2019年11月 9日 (土)

選挙

革命的立場の選挙闘争には次のような意義がある。
政治宣伝の場として使う。選挙戦を通じて今持っている情報や資料で敵権力の実態を暴き、労働者人民に
敵の攻撃に備えさせる。

もし当選すれば、これまでとは比較にならない敵の状態、人民の生活や人権の状態の情報が手に入るから、それを分析し、人民に知らせ敵権力を追及する、そういう権能が得られる。

当選することを自己目的にすることは、結局金や名誉を目的にしているのと同然だ。、
私は野党共闘を支持しているが、尾﨑高知県知事の一部でも良いところは継承するなどという政策は野党共闘にはならない。高知県政を分析すれば、尾﨑県政の反人民的性格は明らかである。

米軍機オスプレイの飛行も承認し、原発も承認し、メガソーラーも承認し、県勢の浮揚は何もできず、県議会政務活動費もやりっぱなしにし、県立大学の焚書事件も責任を取らず、高知市をはじめ県下市町村の津波避難の体制はわずかしか進まない、民家の耐震補強にも無関心、異常降雨による河川の氾濫への手当も満足にできない、人口はがたヘリだ。第1次産業で生きていかねばならないのにそれが1000億円の入超の体たらくだ。

地産地消ができないのに何の地産外商ぞや。高知県に住んでいるものは、他府県の人より短命で不健康だ。・・・
何か尾﨑がいいことを残したというものがあるのか。
良いところといえば、橋本大二郎のモードアバンセのような自ら大きな不祥事は起こさなかったぐらいか。
しかしそんなことは当たり前のことだ。

選挙に出る候補者は日ごろからもっと勉強して県政の問題点を県民に剔抉して見せなければならない。
候補者が知らなければ後援団体が教えねばならない。
尾﨑程度の者にちょろまかされてきた高知県の
野党はもし仮に選挙で勝利しても、抜本的な県政の改革、県勢挽回の政策を打てず、かつての民主党のように野垂れ死にし、二度と野党に県政のタクトが戻らないということになりかねないだろう。

革命党の選挙戦の意義は、権力や議席を得るのが最終目的ではなく、敵権力の利権行政を暴き、人民に的確な情報を与え、奮起させようとする事であって、選挙戦を通じて新しい視野が開けるものでなければならない。

負けても異議があるのである。

| | コメント (0)

2019年11月 4日 (月)

県立図書館焚書事件控訴理由書

県立大学の永国寺キャンパスの旧図書館の蔵書数万冊が焚書に付された事件の
第1審高知地裁の判決は、お粗末な判決文によって原告住民側の敗訴となった。
その判決文がいかにお粗末であるかはわたしの控訴理由書を読んでもらったらわかる。

県立大学の日常業務、図書館の管理、図書の処分に至るまで県知事の監督と指導の下にあった。以前の県直轄運営と同様の知事の責任が地方独立行政法人法に明記されている。
高知新聞は本件について相当な紙面を割いて報道してきたが、ひとつも県の責任を追及しなかった。

不要となった財産は、県知事の許可がなければ、処分できないというのが法の趣旨だ。
この法律について報道機関として新聞として知らなかったわけではないだろう。

最近知事の辞職・代議士転身を機に知事の業績のべた褒め連載をしている関係で、焚書事件の知事の責任をかけないのであろうか。これだけの不祥事を大学関係者にだけに転嫁し、
知事も大学も何の処分も、賠償もしない無責任政治をゆるすということか。

令和元年(行コ)第25号 損害賠償控訴事件
 控訴人 澤山保太郎
 被控訴人 高知県知事尾﨑正直

高松高等裁判所殿
                  令和元年10月31日     
                  控訴人 澤山保太郎
控訴理由書
【控訴理由の要旨】

本件は、平成26年~29年にかけて大学法人が、新図書館建設を機に高知県立大学の永国寺旧図書館に所蔵していた図書のうち2万5432冊を学内手続きだけで除却処分(焼却等)を許した事件である。

一、 本件損害賠償請求は正当である。

数万冊の蔵書を除却した行為は、地方独立行政法人法第6条4項に基づく同法第42条2の1項(不要財産の納付)に違背したことによる損害の賠償、または、本件譲与契約書の第15条の契約解除に基づく第16条(原状回復)の(2)または(3)の規定によっても、損害(契約解除時の時価)の賠償に係る義務を発生させた。

二、 本件違約金支払い請求は本件譲与契約書に規定されていて、不当利得の法理から考えて、地方自治法第242条2の4号の、不当利得返還請求であり正当である。
また、監査請求段階で監査委員が契約書を審査し検討していたと考えられるから監査を経ていると考えられる。たとえ監査請求書に記載されていなくても訴訟段階で新たな措置請求としても適法であるとの判例がある。
また、高額の違約金は、本件除却された数万冊の蔵書を新規に整えようとすれば億単位の資金を用意しなければならないことを考慮すれば不合理とまでは言えない。そもそもこの定めを契約書に主導的に導入したのは、被控訴人であり、その当事者が今なおこれを維持し続けながら、自己の決定したその契約条項を非難するのは筋が通らない。

三、 損害賠償請求権と違約金支払い請求権は性質は違うが同じ一つの事件に基づくもので、これを一つの訴訟に合併して民衆訴訟たる住民訴訟でその行使を求めるのは法律(行政事件訴訟法)上、正当である。
原判決も何のさわりもなく「本案」について検討し判断している。

【控訴理由各論】

【一】 本件損害賠償請求について

一、地方独立行政法人法42条の2第1項の規定
原判決は、本件図書の焼却による損害につき2972万2479円の損害賠償請求は、監査請求前置の要件を満たしていたとしたが、これを棄却した。
その理由は、
本件図書は、もともと高知県の所有に属していたことがあったとしても、本件譲与契約に基づき、独立した法人格を有する本件大学法人の所有に移転しているから、高知県の所有物ではなく、本件除却処分によって高知県の権利が直ちに侵害されたということはできないのであって、権利の侵害がない以上は不法行為が成立する余地はない。 (原判決15頁下段)

大学法人の本件蔵書が本件譲与契約により高知県から大学の方に所有権が移転したことは事実であるが、しかし、この譲与契約は条件付きの契約であり、指定用途以外の用途に使うなど条件に違反した場合解除されるものである。原判決はそのことを無視している。
そしてまた、地方独立行政法人法42条の2第1項の法律は、原判決が言う通り、不要となった出資財産を地方公共団体に返納し有効活用などを図るために新設されたものであるが、本件大学法人が不要になったからと言って学長などの判断で財産を勝手には除却することは許されていない。本件の場合は本件契約と前掲法律に違反した段階で、大学側の所有権は失われ高知県に移転するものである。少なくとも所有権が高知県に戻される権利が侵害されたといえる。移転の手続きをしなかったことを理由に不法行為が宥免されるものではない。原判決はまた、地方公共団体へ納付すべき不要財産であったとしても、当該地方公共団体の長の認可を受けて当該地方公共団体へ財産を引き渡すといった所定の手続きを履践しない限り、当該不要財産の所有権は移転しないと解するのが相当である。
と判旨した。知事が認可し、「所定の手続き」をしなければ所有権は移転しない、というのは所定の手続
きをしなかった怠る事実を開き直るもので、国の法律を遵守しないという意思表明である。

控訴人が問題にしているのは、これら「所定の手続き」をしなかったことの、被控訴人の責
任でありそれが問われているのである。本件怠る事実の違法性の怠りは二通りある。
第一の怠りは、本件図書の除却処分が行われる前に、大学法人の日常業務の監督機関である高知県が法令に基づいて大学法人が正規の手続きをして本件図書を返納するという手続きをさせなければならない義務があった。それを怠った。

第二の怠りは、除却(焼却)後の損害の回復措置を怠ったのである。
法令がいくら定めても、これを無視し実行を懈怠しすれば、法令が守ろうとする国民の財産がどうなってもいいのか、ということである。
独立行政法人になったとしても出資団体である被控訴人は、従来通りこの大学法人への日常業務の監督・指導、不要な財産の処分を含む事業計画策定や毎年の予算措置の決定、人事権行使など強い権限を持っている。(地方独立行政法人法第7条、11条、14条、17条、25条~30条、34条、36条、39条、46条、121条、122条・・・)
本件不要図書の処分についても新図書館建設などに関与し、数年以上にわたり被告は成り行きを注視していたはずであるから、焼却される前に大学法人とともに県議会にかけるなどを含め不要財産の返納の「所定の手続き」の履践をしなければならなかった。
原判決は、まさに被控訴人の懈怠の違法事実をもって被控訴人を宥免しようとするのであって、違法行為があってもそれを既成事実として義務を行使できない理由にするようなものである。それは、水防隊員が警報が出ているにもかかわらず水門を閉じなかったので浸水被害を被ったという場合、水門が開いていたので浸水が起こったといって自己の責任を逃れようとするのと同然である。
そして、被控訴人は事前の所定の手続きを怠り、さらに焼却処分という重大な結果についても、事後の適正な手続きを怠り、損害の回復措置を何も取らなかった。
監査請求や本件訴えの趣旨は事件当時所有権があったかどうかではなく、本件図書の所有権の回復措置を取らず、またその回復されるべき所有権を失ったことへの回復措置も取らなかった違法があるとしているのである。
無能ならともかく、無為無策で、というより無為無策を理由として本件請求を逃れさせようとするのは、あまりにも理不尽な判決である。

二、高知県知事の認可

原判決は続いて
高知県が本件図書の所有権を有していないとしても、高知県には、同法42条の2第1項に基づき、本件図書の納付を受けるべき権利があり、これが侵害された不法行為が成立するといえるか と自問する(原判決17頁上段)
この自問についても上記と同様あっさり
高知県知事の認可がなされていない本件では、納付義務に対応する履行請求権は発生していないというべきであるから、本件除却処分が高知県の権利を侵害するものとはいえない。
(原判決17頁中段)という。

しかし、独立行政法人法第6条の4項及び第42条の2第1項の趣旨では、大学法人側が、当該図書を不要と認定した段階で納付義務が生ずるのであり、同時に高知県側の納付される権利が生ずるのである。そして大学法人側は「遅滞なく」所定の手続きを経て不要財産を納付しなければならない。
知事の認可や県議会での議決は「所定の手続き」であってそれによって、納付義務や権利が左右されるものではない。本件図書は、もともと購入するのに3億円を超える費用が掛かっているものであり、これが返納されることについて異議を唱える者はいない。
法は大学法人が不要と認定した財産でもこれを勝手に廃棄などの処分をさせず購入費を負担した地方公共団体が別の方法や場所で有効活用を図ることを企図したものである。

三、法の適用があるのか

原判決は、さらに不要財産について高知県に返還する上掲法令が本件図書に適用されるのかについて判断する。前掲独立行政法人法の第6条の第4項では返納する財産は、「重要な財産であって条例で定めるもの」とされており、県の条例では、それは「帳簿価格が50万円以上のものその他知事が定める財産」であると規定されている。そこで図書は、数量的には1冊1冊計算されるものであり、1冊50万円を超えるものは本件に存在しないから、法の適用はない、と被控訴人の主張を全面的に採用する判示をした。その判断の根拠は次の通りだ。

原告の主張する蔵書は法律上の概念ではなく、その概念の広狭は主観的なものとならざるをえず、極めてあいまいなものであって、法律効果の発生の有無を規律する法律要件の判断に持ち込むのは不適切である。 (原判決17頁下段)とまでいう。

控訴人が本件図書を「蔵書」というのは、「社会通念に従った一般的な理解」に基づくものではないということになる。
「蔵書」という言葉は法律上の概念ではない、法廷では使えないということのようである。
物品の名前において「法律上の概念」に該当するものとはどんなものであろうか。
「蔵書」は相当な数の書籍が図書館などに所蔵されているものの集合名詞であり、また、1冊でも「蔵書」といえる。集合名詞でもあり個別名詞でもある例えば国民とか、果物とか、山とか川とか、図書とか、それに類する日本語の名詞は無数にある。日本語の名詞には複数形はないから集合名詞が単体を指すことを兼ねる。
どういうものが法廷で使えるのか使えないのか、裁判所は「法律要件の判断」に使ってもよいという法廷用語の一覧表を示すべきであろう。原判決の基準でいえば固有名詞以外ほとんどの名詞が使えないだろう。

本件「蔵書」は、本件にかかわって新聞でも大学でも、記事や法令などにおびただしく使われてきた。本件大学法人もその図書管理規則で「蔵書」と規定され、本件についての第三者検証委員会でもその委員会の名称にも「蔵書」が使われているし、本件にかかわる学長声明や県庁ホームページ、県議会資料でも標題に「蔵書」が使われている。

また、「蔵書」は図書館・情報学の分野では、学術用語として中核的な概念である。
普通の言葉であり学術用語でもある言葉が「法律効果の発生の有無を規律する法律要件の判断に持ち込むのは不適切」というのはどのような法令、判例に基づいているのか。
そのような言葉の分類を判決文で示したのは日本裁判史上初めてのことだろう。
確かに、被控訴人や原判決のように図書館所蔵の書籍を一冊一冊に分割しなければ相手の批判を防御できないという者には、都合の悪い「不適切な」言葉かもしれない。しかし、そのために、判決文で法律上の文書での言葉を恣意的・独断的に限局したり気に入
らぬ言葉を「不適切」だとして排除するのは国民の裁判を受ける権利を脅かす行為である。本件において数万冊の旧図書館所蔵の蔵書が焼却されたことは明らかである。
本は購入されたり寄付されたりして図書館に収容された段階で蔵書となる。これが社会通
念であり、学術的概念である。蔵書は体系的に整理され開架や書庫に保管される。
元は数億円かかった数万冊の蔵書を購入前の一冊一冊に分割して法の適用を逃れようというのは、法網を潜脱しようとする明らかな脱法行為である。

収容時は本は蔵書とされる。そして本件処分時でも蔵書としてまとめて除却された。
原審での被控訴人準備書面(1)8頁でも、「業務効率化の観点から、適切なタイミングで
ある程度まとめて除却手続きをとることは当然であり・・・」と言っていた。
図書館の相当な冊数の本を「蔵書」としてまとめて把握し処理するのは当然だ。
四、焼却以外に他の選択肢はなかったのか本件図書を蔵書として集合的に扱うことに異議が出たとしても、被控訴人は、図書の焼却処
分という野蛮な選択肢をとるとは考えられないし、してはならない。

いうまでもなく図書は大学にとってはもとより県民にとっても重要な財産である。
法の趣旨に照らすと、図書館の蔵書が重要な財産であるから、大学で整理され不要とされた
としても貧弱な図書しかない市町村立の図書館にとっては宝物である。被告は返納された
蔵書の活用法は知っているはずであった。本件大量の書籍は、たとえ原判決や被控訴人が言
う通り一冊一冊が50万円未満であったとしても、県の条例(「高知県公立大学法人に係る
評価委員会及び重要な財産に関する条例」)第9条での規定では、別途の規定も用意されて
いる。帳簿価格50万円以上の規定の後に「その他知事が定めるもの」とあり、数万冊の蔵
書は、この範疇に入るべきものであった。

高知県下には東洋町のように今でも図書館のないところさへある。公立小中学校、県立高校の図書室の貧弱な蔵書、貧弱な図書購入費の予算を被告は知る立場にある。
全国最下位の貧乏県の知事が数万冊のまだ上等の図書を焼却することに同意するはずはないのである。原判決は、
本件図書は、比喩的な意味で、高知県民の知的財産というべきものであり、これを喪失させた本件除却処分に対する厳しい批判が向けられていることは顕著な事実ではあるが、損害賠償請求権の存否という法的判断は、法人としての高知県に属する財産権が侵害されたか否かという観点からなされるべきものであって、本件除却処分の当否の判断とは区別して論ずべき問題である。 (原判決15頁中段)という。
高知県知事というのは高知県民の代表であって、その県の知的財産が理由なく喪失させられた、その管理責任が大学法人と県知事であることは明らかであり、そしてその責任遂行の根拠の法令もあり手続きも定められている。何も法的判断と県民の思いを区別したり乖離させることはない。被控訴人や原判決がそれを乖離させようと努力する気持ちはわかるが、裁判はえこひいきの利権の場ではない。

被控訴人は、県下の市町村や小中学校、高校の図書館や図書室にどれだけの蔵書があるのか
知っていたし、それらを充実させる予算措置の必要性、にもかかわらず些少な予算措置しか
できないことの悔しさも持っている人物である。知事の避けられぬ裁量権行使に原判決が
言うように一冊がそれぞれ50万円に満たぬからと言ってそれを理由に数万冊を灰にして
しまう選択肢があるであろうか。それとも、たとえ一冊一冊が50万円未満であっても県条
例の規定にある「その他知事が定める財産」としてこれを認定し、除却せず、返納させて活
用させるという方向の選択が、知事の本件についてのコメントからも、確実にあったといえ
るのではないか。

知事でなくても普通の人間であれば、県民の膨大な知的財産を焚書に付する選択はあり得ない。被控訴人が本件について正常な判断と手続きを怠ったのは、大学法人に対する自己の管理責任や財産の譲渡契約について自覚せず、県立大学が地方独立行政法人になったから無関係であるという本件には致命的な錯誤をしていたからであろう。
五、高知県知事の裁量権
原判決(19頁)はさらに本件契約第12条1項(譲与物件の譲渡禁止)の違反による契約解除について控訴人の主張を退ける。その理由は、解除権の行使は高知県の「裁量」であり、義務付けられていない、高知県が契約を解除した事実はないという。
すなわち、
本件譲与契約15条は、債務不履行解除について定めた規定であるが、同規定によれば、
同解除権の行使は高知県の裁量に委ねられているのであって、その行使を義務付けられる
との根拠はないところ、高知県が本件譲与契約を解除したとの事実は認められないもので
ある。(原判決 19頁中段)
本件譲与契約は解除条件付きの契約であることを被控訴人も原判決も取り上げていない。解除条件にあたる行為によって直ちに譲与契約は無効となり所有権は自動的に元の持ち主に返る。所有権が復帰することについて特段の手続きはいらない。
譲与物件である本件数万冊の蔵書の処分については第8条、第12条の1項が根底から踏みにじられたのであるから、解除の要件は十分であった。
本件契約第12条の1項は、同契約第8条(譲与物件の指定用途供用)を担保する条項であり、知事の許可も得ず本件図書の焼却処分を強行した行為は、第8条、第12条の1項に違反し、本件契約第15条の契約解除に該当する。解除の要件がそろった時、これを解除しないという選択肢は存在しない。知事の解除についての規定である第15条には、
…するときは、…契約を解除することができる、という表現があるが、権力機関の場合にはこれはただに何かの行為が出来るという権能を示すだけでなく、要件が満たされた場合にはその権能を行使しなければならない義務規定である。要件が満たされているのに、権限を行使しなければ、国民や自治体の財産や生命などに被害が発生し職務怠慢として処罰の対象になるものである。
そのことは地方自治法(第2条第14項)、地方財政法第3条第2項、同法第8条によって、最小の経費で最大の効果をあげること、あらゆる資料に基づいて財源をとらえること、良好な財産の管理及びその効率的な運用が義務づけられていることからも、本件契約を解除して自己の出資に係る財産を取り戻す義務があった。裁量権でその他の選択肢はあり得なかったのである。
契約違反行為が現出した段階で知事の認定があろうがなかろうが、廃棄処分を決定し指定された用途に供用しないと大学法人側が決定した段階で直ちに何らの「催告することなく」契約解除となり、譲与物件の所有権は元に戻るから、本件除却処分は、本件図書に関する所有権侵害事件となる。
被控訴人が本件契約の解除権を行使しなかったのは事実であるが、それは単に被控訴人の懈怠又は重大な過誤によるものであって、それを理由に責任を逃れることはできない。
六、除却処分と契約解除
原判決は、
本件除却処分が既になされてしまった後に解除したとしても、高知県に所有権が復帰するものとはいえないし、解除する前の本件除却処分の時点で既に高知県の所有権が侵害されたというのは論理的でない。したがって、原告の上記主張は、前提を欠くものであって、採用することができない。(原判決19頁中段)という。
しかし、本件図書については、廃棄処分の決定 ⇒ 廃棄(除却又は焼却)実行であり、廃棄すると決定した段階で本件契約の第8条(指定用途供用義務)に違反する。高知県に返納せず廃棄処分業者への引き渡し・高知市焼却場に所有権を移転する(第12条所有権移転禁止違反)前に、指定用途供用義務の第8条に違反し、それによって第15条(契約解除)に該当する。除却処分ももとより解除条件に該当するが、除却する前に供用廃止を決定したことで解除条件を成就するから、この時点で本件図書の所有権は高知県に返っている。本件大学法人は、高知県の所有権のあるものを除却・滅損したことになるのである。
原判決は、本件除却処分が既になされてしまった後に解除したとしても・・・ というが
大学法人側が除却を決定し本の選考をする期間に被控訴人には対応する時間が十分あった。被控訴人は国の法律により日常的に大学法人の業務を監督し指揮する責任を負っていた。
民法128条の規定では、解除条件の成否未定の間は、条件が成就した場合にその法律行為から生ずべき相手側の利益を害することはできない、とされている。
また、契約未解除での除却処分は、高知県の得られるべき利益(数万冊の図書の返納、所有権)を侵害することは明らかである。この場合、本件図書の所有権は、高知県に返ったものと判断される。
民法第127条の第3項によれば、当事者の意思で、解除条件が成就した場合、その効果をそれ以前に遡ぼらせることも可能である。被控訴人が、本件図書の所有(契約前の原状に戻す)を申し出て大学法人がその申し出を拒絶することは想像できない。
それは、本件契約書の両当事者は、地方独立行政法人法など関係法令を遵守するものであるから、本件のような「不要財産」となったものは、法律の通り元の出資者に納付するということをあらかじめ互いに了解していた。したがって、民法第127条第3項の条件成就の時点以前に遡って解除の効力を生じさせるという当事者の意思は明らかであり、これを否定することは許されない。仮に除却後に解除したとしても解除の効力は始原に遡及し本件図書の所有権は高知県に戻っていたというべきである。

【二】本件違約金について

一、監査請求前置について
 原判決は、本件監査請求は高知県知事が本件図書を除却処分をした本件大学法人に対して損害賠償請求権を行使することを求めるであるから、本件譲与契約上の大学法人による義務違反による違約金支払い請求権を行使することを求めるのは、控訴人の監査請求書の中に入っていず、したがって監査請求前置主義に違背する。その理由として、
損害賠償請求権と違約金支払い請求権とは、法的性質を異にするまったく別個のものである、という。すなわち、
本件監査請求は、本件除却処分に関して高知県知事が「適切な措置」を執ることを請求するものであって、高知県の財産とされるべきであった本件図書等が違法に焼却されたことにより高知県が被った損害に関して、高知県知事が本件大学法人に対する損害賠償請求権を行使していないことを財務会計行為上の行為として・・・・。
一方、違約金請求については、本件図書の所有権を廃棄物収集運搬処理業者等へ移転したという本件譲与契約上の義務違反行為に関し、高知県知事が、本件譲与契約14条項に基づく違約罰としての違約金支払い請求権を行使していないことを財務会計上の行為として主張するもの・・・・。
両者に係る請求権はその発生根拠や法的性質を異にする全く別個のものであることは明らかである。という。
しかし、両者が性質の違う別個請求権であることは、その通りであるが、一つの事件から複数の請求権が発生しているものはそれぞれ別々に訴訟にかけなければならないという理由が不明である。両者の性質が違うという事実を摘記すれば理由の説明もなく却下の理由になるのであろうか。
本件訴訟は、法的には国の法律である独立行政法人法と本件譲与契約書の二つに基づいている。監査請求の段階では、とりあえず前者の国の法律に基づいて請求がなされた。
監査委員は、理由をつけて本件監査請求を却下しそれを控訴人に通知してきた。
その通知書に記載された理由というのは、本件譲与契約書に基づき、本件図書は大学法人に所有権が移っているので、高知県とは無関係だというものであった。(甲1、2号証)

してみると監査委員は、少なくとも本件譲与契約書の内容を吟味したことは間違いない。
その契約書には、契約違反の場合、大学法人は損害賠償だけでなく違約金の支払いも、また、
契約解除の条項も入っていた。監査委員の監査は何も住民の請求したことのみを監査するというものではない。住民の監査請求の一端の事実を契機として当該事件に関するその他の違法性にも調査し監査が及ぶことは当然である。
本件についての監査は本件譲与契約書を取り上げた以上、その内容として損害賠償のみならず違約金についても監査が及んだものと考えるが、所有権が移転しているということで監査請求は却下された、というものである。

二、監査を経たか

そこで問題なのは
第一に、住民訴訟の前置である監査を経るとはどういうことか、である。
第二に、一つの違法事件で監査段階で住民が問題としなかった違法性について訴訟段階で提起することはできないのか、
第三に、一つの違法事実で根拠の異なる性質の請求はできないのか。
(1) 第一の問題について:
地方自治法第242条の監査請求の条項では、住民監査とは①住民による請求書の提出②監査委員会の受理③監査委員の監査④監査結果の通知のこの過程である。
そしてこの④の監査結果に不服の場合住民訴訟が提起される。あくまでも④の結果に対する評価によって訴訟が行われるかどうかが決まるのである。
本件監査では、④の監査結果の通知の内容を踏まえて訴訟を提起していることは明らかである。請求書段階では、本件譲与契約の違約金については言及していないが監査結果にはそのことを含む契約書を踏まえた審査・ないしは判断が明記されていた。だから違約金問題は監査を経ていたことは明らかである。
(2) 第二の問題について
高知県の許可もなしに本件図書の除却という一個の財産管理上の事件で監査の結果には内包されていたが監査請求書には明記されていなかった請求を、当初の請求と一緒に訴訟で提起するのはいけないのか。それについては最高裁判例が参考になる。すなわち、
原審控訴人準備書面(3)で引用した以下の判例であるが、原判決はこの判例を一顧だにしていない。(平成10年7月3日最高裁第二小法廷判決 平成6年(行ツ53号)
住民訴訟につき、監査請求の前置を要することを定めている地方自治法第二四二条の第一項は、住民訴訟は監査請求の対象とした同法二四二条一項所定の財務会計上の行為又は怠る事実についてこれを提起すべきものと定めているが、同項には、住民が監査請求において求めた具体的措置の相手方として右措置を同一の請求内容による住民訴訟を提起しなければならないとする規定は存在しない。また、住民は監査請求をする際、監査の対象である財務会計上の行為又は怠る事実を特定して、必要な措置を講ずべきことを請求すれば足り、措置の内容及び相手方を具体的に明示することは必須ではなく、仮に、執るべき措置内容等が具体的に明示されている場合でも、監査委員は、監査請求に理由ありと認めるときは、明示された措置内容に拘束されずに必要な措置を講ずることができると解されるから、監査請求前置の要件を判断するために監査請求書に記載された具体的な措置の内容及び相手方を吟味する必要はないといわなければならない。そうすると、住民訴訟においては、その対象とする財務会計上の行為又は怠る事実について監査請求を経ていると認められる限り、監査請求において求められた具体的措置の相手方と異なる者を相手方として右措置の内容と異なる請求をすることも、許されると解すべきである。(甲第11号証 下線控訴人)
最高裁判例に照らせば、監査請求の段階の措置の内容(損害賠償請求)と訴訟段階での異なる内容の請求(違約金請求)も許されるというのである。
(3)第三の問題:
 上掲最高裁判例からすると、根拠が異なり、性質の相違する新たな請求でも問題ないということになる。違約金の請求と損害賠償請求は性質が違っていることは当然である。
地方自治法には、一つの違法行為から性質の違う複数の措置請求を出す場合、それぞれ別個に訴訟を起こさなければならないという規定はない。例えば賠償請求と差し止め請求は別種の請求であるが、その場合でも、一個の訴訟で問題の解決を図ることができる。
普通の裁判でも一つの契約書で1個の違反行為に対し損害賠償に違約金支払いが加重されたからと言ってそれぞれの請求について別個の裁判を起こさなくてはならないのか、他の裁判は構わないが住民訴訟では、いけないというのであろうか。関連する複数の請求の合併は許されないのか。
本件住民訴訟は行政事件訴訟法では民衆訴訟に入る。同法第16条から19条は当事者訴訟についてであるが、同法43条において民衆訴訟にも準用する規定がある。
準用される同法第16条では、関連した請求には訴えの併合が認められている。
本件損害賠償請求と違約金支払い請求は、一個の契約書から出たもので一個の違法行為(除却)から義務付けられたものであり、直接連関している。
被控訴人そして原判決は、独自の独断的見解ではなく法令にのっとった主張や判断が求められる。

三、不当利得返還請求について
原判決のさらなる独自の見解は続く。原判決は
地方自治法第242条の2第1項第4号は、損害賠償又は不当利得返還の請求に限定して普通地方公共団体の執行機関又は職員に対しこれらを行うことを義務づけることを許容しているところ、本件譲与契約第14条2項において、同条1項に定める違約金は、損害賠償の予定又はその一部と解釈しない旨定められていることからしても、本件違約金支払い請求は、地方公共団体と契約を締結した相手方の当該契約上の義務違反に対する違約罰としての違約金の支払いを求めるものであって、その性質は、同号に言う損害賠償又は不当利得返還の請求とは異なるというべきである。したがって、本件違約金支払い請求は同号の要件を充足しない不適法な訴えであるといえるため、この点でも却下は逃れない。
(原判決21頁)

という。原判決は不当利得という概念をどのように理解しているのかいぶかしい。
控訴人は、本件大学法人の本件譲与契約違反による違約金を払わないのは、不当利得に該当すると考える。
学説によれば、不当利得には本件のように、本件大学法人の側が財産の増加など積極的利益はないものの、本来なら減少したはずの財産が減少しなかった場合(消極的利益)も該当するといわれる。高知県側からすれば、本来なら増加したはずの財産が増加しなかったのであるから、不当利得の要件は満たされている。このような意味での不当利得も返還請求の対象となる。本件請求は、地方自治法第242条2の4号請求に何ら違反していない。
本件違約金について付言すれば、契約書に違約金の条項を設けることはよいとして、損害賠償とは別個に巨額の支払い義務が設定されている。それは一つには、本件図書のように過去の購入時、あるいは新規購入には数億円の費用が掛かかるのに、事件時の損害賠償額は数千万円にすぎないというアンバランスを是正する意味があったと推量する。
ただ、被控訴人が、違約金の支払いが高すぎると思うなら本件契約書を是正するべきであって、今なお現在の条項のまま現行の違約金制度を維持する以上は、控訴人としてはこれに基づく請求を維持せざるを得ない。被控訴人自身が定め、これを維持し続けているものを、自らが不合理だといって非難する、その非難をまともに判決文に反映するというのは、常識では考えられない。

四、違約金についての本案についての判断
1、本件譲与契約第12条の1項(譲与物件の譲渡禁止)は第8条(指定用途供用義務)を別の観点から担保し保証するためのものと考えるが、被控訴人はこの禁止規定には「譲与物件の除却処分はふくまない」という。その理由として、耐用年数が10年未満の動産は無数に存在し得るし、その単価も50万円はおろか、
千円にも満たないものは多数あるはずであるが、そのような物件が一切処分できず、仮に、数千円の物件を誤って廃棄したとして、直ちに3億円を超える違約金を支払わされるというのは、明らかに不合理である。という。

それはその通りで、当事者が納得して決め今もそれを守っている事実ではあるが、契約書の規定機械的に解釈運用することは不合理な事態を招く恐れがあるだろう。事案に応じて公平な判断が求められる。しかし、また、数万冊の物件の処分を数千円の物件と同列に扱うのも不合理というべきではないか。原判決は、続けて言う。
本件譲与契約12条1項が定める期間や違約金の額からすれば、耐用年数も相当期間存し、かつ、ある程度の高額資産である不動産や工作機器などを対象としており、地方独立法人がこれを転売するなどして不正の収益を上げたり、同法人の財政的な基盤を著しく脆弱化させたりすることなどを禁じる趣旨の規定と理解するのが相当であり、少なくとも、同法42条の2第1項の手続きすら不要とされる除却処分に関して、法の規定以上に厳格な規律を設け、厳重な制裁を課す規定を設けたものと解することはできない。という。
   (原判決22頁中段)

「法の規定以上に」という文章を除けば、被控訴人の言う通りであろう。
本件譲与契約の12条1項は不動産に限らず「ある程度高額の資産」を対象にしていることは間違いない。元は数億円かかり本件除却処分当時でも数千万円の価値があると大学法人が算定している本件蔵書は、「高額の資産」に該当するのではないか。
法の規定以上、という法とは何かわからないが、地方独立行政法人法をいうのであれば、契約自由の法理からして違約金の金額をどのように設定するかは契約当事者が決めることであって、法はもともとあずかり知らぬことである。ただ、除却・棄損された対象物件の値打ちによって違約金に格差があるべきであろうし、法外な違約金は社会通念上認められないだろう。本件の違約金は、本件譲与契約の第14条の1項(1)の規定に基づくが、数万冊を新規に購入するとなると、3億円を超え、数千万円の損害賠償金だけでは償えないから、本件違約金の額は、さほど法外な金額とは言えない。今になっても契約者双方がこの契約条項を維持している以上、原判決が本件違約金制度をいくら非難しても始まらない。

2、「形式的な所有権の移転」

原判決は、除却処分の過程における形式的な所有権の移転を観念して除却処分を禁じることはもとより想定していないはずであるから、除却処分の手段あるいはその結果として、第三者が所有権を取得することがあったとしても、本件譲与契約12条1項に反しないのは当然である。
という。「形式的な所有権の移転」とはどういう謂いなのかわからないが、「形式的」には一応所有権の移転があったということを認めるようである。本件の経緯からすれば、形式が重要であり、それが整っていれば、実体は大学から業者に渡ったのだから所有権移転は有効と判断される。廃棄物処理業者も高知市の焼却工場も、捨てた無主物を拾ったのではなく、本件大学法人が除却処分として、処分実行の業者として選ばれ、物件を手渡されたのである。形式も実質もきちんとそろっていた。大学法人が明確に相手を定め意図的に、形式だけでなく実質の所有物件を業者に渡したのである。所有権移転というのは形式を整え手続きを踏んで実物を相手に渡したところで完了する。元の所有者は当然所有権を失う。本件の所有権移転はそれに滞りはなく完璧であった。渡された廃棄物は有用なものでも不要なものでも、渡された業者や自治体の所有物となる。特別な約束がない限り灰にするか再生紙にするか受け取った業者や自治体の規則によって処分される。地方自治体では廃棄物の所有権を明確に条例にうたっているところがあり、高知市でも集積された廃棄物が盗難にあわないようにパトロールの費用まで出して所有権を守っている。本件数万冊の蔵書は最終的には高知市(処分工場)に所有権が移転されていたのである。

貴重な蔵書を焼却処分場に持っていきこれを除却するなどというのは指定用途の供用の規則違反でも最も悪質であり、だれか学生や市民に渡すというのならともかく、数万冊を十把一からげに焼却させたというのであるから、所有権移転を通り越してそれをはるかに超える衝撃的かつ無謀な処分である。

3、解除条件

原判決は、最後に、
本件違約金支払い請求が認められるためには、本件譲与契約14条1項1号より、本件大学法人が第三者に本件図書の所有権を移転し、かつ、高知県が本件譲与契約を解除したことが必要となるところ、前記のとおり高知県が本件譲与契約を解除した事実は認められないのであるから、本件違約金支払い請求権は発生していないといわざるを得ない・・・・。
という。
そもそも本件大学法人の業務への日常的な監督と指導責任について無頓着だった被控訴人が、本件蔵書の管理についても無頓着であり、解除条件が充足しているのかどうかなど本件契約についても無関心であった。契約を解除しなければならない段階でそれをしなかった。
その怠る事実の違法性が問われているのに原判決は、怠る事実を是とし前提にして本件に判断を下すのである。解除することを待って住民訴訟をするというのであれば怠る事実の違法性は没却され百年河清だ。

ちなみに、第14条(2)、(3)には解除条件は付いていない。(3)の違約金規定では第8条の指定用途供用義務違反であるから、金額は少ないが、違反事実の発生と同時に直ちに請求は成立するということになる。14条の3つの各違約金の規定では解除条件があったりなかったりであるが、各場合の義務違反にはさほどの差異は見られず、それぞれでは、当然契約解除になるから、解除条件の記載の存否は問題にされていないと考えられる。
ちなみに契約解除は、譲与契約の全体ではなく、その違反条項の問題の物件に限られると考えられる。


| | コメント (0)

2019年11月 1日 (金)

身の丈

荻生田文化相の身の丈発言が顰蹙を買っている。
身の丈とは身分ということである。

身分(差別)をわきまえろという発言が日本の政府閣僚から出てくるとは。
かつてはそうだった。差別をわきまえろが大義名分論の中核だった。

だが、戦後部落解放運動などの発展で、差別だ という声に震え上がる時代が出てきた。
差別を受けてきた人々がほう被りをして往還の隅を歩いていた時代から堂々と出身身分を名乗り権利を主張する時代がやってきていた。やりすぎもあったが激しい糾弾闘争も歴史的には重要な役割を果たし社会の迷妄を切り開いてきた。戦前戦後の解放運動がなければ部落大衆は今のような扱いは受けられなかったであろう。

だが、近年解放運動の沈潜などで、ヘイトスピーチなどが横行し、差別だといってもその差別を開き直る連中が出てきた。ネトウヨだけでなく荻生田のような身分差別を当然視する政治家も出てくるだろう。

人ながら 如是畜生ぞ 馬牛の 河原の者の 月見てもなぞ
これは16世紀初めの「七十一番職人歌合」の中の一首である。

ある学者はこの歌は穢多・河原者の立場になり代わっての歌だ、として
(人間でありながら、このように馬牛なみの扱いを受けている者なれば、美しい月を見ても心が晴れぬ)という解釈を示した。(「部落史を読む」阿吽社発行)

私の解釈では、この歌は差別を受けた当人が詠んだ歌であろう。如是などというお経の言葉を使っているから僧体のものかもしれない。

初めの、人ながら如是(にょぜ)畜生ぞ という句には、同じ人間でありながら畜生同然の扱いぞ という激しい叫びともとれる断定的義憤がある。

後の句には、馬牛とさげずまれる河原者であっても、月を見ても人並みに美しと感ずる、
それなのになぜこのような仕打ちを受けるのだ、という胸を打つ強い抗議の声が悲しげに響いている。

現代の解放運動は、抗議の怒りの思いを持つ多くの部落民がいるのにこの学者らの解釈のようにその声を感傷的詠嘆でしか理解しない、そのような低調な運動に似ている。

部落民だけではない。多くの受験生には経済的格差が厳しい。有名高校や大学に入学する大半は裕福な家庭の子供たちだ。部落を底辺としながら、大多数の国民が身分的格差ともいうべき差別の中で苦しんでいる。

中世の賤民たちの心の怒りは数百年たってもまだ晴れない。

| | コメント (0)

2019年10月30日 (水)

室戸市羽根町のメガソーラー

広大な森林を伐採して開設する太陽光発電事業はエコ発電ではないし、
原発に代替する新エネルギーでもない。ただの公害事業だ。

大阪のサンユーという業者と県庁が一体となって進めた羽根町の里山に展開するメガソーラーは国が指定した砂防管理地であるから、その悪質性は際立っている。

参考資料を掲載する。

羽根町メガソーラー発電事業について学習会

       羽根町メガソーラ事業対策市民会議

   【市民学習会 案内】

 開催期日:  月  日   時

 開催場所:    
     
 当該砂防地域での開発事業には重大な違法がある

大雨が降るたびに赤木谷川や琵琶が谷川に濁流が流下していることは住民だけでなく、
県などの行政機関も確認している。飲料水が飲めなくなった事実も明らかである。
山地の開発事業では濁水が発生すること自体が許されていない。

大阪の業者による羽根のメガソーラー事業には、以下の通り重大な違反行為がある。
高知県庁(室戸市)はこれら違法行為にまともに対処せず、業者のなすがままに放置した。
住民はこれまで反対、抗議の声を上げてきたがすべて無視された。

特定業者の利益のため地元農業・漁業等に直接影響を与える里山の乱開発が許されるのか。
日常的な濁水だけでなく以上降雨など水害の不安は流域の住民に深刻である。
室戸市および奈半利町の住民には、議会や行政に働きかけるほか種々の法的手段を講ずる必要があると考える。


   住民をだます数々の虚偽と乱開発の実態

1,1万立米の残土(調整池掘削による切土)の虚偽処理

 業者の県への計画及び報告では
12802立米(切土) - 3352立米(盛土)=9450立米
調整池浚渫(しゅんせつ)土砂約800立米 
業者の県への届け出は地元業者の土地(山鳥地区)に搬出することになっているが
⇒ これまで一握りの土も搬入されていない。(虚偽の報告)

2、森林率(国交省の基準は事業地で森林を40パーセント以上確保)

業者の県への報告では58%を超える森林残存率だという。
業者は、砂防地域の事業地面積を所有する山地の面積全体で割り算をしている。
業者の計算:67.4755㎡ ÷ 1146560㎡ = 58.85%

しかし、国の説明では事業地に残る森林を事業地の面積で割る計算式が正規。
正規の計算式:48.97ha(事業地)- 42.24ha(抜開面積)=6.73ha(残存森林)
6.73ha÷48.97ha=13.7%(平成31年2月1日 業者の県への変更許可申請書による)
 実際はわずか13パーセントにすぎない。(虚偽の計算式)
⇒パネル設置面積を大幅に(10ha以上)縮小し原状(森林)回復の義務がある。

3、降水による流量計算(虚偽計算)

(国の基準では事業地と測候所との標高差が300m以上は2割~4割割増)
県が認めた業者の計算式では 460m-185m>300m とし、赤木谷山標高460m、雨量測量地185mとし国の基準値未満だという。

しかし、業者が使った測候所は室戸岬の山の上のもので国交省がいう近隣の測候所である吉良川中川、北川村野友測候所などの標高を使っていない。
中川77m、野友50mであり、いづれも標高差は300mを超えている。
⇒4割増しの流量では、赤木谷、加曽谷川、奈半利の琵琶が谷川等が耐えられるか重大な不安がある。各河川の流下能力を超える雨水流下量の増大が出てくる。
調整池の増設が必要であるが逆に 17基から⇒13基に減少させた。

4、表土の剥ぎ取り (県の説明は嘘)

住民への県及び業者の説明会では、 業者は、パネル設置の事業地全体について表土を0.5mはぎ取って地面を平らにしたと報告した。(平成29年11月26日羽根市民館)
これは開発工事の現場の実情写真や住民の目撃、業者の話と一致する。

業者の計画書、県の住民説明では、調整池掘削以外は一切、切土・盛り土はしていないというが、事業者の説明の実態が真相である。
 ⇒表土切土の規模は、  0.5m×40ヘクタールとすれば数十万立米に及ぶ。
     大規模な違反開発と考えられる。

5、伐根

  業者や県の許可では樹林については抜開しても伐根しないことになっている。
  しかし、現実には抜開即伐根である。
  県は、途中で伐根に変更したというが、変更の手続きをした形跡がない。

6、工程表の虚偽

国の基準では、開発工事による濁流や土砂災害を防ぐために開発行為に先んじて濁流防止対策をとること、そのため調整池や堰堤を先に建設することが定められている。
本件事業でも当初の工程表計画では、そうなっている。
しかし、実際の工程表及び業者の証言では、抜開が先行し、調整池掘削工事は、それに同時か後続している。

7、そのほか、排水施設の未設、法面の未対策、県に無届で抜開面積の拡張(追認)など違法行為の数々がある。

県は、国交省の砂防法に基づく開発基準や県の砂防指定地管理条例及び土地基本条例等に基づき、適切な措置をとるべきである。 

(付記)羽根町メガソーラー事業による室戸市の税収試算

*固定資産税年間120万円 
*償却資産税(17年間合計)約7億5千万円
羽根町民の犠牲の上の本件事業であるから固定資産税は別として償却資産税は羽根町の河川整備や山道整備事業費等に使うべきだろう。(文責 澤山保太郎)

羽根メガソーラー資料説明

これらの資料はすべて県庁に開示請求して開示してもらったものである。

資料1「県もここまで裸地となることは想定していなかった。」
    (平成30年3月30日 羽根市民館での住民説明会での県職員の発言)

資料2、3 調整池掘削時の残土の処分場として羽根町山鳥地区の業者の土地の写真及  
      び業者の残土受け入れ承諾書
    (平成28年8月株式会社サンユーが県に提出した補正申請書添付書類)

資料4 標高差のごまかし、事業地からの流量の割り増率を0とした。
    事業地は460m、近隣の測候所は吉良川77m、北川村野友50mだから基準値300m以上 の標高差があり降雨量の1.4倍の割り増しをしなければならない。
    わざわざ遠く離れた山の上の室戸岬測候所の標高を使うのはペテンである。
   (平成28年2月県に提出された業者の「排水計画概要書」)

資料5、6、7 降雨量の割り増しを行わずに流量計算の結果「調整池不要」という結論を導いた。順に、赤木谷川、加僧谷川、琵琶が谷川。
   (平成28年2月 サンユーが提出した排水計画概要書)
  
資料8 当初業者から県に提出された工程の計画書 この通りにはやっていない。
    計画では、調整池や排水施設を先に工事し、それから樹木の抜開・パネル設置など の工程であったが、実際は抜開が先行、調整池や排水施設は後回しになった。
    これは国の開発審査基準に真っ向から違反する。(資料13の工程表参照)
(平成28年権利者一覧表に添付されていた工程表 株式会社サンユー作成)
資料9 維持管理計画 計画通り実行するかどうかわからない。
     (平成28年6月サンユーが県に提出した維持管理要領書)
資料10 中山地区飲料水供給施設の経費分担 開発によって飲料水が濁って飲めなくなっ た以上施設を新設するのは当然であるが、その費用負担が原因を作った業者が3% ちょっとしか負担しないというのは、理解できない。
    自ら適切な措置を取らず業者の不法行為による被害を野放しにした付けを
    県民の金で賄うというのは、許せない。(平成29年4月7日市民への面談回答)
資料11 無許可開発・追認
    業者は、無許可で7.3563ha(約20%増)も造成していた。こんな無法な行
為を「指導」し、申請をさせ、追認するというのは業者と県との間に何か特別な事
情があると思われる。(平成30年6月県土木部長らの決裁書「回議書」)
資料12 虚偽の計画内容、残土の虚偽の処理計画、森林率の虚偽計算

①「計画内容」では、切・盛土による平地造成はせず」、「除根は行わない」としているが嘘であった。  
②「残土量」では「場外搬出:搬出場所は別添図参照のこと」というが一握りの残土も場外に出していない。
③「森林率」では、(国の基準では、砂防地域では40%以上)
 県への報告では60.87% あるというが全くの虚偽計算である。
 林野庁の係官の話では 森林率の式は 事業地の中でどれだけ森林が残っているかである。事業地面積-森林抜開面積=残存森林面積 ⇒
残存森林面積÷事業地面積 が正規の計算式である。
サンユーのごまかし計算式は、 保有する山林面積(A)-事業地面積(B)=残存森林面積  残存森林面積÷保有する山林面積 としている。
そうすると、事業とは関係のないAの面積を拡大すればするほど森林率は100%に近づいてくる。

*県に報告されている実際の数値では真実の森林率の計算式は
 約49ha(事業地面積)-約42ha(抜開面積)=7ha(残存森林面積)
    7ha÷49ha= 約14% たったこれっぽちの森林率、許されない。
     (平成30年5月 業者提出の計画説明書)
 
資料13 浚渫(しゅんせつ)計画(1,2年でしゅんせつ)

すでに調整池の浚渫工事が遂行されていなければならない。全体1回で1000立米ちかくある。浚渫した土砂は資料9では「場外の土捨場に搬出」となっているが、ここでは、「3工区」に保管するとしている。

(平成30年6月 業者の変更申請書の補正資料届)

資料14 実際の工程表

資料8の工程表計画と全く違っている。平成29年5月ごろには抜開が始まっている。調整池の工期は、31年2月の最終段階まで伸びている。
これは国の基準を根底から無視したもので、県も承知していた。
計画はサンユーが作り、工事施工の池田建設工業は実際の工程表を作った。

(平成29年11月頃 池田建設工業株式会社作成)

  資料15、16 県の許可判断根拠のウソ

①発電用パネルの設置は現在の地形に沿って行い
②土地の造成(切土や盛土)は行わない
③樹木の伐採はするが、根を残すことにより土壌を固定し続ける。
④下草の種子吹き付けによる植生で交付による表土流出を抑制する。
⑤「伐採前と同様に土壌の保水力は残」るという。
全面的な造成と表土の剥ぎ取りにより、土は濁流となって流下した。

(平成29年3月「羽根地区で計画されている太陽光発電について県の考え方」

資料17 調整池削減 
    
記録的な異常降雨が普通となっている現在、調整池を計画の4分の1も減らしていいのか。17基 ⇒ 13基

野放図な乱開発の事実を偽り標高差をごまかして流量を過小算定し・・・
調整池も大幅減少させた。(平成30年2月 業者の変更許可申請書) 
 
資料18 資料12で示した資実の森林率を計算する根拠の数値がここに示されている。抜開面積は42,34ha、行為地(事業地)は48.9714ha
      事業地での残る森林面積はわずか6.63haに過ぎない。
       真実の森林率の計算式  6.63÷48.9714=13.5%      
(平成31年2月 業者の変更許可申請書) 

資料19、20 標高差の割り増しのごまかし  資料4参照
      (業者が提出した「計画説明書」の「横断水路の流下能力計算」)

資料21 業者、平坦化、造成の事実を吐露

「パネル敷地の他に、作業道に支障となる箇所は伐根しました。」
「表面のふわふわしているものは取り除いています。50cm程度までです。」
サンユーやリョウマコンサルタントは住民に対し平然と伐根の事実、50cmの表土剥ぎ取りの事実を表明した。
      (平成29年11月26日 住民説明会 羽根市民館)


| | コメント (0)

2019年10月24日 (木)

関西電力問題と解放運動

関電にたかっていた高浜町の元助役についての報道について、10月9日に部落解放同盟中央本部が声明を出している。
一時的に元助役森山が解放同盟に所属し、高浜町支部や福井県連の結成に貢献したと認めるが、今回の事件と解放同盟は全く無関係であると釈明する。
しかし、今回の事件については、まず原発に対して基本的な批判的姿勢を鮮明に示すべきであろう。

原発は、差別的棄民思想なしには建設されえない。立地地域の住民、部落民も含む従事する労働者に対する差別こそ、原子力産業の根幹にある。反原発闘争は解放運動にとっても重要な闘争でなければならない。

次に、確かに、今回明らかになった事件には、解放運動は何のかかわりもなかっただろう。

だが、かつて、れっきとした同盟の一員であったものが、原発マネーを操り原発推進の地域の中心人物になったことについて国民に謝罪し、反省の言葉がなくてはなるまい。元助役森山の事件で、今回の声明で糾弾している通り、一部マスコミによって部落差別が増長される結果を招いた、それを防ぐことができなかった事実が厳然として存在する。

被差別部落の人間が起こした事件について何もかも責任を取るというわけにはいかないが、森山にはかつて荊冠旗を渡していたのである。関電こそ部落差別を利用して原発を発展させ、今窮地に立つと部落差別を利用して責任を逃れようとしているのである。解放運動側は原発マネーとは関係がないが、しかし、関電側の利権工作は部落問題を利用していたのである。「人権教育」の講師で関電の先生だった「特定の人物」に脅されて怖かったから、怪しい金を戻せなかったというのである。

原発マネーではないが同和利権も問題だ。

考えてみれば、同和対策特措法を成立させて以降、何兆円という膨大な対策費が部落に流れた。
その特措法を制定させるとき、私は中央本部青年対策をやっていて、全国青年集会に集まった1千の部落青年たちとともに総理府突入闘争の先頭に立っていた。厳重に防護していた機動隊を突破し、総理府構内を占拠し、それと呼応して100人の中執と中央委員が庁舎内デモ行進、5人の決死隊による屋上の占拠、

庁舎正面に巨大な垂れ幕を屋上から垂らした、これらの闘争を敢行し、床波長官の部屋の前に座り込んで法律制定を約束させた。
その実力闘争自体は長い解放運動の中でも特筆すべき歴史的なものであったが、その後が十分でなかった。

何兆円もの国の予算措置がなされた。その巨額の金に十分な対策もなしに同和予算に浸かってしまい、利権が渦巻いた。
同和対策予算の受け取り方をもっと慎重にすべきであった。

同和地区だけがよくなっているという逆差別が横行した。逆差別自身は、無理解から起こったものであるが、その無理解も貧しい国民の感情としてはやむを得ないものであった。だから、同和対策予算は、同じ市町村区域の貧しい住民とともに同じ額を受け取る、そうでないと受け取らないというやり方をすべきであった。

部落民だけが高額の奨学資金を受ける権利がある、部落民だけが・・・・。いくら貧しくても部落民でないから受給できない、住宅にも入れない、そういう状況を作ったのでは、逆効果・逆差別が生まれるのは当然だった。・・・・この際、同和利権や原発マネーはもとより、いかなる利権についても
解放運動側は毅然とした方針を持っていることを鮮明にすべきだろう。

| | コメント (0)

2019年10月22日 (火)

大嘗祭


新天皇の即位式である大嘗祭は、元をただせば、江上波夫氏(「騎馬民族国家」)によると、蒙古・契丹・高句麗・新羅ら北方騎馬民族の即位式と同じ系統をひくものであり、天皇が日御子として現人神に転化する儀式だという。

そして、谷川健一氏(「平泉の原像」)によれば、元はこの大嘗祭には、征服された蝦夷や隼人らが登場し古い言葉を誦したり、犬のように吠えたりし、いろいろと奉仕活動をすることになっていたという。

普通の人間が神格を得て「天皇」を僭称するために騎馬民族特有の儀式に、被征服民の卑屈なしぐさを添えたのである。

原の大嘗祭は、いわば征服者の被征服者に対する居丈高の姿を見せつける祭典というものだ。
現在の大嘗祭がどのようなものかわからないが、儀式の趣旨や狙いが変わらないとすれば現行憲法に真っ向から対立する。抑圧と差別をたたえる儀式だからである。

隼人はともかくとして、蝦夷への差別も表面上は見えなくなっているが、その蝦夷(蝦夷征伐によって全国に配流された奥州俘囚)を源流とするといわれる部落民への差別は今もある。

そして、蝦夷の子孫である東北の日本人は、今、原発という人類の原罪ともいうべきものの業罰を、ゆえなくして受け続けている。

| | コメント (0)

2019年10月16日 (水)

不自由展 愛知トリエンナーレ2019事件

10月15日の国会予算委員会で野党の質問と政府答弁を聞いた。
隔靴掻痒の感をぬぐえない。企画展の混乱予想を事前に申告しなかったということで
政府は補助金不交付を決定した。政府は内容ではなく手続き上の問題で決定したという。
野党の側もそのレベルの追及に終始したようだ。

しかし、安倍権力側の狙いは、河村名古屋市長があらわに示したように慰安婦少女像であった。
安倍政府は、積極的あからさまには表現の自由や文化の統制を始めたのではない。
今の段階では、真の狙いは煙幕を張って、反日本主義的傾向を抑える、申請など手続き上の事務段階で妨害をする

ということである。だが、煙幕は薄くその真の狙いは誰にでも透けて見える。徴用工や慰安婦問題で過去の植民地支配や侵略戦争を肯定する、そのためには隣国との対立・敵対も辞さない。
だから野党は、手続き上の瑕疵を追及するだけでなく、慰安婦問題や徴用工問題、日本の植民地支配・アジア太平洋への侵略戦争そのものを問題にしなければならない。

この内容の論戦を避けて、あるいは敵の狙いに内心同調して、政府と対決するといっても所詮は迫力のないアリバイ作りに過ぎない。

新聞やテレビの報道もそうだ。手続き上の形式論議は政府の日本主義的文化統制という実質的な内容をかくす役割を果たす。日本主義的イデオロギーはかつて(戦前に)戸坂潤(「日本イデオロギー」岩波文庫)が明らかにしたように、本体は無内容を特徴とする俗物の思想であるが、民主的なもの、科学的なもの、ヒューマニスティックなものなどを押しつぶす思想と行動を本命とする。

今次の安倍内閣は、一層日本主義的で反動的であるが、これを衝く好個の材料が愛知の企画展事件だ。
展示された朝鮮の少女の尊さと安倍権力の醜さをあぶりだすことなしに、権力の文化統制、表現の自由への弾圧を糾弾することにはならない。

| | コメント (0)

2019年10月13日 (日)

人災洪水


台風19号で東海、関東、東北の大小河川が氾濫した。未曾有のことだ。箱根では二日間で1000ミリを超える豪雨が降った。

近年の異常気象による自然災害の激増は政治を担当するものには十分予想されたことだ。
日本の治山治水の大敗北が今回の災害で覆うことがないほどに露呈された。治山治水は古来より政治の要だ。

それでなくとも山地の荒廃は放置され、下流の河川への土砂の流下、川床の土砂堆積、堤防の相対的低下→氾濫洪水という図式は、誰でもわかることだ。ここ十年、安倍政権、自公政権でどれだけ有効な治水事業がなされたのか。

数年前ある識者のブロッグ(降籏達生)で指摘されていたが、近年異常気象による自然災害の増大が見込まれているのに逆に治水事業の国の予算は激減しているという。

平成9年では2.3兆円だった治水事業予算は、平成24年以降3分の1程度にまで削減され(平成24年には0.8兆円、平成27年には0.9兆円)およそ3分の1になっているという。

河川には常時上流から土砂が流れ川床を浚渫しなければ水流が堤防を越え、超えたところで堤防が決壊することは当たり前だ。河川の浚渫や管理整備には金がかかる。これまでの予算を少なくとも維持するか増大させるのが政治の第一の義務だ。

国会や報道陣は台風の被害を嘆いてみせたり大々的に報道したりするが、この悲惨な治水事業の予算削減をなぜ問題にしないのだ。

台風15号も今回の19号の被災も、これだけの予算削減で無策であった事実がある以上、人災というべきである。
大型の台風が襲来し国民が深刻な被害にあっていても、首相も知事も素知らぬ顔で庁舎に当庁さえしない。

河床の浚渫もしない、堤防の増強もしない、有害無駄な軍備や原子力へのテコ入れの金はてんこ盛りの予算措置で、治山治水の金は、容赦なく削減する。政治に十分関与できない私は、テレビの災害報道を見て悔し涙だ。

苛政猛於虎也(苛政は虎よりも猛し) と孔子は言った。
虎の被害は耐えて村に残れるが、苛酷な政治では耐える方法がない、という。

安倍など自公政権という猛虎をしのぐひどい政治をのさばらしているわれわれ国民は繰り返し繰り返し自然災害の餌食になるだろう。

| | コメント (0)

2019年10月 5日 (土)

関電利権のフィクサーーの「人権教育」

関電事件も、かつて追求した高知県のモードアバンセ事件、また、現に追及している室戸市の利権行政と同じ構図だ。事件の中心に「同和」利権ボスが存在していた。

関電幹部が言う「人権教育」の講師だったとか、また新聞報道では、森山フィクサーは福井県の「客員人権研究員」、「福井県人権施策推進審議会委員」であったという。

まぎれもなくこのフィクサーは部落問題を政治的に利用し、利権を確保するために使ってきた人物である。
そして関電は今この人物の異常な姿、「怖い」存在を強調して、すなわち部落差別をあおることで罪を逃れようとしている。原発を建設し維持し発展させるために関電はこの「怖い「」男を十分活用してきたのであるが、逆に身を守るためにこの差別像を活用する。脅されてお金を返せなかった・・・。

現在進行中の関電の事件とは規模も性質も違うが、
20数年前高知県にのモードアバンセ社事件があった。1996年ごろから解放同盟高知県連幹部が関係する協業組合に県が数十億円の巨額の闇融資をし、これが焦げ付き、副知事ら県幹部が背任罪などで逮捕されるという県庁始まって以来の大事件であった。県庁に大規模な捜査が入ったとき橋本知事はイタリア方面に飛んでいた。

モード社の安原という社長と副知事らが刑責を負ったが、県の同和対策審議会などでこの事業を称揚した連中と県庁の最高責任者は罪をとわれなかった。
高知新聞らもこの事件を報道するのに当初は実名を使わず「特定の協業組合」などというわけのわからない名前を使っていた。

室戸市の利権行政も目を覆うものがあり、有力特定議員がのさばってきた。
その一例(新火葬場建築工事事件)が裁判中であるが、高知地裁は最近、利権行政の事実を全面的に免罪する判決を下した。近くそのでたらめな地裁の判決文を批判する控訴趣意書を書くのでそれを見てもらいたい。

特定の業者のために特定有力議員が議会で請負金額のつり上げを声高に叫び他の議員を脅かしたりして、業者が実際の工事費の2倍の請負金を行政からせしめていた。・・・・

ほかの団体と同じように部落解放運動にも、徹底して反権力に徹する勢力と、権力と妥協したりその一翼を担おうとする勢力があり、かつては内部でのその攻防が厳しいものがあった。

(それは、師岡祐行著「戦後部落解放運動論争史」全5巻に詳しい。この著作に紹介されている論客や活動家の殆どはすでに黄泉に旅立ち生存者は数人である。)
同和対策特別措置法などで国や地方自治体には巨額の対策予算が組まれ70年代以降「同和利権」が顕著となり、解放運動内部の反権力派が退潮した。

その中で狭山闘争が運動内の反権力闘争の中核として発展しようとしていたが、これも挫折し、今や単に冤罪反対運動になっている。

高浜のフィクサーは、同和利権派の申し子でありそれを背景に地元行政を牛耳り、電力会社を揺すぶってこれと合体し、日本最大級の原発産業、関電の、その推進の最悪の使徒となった。
全国津々浦々の大小利権行政を根絶しなければ、原発はもとより核の最終処分場や中間貯蔵施設など原子力産業はいつどこに根付きだすかわからない。

| | コメント (0)

2019年10月 4日 (金)

関電の崩壊

これだけの金まみれの企業はもはや原発を運転する資格はない。
ただ巨額の原発マネーを還流させていた、関電幹部が私腹を肥やしていたということだけではない。
もちろん関電が工事を直接するわけではない。
金をもらった連中は何の技術力もない素人だ。
原発の工事は、道路工事や防潮堤の工事とは比較にならない。

最高度に高い信頼ができる請負業者を選んで工事の発注がなされねばならない。技術力と適切なコスト計算をしている企業を厳格な選考手続きで決めなければならない。誰しも、原発を運転する電力会社は、そういうことをちゃんとやっていると思っていただろう。

だが、高浜町役場幹部出身のフィクサーの関連する会社に「特命発注」を含め地元企業にどんどん発注をしてきた。ゼネコンが請けた工事も、相当部分が地元企業に下請けにまわされたということだ。

森山が還流させた金は、単なるお礼ではない。ゼネコンが請けた事業も地元森山系列会社に下請けさせるように口利きをせよという請託とその実行の対価なのである。

巨額の還流資金がその地元企業に残ったというのは、もともと電力側の水増し設計金額があり、さらに下請け業者の従業員からの労賃のピンハネによると考えられるが、国民や社員の命がかかった原発の工事がコネと金ずるで遂行されていたとすれば、もはや原発の安全とか安心とかなど到底あり得ない。

原発施設内に何万何千とある配管の溶接一つとっても業者の確かな技術力が担保されていなければならない。何よりも技術力を入札の時に公募によって競わせた上で厳しく吟味し発注先を決めねばならない。

福島原発の事故も津波の前に配管のどっかが地震で壊れた可能性が強いとされる。福島第一の原発では配管をサポートとするのにホールインアンカーという信頼性の低い旧式のネジでかべから支えていたという。(豊田勝旦著「東京電力・帝国の暗黒」)

普通の企業でも収賄や背任行為は許されないが、その犯罪行為は行為者が罰せられたら、それで済む。反省して仕事を再開してもいいだろう。

しかし、原発は違う。
地元優先、コネ優先、金ずるで原発工事の請負業者を選定するなどということが
社風であるような会社は、原発を運転することは許されない。出来上がった施設の安全性が信頼できないからである。関電は失格であり原発から撤退せよ。

| | コメント (0)

2019年10月 1日 (火)

原発推進の哲学

高浜原発推進のフィクサー、高浜町役場の収入役や助役を務めてきた男によって、関西電力の腐敗した企業の実態が浮かび上がった。

電気料金を原資とした電力会社の金の流れは、

電力会社→①下請け業者→政治家・地域ボス・(電力会社)・・工事費の水増し
    →②東大-京大、東工大などの大学教授へ・・研究費などの補助金・・
    →③原子力関係省庁など官僚へ・・・天下りポストの提供
    →④メディアへ・・・広告料

こうして、電気料金を打ち出の小づちのように使って、原子力村が形成され、原子力産業が栄えてきた。

かつて班目春彦(フクイチの事故の時原子力安全委員会の委員長)とかいう先生は、核燃料の最終処分場の件で、「最後はお金でしょ。どうしてもみんなが受け入れてくれないっていうんだったら、じゃあ、おたくには二倍払いましょ。それでも手を上げないんだったら五倍払いましょ、10倍払いましょ。」といったという。(「六ケ所村ラプソディ」)

科学や常識では人を説得できない。彼ら原発マフィアの信念は、原発の研究は金になり職を得て出世し生活の糧になる、金でおびえる住民を説き伏せ原発開発を推進し、人を服従させることができる。金はいくらでも使える。

地震も津波も怖くはない。放射能も怖くはない、
福島の惨状も見えない。世の中は科学とか文化とか民主主義とかではなく金がすべてを解決してくれる。東電や関電には、そして自民党政府にはわれわれマフィアにいくらでも金を出せる。・・・・

広島・長崎に並ぶ日本有史以来最悪の惨状をもたらしたフクイチにもかかわらず、彼ら原発マフィアの哲学は牢固として揺るがない。資本主義が生み出した最後的な哲学であり、人格である。人類を滅ぼしても金を握ればいい手という連中だ。

東電の会長らの原発犯罪へ控訴が行われた。
しかしその求刑が軽すぎた。万死に値する人類への犯罪を禁固五年ではあまりもバランスが取れない。軽すぎるのである。

私は死刑制度に反対であるが、人類への罪(大規模な虐殺や人類への破滅行為)については例外にすべきだ。

いづれにしても、高浜のマフィアの一味は、よくぞメモを残し原発の闇、原発マネーを顕出させてくれたものだ。

| | コメント (0)

2019年9月28日 (土)

高浜原発の裏金露顕

福井に原発を導入した巨額の裏金の存在が国税調査から発覚した。

60年代、私は解放同盟中央本部の西岡智中執の供をして若狭方面のオルグ活動をやった。部落はどこも貧しく生計を立てるだけで精いっぱいの所ばかりであった。夜西岡さんと一緒に寝るとき断崖の下に打ち寄せる寂しい波の音が今も耳朶に残っている。

その福井の寒村が瞬く間に原発の侵出によって様変わりをしてしまった。
湯水のような金によって席巻されたのである。
電力会社は地元のフィクサーを使って請負業者から「手数料」を取っていたのである。電力会社から出る金は全部国民の電気料金だ。受け取った連中には全員背任罪を適用すべきだ。

社長の記者会見では、このフィクサーは「人権問題」で社長らに講釈をたれに会社へ来ていたともいう。何かえせ人権団体を名乗っていたのかもしれない。こういう政治的ボスが多くの市町村、都道府県でも暗躍している。

なかなか尻尾をつかむのは難しいが、市民オンブズマンの主な仕事はこれを追及することだ。
しかし、国民は、今回の高浜の腐敗の露顕で原発推進の実像を知ることができる。

電気料金→電力会社→下請け業者→フィクサー→政治家・地元有力者・電力会社これらの金の流れを統御しているのは、電力会社である。そうでなければ最後に自分のところにその金の一部が還流するはずがないし、第一下請けの工事費に巨額の水増しをしなければ、この金の流れは生じない。

社長らがしらばくれているが、業者からフィクサーに巨額の金が渡っていた事実は、工事費の背任的水増しなしには考えられない。

室戸市の業者が実際の工事費は1億円程度で仕上げ、市役所からはその倍の請負金をせしめる、というのと同じようなことだ。

福島の刑事裁判で無罪放免が出た直後、時や好しと無罪放免を目論んでの関電の収賄・背任事件の発表。国や行政がやることには、裁判官も検察官もいくら訴えてもとりあわない、良心のひとかけらも持ち合わせではない。

原発のことに関しては、人民は自らの実力で解決する以外にはないだろう。

金権腐敗の日本では、原発や高レベル放射性廃棄物の処理については、民主的な手続きを待ってはいられない。地震津波の脅威は切迫しており、猛毒の核燃料を抱えた原発や六ケ所村の再処理工場は必ず挫滅する。このような日本列島ばかりか世界人類まで破滅させる絶望的状況においては、心あるプロレタリア烈士は結集して武装蜂起など、なすべきことを準備すべきである。

| | コメント (0)

2019年9月24日 (火)

福島第一原発の事故責任

高知新聞の9月20日付長官の判決文についての社説の冒頭に「原発とは根拠もなく安全性や経済性を強調し、想定しない過酷事故を起こしても、だれも責任を取らなくてもいい事業なのだろうか。」という不可思議な文章が出ていた。

①「想定しない過酷事故」であったのだろうか。また②「想定しない過酷事故」であれば、刑事責任を追及するのは困難であろう。

①想定
東電では大津波が来る可能性というのは、社内ですでに大問題になり正規の幹部会議でも対策まで議論されていた。
想定は十分にされていたのである。政府の地震調査研究本部の長期予報がでたのを最高幹部はみな知っていた。

地震本部というのは、日本の主な地震学者の大半が参加しているという。地震本部や中央防災会議の学者が提起した警告を無視した東電の幹部が刑事責任を問われるのは当然であろう。

日本の一流の地震学者たちの地震の予想を、無視してきたのは何も東電だけではない。日本の電力会社と原子力規制委員会が今もなお頑強に抵抗し地震動について現実に合わない独自の計算式を固守して日本の原子力施設を累卵の危険の上に放置してやまないのである。

悪名高いいわゆる入倉・三宅方式である。北米の過去の地震から導き出したという計算式は、日本の現実の地震動を過小評価するものであり、電力会社のお気に入りでクリフエッジを極力低くし耐震設備に金をかけなくてもいいような結果を保証してきた。

地震本部が2008年に出したいわゆる「新レシピ」は日本国中どこでも取り入れられているが、原発だけがこれを適応させない。電力会社や規制委(規制庁)は治外法権のように日本や世界の科学の成果も世間の声も聴かない。

新聞やテレビは、まさにこれを大問題にしなければならないのである。熊本地震でも、入倉・三宅の計算式は非現実的で「新レシピ」が現実をより正確に反映していることが実証されている。

日本の地震学のアカデミズムが阪神淡路の大震災の反省から総力を挙げて立ち上げた地震調査推進本部の見解を「信頼性がない」とか言ってこれを無視して大事故を起こした、これをどうして「想定しない過酷事故」といえるであろうか。

地震本部の学者を会社に呼んで、その見解を詳細に説明してもらうというのが会社経営者の筋であろう。島崎という地震学者が規制委の委員長までして玄海原発の審査にもあたった。しかし退職してから、入倉・三宅方式では原発の地震動の計算は過小評価になるといって猛烈に規制委を批判している姿は、それを物語る。

規制委に在職中は電力会社の味方をし、やめてからそれを批判している。
むしろ圧力を加えて、規制委が地震本部の見解に従わないようにさせたのは電力会社、東電そのものであろう。

地震動の計算式は三通りあり、a入倉・三宅式、b武村式、c松田式である。武村式は反原発側の想定に近く地震動の値が現実に近く大きく出るが、まだ未完成だという。

地震本部の出した「新レシピ」は松田方式であり、入倉方式と武村方式の中間を行くとみられている。

玄海原発の活断層の評価にこの松田方式で計算してもらったところ、これでも原発の基準地震動を超える結果が出た。

伊方や川内、若狭湾の原発などもこの「新レシピ」でアウトになるという。判決文では地震本部の長期評価は信頼できないと東電の被告らは言ったというが、それどころか信頼させないぞ、全国都道府県がそれを受け入れても原発だけは受け入れないぞという行動をとったのが被告らであろう。今もそうだ。実際には何千ガルもの地震が起こっているのに原発の地震動の設定はせいぜい5,6百ガルどまりだ。特に六ケ所村など東北の原子力施設は450ガル程度の低水準だ。

②会社の幹部など個人に刑事責任を負わせるのは困難だという意見も出ている。
だから、組織罰の規定を設けるべきだという。それも必要であろう。個人と組織の両罰にするべきだ。
だが、会社の責任者、組織の責任者の罪を問わないでは、かえって企業の犯罪は抑止されず増大するだろう。

 組織は個人、複数の個人が動かしている。東電の幹部は、津波が施設の高さ10メートルを超える危険性を知っていたし、知る立場にあった。原発を止めることへの躊躇があったというが、止めても止めなくてもしなければならないことがあったはずだ。 

非常用発電機を高所に移動させるとか、使用済み燃料を移転しておくとか、最低限のことでさえ、しなかったのである。自ら警告に呼応し対策の陣頭に立つべきものが、幹部社員の意見(15.7メートルの津波予想まで計算していた)をも封殺して大惨事を招いたのであるから、未必の故意の典型例だ。東電への今回の判決の評価に、新聞やテレビにこの 未必の故意 という言葉が一つも出てこないのが不可解だ。  
  

| | コメント (0)

2019年9月21日 (土)

福島第一原発の判決文

朝日新聞の判決文要旨を読んだ。驚くべき変身だ。
フクイチの事故の前まで原発安全神話が原子力村(原子力マフィア村)から裁判所まで日本中支配的であった。

しかし、今回の東京地裁の基調は、原発は安全なものではない、絶対的に安全を確保などは求められていなかったなどという。すなわち、こうだ。

「法令上の規制や国の指針、審査基準のあり方は、絶対的安全性の確保までを前提とはしていなかった。」
チェルノブイリの事故が起こっても日本の原発は大丈夫だ、100パーセント事故は起きない、などと言っていた。全部嘘だったのか。原発は絶対に安全というものではない、国民は気をつけろという程度のものだったというのであろうか。

また、判決は言う

「原子力安全委員会が06年9月に策定した指針は、必ずしも地震や津波によって施設の安全機能が損なわれる可能性が皆無、若しくは皆無に限りなく近いことまでを要求しているわけではなかった。」
そうすると原子力安全委員会の指針は、地震や津波によって原発施設が損なわれるかもしれない程度の、手抜きした指針を出していたということなのか。

まるで反対だ。原発は安全ではない、普通の稼働でも危ない、地震や津波にはもたないと我々は批判してきた。
国や電力会社は絶対大丈夫だ、裁判所もこれまでどんなに国民が追求し批判しても大丈夫だ、理由がないといって電力会社の安全性を支持してきた。今回の判決ではコロッと立場を変えた。原発は安全ではないという。

変えた理由は、フクイチの事故をまともに突き付けられ、これまでの論理では被告を擁護できないし、原発を擁護できないからである。

判決は言う。

「結果の重大性を強調するあまり、その発生メカニズムの全容解明が今なお困難で、正確な予知や予測に限界がある津波という自然現象について、想定しうるあらゆる可能性を考慮して必要な措置を講じることが義務づけられるとすれば、法令上は原発の設置、運転が認められているのに、運転はおよそ不可能ということになる。」

法令上認められているものは、どんな危ないものでも運転してもよいのか。だが法令は「想定しうる」危険性に万全の対策を

講じることを求めているのである。いい加減な対策でよいという法令などはない。
事故を未然に防ぐ対策ができないなら運転してはならないのは当然である。
日本のような地震や津波、火山の爆発、風水害、ブラックアウトが日常茶飯事の列島で原発を稼働させることが許されない

ということがどうしてわからないのだろうか。
いずれにしても、ある時は国民の指摘、批判を拒絶するために原告に冷然と 原発安全論 をくらわし、またある時は、原発事故に関して責任追及があれば、原発安全ない論 を展開して法廷に煙幕をしいて黒衣を翻して去っていく。

裁判官が、閻魔大王(プルートン)につかえ、あわれな亡霊どもをいたぶる冥途の鬼神のように見える。

| | コメント (0)

2019年9月20日 (金)

福島第一原発刑事裁判判決

少しは期待していたがやはりだめだった。

1、裁判所は行政権力の番犬になっている。三権のうち、行政権力が圧倒的で、立法府がそれを粉飾し、司法は犬力機関にすぎない。

行政権力への忖度、追従、加担、屈従、一体化・・・に精を出す。民間人同士の争いには裁判官もかなり真面目に取り組んでいるようだが、権力が訴えられた裁判では、番犬の本性をむき出し国民に対して吠え、牙をむいて噛みついてくる。
身分を保証されている裁判官がなぜこのようなていたらくに墜落したのか。

2、原発へ15.7メートルを超す大津波襲来の長期評価が出ているにもかかわらず、社員がそれに対応しようとしていたにも関わらず、対策を放置したということについて、その長期予想は信頼できなかっただとか、合理的な疑いがあるという判断で当時の東電の最高幹部を無罪放免にした。

①実際、地震予報、津波予報は絶対的な確実性はない。あくまでも可能性であり、恐れである。絶対的な確実性をもって地震を予想することは人間にはできない。しかし、地震学の権威ある科学者が集まって政府の見解として予報を出したということは軽視することはできない重みがある。

②その時東電は福島第一原発に10メートルの防潮堤しか用意していなかった。10メートルで大丈夫だと考えた根拠は何であったのか。政府の予想がにわかに信じがたいとしても10メートルと15.7メートルについて東電は10メートルの防潮堤を選択したわけだから、その根拠を説明する必要がある。

③戦陣にあって、相当勢力の敵が襲来してくる可能性があるという有力な情報をキャッチした将軍は、その情報を軽視したり無視したりするであろうか。最悪の場合に備えて最大限の準備をするであろう。
万が一にも事故があってはならないという指揮官、経営者としての責任感があれば、権威ある政府の警告を軽んずるはずはない。

④判決には「絶対的な安全性を確保」するとことは求められていないなどという判旨があったとのことだが、一触で人類が滅亡するかもしれない原発には、絶対的な安全性の確保が必要であり、それができないなら原発を建設し稼働させてはならないのだ。
司法官僚化した裁判官には、福島原発事故を見ても原発事故の恐ろしさ、悲惨さが分からないのである。

もはやこの裁判官、そして日本の裁判所は、人間の感性、人間の血が通っていないのであり、権力をふるう番犬なのである。

| | コメント (0)

«汚染水の廃棄