« News & letters50 | トップページ | News & letters 52 »

2007年12月31日 (月)

News & letters 51

仕事納めの式の言葉
平成19年12月28日午後5時東洋町役場ロビーにて職員全員による仕事納めの式典を執り行い私は次のような発言をしましたがそれにいくつかの言葉を足しておき、今年の締めくくりにしておきたい。

1、核廃棄物の問題について
  東洋町への高レベル核廃棄物の導入の企てはあえなく失敗した。今でも政府は、それを東洋町民の「誤解」だとか喧伝してい、また、その核廃棄物の問題を「風評被害」程度に薄めようとしている方々がいるようだが、我々は東洋町民の示した判断の重みを受け止め、この選択を全国民の選択にまで押し広げていくべきである。
その危険性は、ただに地震や災害や事故の時に危険に陥るだけではなく、政府原環機構が隠し続けた核埋設施設の排気口からの放射能から日常普段に汚染されるのであり、世界最大の汚染地帯であるロシアのマヤークの核廃棄施設に次ぐ最大規模の汚染施設の導入による危険を意味したものであった。
今後われわれは、あらゆる核の導入を拒否する条例を定め、東洋町民が示した反核の政治的管制高地をまもりぬき、この成果を全国に波及させなければならない。この管制高地は次のように位置づけられる。
平成19年度に原発産業に大きな出来事があった。
第1に、六ヶ所村の核燃料再処理施設の稼働が失敗したこと、
   核燃料のサイクルの一環が破綻した。
第2に、柏崎刈羽原発が地震に直撃され、日本の原発が累卵の
   危機上に成り立っている姿を国民に示したこと、
   しかも、自然災害が無くとも志賀原発で臨界事故を起こ
   していたことが判明したようにその危険性は覆うべくも
   なく日常的に遍在している事実がわかったのである。
第3に、東洋町などで核廃棄物の最終処分場が国民の拒絶に
   会い続けその建設にめどが立たなくなったことである。
2007年は、化石燃料高騰や地球温暖化の論議の沸騰のなかで日本や世界が原子力依存の回帰基調にあったが、その傾向に冷水が浴びせられたのであった。我々は油断せずこの年に勝ち取った管制高地を死守しなければならない。


2、法令は民主政治の根幹である。むろん法令にもいいものも不十分なもの、悪いものですらあるであろう。しかし、日本国憲法とそのもとの現在の法令はおおむね遵守するに値する。今、国と言わず地方と言わずその法令が権力者によって守られているかと言えば全くそういうわけにはいかない。権力者に都合のいいことは守られているが、人民の権利や人民の福祉に関する法令はいい加減にされたり、踏みにじられたりしている。憲法9条のように法そのものが曲げられ、換骨奪胎されているものもある。中央から地方まで公務員のダブルスタンダードが横行しているのである。
ダブルスタンダード。
全国の役場では防衛省のモリヤ君のように国民は法律を守れ、わしらは守らなくてもよいという行状で詰まっている。
東洋町もしかりであった。法令の規程を守らず、更に施行規則も作らず、契約であれ何であれやりたいようにやってきた。
一部新聞にも報道されてきたが、町民の知らないところで行われてきたこれら厚顔無恥な無法行為は「粛正」されなければならない。
粛正。それは何も恐ろしげな事ではない。人を粛正するのではない。法律を遵守するということである。それはきわめて楽なことであり、人間自然的な行為である。
ずいぶん粛正してきたがまだまだ東洋町にもしなければならないことがいっぱいある。一つ二つの例をあげる。
越境入学問題。
そのために一つの中学校が長い伝統を支えられなくなって消滅しかかっている。この違法行為を役場の職員が率先範を垂れ、町内に住んでいながら人件費町丸抱えの団体幹部夫婦が県外に住居だけ移して越境入学・越境就学の模範を示している。
先日の幹部昇級試験では私は「獅子身中の虫」という熟語を問題に出した。公務員やそれに準ずる職員は、少なくとも獅子身中の虫であってはならない。ふるさとを愛すると言うことはどんなに粗末なものであってもふるさとの母校を愛すると言うことなのだ。
越境入学の問題についてこの5月に教育委員会に尋ねたがそんなものはありませんという答えであった。県教委に調査を依頼したが、市町村のことは知りませんという答えであった。東洋町で越境入学が横行していることは机上の話ではなく、親が越境の送り迎えをしている一つの日常風景である。この問題に対して「居住の選択の自由」だと抗弁する教委の幹部に対して私は怒鳴った。
その声は庁舎に響き渡る程の声だった。「仕事がいやならやめろ」と。
越境入学のためや課税を逃れるために住民票を偽ることは住民基本台帳法違反はもとより公正証書原本等不実記載の刑事犯罪なのである。これを放置しておれば、こっちは負担ばかりで、地方交付税交付金などがよそへ入り、当該市町村は空洞化するであろう。

住宅問題。
黙って公営住宅に入り込んで3年間という人もいる。家賃を全く払わないという人が半分ほどいる。それでいて改修費は、近隣市町村の10倍も使っている。今年度分の予算まで前年度に改修工事が終わっているという。したがって今の予算は前年度の事業の支払いなのだという。そういうわけであろう年度初めの4月5月に予算は完全にからになっていた。

住宅新築資金の滞納。
10億円の貸付事業をして今3億円の滞納だ。やがて最終的には4億円にふくらむことは確実である。貸した金の40%が回収できない状況だ。法的手段に出るしかない。
貸付をした当時返済する力のない人、支払う意志がそもそもない人、互いに保証人のなりあいをしているものなど貸付業務そのものがずさんであったということはどこも同じだが、東洋町では地区住民以外に貸し付けるなど相当ずさんなことが行われてきていた。
裁判に訴えているが、そのなかで、次のような事件も出てきた。
町役場(町長ら)が当時議員であった借受人の担保として取ってあったその家の担保の、その順位を勝手に変更していて、その家が競売に付されたとき、町は一銭ももらえなかったという事件である。
抵当権は公の財産であり、この処分は議会の議決が必要なはずであった。10数年前の執行部の背任行為は今、町財政を圧迫する。


3、産業復興
行財政を改革するのは、性格上の潔癖性や復讐心ではない。
一銭でも余分のお金をかき集めて住民の雇用の保障、産業の復興や福祉に金を回すためである。住民の働く場を保証する、生活を守るということが基本的人権を保障をする第一の課題である。
従来の行政はこのことにあまりにも無関心で冷淡であった。どんな行政施策や事業も住民の働く場、収入の糧になるように仕向け企画されねばならないし、その過程では、それが一部の利権集団に恩恵が与えられるというものであってはならない。
例えば、広大な駐車場やデラックスなトイレのある白浜ビーチに「海の駅」のような今や当たり前の施設でさえ東洋町は建設に着手しなかった。その施設は一部有力者に実効支配されていた。
私はその施設の管理を正常化し、無法行為を追っ払らった。
そこに物産店の建設を呼びかけ、また、住民が署名運動をしていても、有力者や議員の一部ではこれに応じようとせず、中には議会で「暴挙だ」とわめく人もいるほどであった。海の駅や道の駅の建設がどうして「暴挙」なのか。いつまでも町の生産者が近隣の市場に産物をもって行って売ってももらわねばならない、という状態でいいはずがない。粗末な施設から力をつけながら自力更生の道を歩まねばならない。近く東洋町は会社を立ち上げるが、多くの町民がこれに参加し、雇用の場を確保しながら、農林業、漁業をこの会社で担当し、廃れた田畑をよみがえらせ、国が滅んでも東洋町は生き残るぞという町を建設しなければならない。


4、行政の存在する意義は住民の基本的人権の実現のためである。
第1に、再び三度戦争の惨禍から住民を守らねばならない。
第2に、衣食住の生存権を保証しなければならない。
第3に、差別をなくしあらゆる部面で平等が行き渡るように事
   業を進めなければならない。利権と不法行為は許さな
   い。しかし、責任は平等ではない。
   公権力に預かる者、公権力の権限を持つ者らは、
   住民よりも重い責任を背負わねばならない。
   ノブレス・オブリージ(noblesse oblige)の原則を
   保持しなければならない。それは特権を持つ者は、それ
   だけ大きな責任と犠牲を要求されるということである。
   同和問題や女性問題、在日アジア住民らへの差別問題に
   曖昧な態度は許されない。
   新しい町政はあらゆる人権侵害にははっきり宣戦布告す
   るものである。


5、行政は公開される。あらゆる圧政、あらゆる権力者の不正は、その行政が公開されなかった所に胚胎した。
職員の上司は町長であるが、町長の上司は町民である。従って職員の最終的な上司は町民である。我々はいかなる事も町民に報告申し上げなければならない。我々のつかえる殿様は町民なのである。
この町だけではないが、これまでは町長が殿様であり、町職員達が小領主的小姓であった。彼ら権力者がやっていることは聖域であり不可侵のベールに包まれていた。
その不遜な意識と尊大な姿勢は根底からへし折られなければならない。新町政では、すべてが基本的に公開される。すべての問題が庁議にかけられ公開され住民に報告される。文字通り町長や職員が住民の奴僕にすぎないことが示される。その身分がいやであれば町役場から出て行く以外にない。
ようするに澤山新町政はプロレタリアの自己権力なのである。
町民に奉仕する権力なのだ。
先日、町の議会だよりに誹謗中傷など町民の人権に関わる内容があり、それが休刊されたという報道があった。その記事に議会だよりのゲラ刷りがどうして町民に漏れたのか訝しむ趣旨が書いてあった。報道機関の記事としては全くお粗末なものだ。ゲラ刷りであれ何であれ広報的な出版物はすべて秘密はない。しかも議会の議事録的なものではなおさらだ。資料が誰から出たかなど詮索する価値があるであろうか。住民が情報源を秘匿したことが問題になるというのは暗黒社会の話だ。
澤山町政では、すべてがあからさまに論議される。住民の人権は優先的に守られる。町長や職員、議員のメンツなどは問題外だ。
基本的人権は知識ではなく、実現すべき行政課題であり、毎日、その実現のために業務を遂行している。誹謗中傷、暴力には敢然として戦う。
住民の完全な監視のもとに、公開された行政を遂行することが、私や職員の腐敗を防ぐ唯一の方策である。権力は腐敗する。必ず腐敗する。
職員諸君は、町長が不正を働き、諫止してもやめない場合は、直接町民に訴えてもらいたい。
職員諸君は、町長を盾にして、あらゆる暴力や脅しに屈せず、住民のための行政を推し進めよう。


追伸:
最後に、私を誹謗中傷していたインターネットのヘイトサイトは基本的に収束した模様だ。狂ったようなその攻撃の材料には何の根拠もなく、自分たちで描いたでっち上げに過ぎなかった。一部新聞がそれに依拠して「軋轢」報道をしていたが、それも自然消滅の体だ。
むしろ、行政改革上の「軋轢」の存在は、改革の進展の証左である。就任以来何の軋轢もない所には、何の改革もあり得ない。
匿名のブロッグの卑劣な攻撃は現在インターネットの世界では人権上の大問題になっている。それとつながっていた一部議員がまだ何か画策しようとしているようだが、誰も相手にする者はいないだろう。

私は、レーニンが愛唱していたという歌を今日も歌っている。

  同志よ 固く結べ
  生死を 共にせん
  我らは 若き兵士
  プロレタリアの
  我らは 若き兵士
  プロレタリアの




ある外来者の狂気じみたヘイトサイトやそれと結んだ卑劣な反改革の嫌がらせも消滅したことも最後に報告しておきます。
一部の新聞がそれに悪のりしていましたが、彼らが消滅したのはもともと攻撃の材料がなにもなかったからです。

|

« News & letters50 | トップページ | News & letters 52 »

東洋町の改革」カテゴリの記事

コメント

はじめまして。

固き敵の守りを 手もて 打ち砕け
血潮に赤く輝く 旗を我が前に 
我らは若き兵士 プロレタリアの

「権力者」となられて立場上色々ご苦労されていることと思いますが、愛媛の地より応援いたします。

さて、徳島と高知の県境に位置する貴町は、四国の人間とて中々に行く機会が少ないと思われます。

小生も2度、通過したのみです。だから、実際のところどのようになっているのか分からないことが多いので山林主体の町の一般論に関して小生の思うところを記します。

一エンジニアとして得られている情報を基に今後数十年のことを考えますと、再度山の時代(林業や小水力発電などのエネルギー事業)が来ると感じております。エネルギーや木材は、日本の国土での自給率を高める必要が大きくなるでしょう。

ついでですが、貴サイトを見ますと、イデオロギー的には毛沢東的な色彩を感じ、個人的には懐かしい感覚があります。(日本共産党(左派)のシンパをやってましたが、知人がスターリニスト的排除を食らったので連座?して離れました。)

今後ともよろしくお願いいたします。 

投稿: TAMO2 | 2008年1月15日 (火) 21時44分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/408473/9648443

この記事へのトラックバック一覧です: News & letters 51:

» 政治は何をすべきか [それがたまるか!!]
地方自治を金でねじ曲げようとする「国策」批判のコラムが、12月28日付高知新聞夕 [続きを読む]

受信: 2007年12月31日 (月) 17時05分

« News & letters50 | トップページ | News & letters 52 »