News letter10
今から6年前ほどに東洋町が取り組んだフェリー会社について
当時は必要なことであり、苦渋の選択の結果だった。だから、結果が悪かったからといって批判するべきではない、という意見がある。そうだろうか。
政治というものは結果によって判断される。動機や目的意識がいくらよくても結果が悪ければ批判される。逆に動機が不純であっても結果がよければ評価される。政治は結果倫理であって、目的倫理ではない。もちろん動機も純粋で目的も立派で成果を挙げたということが望ましいことは言うまでもない。しかし、一身の巧妙手柄を立てようという動機で、橋を作ったり道路を整備したり・・・してもそれによって国民の困難が解消され交通事故が減少する結果をもたらしたとしたら、それは賞賛される。逆に、人を救おうとして川の流れを変えてそれが返って洪水を招来したとしたら、非難され悪い政治家だといわれる。
他方、教育などは基本的に結果さえよければいいというわけにはいかない。目的倫理の世界であって、結果がよければなおよい。
高校野球でどんな手段ででも勝てばいいというわけにはいかない。負けてもいいからフェアプレーでいかねばならない。松井選手が高校生のとき繰り返し敬遠をされて、勝負されなかった。そんなやり方で勝ったとしても教育の一環としての高校野球の趣旨は実現されないだろう。同和行政もそうだ。公営住宅を建てて住宅に困っている人が入居すればそれでいいというものではない。どうしてその公営住宅を建てるのか、その金はどういう趣旨でどこから出されるものなのか、公営住宅に入る権利と義務は何なのか、建てる役所も地域住民もよく学習しなければならない。このような同和行政の背景にはどのような歴史があったのか。公営住宅建設という結果にいたる目的と過程も大事なことなのである。同和行政は、結果だけではなく結果にいたる民主的な手続き、差別を解消するという民主的、近代的な人間関係、自立的な意識の形成も同和行政なのである。それを忘れ、業者の利権に奉仕する同和事業によって、全国的に大きな弊害がむしろ起こった。その付けが行政に残された。
善をなさんとして悪をなし、悪をなさんとして善をなす。(ファウスト)
このような結果倫理の政治の世界よりも
次の言葉のほうが私は好きである。
結果とは躍動せる傾向を背後に残してきた屍である。(ヘーゲル)
若きヘーゲリアンだったカール・マルクスは、さらにいう、
真理だけではなく、真理にいたる道程もまた真理である。
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コメント
最初の出だしは何でも良い
結果さえ良ければそれでいい
と言う事と
原理原則に走る、イデオロギーと
ダブルスタンダードを持っているようです
確かに、結果には責任が伴います
責任の所在を明らかにし
責任が取られるべきです
結果が大事な事は言うまでもありません
しかし、物事を始めるには目的意識が必要です
それが無いと統率が図られません
結果が悪かったかといって
その精神まで否定される謂れはありません
何事も同じです、教育も同じです
結果が芳しくなかった時に検証されるべきは
手段もさる事ながら、適切に対応出来たかです
結果だけではなく、プロセスも検証されるべきです
それが経験と言う物であり、過去に
歴史に学ぶという事です
自分の得意分野にだけ
原理、原則、目的、プロセスが大事と言うのは
いかがなものか?
投稿: ロバ@室戸市民 | 2007年6月15日 (金) 10時09分