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2007年9月11日 (火)

News & letters36

続「黒い陽炎」

同和問題ではいろいろ物足りない面もあるが、いずれにしても、「黒い陽炎」は戦後最大規模で県政を揺るがした闇融資事件の解明には、なくてはならない記録であることは間違いない。
同和問題の把握が弱いのは現在までのジャーナリストのレベルでは仕方のないことだと思う。
特に高知県では、同和問題(部落問題)の科学的研究が著しく遅れてきた。県内の部落問題の深刻さや解放運動の先進的な進展に比べ大学や高校レベルでの専門的な研究家もほとんどいない。一本調子になりがちな運動に対してこれに指針を与えたり、批判したり、抑制したりするものが用意されなかったのである。

闇融資事件が差別に苦しむ地区住民に何にも関係ない事件だということが強調される必要がある。
確かに、モード社として協業化される以前には関係縫製工場は地区に根ざしていた。数百人の従業員がいた。
しかし、協業化され近代化されることによって、従業員の大半は放逐された。実際にはこの協業化がこれまでの借金の解消を目指すという目的での虚業化であったから、そのスピードも速かった。
そもそも、資本の有機的構成を高度化すればプロレタリアが職場から駆逐されるというのは当然の結果だった。モード社は、市町村の担当職員がいかにして手数の多い、従って雇用の大きい職場を確保するかと言うことで悪戦苦闘している努力とは反対に、最新式の機械やコンピュータを導入し、いかにして手数の少ない合理化工場を建設するか、ということを目指していたのである。400人いたという従業員はたちまち十数人になっていた。
県の幹部も同対審の審議委員(そこには共産党議員もいた)も地域の産業の近代化が何をもたらすのか考えようともしなかった。

その淵源は遠く、昭和40年の同対審答申(佐藤栄作総理大臣当時)にさかのぼる。
同対審答申は、全国の県庁、市町村役場では同和問題についての金科玉条であった。学識経験者や行政関係者、運動団体がこぞってこの答申を作成し喧伝した。この答申は水戸黄門の印籠よりもはるかに効能があったといえる。しかし、普通には同対審答申はその前書きだけが読まれて、その全文はほとんど全く流布されず、誰も読まなかったといっても過言ではない状況であった。
環境部会報告とか、職業産業部会報告とか、教育部会報告とかいくつかの部会報告が数百ページにわたって詳しく展開されていた。その中身は恐るべきで、地域の伝統産業を軒並み近代化し、転業廃業させるという方策が盛り込まれているのである。
私は、当時、この中身について部落大衆に警告を発し続けた。近代化によって部落問題が解消できるという論理は、日本の資本主義社会では不可能であるし、何よりも地域の生業が何の補償もなく破壊される、地域自体が破壊されるということを力説したのであった。私の説が正しかったかどうか、歴史の判定に任せるが、当時も今も同対審答申に基本的に反対し、批判しているのは私だけであろう。
この答申が出された昭和40年当時、私は大学生であった。当初共産党系部落問題研究会が大学構内の立て看板でこれに反対するという声明を出したが、すぐにその立て看板は引っ込められた。

私は、この同対審答申の全文を載せた本を多量に買い込んで各地で批判活動を展開したのだった。

私にとって、モードアバンセ社の事案はまさに同対審答申を地にゆくものであり、その論理の現実的破綻の一個の証左にすぎなかった。

闇融資事件が地域の大衆とは無縁であり、むしろ、その利益の正反対(職場喪失)を結果したものであること、そして負の社会的風評までかぶったというものであったことを知ってもらいたいのである。

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