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2007年11月

2007年11月26日 (月)

News & letters49

新知事の登場

新しい知事が誕生しました。
大きな負債を残して橋本知事が退陣し、若々しい新知事の誕生を私たちは祝福すべきでしょう。
しかし、祝福するとしても何を材料にしてすべきか分かりません。
期待。
私の場合これしかありませんでした。
新知事の経歴からして、何か頼るべき材料がないのです。県勢浮揚のため尽力してもらいたい。
そして信頼される材料を少しずつ積み重ねていただきたい。
当面の最大の課題(お願い)は、

1 県下6つのブロックに市町村をまとめるという市町村合併を強行しないでもらいたいことです。
橋本県政が高知県に最後に残した負の遺産の最大のものは、県下の市町村を根底から破壊するこの合併策です。今回の知事選は何よりもこれを争点にして争われるべきであったのに、殆ど問題が回避されました。そういう点で県政最大の問題を無視した知事選としては選挙の意味は半減しています。このことが取り上げられていたら得票率はもっと上がったと思います。今回の知事選は人が交替したと言うだけで、何がなにやら分からない選挙として後世に残るでしょう。
6ブロックの合併策は合併策としても全国に比較して過激であり、これをやれば高知県の大半の市町村は破滅的打撃を受けるでしょう。江戸時代以前の人口に激減することは間違いない。

2 核廃棄物や原発などを高知県や四国に取り込まないようにしていただきたい。これを導入したら、高知県は最悪の環境となり人が住まなくなり、観光客も来なくなります。
原子力産業からエコエネルギーへの転換策を高知県が率先して進んでいくことを政策として追行して頂きたい。

3 県が持っている財産や人材、予算を市町村にどんどん下放して頂きたい。
道州制などがいわれていますが、これは地方政治を根本的に換骨奪胎しようというもくろみです。
それに抗して県の行政機能や権益を国に召し上げられる方向ではなく、市町村にどんどん移し替えて欲しい。国家の足腰は市町村にあります。国民は市町村で生きています。経済力も文化の力も、担税力も、自治の能力もすべて市町村で養われ蓄積されます。県は本来国との間に立ってその市町村を強化し支持するために存在し機能すべきです。決して市町村の存立を破壊したり弱体化したりするために存在しているのではありません。

4 法令を遵守し、利権行政はやめてください。特定の団体や個人、企業に甘い汁を与えないでください。節約し余分なお金は県民の福祉や仕事の保障、教育の振興、災害の備えなどに回してください。
オンブズマンのような感覚で行政内部の粛正と改革に取り組んでください。

以上をお願い致します。

なお、我々県民は橋本県政16年の検証をして、その結果を次の新知事に示す義務があります。

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2007年11月25日 (日)

News & letters48

日本帝国主義と部落解放

1 解放理論の論争点(差別はなくなったのか)

 部落民の苦悩とその闘いについて、此処数年来二つの対立する理論があるとされている。「理論的」な学生部落研の連中はとくにこの対立を重視している。

 私流に解釈すればその二つの傾向は次の通りである。 一つは、現代の独占資本は、昔と違って、もはや部落差別などという封建遺制は必要としない。むしろ良質な労働力として部落民を労働市場へ送り出し生産過程に導入して行く方が独占資本の傾向である。かくて部落は解放される。かつてこういう意見を代表されたのが奈良本辰也教授であったと言われている。(「部落解放の展望」1961.1「部落」132号) もう一つの方は、確かに観念上の差別は弱くなった。しかし部落民は独占資本によってますますひどい生活におとされ、ルンペンプロレタリア化しつつある。もはや封建的な身分的な差別ではなく、資本主義の階級差別・・・せいぜい臨時工、社外工であり、大半は産業予備軍的な形で生活している。これが今日の部落差別だ。この意見は井上清氏ら日共系の「理論家」によって主張せられた。奈良本氏への反論として井上清「部落問題と労働者階級」(1961年5月「部落」136号)がこれである。この両者はずいぶん違っているだろう。だがこの両者は藤谷俊雄氏が後で指摘したように、次の重大な点で一致している。即ち、現代独占資本はもはや「封建遺制」を必要としないという点に於いて。(藤谷俊雄『社会構造と部落問題』1962.3.「部落」146号) 要するにこれら二つは左右の近代主義的な考え方なのである。特に部落民のプロレタリア化を論ずる井上氏の場合、戦前の労農派的な傾向に流れていると考えられる。しかしとにかく、部落問題が部落問題としてあった歴史的内容を現代の独占資本は解消していくという二つの見解は全く画期的である。

 部落差別を江戸時代と同じ意味で封建的身分差別と考えている者は、解放運動に関係している者では誰も居ないだろう。私は、前二者とは違って従来強調され来た「封建遺制」的な部落問題の把え方を、日本資本主義の特殊的な構造的把握、即ち、日本帝国主義の成立とその展開の問題として再び把えかえそうと思うのだ。農業問題や民族問題と同じくもはや資本主義の論理では解決することの出来ない問題の一つとして、部落問題が基本的に論じられねばならず、しかもそれが資本主義の帝国主義段階に於いてであることが大事な点なのである。

 「資本主義が発達すれば部落は解消される」とか「上は天皇制下は部落」というように「天皇制絶対主義」なるものの根拠のように論じられ、帝国主義の問題がすっかり忘れ去られるようでは、事態の本質は何も分かりはしない。

「07-12-5nitteitoburakukaihou.pdf」をダウンロード

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2007年11月 8日 (木)

News & letters47

権力は踊る

狭山事件に見る 刑事裁判上に於ける 部落差別の論理

近年出石ト豊岡ニ人殺シノ公事アリテ、殺シ主知レヌニヨリテ、江戸へ訴ヘタルヲ、其公事三四年引ズリテ、遂ニ殺シ主知ラレザリキ。是公儀ノ奉行、我官位ニ自慢シテ、身貴ケレバ、知恵モ家中ノ士ヨリハヨキト思ヘルナリ。其所ノ守護ノ吟味ニテシレヌコトヲ、百四五十里外ヨリ、何トシテ知ラルベキヤウモナシ。畢竟下手人ヲ出シテ事スムコトナリ。其領主ノ吟味ニテ知レズンバ、ビンボウクジにナリトモシテ、下手人ヲ出スベキコトヲ、センギ仕リ候トテ、年月ヲヒキヅリ、ハテハ埒明ズシテ終ワルコト、愚ノ甚シキナラズヤ。殺シ主ハ其所ニテ皆シレルコトナリ。

而ルヲ徒党シテ隠シタルコト明白ナリ。サレバ其罪ハ殺シタル人同然ナレバ、何者ニテモ其ナカマニテ、殺サンコト、非法ノ刑ニアラザルナリ。(荻生 徂来『太平策』)

はじめに

 「武蔵野の俤は今纔に入間郡に残れり」とは、国木田独歩の名著『武蔵野』冒頭の言である。しかし、いわゆる高度経済成長の時期より、文明を名とする都市化の波に洗われてわずかに残っていた武蔵野の昔の俤も今は絶え果てた。住古、萱原の果てなき光景を以て、又近くは見渡す限りの林を以てその美しい詩趣を誇っていたという武蔵野は今は無い。時代の推移の中で武蔵野の風景は変わったのである。これについての感懐は、又、人それぞれにあるであろう。けれども我が三百万部落大衆が、武蔵野の入間川または狭山の地に、その大自然美の中に包み込まれてきた封建時代よりの部落差別について、その残存による傷ましい事件について、今なおこうして権力と争い、法廷内外で糾弾に立ち、なおかつ「パンを求めて石を投げつけられる」が如き迫害を受けている事実とその風景は、いささかも変じていないのである。 否、昔からの武蔵野の大地を吹き渡る酷烈な嵐は、それを遮る暖かき林の無い今は、もろに部落大衆の肌身を刺すように吹き抜けていたのである。 狭山差別裁判がこれである。

「kenryokuhaodoru07-11-24.pdf」をダウンロード

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News & letters46

原環機構からの要請に警戒を

さる10月31日に原環機構(理事長山路亨)から、高レベル放射性廃棄物の処分場建設につき、東洋町長にお誘いの書類(文書と応募要領などパンフレット一式)が届きました。同様の書類が全国の市町村長に届いているのではないかと思われます。
以前のパンフレットと同様のものであると思われますが、なお精査してみます。
全国の市町村長がこれをどう処理するか、それぞれの地点でチェックする必要があります。前の東洋町長のように密かに応募書を認めて送付するという首長も出てくるかもしれません。今回もそのような独断応募の仕方が許されています。
私としてはこの応募書などパンフレットは核の廃棄物埋設は安全だなどウソが満載されていると思うのでこれを焚書にしたいと思いますが廃掃法の関係で野焼きもできないので保管しています。
全国の皆さん、市町村にこの書類が送付されたかどうか、確認してください。また、それをどうするつもりか各首長に尋ねてください。

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