2026年2月15日 (日)

大敗北の原因


今回の総選挙での左翼の地滑り的敗北に衝撃を受けています。

それは自滅である。とりわけ立憲民主党の裏切り的右翼転身である。
原発再稼働に賛成し安保法制、憲法改悪を承認する、まるで自殺的方向転換をして
一体だれを相手に選挙をしているのか、日本人民をコケにした立憲の幹部たちが頭を並べて討ち死にしたのは当然のことであった。反原発は日本国民の意思であり、日米安保はすでにトランプが実質的に破棄している。

立党の旗をおろした党派に誰が結集するのか。
今の時代では、極右の政治勢力が復古的国体思想をまき散らし他国侵略的軍拡路線を押し広げている時代では、ニューヨークの新市長のようにむしろ社会主義の旗を高く掲げて、新しい未来社会を対置して左翼としての根本的な解決策を打ち出して戦うべきであった。それどころか「中道」は右と左の真ん中というくさった既成路線の中途半端の仮面をかぶった。

仮面だったか本物顔だったか。諸葛亮の出師の表の冒頭では先帝が「中道」で倒れたという文章で始まる。それは中途で倒れるという不吉な言葉だ。共産党が赤旗でマルクスの資本論の読書キャンペーンをしているが、それは正しい。

中道ではなく左翼の本体・社会主義をあらわにし資本主義体制を打倒する戦いの呼びかけが必要であった。
いづれにしても高市政府は 天皇の権限を干犯しながらファシスト権力樹立の橋渡しの使命を担って登場した。
ファシストに対しては、人民のパルチザン的武装蜂起しかない。

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2026年2月 9日 (月)

ファシズム国家への移行、それは府市ズム選挙から始まった。

今回の衆議院選挙がその幕開けだ。憲法第7条の第3項に基づく衆議院の解散は
天皇の国事行為の規定に基づくものであり、内閣の権能の規定ではない。

しかし問題は、これら十項目の国事行為は政府の人事や、法令の公布など国政を左右する重大な政治的行為が入っている。

安倍元総理の例の国葬は第10項の「儀式を行うこと」で遂行された。天皇の国事行為が、実際には内閣の国事行為となっていて、内閣は憲法(第5章内閣の章全部)に定められた権能のほかに、天皇の国事行為すべての権能を執行することができるということになる。だからこのファシズムは天皇制ファシズムの様相を呈する。

内閣が勝手につくった法令も天皇の名前で公布し憲法とすることができる。内閣総理大臣は即座に天子(皇帝)となる。
すなわち高石早苗総理は女王(女の天皇)となる。。右翼が大事にする皇統はここで断絶する。

衆議院を解散するも永久に解散しないのも天皇の意のままであり、国会を召集するかしないかも天皇の専断だ。儀式程度だけでなく法令や国会、大赦、人事の認証にまで及ぶ天皇の国事行為を内閣の専権事項とすれば、これは立派なクーデターであり、今回の解散・総選挙はファシズムへのクーデタというべきだ。

天皇制を打倒せよというかつての全国部落青年戦闘同志会のスローガンは今こ真実だ。私は今も戦闘同志会の委員長の座を誰にも譲っていない。今は実力部隊を持っていないが裁判で争うことはできる。安倍国葬事件では裁判を提起し一敗地にまみれたが、今回の無法解散・衆議院選は国葬事件以上に座視傍観できない。

まさに曲がりなりにも民主主義体制がファシズム国家に転換される重大な画期なのである。全国から無法解散に対し反対の訴えが澎湃と上がることを切に希望する。

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衆議院解散権

この度の衆議院解散 総選挙は無法行為である。法的根拠が全然ない。
憲法で衆議院の解散について規定があるのは、第7条と69条であるが、
  第69条は名合格の不信任案が衆議院で可決されたときに内閣が国会を解散できるというものであり、それは何も問題はない。これまでそんなことがあったかどうか知らない。問題は第7条の衆議院解散の規定である。これは内閣の解散権などについての規定ではない。天皇の国事行為の内容を10項目に列記したものであり、その第3項で「衆議院を解散すること」との規定が第2項「国会を招集すること」第4項国会議員の総選挙の施行を公示すること」の2項に挟まれて掲示されている。


 


しかもこの天皇の国事行為は「内閣の助言と承認により」行うとなっている。内閣が天皇に衆議院を解散させなさいと助言する
または天皇が解散するということを内閣が承認する、ということであって、その衆議院解散は69条以外には任期満了だけである。第7条の規定では内閣の承認があれば天皇が独断で衆議院を解散させるtことができるとも読めるから、これについては法令をつくって規制をつくるべきだ。いずれにしても7条解散は内閣総理大臣に国会の解散権を与えたものではない。権力の乱用だ。


 


法令に依らず国会の死命を制す大権を持ち、行使するというのはファシズムの先行行為だ。


 


 この選挙の歴史的意味日本国は今高市総理の下で大変な国政の転換点に立った。ファシズムの国体である。
トランプの強要で軍事費の大幅増額 巨大な軍拡路線に進みだした。軍拡路線はGDP2%から3・5%そして5%と急速に跳ね上がっている。5%になる前に軍拡の財源を確保するために消費税の大幅値上げなど財政の大改造が必要だ。


 


そのためには国会の勢力の大変革なしには進まない。だから300議席の勢力が翼賛的多数派として形成されねばならない。
先端技術を使った経済成長が望めなくなった日本ブルジョアジーも軍需産業で生き残りをかけてくるからこの国体のファシズム体制を応援するだろう。選挙中に大紙面を使って新聞はそのファシズムへの大合唱だ。ファシズム派の大勝利の前祝だ。
2026年2月の総選挙は残念ながら軍靴の音が高く響く冬の時代への幕開けとなる。


 

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2026年1月25日 (日)

私の思想形成について


私の思想は、共産主義(マルクス主義)である。それは大学2回生の秋、立命大学の日本史研究会の図書でマル・エン選集の補完4を読んだときヘーゲル法哲学批判序説を読み終えた時、感動してマルクス主義を信奉しようと決意した時からであった。それまで私は高校時代から河合栄次郎の思想にかぶれ、その著作を一生懸命読んできた。

大学1回生の時河合の「T・Hグリーンの思想体系」という大著を暑い夏のアパートの一室で読破した。だから私はマルクスを批判するリベラリスト・ミリタントで理想主義哲学者の学者の思想で武装して大学に入ったのである。

そのような傾向で次に夢中になったのは ロシアのNA・ベルジャーエフの著作であり、大学図書館でノートに筆写しながら勉強した。特にかれの「ドストイエフスキーの世界観」で、深い感銘を受けた。「カラマーゾフの兄弟」についてでその中でも大審問官物語は圧巻だった。そういう思想的傾向の中でマルクスの初期の論文集に出会ったのである。
それまでマルクスの著作としては[共産党宣言」やエンゲルスの『フォイエルバッハ論」程度であった。

科学的社会主議は、その通りであるが、それらは新カント派の理想主義哲学の洗礼を受けた私の革命的パトスの思想的根拠にはなりえなかったのである。しかし、初期マルクスの論文にはドイツのプロレタリア革命に向けた滴るようなヒュウマニズムの情熱が存在していた。

それ以来私は、河合学派から脱却し、マルクス主義に全霊全身没入した。立命にマルクス主義研究会を作った。そうして、デトロイト方面で活動していたラーヤ・ドウナエフスカヤを知った。その著作は私のマルクス主義の理解と完全に合致するものであった。立命大の新聞社と共同で彼女を招待し講演会を開いた。最後に壇上で私はラーヤ女史と肩を組んで
インターナショナルを歌った。彼女の声はドイツ語であった。ラーヤはトロツキーの秘書であったから私は彼女を通じてロシア革命につながったと感じた。


だが、私の精神の形成はそれだけではない。母親から受けた教育があった。
それは母が受けた尋常小学校の唱歌を通じてである。楠正成の[桜井の別れ」(青葉茂れる・・・)とか『児島高徳』の歌(船坂山や・・・・)熱盛(一之谷の戦破れ・・・・)とか、はては戦時中のとどろく つつおと 飛び散る弾丸・・・・とか、 見よ東の・・・・など今の右翼が好んで歌う歌を小学校入学以前から歌わされて育った。だか国心をたたきこまれていた。

いまでもふっとその歌が鼻歌に出てくる。なにか恥ずかしい気がしていた。
しかし、考えてみれば愛国心は何も右翼連中の独占物ではないだろう。 

  本居宣長の歌 
  
敷島の 大和心を 人問はば 朝日に匂う 山桜花

 私はこの歌を聞くと身が震える。祖国を愛し、祖国の美しさをたたえ、誇りに思う気持ちは、止められない。
私は、このような自然の感情を右翼や自民党らに横取りされるべきではないと思う。
参政党や右翼連中は愛国者でなく亡国の売国奴に過ぎない。アメリカや韓国中心の統一教会にいかれている連中は祖国日本の破壊者である。左翼こそが日本の歴史も国土も正しい承継者であって、再び他国へ侵略する道に導いてはならない。

責任を負っているのである。美しい日本の山河を、原発からの放射能で汚染させ住めなくさせてはならない。
原発を推進する連中は、放射能よりも恐ろしい。日本国民は、放射能と 朝日に匂う山桜i とどっちを選ぶのか
今度の総選挙でも地方の選挙でも常に賢明な判断をしなければならない。 美しい日本をこれ以上汚染させてはならない。

ゆがめられた権力に奉仕する愛国心ではなく、日本列島の自然とそこに住んできた人間を愛するという意味の愛国心。
売国奴に取り込められている愛国心を左翼のものに取り返そう。

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2026年1月24日 (土)

義挙の社会的な背景を無視する裁判所


奈良の駅頭で銃殺された安倍元首相。その銃撃事件の主役山上さんに対し、
無期懲役の刑が言い渡された。それは一つの殺人事件として扱われた。

なぜ彼が安倍を襲ったのかということが量刑には何も反映されなかった。
そうすることによって裁判所は、この事件の政治性を隠そうとしたと言える。
この銃撃事件は高度に政治性を持っていた。

第1に、大義名分や正義が踏みにじられている事案が糺されず放置されていることに対し、被害者が独自に糾弾に立ち上がった。それは忠臣蔵であり、桜田門外の変であり、高知の帯屋町での藩の参政吉田東洋暗殺であり、様々な仇討ちであった。

安重根のハルピン駅頭の伊藤博文銃撃もそうだ。義挙には必ずわが身の犠牲がある。
だから奈良の駅頭での銃撃は義挙の高い政治性を持っていた。単なる一個人の殺人事件ではない。

当局が野放しにしている犯罪(統一教会やそれを利用してきた自民党)の被害者が復讐すること、又は反撃するということには正当防衛の意義があり、その行為を余儀なくさせた当局の無作為の責任が大きい。

刑罰の軽重とは別に、裁判所がこの事件の背景であり、直接の動機を量刑の判断に何ら酌量しなかったことは、山上被告へのもっとも痛苦の仕打ちであったし、何よりもいくつもの歴史上の義挙に快哉を叫んできた日本人の精神文化を踏みにじるものでもある。

ちなみに私は2度ほど赤穂浪士討ち入りの心境を経験した。一つは69年の浦和地裁占拠闘争であり、もう一つはその先年、解放同盟の総理府突入闘争であった。赤松英一君らの佐世保基地への突入や、羽田闘争などかつての革共同中核派の青年・学生達にはこの義挙の精神が横溢していた。

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2025年12月29日 (月)

高市発言と日本の情勢

 高市の台湾有事をめぐる対中国への宣戦布告的言明と日本の大軍拡路線は、平和ボケした日本が実際には、戦時体制に

         戦争への累卵の危機

 首相の中国に対する宣戦布告的言明や最近の日本政府の大軍拡予算は日本が急速に戦争体制に移行しつつあることを否が応でも知らしめるものである。まさかと思っていても現実に日本は再び中国に戦線をかまえようとしているのである。

1930年代も国民が平和の中に眠っているとき、着々と軍部はとてつもない巨大な侵略戦争の準備を構築していた。
昔の中国と今の中国の国家体制とでは雲泥の差があり、高石ら右翼連中は日本の国力がカマキリのような貧弱なものであることを知らず中国を張子の虎ぐらいにしか認識していないのだろう。

ドン・キホーテのように思い上がった連中は、それでも中国への戦端を切り開くぐらいの能力はあるだろう。得意の奇襲攻撃をやればある程度の戦果は上げられる。しかし瞬く間に中国の総反撃を食らって日本列島は火の海となり日本民族は滅亡するだろう。いづれにしても戦争が起こる可能性は高い。
          
        反戦派の未形成  
   
いま日本の反戦派は、ごく一部に凝り固まって、自己満足的アリバイ的スケジュール闘争に明け暮れている。「
60年代70年代の学生運動の高揚はほとんど消えた。カクマルなどとの内ゲバでほとんど消耗しつくした感じだ。

革命的・・・とか、反原発など威勢のいいフラーゼは機関誌に満載だが、一つも戦果がないから誰もついていかない。
麻薬か何かでやられて革命がすぐそこに迫っているかのような集団的幻覚を共有して踊っているのである。

私もその幻覚にやられそうになってほうほうの体で脱出したものだ。
原発の一基でもつぶせば話を信じついてくる人もいるだろう。仲間が5人もおれば、特定の原発地域で活動し様々の方法で住民と手を組み1基づつ廃炉にする戦いは不可能ではない。

それくらいの戦果も挙げずにただアリバイを見せるためのスケジュール闘争で何が革命だ。裁判闘争の一つも起こせない、そんな気力も能力もない連中が革命だ、反対だと叫んでも日本や世界の人民の戦いの歴史の中で笑いものになるだけだ。そしてそういう連中に限って他の者を排外し暴力をふるうのである。
かつての革命的左翼といわれた残党の無残な姿はむしろ大衆を反革命や右翼に押しやってしまうだろう。

ドイツでのナチスの跳梁は共産党を含むドイツ左翼のだらしのなさが原因だ。
日本が大軍拡に向かい、政治家が好戦的言辞をはきちらすという夢想だにもしなかった時代が新しい老若男女の鮮烈な反戦闘争の旗の波を要求している。、心あるものは今や時代が変わったということを深く認識すべきだ。

日本国憲法は国が軍を持ち、戦争することを禁じているが、国民が武装し、戦うことは禁じていない。

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2025年8月 4日 (月)

学歴問題で無用な混乱を憂う


静岡県伊東市の田久保市長の学歴問題で無用な混乱が続いてまともに議会や行政が機能していないようだ。

問題は単純で東洋大学を卒業していないのに卒業だと称しているということのようだ。
「卒業」していないが出身ということはできるから、指摘があった段階で訂正すべきであった。

東洋大学の出身人物の中に、田久保さんは名前が出ていた。ただし「除籍」となっていた。東洋大のインターネット(東洋大学出身人物)でこのような記録が出ている以上「卒業」とは言えないことは明らかだ。

だが、中退でも除籍でも「出身」とは言える。彼女は胸を張って訂正すればよい。大した問題ではないものをウソを言うから人格が疑われる事態になったのである。公選法に抵触するとはいえ、これだけで市長失格とし首にするべきではない。

些少な瑕疵で、選挙・当選という大きな市民の付託を消し去るべきではない。市民は東洋大「卒業」だから投票したわけではなかろう。

世間はあまり学歴を取りざたすべきではない。学識は出身大学によって決まるのではないし、学識だけでは政治家の資質は図れない。私は大学
卒という肩書を恥だと思っている。大学をでたのにそれだけの学識があるのかと。田久保市長はすみやかに訂正し、謝罪して、職務を遂行すべきだ。

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2025年7月25日 (金)

市役所職員から読むように勧められた部落問題の一冊『不思議な部落問題』


インターネットの故障で長らく通信ができませんでした。

2025年7月の参議院選挙ではついに差別排外主義が前面に出てきました。
参政党だけでなく、維新、国民、保守党、そして自民党まで人を差別することで国民の票を獲得しようという連中が大手を振って表れたのであり、相当な支持を広げた。

もともと日本国民には差別や排外主義が根強く残っていた。幕末・明治維新にかけては攘夷という思想運動が政治を動かした。この上位というのは、古代から中世んかけて大和朝廷が主として東北のまつろわぬ原住民を制圧した征夷戦争の名残りであり、征夷大将軍は武士の棟梁の尊称とまでになっていた。

攘夷の夷というのは元は蝦夷のことであったが、それが幕末に部落差別を彼眼ながら外国人に対する差別排外主義に発展した。
中世近世にかけて蝦夷差別は歴史上の記録から消えて、その代わり穢多や非人への差別に代わっていた。

幕末主として尊王攘夷派の土佐藩の武士たちは、藩当局の外国人へのこびへつらった応対を揶揄して城の近くの「乗り出し」というところに
数種の落書を張り出した。その落書の内容は、ある地域の部落民として身分解放の嘆願書を出すという形をとっていた。

その内容は、獣の肉を食う外国人(イギリス人)を恭しく接待するのであれば、肉を食う我々部落民も外国人並みに人間として扱ってほしいというものであった。部落民(穢多)を詐称したこの差別文書は大阪方面でも使われ(摂津渡辺村の願書)ていた。

それは要するに、部落民が人間ではないのと同様に外国人も人間扱いすべきではないという反語の形式をとった差別文書である。

高知県の古文書「皆山集」に収録されていたこの「戯作」は土佐藩の武士たちの攘夷思想の形成には部落差別を媒介にしていたという歴史的な差別証拠である。参政党も維新や国民、安倍の残党も今は部落への攻撃を控えているが、攘夷思想が部落差別を媒介にしてきた以上は必ず部落に対する攻撃も始めるであろう。それら邪悪な差別主義者たちと、差別迫害を受けてきた在日の外国人とともに部落大衆の血戦がやがて始まるであろう。

ゾンビの姿をした時代遅れの日本版ファシストの動向を厳しく追及しなければならない。

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2024年11月12日 (火)

欲望と権力欲の権化はいかなる公職も不適当だ

10月27日の総選挙の結果を国民民主党の玉木代表が無茶苦茶にした。国民の希望を踏みにじる点で、日本憲政史上最大の汚点を残した。多くの政治評論家が一致するところだ。

問題はこの男の最近明らかにされた不倫問題だ。謝罪と弁解の大わらわだ。
奥さんや家族への裏切りであることはもとよりだが問題は愛人に対してどのような話をしているのか。
その愛人は、玉木の欲望のはけ口にされただけなのか。妻ではなくその愛人を本当に愛しているのであれば、妻と離婚し愛人と結婚すべきではないか。

自分と愛人に対して誠実にし、真実に従うべきであり、政治的立場が危うくなるので、妻の元に返るべく謝罪を繰り返す姿は、自公政権延命に手を貸す政治上の裏切り以上に人間として無節操でペテン師的ではないか。だからこの男は根本から腐っているというべきだ。
いかなる公職も不適当だ。欲望と権力欲の権化であって政治家でも人間でもない。

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2024年9月 1日 (日)

兵庫県議会百条委員会での知事承認尋問

        暴君

兵庫県知事への疑惑を暴露した県幹部職員が自殺に追いやられた。一連の事実は弁解の余地はない

知事という優越的地位を存分に発揮して職員に応対していたから、厳しい叱責でも即パワハラが成立する。斎藤知事は百条員会でそれを認めたようだ。部分的ではあれ謝罪をする場面もあった。その限りでパワハラを認めたわけである。

 業務上必要な注意を与えたといってもそのやり方が業務上普通の姿でなければパワハラとなる。
 物をぶっつけたり、舌打ちしたり、大声を出したりするしぐさも通常の業務上の態度でないから業務を逸脱する行為だ。

 パワハラには、3つの要件があるという。
1つは優越的地位にあるか、

2,業務上必要の範囲か、
3,労働環境を害するか という3つだと言われる.


百条委員会の記者会見を聞く限りでは、3つの要件を満たしている。まして、パソコンを押収し、その中の個人情報を漏えいし、そして公益通報者である者を、ろくに調査もせず処罰した行為は知事の個人的パワハラを超えて組織的なパワハラであり、人権蹂躙であって、法的にも違法行為だ。

 権力の乱用なくしてこういうことはできない。権力の乱用は極端なパワハラである。知事は追及されたら当然パワハラを否定する。業務上必要なことだったという。それは第三者が客観的証拠でもって判断することだ。

 知事が部下から無視されたりいじめられたり、侮辱されたりした場合に大声をあげて抗議したとか、物をぶっつけた、何らかの反撃をしたという場合は話は別だ。

しかし、斎藤知事はそのような事実は一つも上げていない。人権にかかわる重大なことでも幹部職員と協議もせず、独断専行し、日常的に優越的地位を見せびらかしながら厳しい叱責を繰り返したのだから、自覚的なパワハラである。
気に入らないことがあれば、パわーを使って懲らしめ(harassmenntを加え)ようとし、それを実行したのである。一種の暴君だ。

暴君の一挙手一投足はパワハラである。

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2024年7月30日 (火)

Re: RE: 市役所職員から読むように勧められた部落問題の一冊『不思議な部落問題』(角岡伸彦著ちくま新書2016年6月)その2

続 【不思議な部落問題』

この本の第二章の橋下徹に対する激しい部落差別攻撃の実態を追求した文章は極めて優れており、ノンフィクション作家の面目躍如としていた。

昔の私であれば、出版社に対して嵐のような徹底糾弾を加えていただろう。血統の匂いを嗅ぎまわるのは人間の営為ではなくけだものの所業だ。

そして、北芝地区での高校友の会の姿がちらほろ描かれているが、私にとって懐かしい。大阪府下の高校友の会(「高校生友の会」ではなく「高校友の会」である)の活動は戦後何波かの世代の解放運動の担い手たちだ。彼らは全国の狭山闘争の主な担い手だった。九州の高校生は、東京高裁への公判闘争に参加すれば奨学資金を切るぞ、と脅されても屈しなかった。

解放同盟大阪府連の教育担当であった私は、同和奨学資金を受給する高校生の組織化を任じられた。指示したのは府連書記長の西岡智だ。私は当時23歳かそこらであった。

一人で府下53部落すべてに入って奨学資金受給生の会合を持った。解放同盟の未組織の能勢や北摂,泉南方面まで歩いた。能勢では雪の降る山道を歩いた。
部落の高校生の多くは自分たちがどういう立場に置かれて生まれてきたのか初めて知ったであろう。大阪市周辺の部落の高校生は極めて活発であった。

当時の高校生の姿は大阪のNHK教育テレビで『部落高校生は語る』という題目で繰り返し放送された。矢田や浪速、寝屋川、東大阪の高校生が主体だった。いまから50年以上の昔のテレビだ。

当時解放運動は全国的に激しい差別糾弾闘争を繰り広げていたが巨額の予算獲得運動にのめりこんでく傾向が強く出ていた。私は、物取り主義に流れる傾向に抗して高校生に狭山の石川一夫に係る差別裁判を強く訴えた。行政闘争で予算を獲得することは大事であるが、部落問題は金で解決できない。差別と闘うことを繰り返し教えた。

私が作った「高校友の会」(「大学友の会」も作ったが大学進学者が少数であり不発に終わった)に集まった高校生たちは数年後には各地域のリーダーになり狭山闘争に参加した。私が解放同盟外に作った全国部落研や関西部落研は高校生が主体であった。「部落青年戦闘同志会」もそうだ。

角岡氏の本では、北芝の高校生が狭山の闘争に参加したかどうかは書かれていない。街づくりの企画や運動の話に流れているが、生き方や考え方が私とは相当違うようだ。
(続く)

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2024年7月29日 (月)

市役所職員から読むように勧められた部落問題の一冊『不思議な部落問題』(角岡伸彦著ちくま新書2016年6月)


まず第二章「メディアと出自」

ここで角岡氏は、2012年ネ10月頃から橋本徹氏に対する週刊朝日などが橋本氏の家系や血脈を暴露するえげつない部落差別をもって橋下徹という政治家をこき下ろすキャンペーンを張った事実について厳しく批判した。それはその通りでよい。

しかし、角岡氏の批判には底の浅さが垣間見える。それは第一章の「被差別部落の一五0年」の認識が間違ったところに発するところからと考えられる。すなわち角岡氏は、明治4年の賤称廃止の太政官布告を「賤民廃止令」と位置付けている。

しかし、それは全く事実ではない。それは文字通り賤称の廃止であって賤民廃止の法令ではない。旧来の呼び名を廃止した意義はそれなりにあるが、身分制度も経済的処遇も何も変わらなかった。翌年の壬申戸籍によって部落民だけでなく日本全人民は天皇を頂点とする新たな身分制政治形態に押し込まれた。

そしてその身分制は、階級や身分の形式に血統を裏付けた。戸籍というのは他国にはない人間の血統証明書なのである。血統の公証制度の戸籍制度は今も大事に全国の市町村の役場に保管され活用されている。犬や馬の血統ならわかるが、人間の血統書を行政や法律の基本台帳に据えている野蛮な制度なのである。

一部のノンフィクション作家らが政治家を批評し排斥するのにこの野蛮な血統を使いだしたのであるが、これこそが部落差別の核心であって、何も驚くことはない。

角岡氏は「身体・知的・精神障碍者、・・・・在日コリアン、アイヌ民族などは、差別されることはあるが、差別がなくても存在する。ひとり部落民だけが、身体や民族や文化的差異があるわけでなく、差別されてきた歴史によって存在するのである。」という。それを不思議がる方がおかしい。

部落差別は、身分や経済的地位ではなく、血が汚れるとか、血統が汚れるとか、異民族視されるカースト制度なのである。
日本古代の学者が穢多をインドのセンダラと同一視したのだ。日本の部落差別者は一様に部落民と血統が違うと思っている。一部のジャーナリストだけではない。

インドの賤民は、被征服民族であり、征服者のインドの貴族とは種姓が相違していた。

部落民は日本列島の原住民であり異民族の子孫ではないが、朝鮮北方から襲来し日本を征服し王朝をたてた天孫族・騎馬民族から見れば異民族であった。
大和朝廷に最後までまつろわぬ化外の民であった。都に拉致されてきた蝦夷たちの群像を「非人」と呼んでさげずんだ最初の人は、弘法大師空海だった。

彼の性霊集にそのことが記されている。空海は中国の古典(仏典だけでなく山海経など道教の典籍にも通暁していたと思われる)を読破していたから
「非人」や鬼神と言うものがどういうものかよく知っていたはずだ。部落問題はその発生の当初から現在まで種姓差別の様相を帯びてきた。

それの激しい露骨な現象が橋下徹という出たらめな政治家への攻撃に集中的に表れ部落差別の恐ろしい姿が露呈したのである。
部落の出自であることを言うことだけで千万言の罵倒にもまさるのである。部落地名総鑑も恐ろしいが全国の市町村にある戸籍がもっと恐るべきだ。
これがある限り部落差別。種姓差別は解消しない。

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2024年7月16日 (火)

続・都知事選(その2)


橋下徹氏が、7・7都知事選の結果を嘆いた兄弟の教授をツイッターでぼろくそに非難し、「税金のただ飯ぐらい」とか、「詐欺師」とか下劣な罵倒を
放った。

藤井教授の論評は妥当なもので多くの国民の共感を得るものだった。橋本の感情に合わない学者に対する非難の内容こそ問題であり、学問や教育に対する、露骨な嫌悪を表したものだ。政治や行政は、学問や科学を基盤にしなければ成り立たない。

室戸市でこの6月議会の一般質問で室戸半島に凝集している活断層について尋ねたところ執行部の答えでは、うちは南海トラフへの巨大地震に取り組んでおり、室戸半島の活断層については検討する気はありません、ということであった。私は唖然として言葉を失った。それは活断層だけではなく学問や知性に対する拒絶反応なのである。

四国では北の中央構造線と南海トラフという東西二つの巨大活断層に挟まれているが、それとは別に室戸半島には10本ほどの大小の活断層が集中していることも分かっている。それらが海溝型の南海トラフとどういう関係があるか、行政も議会も専門の学者に尋ねるなど学習するのは当然のことだ。
学問は、直接行政に必要であるのはもちろん、政治に携わる政治家、国民一般の知性を醸成し鍛えるためになくてはならないのである。

橋下徹や石丸伸二らのようなガサツな政治家が選挙や世論の場に出て差別や排外主義的な反知性、反学問を広めてもらっては国の将来が危ぶまれるのである。

右翼や保守陣営だけではない。「左翼」にもこういうごろつき連中がごろごろしていて、始末に負えない。「前衛」だと思っている。

日本の安倍晋三、プーチン、トランプ、習近平、ヒットラーはもちろん、スターリン、毛沢東、北朝鮮の金王朝の王様たち、・・・・数えきれない大小の独裁者たちが、地球上に病のようにはびこって絶えることがない。
ドストイエフスキー「カラマーゾフの兄弟」中に出てくる「大審問官」の物語がそれら独裁者たちの心理を極限的に描いていた。

学生時分にN・Aベルジャーエフというロシア哲学者の「ドストイエフスキーの世界観」という本を読んで感銘したが、その核心は」大審問官物語」であった。
大小の審問官が左翼、右翼を問わず、世界中に病のようにはびこり、人類を絶えず悩まし、閻魔大王の使徒のようにわれわれを滅亡に向かって導いているのである。

石丸新審問官(そして橋下徹古審問官も同じだろう)が言うには、人口減少対策には一夫多妻制度が良いという。この制度がいかに女性を抑圧しさげずみ、そして権力と金を持つものが人類の生殖機能を独占しその者らによる世界の権力と富の壟断を来す社会になるか、・・・

そんな王侯貴族社会の実現を平然と公言する。これら狂った連中に大勢の国民が惑わされt4穢投票するという制度が問われているのである。橋本ら維新勢力にまとわりついている曲学阿世の学者こそ政治に口出しさせぬように配慮されるべきだ。

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2024年7月10日 (水)

続都知事選


虚偽と腐臭の小池百合子を勝利させたのは、結局石丸ということだ。空虚な風船を膨らませ、その風船に何かが詰まっていると信じ込ませて票をかき集め、7月7日が何の選挙かわけがわからなくして、小池を救ったのである。

石丸の公約を見ても何のことかさっぱりわからない。選挙後記者会見をしても記者らの質問を全部はぐらかして答えないのだ。

要するに政策もないし、政治思想も何もないから、出せない、話せないのである。ネット上のコメンテイターたちが驚いたり嘆いたりがっかりしている
が奴の実態は風船なのだから仕方がないのだ。権力欲の奴さんの臭い息がいっぱい詰まった風船である。

政治家と政治屋の違いを聞かれても答えない。そこでは政治家とは何か、政治思想を述べる機会なのである。

おそらく、マルクスもレーニンも読まなかったであろう。カントやルソーら欧米のリベラルな政治思想の歴史も読まなかったであろう。

日本の憲法についても満足に勉強していない。維新の連中、特に橋本とよく似ているし、トランプや死んだ安倍と同じレベルで小池百合子とどちこちというところだ。

要するに彼らの政治思想は世俗の遅れたおっさん・おばはんのレベルであろう。世間には差別や排外思想が支配的だがそのレベルの「思想」をもって政治をやることになる。だから、安芸高田市の医療費の話でも、お年寄りを敵視し説得できがたい年寄りは早く死ぬから生き残る者が勝ちだというその程度の」思想」しかないのである。

小池が関東大地震の折の朝鮮人虐殺の史実を抹殺しようとするのも、同じレベルの話だ。

恥を知れ、という唾は天から小池や石丸の顔に落ちかかってくるだろう。日本の左翼もこの連中を凌駕するだけのものを持っているのか、その努力をしているのか。毎日多くの本を読み、市民の声を聴き、どんな小さいことであっても対権力の実践を日々やっているのか、人を批判する前に、自分を顧みて nobles oblige  常に恥を考えて生きねばならない。

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2024年4月23日 (火)

園児虐待

高知新聞で保育園児が保母さんに虐待を受けたという報道があった。
それも「高知県東部」の保育所とのことだ。高知県東部と言えば、室戸市か東洋町ということになる。
市役所に聞いたが室戸市ではない。そうすると東洋町の野根か甲浦の保育園という事になる。

記事を見てもはっきりしたことが分からない。園児がロッカーに入れられていたとか、いくつかの虐待が
あったということだ。保育所自体はその事実を否定しているようだ。その虐待の事実は保護者の目撃
によるとのことである。新聞社も明確な報道ができないようだ。

虐待の事実があれば、当事者にはきびしいが、新聞報道もやむを得ない。
しかし、もし、何かの勘違いであったら、今の新聞報道は厳しすぎるであろう。
虐待をしたといわれる保母さんは、もしかしたらそうでなかったのかもしれない。
何事も事実の確定が肝心だ。事実が確定してから報道すべきだろう。

伝聞証拠だけで人を非難したり罪につけたりすることはあってはならない。
日本の冤罪事件の多くは、伝聞証拠だけで犯人が作り出され、無実の人が長く牢獄に閉じ込められたり、
刑死に追いやられたりしてきた。例えば、誰それがコンビニで女性の尻を触っていた、私はそれを見た。
という人が現れた場合、その証言だけで警察に訴えられて捕まるということがあっていいのか。

女性が現場でその手を抑えて声をあげるとかすれば現行犯だ。だが、誰かが見たという伝聞証拠だけで
捕まるという事になれば、だれも安心して生活できないだろう。政敵の多い人などはしょっちゅう引っ張られるという事になる。伝聞証拠だけで人を責めたり、裁いたりはすることはできないという原則が日本の司法界でおろそかにされているから、冤罪事件がなくならないのである。

伝聞証拠で人を罪につけるという恐ろしい思想は封建時代の刑事政策だ。殺人事件や放火など重大な事件が起これば 誰かを犯人に仕立てて「解決」しなければならないという刑事政策からは、犯人を「貧乏くじ」で選んでスケープゴートにするという政策も出てきた。(荻生徂徠「太平策」)

徂徠の儒学では、昔、出石と豊岡で人殺しがあったが下手人がわからないので江戸にまで相談があった。徂徠の回答は、「畢竟下手人を出してことすむことなり。其の領主の吟味にて知れずんば、びんぼうくじになりともして、下手人を出さすべきことを、せんぎ仕り候とて、年月を引きずり、はては埒明かずして終ること愚の甚だしきならずや。」

それをまことしやかにするためには伝聞証拠も作ったことであろう。
県東部、野根の保育園で何が起こったのか事実の確定が何よりも先決である。
事実の確定の前に大騒ぎをしたらもしも当事者が無実であれば大きな人権問題となる。

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