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2007年11月25日 (日)

News & letters48

日本帝国主義と部落解放

1 解放理論の論争点(差別はなくなったのか)

 部落民の苦悩とその闘いについて、此処数年来二つの対立する理論があるとされている。「理論的」な学生部落研の連中はとくにこの対立を重視している。

 私流に解釈すればその二つの傾向は次の通りである。 一つは、現代の独占資本は、昔と違って、もはや部落差別などという封建遺制は必要としない。むしろ良質な労働力として部落民を労働市場へ送り出し生産過程に導入して行く方が独占資本の傾向である。かくて部落は解放される。かつてこういう意見を代表されたのが奈良本辰也教授であったと言われている。(「部落解放の展望」1961.1「部落」132号) もう一つの方は、確かに観念上の差別は弱くなった。しかし部落民は独占資本によってますますひどい生活におとされ、ルンペンプロレタリア化しつつある。もはや封建的な身分的な差別ではなく、資本主義の階級差別・・・せいぜい臨時工、社外工であり、大半は産業予備軍的な形で生活している。これが今日の部落差別だ。この意見は井上清氏ら日共系の「理論家」によって主張せられた。奈良本氏への反論として井上清「部落問題と労働者階級」(1961年5月「部落」136号)がこれである。この両者はずいぶん違っているだろう。だがこの両者は藤谷俊雄氏が後で指摘したように、次の重大な点で一致している。即ち、現代独占資本はもはや「封建遺制」を必要としないという点に於いて。(藤谷俊雄『社会構造と部落問題』1962.3.「部落」146号) 要するにこれら二つは左右の近代主義的な考え方なのである。特に部落民のプロレタリア化を論ずる井上氏の場合、戦前の労農派的な傾向に流れていると考えられる。しかしとにかく、部落問題が部落問題としてあった歴史的内容を現代の独占資本は解消していくという二つの見解は全く画期的である。

 部落差別を江戸時代と同じ意味で封建的身分差別と考えている者は、解放運動に関係している者では誰も居ないだろう。私は、前二者とは違って従来強調され来た「封建遺制」的な部落問題の把え方を、日本資本主義の特殊的な構造的把握、即ち、日本帝国主義の成立とその展開の問題として再び把えかえそうと思うのだ。農業問題や民族問題と同じくもはや資本主義の論理では解決することの出来ない問題の一つとして、部落問題が基本的に論じられねばならず、しかもそれが資本主義の帝国主義段階に於いてであることが大事な点なのである。

 「資本主義が発達すれば部落は解消される」とか「上は天皇制下は部落」というように「天皇制絶対主義」なるものの根拠のように論じられ、帝国主義の問題がすっかり忘れ去られるようでは、事態の本質は何も分かりはしない。

「07-12-5nitteitoburakukaihou.pdf」をダウンロード

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コメント

お初で、恐縮ですが、ちょっと失礼します。

井上清は日共系ではなく反日共系だと思います。井上清は日共から分裂した反日共の方です。

沢山さんは「井上清は、戦前の労農派的な傾向」といわれているのですから、労農派の井上清の理論は講座派の日共系ではありません。

そもそも日共系は講座派で、労農派は社会党系でした。「資本主義が発達すれば部落は解消される」というのが講座派・日共系の理論です。

「現代の独占資本は、昔と違って、もはや部落差別などという封建遺制は必要としない。むしろ良質な労働力として部落民を労働市場へ送り出し生産過程に導入して行く方が独占資本の傾向である。かくて部落は解放される」というのが資本主義が発達すれば部落は解放される(糾弾闘争や階級闘争ではなく国民融合論でいくべきだ)とする国民融合論にたつ講座派・日共の理論です。

むしろ、「部落民は独占資本によってますますひどい生活におとされ、ルンペンプロレタリア化しつつある。もはや封建的な身分的な差別ではなく、資本主義の階級差別・・・せいぜい臨時工、社外工であり、大半は産業予備軍的な形で生活している。これが今日の部落差別だ」(従って階級闘争と連携した糾弾闘争と階級闘争を闘う部落解放運動が重要なのだ)とする井上清さんなどの理論が解放同盟の朝田さんたちの理論と連携したわけです。

その理論と宇野経済学などを網羅した「日本帝国主義の成立とその展開の問題として再び把えかえし、農業問題や民族問題と同じくもはや資本主義の論理では解決することの出来ない問題の一つとして、部落問題が基本的に論じられねばならず、しかもそれが資本主義の帝国主義段階に於いてである」とする帝国主義段階論を基調にした革命的な部落解放運動論が登場したのが、狭山闘争や寺田判決以降の部落解放運動ではなかったのではないでしょうか?

私は宇野理論をかじったものでしかありませんが、お気に召さない投稿であれば削除されてかのいません。

追伸 私もかつて中核派のシンパをしていた時期があります。従って沢山さんの現在に関心をもっています。これからもご奮闘をお祈りしています。

投稿: 日本国憲法擁護連合 | 2008年12月22日 (月) 11時38分

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