名前がない」
 いいえ、そんなはずはありません。私は母と父と姉 
 と4人で一緒に暮らしたこともあります。
問 「この戸籍にはあなたのいう父親の名前は記載 
 されていません」
私は返答に窮し、顔が真っ赤になっている事が分かるほど血が頭に上っていました。
私は戸籍謄本などは中身をよく見ずに提出していましたので、不覚を取ったわけです。
面接試験で落とされた理由は、親の事だけではなく学生運動のこととか、また筆記試験の成績とか他に理由があったかも知れません。
私の母は、結婚したけれどなぜか父の戸籍に入籍されていなかった。従って私と姉はいわゆる「ててなしご」として母の籍に入れられたままだったわけです。
父の系統は徳島の神主で母の出自を問題にしたのでしょう。私が徳島の福島小学校の時分、父の親戚が経営する大きな旅館に天皇陛下(昭和天皇)が宿泊に来た。そのとき親戚一同が玄関に並んでお迎えをしたなかで、なぜか、母はその中から除外されていたという。

私は自分の出生の経緯からも、又自分が生まれ育った貧しい地域の事情からも解放運動に一生を捧げようと決心して勉強し、生活を律していました。
私の生まれた部落は後に分かったのですが、大阪市立大学の山本登先生が実態調査に入っていてそれをまとめた本で「まさに文化果つるの地」だと断定したそういうところでした。
私が高校生の時は60年安保闘争があり高校生の時から政治や社会問題に強く興味を持っていました。大学は部落問題研究のメッカであった立命館大学の日本史学を選んだのでした。勿論卒業論文も部落問題でした。学生運動ばかりの4年間ではあったが、部落問題や同和教育が私の専門だと考えて勉強してたのでした。だから、私こそが解放運動の拠点に入って働くのは当然であると信じていたのです。

西岡智の鶴の一声で私は解放運動の第一線に立ったのです。
当時は西岡智が大阪でも全国でも解放運動の輝ける指導者でした。私はその元で数年間を過ごしました。そしてその当時は全国水平社の生き残りの指導者がまだ元気でした。朝田善之助、岡映、上田音吉、北原泰助ら・・・が生き生きと活動していました。共産党も社会党、民社系のものもみんな一緒でした。中でも私は岡山の岡映にかわいがられ、夜寝るときもいつも同じ部屋に引き込まれ昔の闘争の思い出を語ってくれたものでした。ただこの人は寝るときものすごいいびきをかくので閉口しました。
今では解放同盟と言えば利権集団かなにかのように嫌われているむきもありますが、当時は解放同盟と言えばみんな粛然として襟を正す、世の不正を打つ、それ自体が倫理的な存在であったのでした。
私は西岡智の言うことはろくに聴かなかったし、西岡の期待を裏切り続けてきたものですが、大衆運動としての解放運動を生で経験させてもらい、常に一緒にいて種々の教訓を聴かされたことは私にとって非常な幸運だったと思うのであります。
無実の石川一雄にかかる狭山の闘争も最初は誰もその重要性を理解していませんでした。関東の一地方の出来事という取り扱いでした。中執では野本武一さんが遠慮しがちに問題提起をしていました。
私と西岡がこれを戦前の高松裁判闘争以上の大闘争にしようと決心したのです。
私は組織の外に出て全国を歩いて自由に戦線を拡大し、西岡は解放同盟本体を大きく動かしました。

      (続く)

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2008年2月18日 (月)

再度道路特定財源について

News & letters 63/再度道路特定財源(暫定税率)について

私の考えは次の通りです。
1、この10年間の道路特定財源の半分は一般財源に回し、日本の食糧自給率の60%回復の事業など農山漁村の復興事業に使うべきだ。
2、残る財源のうち1兆円は東洋町のような末端地域の道路整備に使うべきだ。
以上は、特定財源(暫定税率)が維持されるのであればという前提です。

ところで、暫定税率が廃止されると確かに東洋町の歳入は1700万円減額となる。
一方、
暫定税率が廃止され1リットル25円ぐらいガソリンが安くなるとすると、東洋町にある約2000台の車は1台につき年に3万円から5万円の負担が軽減されるとして、町民全体では6000万円から1億円にのぼる負担が軽減されるという計算になる。

行政の長としてどちらを望むか、考える余地はあり得ない。町民の利益を優先しなければならない。
道路は現状のままでも生きていけるが、生活費が無ければ生きていけない。この小さな町で億単位の税の負担は決して軽いものではない。
まして、交通が便利になるということが大都会に富や人材を吸引され、過疎がどんどん進行していくという現実を考えるなら、そのために大損までして道路特定財源を支持するいわれはない。
栄華を誇る利権の亡者たち、国家衰滅を顧みない道路族の一層の繁栄のために、なぜ我々が犠牲に供されねばならないのであるか。

東洋町の本日の庁議では次のように決定した。
暫定税率が維持されたら1700万円の歳入が確保される。しかし、その金は20年度の予算には計上していないから、入ってきた段階で、産業従事者に燃料費助成金として分配します。
      農林業 500万円
      水産業 500万円
      商工業 500万円
      その他、福祉、観光など 200万円
これはむろん、議会の承認がいります。

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2008年2月15日 (金)

東洋町の福祉行政

News & letters 62/これまでの東洋町の福祉行政

平成5年に約6億円かけて東洋町は福祉センターを建設しデイサービスをやっていました。中は豪華な部屋や事務室、風呂があり、数百万円の用具が備わっていました。
平成18年にその施設での事業が全部廃止されました。それは徳島の有力政治家の経営する施設を東洋町に導入(1000坪の土地は無償貸与)したからです。爾来6億円の豪華な施設は空っぽで用具も何も使われず放置されています。
この施設は、国庫の補助金は一銭も受けずに地総債(55%交付金算入)だけで建設しています。
6億3千万の事業費のうち4億4千万円の町の持ち出しで建設したということです。
当時では国の補助金は4分の3は当てになったのになぜ過大な町の負担で建てたのか、極めていぶかしい。しかも十数年で使わずにおいてある。

私は、この施設を活用(改装)するために計画をたてつつあります。この施設で老人を収容し、自己負担のないようにしようとしています。
それにしても、県外の政治家の有力者の事業を栄えさせるために巨額の公金で建てた行政の施設を放棄するというのだから、無茶苦茶だ。議会がどうしてこのような無駄をゆるし、行政財産である運動場を無償で貸付る無法行為を決議したのか、理解に苦しむ。

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2008年2月14日 (木)

岩国市長選の結果について

News & letters 61/人民新聞社へのお手紙

岩国市長選の結果について


米軍の空母艦載機の岩国基地受入に反対していた井原市長が敗北したことは実に残念です。
国の財政支援と引き替えに極東最大の空軍基地を受け入れた市民の考えはどんなものだったのか聞いてみたい。

私は、一昨年の暮れ当たりに東洋町の高レベル核廃棄物に反対し、一軒一軒新聞を配って回った時に、多くの激励の声を頂いたが、中には、核受入れ賛成の意見の方々がおり、仕事場に招じ入れられて、長時間話をすることも幾度もありました。
その人人の意見は、今仕事がない、収入源がない、核の恐怖よりも今日明日の生活の不安のことで頭がいっぱいだ、家族をこのままでは路頭に迷わせる、という話がほとんどでありました。
中には、核を持ち込ませてそれで巨万の金をせしめようと考えていた人もいたと思いますが、その人々はそんなことはおくびにも出しません。
岩国の市民の多くも同じような意見だと推測します。
まさか、軍事基地の強化が好きだ、米軍が好きだ、艦載機の危険性や騒音は問題ない、と言う人がいるとは思いません。問題は、生活苦から逃れようという者、または、これ以上の享楽を得ようとする者の願いや欲望に対して、我々反対派がどう戦ったか、いかなる論理で市民に訴えたか、ということです。
これはさきの大戦で戦争に反対する市民が軍国主義者やファシストとどう戦ったか、ということと同じ問題です。
選挙で井原陣営がどのような論理を展開したかよく分かりません。しかし、井原陣営は今回の選挙では、多くの市民の生活苦からの感情や一部の享楽的利権感情に勝てなかったことは事実です。

東洋町は人口3500人足らずの小さな町ですが、私はその町に徹底的に核の恐ろしさについて、新聞やビラで宣伝をしました。外から介入しないでください、とか町民の自主性を・・とか言う人もいましたが、私はかまわずどんどん町に入っていきました。
私をくどくどと引き留める人に対して、私は逆に罵声を浴びせてやりました。確かに、私の介入は町民の「自主性」を損なったかも知れない、選挙権もない外部の者が厚かましい、と思われたかも知れない。
しかし、千万人の敵がいても自分が体を張ってこれを阻止するぞ、誰が何と言っても澤山は人の言うことを聴く人間ではない、という姿勢、もしかしたら、多くの人の生活権を脅かすことになるかも知れないが、それでもこの企てを砕いてしまうのだ、という強い信念を行動で示すことが大切だったわけです。
多くの町民が、私の新聞を食い入るように読んでくれました。よぼよぼの高齢のおばあさんがめがねをかけてもどかしそうにページをめくって読んでくれました。大阪の親戚にも送りたいからと言うので余分に手渡しもしました。
国のほうの資料では、私の新聞が核について誇大な危険性をでっち上げて間違った意識を町民に植え付けたのだ、等という総括がなされていました。

私だったら、みずから市長職を投げ出し市長選をすることはしなかっただろう。最後まで反戦反基地の市長のいすは死守したと思います。敵にいかなるチャンスも与えないように努力することが大事な戦略だったと思います。私ならてこでも動かない。
予算が承認されなくても幾年でも暫定予算でしのぐだろう。仮に相手がリコールをやるならそれを受けてたち、リコールを粉砕するために全権力、全知全能を駆使して戦っただろう。
その権力は反戦反基地の全国民の牙城であった。
私なら、権力にしがみついて、そうして市民にたいし、米軍の危険性、戦争の悲惨さ、反戦平和の大切さを徹底的に宣伝し、時間を稼ぎ正しい世論を形成したであろう。ふるさとを売り、国を売る連中の姿を赤裸々に写しだし、貧しくても自分たちで産業を復興する道を指し示すことに全力を挙げることが必要であったと思います。
敵に不必要なチャンスを与えたのは大きな失敗だったと思います。

東洋町でも今でも核推進派や利権グループが私をリコールし、夢よ今一度、の邪悪な陰謀を巡らしている連中がいるとのことです。
そうなれば、私は堂々と受けて立ち、よきチャンス到来と、一網打尽に核廃棄物の残党を粛正するでしょう。
私は自分みずから町長職を明け渡すような愚かなことはいたしません。この得難い権力(人民の自己権力)はそう簡単には手放しません。
この権力のあるうちに、不正や腐敗を一掃し、公正な行政の体制を立て直し、そして住民の福祉と教育の充実、地場産業の復興とを成し遂げるために為すべき事を為さねばなりません。
この権力にあらがう反動的勢力の画策は徹底的に掃討するでしょう。
「掃討」とか「粛正」とかいってもそれは何も暴力や脅し、独断専行をやるということではありません。
徹底的な民主主義の実行、厳正な法令遵守でもって粛々と行政を遂行するということです。
反民主主義・利権政治に対しては、民主主義の頑迷固陋な実践がプロレタリアートの鉄の解答です。

前の岩国市長井原さんは権力欲のまるでない、あまりにもさっぱりとした人格高潔な人でありました。
しかし、この汚れたリアルポリチックスの中で人民の権利を守り祖国を守るのは、理想主義だけではなくマキャベリスチックな現実的な策略と権謀術数の行使も必要です。合法的な枠内で出来うる限りの努力を惜しんではなりません。
政治は目的倫理だけではなく結果倫理だということを肝に銘ずる必要があります。目的や動機が純粋で立派だとしても、その結果が人民の利益を損ない、敵に権力を明け渡す機会を与え、そうして祖国を滅亡に追いやってしまう結果では、何の意味もありません。

岩国市民の皆さんが捲土重来を期して再起することをこころより期待します。
尼子の武将山中鹿之助が月に向かってうそぶいたように
    敵よ来たれ苦難よ来い
という精神でがんばってください。

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2008年2月10日 (日)

道路特定財源の現行制度について

News & letters 60/道路特定財源、暫定税率の現行制度について 私の見解
 逆暫定特措法の制定を

結論から申し上げます。
私は自民党与党らのこれまでの政策に全く納得がいきません。全国の地方自治体の大方の意見、現行の制度維持の考えについても全く理解できません。
私の意見は、現行法律とその運用に対して、10年間の逆暫定措置法を作ってもらいたい、ということです。

すなわち
1 今後10年間は暫定税率を含む道路特定財源の半分をこれまで通り道路建設費などに使用することにし、
2 残る半分(30兆円)は全国の市町村の生活再建の資金に回してください、ということです。とりわけこの半分の資金は全国の農山漁村の地場産業復興、それによる日本の食料自給率60パーセント達成のための事業費などに回してくださるようお願いします。

1の道路建設費用の場合でも、そのうち1兆円ほどは、高規格道路ではなく末端市町村の生活道路整備費に回してください。東洋町には、歩道や路肩のない国道区間があり車道・歩道兼用道路の上(車道の真ん中)をお遍路さんの団体が歩いています。
また、少し雨が降ると道路が遮断される長い区間があり、地元のみならず商用、観光の車も通れません。高知県は大雪が降れば北方の山越えの道路が閉鎖され、京阪神へ行くには海岸を走るしかないのですが、その海岸線の国道も東洋町で閉鎖されるのです。
少しの予算での道路拡張やバイパスの設置がこれら難所を解決してくれます。
これまでの道路特定財源のおこぼれさえも私たちの末端には届いていません。
これまでの道路行政は私たちのような僻地のひどい道路事情を宣伝文句にしながら、実際は政治的勢力の強い都市部を連結する高規格道路ばかりに巨額の金が注入されてきたと言っても過言ではありません。


(私の提案について背景説明)

徴収の仕方、額などは別にしてもこれまでの道路特定財源の使い方はあまりにも問題がありすぎます。

1 国家財政が崩壊的危機にあり、全国民が生活苦にあえいでいるときに、その国民の血税を道路建設優先にする理由は何もないと考えます。
現状の道路を維持し少しずつ建設を進める程度でも国民経済は成り立つと思います。
国民の生活再建、とりわけ食料の自給率を60%以上に上げること、そのため農山村漁村の地場産業復興事業に資金を回す必要が、他の何よりも優先します。そうしてまた、廃れた林業を回復し木質バイオマスなどエコエネルギーを開発して環境保全に全力を挙げる必要があります。
道路建設費は半分に抑え、残る半分を自然環境保全と食の自給率の抜本的向上に回す必要があります。
この政策転換で5兆円以上もの食料輸入(そのうち中国から1兆円)を半分でも減らし、国民の食と健康を守る事を優先すべきです。
食料や環境保全の中期計画を早急に打ち立てて、道路建設にだけ使っていた税金を一時的にでもこの方面に集中的に注入する暫定措置法を作ってください。

2 全国の市町村長さん、考えてください。1万4000キロという高規格道路網の整備によって多くの市町村は潤うでしようか。話は全く逆のはずです。
全国に多くの過疎の村、限界自治体が続出しました。旅宿のにぎわいは半減し、廃業が相次いでいます。山も野も田園も荒れ果てました。
理の当然です。高速道路網が完備されたら、巨大な橋が出来たら、これまでよりずっとよくなるという期待に反して、そのことによって地方は寂れたのです。
道路の整備によって大小の都市に人は集中し、財物も集中し、商圏も中心都市に濃縮されていきます。
地産地消の自然経済のシステムは崩壊し、地域文化はその担い手とともに解体し、総体として地域の人間的文化的紐帯はばらばらと朽ち果ててしまいました。道路の整備によって大型量販店が全国に競争的に発展し、地元商店街は壊滅で閑古鳥が鳴いています。高速道路に乗って大資本の大量の商品を運ぶ車両が地方の経済を踏みつけて勝利の凱歌をあげています。

国破れて山河あり・・・・
戦後、灰燼に帰していた都会を復興したのは、地方の農山村漁村のちからです。都市が滅びても地方の山河が緑豊かで都会の人をよく養ったから民族の復興がかなったのです。
日教組の歌で「戦い超えて立ち上がる、緑の山河雲白く、今よみがえる民族の・・・」というのがあり、戦後の小中学生が運動会でよく歌わされたものです。
地方の山河が日本の屋台骨を背負っているのです。それを復興しなければなりません。

3 高度成長期以来地方衰微の傾向を促進し続けたきた原動力が道路への偏った税財源の集積です。
国民の生活と福祉や教育、環境保全が先です。
コンクリートの構造物にだけではなく、道路特定財源の半分を地方経済の復興に回すこと、日本人の原郷をその緑と豊かな食料とともに復興するために使うようにしてください。

これまでの永続的な道路偏重の税金の使い方は暫時一休みをし、
ここ10年間は私の提言するとおり、道路特定財源の半分を国民生活再建、環境保全に使う、
「逆暫定特措法」の制定をお願いします。

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2008年2月 7日 (木)

教育行政改革の原点

News & letters 59/教育行政改革の原点

教育行政の改革(平成20年2月6日付「教育費についての要請」)について、校長先生の一人から、「大変ありがとうございます」という言葉がありました。

しかし、この感謝の言葉は、私には当たらないのです。これは、一種の断罪の文書だからです。
これまで憲法の義務教育無償の趣旨をないがしろにして保護者に平然と請求を回してきた行政(国、県、市町村、教育委員会、学校)に対する糾弾であり、行政の立場からすれば、国民に対する謝罪文であるわけです。

校長先生等は、これまでのやり方について憲法違反行為をしてきたことについて反省がなければならないのです。行政のものがお互いに感謝し合う立場ではありません。
それは、教材も満足にそろえることも出来ず、教室で肩身の狭い思いをしてきた貧しい子供やその保護者達の当局に対する糾弾状です。
絵の具や硯どころか教科書でさえ手に入れることが出来ず、上級生の家を尋ねては古い教科書をもらいに回って惨めな思いをした半世紀前の澤山少年の告発状なのです。

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2008年2月 6日 (水)

教育行政のあり方について

News & letters 58/教育行政のあり方について

教育行政のあり方について文書を発行しました。
「教育費についての要請」をダウンロード

憲法26条の規定では義務教育は無償となっている。しかし、実際には莫大な費用が公教育に子供を預けている保護者から徴収されている。
全く問答無用で当然のごとくに子供達に持たして請求書が回ってくるのです。
私らの子供自分は、学校が勝手にものを買って銭もってこいなどという野蛮な行為はありませんでした。
服装も自由でした。・・・学校指定店など公的機関の指定店などあり得べくもありませんでした。
しかし、今は野放しで規格品の押し売りです。
学校や教職員がこのようなことをすることは許されません。先生の職務には業者の商品の販売手伝いなどという業務は入っていません。
公教育での教材などの費用は第1に行政に請求されるべきで、町民に請求することではないのです。
これが憲法の趣旨です。
私の子供自分には、私も含め書道や図画工作の道具がなく、外で遊んで時間を過ごしたものです。

義務教育とはCOMPULSORY EDUCATION
であり国民に強制しているのであるから、その負担は当然国家が負うべきです。

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