2017年10月 9日 (月)

ノーベル平和賞

News & Letters/595
被団協の受賞はならなかったが、核廃絶を目指すNGO、ICANがノーベル平和賞を受賞したことはこの平和賞にとっても極めて有意義であった。ICANの活動、核兵器の全世界的廃絶の運動は、憲法9条を強く照射した。
今日核を持たないというのは、戦争のための武器を持たないということと同義である。
核武装をしないということは、戦争をしないということと同義である。
国連で核廃絶の条約に調印した国は、核保有国からの核の脅威、核攻撃をさえも無防備で対応するという決心を示した国々である。憲法9条の趣旨はまさにこの通りだ。
だが、一部の憲法学者を除いて今日日本の既成政党、日本共産党、社民党、を含め全政党が自衛隊は合憲だと主張している。
誰が見ても自衛隊の存在は憲法9条に根本から背反している。どの文字を取り上げても強大な軍隊と重装備の武器を持つ自衛隊は、憲法9条に違反している。だから自民党らは、憲法を変えよというのである。
憲法9条は日本国民の悲願であり、アジア人民の血でもってあがなわれた至宝である。
それは日本国民固有のものではなくアジア人民の共通の財産である。
それを変えるには日本国民だけでなく日本の侵略で永久に忘れることのない被害を受けたアジア人民の意思に問わねばならない。
今回のノーベル平和賞は、日本国憲法9条の正当性を明証するものであった。

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2017年10月 1日 (日)

希望

News & Letters/594
小池の希望の党に民進党が前原を先頭に雪崩を打って入ろうとして大騒ぎだ。
自民党安倍は、今度の選挙で「国民の命と財産を守る」というスローガンを挙げて
明瞭に北朝鮮との戦争突入の承認を第1に掲げている。
既成政党のどの党もこれに反対の声を上げていない。
共産党も今度の解散について森友加計隠し解散だと的外れなことを言っている。
戦争が最大のテーマであり安倍はそのために解散をしたのだ。
これに対し、前原の取った行為、解党的屈服は、歴史に残る背信として永く記憶されるだろう。
希望の党の「希望」について最適な言葉がある。
希望の党に参加する政治家、希望の党に投票する国民の皆さんによくかみしめてもらいたい。
 
ダンテ「神曲」地獄篇で地獄の門に掲げられているという有名な銘文
  『ここにすべての希望は捨て去らなければならぬ』

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2017年9月30日 (土)

空想的社会主義

News & Letters/593
エンゲレスは、「空想から科学への社会主義」とかいう本を書いた。
大学入学した当時立命館日本史研究会の先輩たちと一緒にこの本の読書会に参加して勉強した。
その時からオウエンやフーリエなどの社会主義を空想的なものとして軽愚して一顧だにもしなかった。しかし、それでよかったのであろうか。資本主義に代わる新しい社会を「空想」することは大事なことではないのか。
マルクス主義では、打倒する体制について研究したり分析したりするばかりで来るべき社会がどうあるべきかほとんど論議されない。有名な共産党宣言の「各人の自由なる発展が、他の人の自由なる発展の妨げにならないばかりかその条件となる」社会が抽象的に語られているだけである。
そして、目指すべき新しい社会の在り方、人と人の新しい関係の想念は、逆に、反体制運動の在り方、その運動の中での人間関係に影響を及ぼすと考える。あるいは及ぼさなければならないと考える。
スターリン主義的な組織活動をする反体制運動団体がもし権力を握ったとき、その権力機関がいかにプロレタリア的だと自称してもやはりスターリン主義的な統治機構をつくり反人民的な弾圧と支配を行うだろう。
スターリン主義者が権力を握った瞬間、民主的な統治機構をつくる人民に自由平等、公正な政治を遂行するようになると期待することはほとんど空想の領域の話だろう。
反体制運動の中でスターリン主義的官僚的運営をやってきた連中は、権力を握れば何の躊躇もなく同僚や仲間を排撃し独裁体制を敷き人民抑圧を開始するだろう。革命運動を含め反体制運動で内部の主導権争いでテロやリンチを遂行してきた連中が権力を握れば、やはり、その権力を使って異論を持つ同志や大衆に対し、テロリズムの行使をためらうことはないだろう。
その連中は結局秘密警察を強化し、武力でもって内外の敵に対抗し政府を防衛することを何よりも優先するだろう。したがって究極の武器である核兵器も彼らの希求するところとなる。
旧ソ連邦や中国共産党、北朝鮮の歩んだ道は反体制運動の中で醸成され、権力掌握の後で全面的に開花したと考える。
いかなる大衆運動団体であっても、ものごとを決め行動を起こすときにどのような民主的ルールによって遂行するか、それがわれわれが求める新しい社会の在り方に適っているかどうか、これについて慎重に吟味してかからねばならない。特に異論が出た場合、それを大衆の討論に付すかどうか、その団体の掲げる目標の正当性だけでなく、それを実現する団体の組織の在り方が問われねばならない。

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民進党と希望の党

News & Letters/592
案外日本の政治の帰趨が早く決まった。
未曽有の戦争の危機を前に、民進党が極右団体小池希望の党にほとんど
丸ごと吸い取られることになった。安倍極右自民党と極右小池等が競合して
日本を侵略国に仕立てる本格的な作業に入ったということだ。
安倍と小池の共通点は極右路線であり、その権力獲得手法では稀代のペテン師であるということだ。
小池も安倍も嘘ばっかりついて国民をだまし、勢力を構築してきた。
この二人の前では前原などは哀れなピエロにすぎない。
この二人の協力によって日本の戦後政治の屋台骨が最終的に粉砕される。
このままでは日本の左翼勢力が、息の根を止められるときも近づいている。
メディアがこの現代政治の悲劇を大いに推奨してやまない。

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2017年9月27日 (水)

原発裁判

News & Letters/591
9月22日の千葉地裁の原発訴訟の判決は極めて矛盾したものであった。
巨大津波について国も東電もそれを予見できたと認定し、東電に一定の賠償責任を課していながら、国の責任は全面的に免じた。「国が東電への規制権限を行使しなかったことは著しく合理性を欠くとは認められず、違法とはいえない。」という。リスクの全てに資金や人材を費やすことは不可能だから、という理由である。
確かに航空機や自動車、船舶など人間が発明した機械や装置ではあらゆるリスクに対応できるとは限らない。
飛行機は時々エンジントラブルなどのリスクがあり、それで墜落し多数の乗客乗務員が死亡してきた。船も沈没のリスクがあり事故を起こして
多数の犠牲者を出してきた。自動車や列車もしょっちゅう事故に見舞われている。それらが持つ事故のリスクは解消されていない。
しかし、問題はそれら固有のリスクの性質とそれによる事故の性質を問わなければならない。原発は、地震などの自然災害や人為的ミス、装置の劣化などによる事故のリスクがあまりにも多い。
通常の稼働でもトラブルが発生した場合、制御不能に陥る可能性が高い。とりわけ日本では火山活動や地震や津波、風水害など
自然災害が原発を襲った場合、それに耐えるだけの耐震性を担保することはきわめて困難である。
船舶、飛行機や自動車などでは自然災害が起こる場合、必ずしも直撃されず、退避したり防護措置を講ずることもできる。
原発は一定以上の地震動の直撃を受けた場合、退避することはできない。また、1か所の破損が連鎖的に全施設に及び、中核装置の機能不全に達し装置全体の制御不能に陥る危険性もある。原発の場合リスクの不可抗力性が著しく高い。
また、いうまでもなくそのリスクによる結果(事故)の性質が極めて深刻且つ広範である。一基の原発の事故が、広範囲にわたる放射能の汚染をもたらし、
その汚染は半永久的に人間や生態系を攻撃する。チェルノブイリや福島に見る通りこの事故を収拾する方策を人類は知らない。
さらにリスクと事故の中に入れなければならない問題が二つあり、何人も否定できない。
それは、通常運転中に排出される放射能の周辺地域への汚染と、処理できない使用済み燃料の堆積である。
これらは純然たる事故である。これだけでも原発はリスクを構造的に持つ欠陥装置なのである。
福島原発でも原子炉を突き破った核燃料デブリとともに堆積してきた使用済み燃料もそれ自体がどうしようもない事故である。
これら二つは、人類が作った機械装置では石炭や石油類を燃焼させて大気を汚染する物質を排出してきたことと同程度の深刻な排出物であって、
永続的に人類や自然を攻撃してやまない猛毒物である。これらを無害にする方策を人類は知らない。
裁判官も我々と同世代の人類である。原発の持つリスクの深刻さを認識しなければならない。

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戦争承認請求総選挙

News & Letters/590
先だって私が指摘したように、今回の衆議院総選挙は「大義」のない解散だというものではない。
朝鮮半島への軍事作戦の承認を求めることを唯一の目的とする総選挙である。
そのことは最近の安倍の親友である荒井広幸とかいう元国会議員が、安倍から聞いた話をブログに載せていることでもわかる。
それによると安倍は、北朝鮮に対する対応について国民に「結束を呼び掛ける」もので「自分に力をくれ」と国民に迫るものだ、という。
北朝鮮に対し、「国民の命をまもる理由」が今回の解散の大義だというのである。トランプ大統領に戦争を促すことも安倍は考えているという。
NHKはもとより大手新聞も地方紙も今回の選挙を何か平和的な意味のない選挙のように報じていて、安倍の真の意図を完璧に隠している。
安倍は戦争を決意し、憲法改正に必要な三分の二以上の国会議員でさえも放り出し、国民に戦争承認を求めるため「今しかない」と考えて暴走しだしたのである。
自民党も公明党もそのことを隠す。野党は気が付かないか、相当程度安倍に同意しているのであろうか何も言わない。
安倍が勝てば日本は戦争に突入するだろう。安倍たちが狂おしいほどに願っていた侵略戦争が始まる。歴史的な事件というよりも、核兵器が乱発される地獄、歴史が終わるようなすざましい事変が起こる。

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2017年9月23日 (土)

室戸市への監査請求

室戸市職員措置請求書(住民監査請求書)

 2017年7月 日

室戸市監査委員殿

                     請求者 室戸市吉良川町乙2991番地

                           澤山保太郎

【請求の趣旨】

室戸市が建設工事などの請負契約のために採用している総合評価落札方式は、特定有力業者に特恵的地位を与え公正な競争を著しく阻害していると思料するので、この方式が「品確法」等に違反し、違法・不当であることを確認すること、かつ、現今の総合評価落札方式の採用を速やかに差し止めることを求める。

【請求の理由】

1、「品確法」(「公共工事の品質確保に関する法律」)では、入札価格のほか業者の技術的能力などについても評価を行い、総合的に評価して請負い業者を選定することによって公共工事の品質を確保する、とするものである。その第12条で具体的に①業者の工事経験②施工状況③技術者の経験をあげ、これを審査することを義務付け、第13条ではさらに④若年技術者の有無⑤技能労働者の育成・確保の状況⑥建設機械の保有状況⑦災害時の工事体制を加え7つの分野での審査・評価をすることを努力するものとしている。

それは同法第3条の各規定を具体化するものである。

2、室戸市の評価方式でも入札価格だけでなく企業の技術的能力を評価して総合的に判断するとしているが、添付資料のとおり、第12条の②の施工状況の審査が欠落している。第12条の「施工状況」とは契約にかかる工事についての施工計画(工程表)などを言うものと考えるが、第3条などの趣旨からして技術面での評価としては最も重要と考えられるものが欠落しているのである。

また、第3条や第15条などで強調されている「技術提案、創意工夫」、「適正な施工」や「個別の工事により条件が異なる特性」、「工事の性格、地域の実情」などに対応する技術評価が全く審査対象から除外され、ただ入札参加企業の過去の工事の実績や技術者の資格が高い評価点を与えられている。要するに数年間の短い過去の実績でほとんど勝負が決まることになっている。室戸市の総合評価落札方式は、技術面での評価点(9点満点に標準点100点加算)を入札価格で割るという計算式であるが、最低制限価格が異常に高く設定されているので分母である価格での差がほとんどないようになっている。したがって技術評価点(実際は工事実績)の高い業者が自動的に落札する仕組みだ。

3、室戸市の場合価格についての入札は最低制限価格が異常に高い。実際には価格での競争の意義はほとんどない。通常最低制限価格は予定価格の3分の2~90%に設定されるが、室戸市の場合特定業者らが狙う事業では90%になっている。通常の競争入札での札入れは高くても90パーセント前後と考えられるが、室戸市はそれを最低制限価格に設定しているから価格での競争が困難な状況である。

4、さらに問題なのは、添付資料の例のように、総合評価方式も一般競争入札ではなく指名競争入札であるが、室戸市の指名入札の規則では、6業者以上の指名による参加を必要とするが、添付資料の事例ではその規則も満たしていない。数業者の競争となるのでますます特定業者の請負契約の独占化、固定化が容易となっている。

5、さらに重大なのは、技術評価で大きなシエアを占める過去の工事の実績では、室戸市が評価した実績は架空の実績の可能性がある。

すなわち、請負工事のほとんどを下請け、孫請けに丸投げしてきた業者が「施工実績」で最高点を与えられてきた。この事実は下請け契約書などを受けているから当然市長や担当職員は百も承知のはずである。本体工事を自社で遂行出来ない、工事遂行の人員も、装備も、経験もないというのは大きな減点評価としなければならないが逆に高評価を得ている。室戸市の入札通知書では、総合評価方式の施工実績は「元請け」の工事実績と明記されている。施工実績を他社の実績で申告するというこの事態は虚偽申告の罪科にかかる可能性がある。

6、上記「品確法」では、下請けとの「公正な契約」(第3条10項)とか、第8条「適正な価格での請負契約」がうたわれているが、ほとんどの工事を自社でなく下請けに丸投げしている室戸市の一部業者では、下請け契約の金額の総額が、元受け契約の金額の半額に抑えられている「実績」がある。これでは、請負契約金が法外に高すぎるので下請け業者に多大の犠牲を強いているということになる。

 建設業法では下請けには金額の制限があり、また、主要工事を自社でせず下請けに丸投げするのは禁じられている。

室戸市は下請け契約の関係資料の金額を黒塗りにせず公表し、その実態を検証し、企業の工事経験の評価に加え、問題があれば大きな減点とするべきである。

7、また、地方自治法では総合評価落札方式を採用する際に「学識経験者」の意見を聞くことになっている。室戸市は、室戸土木の職員の意見を聞いたというが、県庁の開示した資料、室戸市が開示した資料では、そのような事実を示す証拠がない。

 県が委嘱した委員を活用して意見を聞くならともかく、県が作った方式をそのまま借用したというのでは、法令の指示した意見聴取がなされたとは言えない。

法令に従わず、よその方式を独断で取り入れたものをすべての工事に一律に適用していると考えられる。

8、また、業者の評価については、「品確法」の定める技術的能力だけでなく、社会保険加入の有無について下請けも含めて厳格に審査する義務が指示(「公共工事の入札及び契約の適正化の推進について」総務大臣・国土交通大臣 平成261022日)されている、室戸市ではこれについて全く無関心で、元請け・下請け業者がこれをクリアしてきたかどうか独自のチェックがなされていない。

9、なお、平成17年ごろ以降、国の示した総合評価落札方式は「品確法」に基づくものであるが、そのガイドラインなどのマニュアルでだんだんと簡素化(骨抜き)され、標準型から簡易型、さらに市町村向けの特別簡易型など室戸市のように、当該工事についての技術的評価ではなく企業の実績を偏重し、地域貢献の実績ならともかく消防団への加入状況とか、災害協力協定とか、当該工事に無関係でかつ地域の特定業者に有利な評価項目を設定するに至っている。

 室戸市が総合評価方式の評価項目を設定する際には高知県庁のそれを参考にし、県の職員の意見を法定の「学識経験者」の意見聴取に替えたということであるが、

 総合評価方式についての高知県の最近の総括では、価格入札が一定の最低ラインに集中する結果、企業の評価点でほとんどの一般競争入札が決定され、落札が特定の業者に固定化される傾向があることが表明されている。すなわち総合評価方式が競争原理を希薄化させ特定企業の市場独占化が憂慮されている。

室戸市の場合この傾向は固定化しいわば究極の官製談合の入札方式となり、特定有力業者はもはや「談合」をする必要性もない、といわれている。室戸市の採用している方式は公正な競争を著しく阻害し、一部特定業者に法外な利益をもたらし、地元企業の育成など到底見込めず、市外の下請け業者に多大な犠牲を強いて工事成果の品質を損なう恐れもあり、室戸市内への経済効果にもほとんど貢献するところがない。

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室戸市政の利権行政への痛撃

やっとパソコンを操作できるようになりました。
すでに室戸市監査委員会へ、利権行政の骨格となっている
総合評価落札方式にメスを入れる監査請求書を提出し受理されて
審査中である。この総合評価落札方式では業者はもはや談合をする必要も
ないといわれ、特定業者の思うままになっている。
監査請求書の中核は、業者に加算された評点のうち「施工実績」の実績が虚偽ではないか、
虚偽に基づく入札・落札は詐欺行為ではないか、という主張である。
これは、何よりもそれら特定業者の施行の実態が、下請けに工事を丸投げをしている事実にある。
分割して複数企業に丸投げして下請けさせる場合も建設業法に違反する。
総合評価落札方式では、施工実績は元請けの工事実績に限られている。
他社(下請け)の実績を自分の実績のように申告するのは虚偽の行為であり、市役所も
虚偽であることを知っていた。
あらゆる産業、市民生活のあらゆる部面で低迷が続く室戸市。特定業者を優遇する市政に終止符を打たなくては、室戸市の発展はあり得ない

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2017年9月22日 (金)

衆議院選挙

News & Letters/589
私は最近農作業で腰痛が悪化し療養中である。
 
森友や加計事件で野党の臨時議会開催要求を利用して安倍は国会解散
総選挙を強行しようとしている。
これは加計・森友隠しとか、年金不支給事件回避とかいう次元の話ではない。
また、これからでっちあげる憲法9条改正などの公約をめぐる選挙でもない。野党の足並みのそろわないのをにらみながらの選挙ではあるが、この選挙は国民に北朝鮮に対する戦争承認を求める選挙であり、憲法改正などを飛び越えた安倍の野望、侵略戦争開始の歴史的画期となる選挙である。
朝鮮半島がどうなるか、北の反撃による日本がどうなるか、そんなことは毛頭気にしない。
対話などは無駄だとうそぶき、戦前の天皇裕仁ら侵略戦争推進勢力の狂った熱意と同程度に異常な画策を今国連を舞台に展開しアメリカの先制攻撃を促し、日本の参戦のチャンスを狙っている。
日本国内で国民の戦争承認をとって置くことも大事な課題だ。
野党や国民は、いまこそこの選挙を戦争反対、安倍腐敗内閣打倒に転化しなければならない。
加計や森友では国の金を私物化していたが、日本そのものの廃滅の運命も私物化しだしたのである。

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2017年9月 6日 (水)

征韓論

News & Letters/588
北朝鮮のミサイル発射、核実験の暴挙に対してアメリカ、日本政府、マスコミや識者の論調、それに煽られた国民の多くが、征韓(北)論に大きく傾いて、アメリカによる先制攻撃を待望する。
ところで、教科書などでは西郷隆盛は征韓論で有名だが、毛利敏彦氏の研究(「明治六年政変」中公新書など)では、さにあらず、むしろ朝鮮に対し軍隊で威圧するのではなく、無武装談判論の主唱者であったことが資料で証明されている。
毛利氏は、政治史家信夫清三郎の弟子で、師の解明した江藤新平の歴史的評価を継承し、江藤新平の功績を喧伝してきた学者である
西郷隆盛は、鎖国政策をとる朝鮮に対し、たとえ相手が無礼を働き暴力を振るうことがあっても自分自身が全権大使となって相手を説き伏せるといったのであり、その際一兵も連れて行かないと唱えた。
今の政治家も西郷に見習う必要があるのではないか。軍事力を誇示し威圧して屈服させてからでないと交渉しないという態度では、解決どころかますます険悪になり、実際に戦端が開かれる可能性が高くな
る。今の状況は双方が口喧嘩の仕合でこぶしを振り上げ剣をガチャつかせて威嚇しあっている。
すでに戦争の第一段階に入っている。我々の中の武力征韓論をこそ鎮圧しなければならない。

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2017年9月 1日 (金)

戦争

News & Letters/587
アメリカや日本の主張は、北朝鮮との対話は、北が核兵器を止めるという条件で初めて可能だ、それまではしないという。トランプ大統領は、対話によっては解決しないと明言した。
安倍も同じであろう。圧力、圧力、経済封鎖と武力行使の威嚇、又は武力行使による解決というのである。
これはもうすでに戦争状態か前戦争状態であって、対話をしないというのは実質的な宣戦布告であろう。
対話ー外交努力を拒否するというのは、クラウゼヴィッツがいう戦争は政治の延長だというセオリーの否定である。
政治を後にして戦争が先に躍り出る。このシナリオは、軍需産業とその番頭どもがすでに描いているのであろう。
米韓の軍事演習に、日米爆撃機の演習はもはや対話どころではない。開戦前の装備と軍事力のショウだ。
安保法制の遥かかなた、空自も海自も、北朝鮮との戦争に参加する構えだ。
中国やロシアも参加すれば第三次世界大戦が極東から始まる。
数百万人、数千万人の犠牲者が出ようと死の商人たちには何の痛みもない。
河野外相は、単独でも北朝鮮に入り込み金正恩と談判すべきだ。とにかく対話を始めねばならない。

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日本国憲法の改正

News & Letters/586
現行の憲法は確かにアメリカによって押しつけられたものである。
敗戦時、日本の支配階級のごく一部がとらえられたり、パージされたりしたが、
天皇を初めほとんどの旧体制の支配的勢力は生き延び居座った。
日本人民はこれら旧体制派の連中を排除するために蜂起することは出来なかった。
憲法も鈴木安蔵ら一部革新的な人士が起草する動きがあり注目されたが、政治的社会的な変革を伴う者ではなかった。そういう情勢の中でGHQが明治憲法に変わる新しい日本国憲法を作り、当時の日本政府にいわば強要したのであった。
日本側はこれを如何に骨抜きにし旧天皇制を保持しようと抵抗したが、ほとんど無駄であった。人民主権などアメリカが作った憲法草案の骨子は曲げられなかった。
歴史的事実では、しかし、新憲法が出来てからすぐの1946年10月には、GHQの上部機関である極東委員会は。日本に憲法改正の機会を与えることを決定した。
それは翌年(1947年)1月マッカーサーから首相の吉田茂に告げられ、政府としても憲法改正を検討することになった。その年の3月には新聞で大々的に憲法改正が取り上げられた。しかし、結局憲法改正は見送られた。革新陣営はもとより自由党など主要な保守勢力も、新聞やマスコミ、憲法学者らも新憲法のままで良いという選択をした。
1949年に極東委員会もその事を了承し新憲法の改正問題を終結したのである。
押しつけられた憲法ではあったが、しかし、それをよしとして認めた以上もはや押しつけとは言えない。憲法9条についてでさえ当時の支配勢力も改正しようとすれば出来たのにそれをしなかったのである。後年回想録で保守反動の親玉であった吉田茂自身が押しつけではなかったといっているのはこのことを踏まえてである。
今自民党や民進党、維新ら右翼連中が、押しつけられた憲法だと言って改正を呼号しているのは、歴史的事実をはき違え、新憲法制定当時の保守勢力を含む日本人の覚悟が何であったかをないがしろにするものである。再び戦争を起こさない、自衛戦力を含め一切の戦力を保有しないと言う覚悟は、吉田茂自身が国会で披瀝したのである。
これらの史的事実は古関彰一氏の『新憲法の誕生』(中公文庫 1995年)という名作にくわしい。
憲法改正の焦点である9条についても極東委員会やGHQが憲法改正を許したにかかわらず、当時の政党もマスコミも誰も改正を言い立てる者はいなかった。
ただ、GHQの憲法草案と現行憲法の9条とは相当な乖離がある。
GHQの原文は以下の通り。これを4つに区切る。
①War as a sovereign right of nation is abolished.
②The threat or use of force is forever renounced as a means for setting disputes with any other nation.
③No army,navy,airforce or other war potential will ever be authorized
④ and no rights of bellingerency will ever be conferred upon the State.
①は 国の主権の(発動の)一つとしての戦争は廃止する。
②は、武力での威嚇または武力の行使は他のいかなる国との紛争の解決の手段としては永久にこれを放棄する。
③は、陸海空の軍隊又はその他の武力はこれを永久に認めない。
④は、国の交戦権は永久に与えられない。
③の陸海空その他の武力を持たないという規定は、①②の帰結としていかなる条件もなく掲げられている。いかなる名目の戦争も禁じられている。
だが現行憲法は、①と②の後、③の前に、「前項の目的を達するため」という文句を挿入した。当時はこの挿入に問題があると思う者はほとんどいなかったが、現在、これが自衛権を認める布石として重要視されてきたのである。すなわち、前項の規定は国際紛争解決手段としての戦争を禁じているが、自衛戦争は禁じていない、と歪曲しだしたのである。
我々は憲法9条が自衛戦争を含め他国とのすべての戦争行為を禁じているということを明確にしなければならない。外国から日本に侵略するものがいた場合、人民は武器をとって抵抗することはできる。しかし、国としてそのために武装し、武装した軍隊を持つことは許されていない。
他の国はともかく日本の自衛のための戦争は、アジア諸国民には信用されていない。
日本の自衛戦争、自衛の武装は、アジア諸国にとっては、脅威であり、自衛の名前で侵略戦争が行われてきた過去を払しょくすることはできない。
そしてこの9条の規定は、原爆の被災、空襲の被災、沖縄の犠牲、侵略戦争の軍民の惨苦、そして数千万ともいわれるアジア人民の悲惨な体験に裏打ちされたものであり、幾千万の民衆の怨念の結晶としてできたものであった
戦争を知らない世代は、例えば大岡昇平の「野火」などの戦記物を見て戦争がいかに残虐か、いかに悲惨か読んで知るべきなのである。
戦争に対する憎しみをもって9条の尊さを知るべきである。現行憲法はGHQが作った原文に照らし文字通り実現されねばならない。

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2017年8月18日 (金)

反戦の旗

News & Letters/585
安倍は、韓国の大統領らと連帯して、トランプが北朝鮮と戦端を開くことを
押しとどめなければならない。日本の新聞やテレビは、北朝鮮が何をしようとも
日本は一発の弾も外国に向かって撃たないことを政府に求めねばならない。
米朝が開戦しても、日本は戦争に参加してはならない。日本から米軍が出撃
しないよう強く要求しなければならない。今こそ先の大戦の教訓を生かして新聞は
反戦の旗幟を高く掲げるべき時である。第二次大戦の轍をもう一度踏むつもりなのか。
あらゆる言論機関が戦争反対で動くべき時である。
国は、衆参両院の国会を開き、全国の地方自治体も議会を開き、自衛隊が参戦しないように、日本の基地から米軍が発進しないように、決議を挙げるべきである。
 
日露戦争には与謝野晶子が「君死に給うことなかれ」を詠った。
この歌には曲がついていて私はそれを中学2年生の時歴史の授業で
大寺美也子先生から教わり、それからずっと愛唱してきた。
最近島崎藤村の詩集を読んでいて、『夏草』という詩集に日清戦争時と思われる
激しい厭戦詩を発見した。それは1農夫が兵士として中国の戦線に召集をかけられた時の
懊悩の状況を如実に表していた。その一節を紹介する。
      ・・・・・・・ 
       まことのさまを尋るれば 戦(たたかひ)とてもまた同じ
       野末の草に流れゆく 活ける血潮やいかならん
       剣の霜に滅びゆく  人の運命(さだめ)やいかならん
       誰か火に入る虫のごと 活ける命をほろぼして、
       あだし火炎(ほのほ)に身を焚(や)くの
       おろかのわざをまなぶべき
       嗚呼つはものの見る夢の
       花や一時(ひととき)春行かば 
       剣も骨も深草の 青きしげみに埋るらん 
       げに凄まじき戦いの あとにもましてうつし世に
       いや悲しきはあらじかし
 議員や政治家だけでなくあらゆるジャンルの、学者や文化人、詩人、小説家、芸術家、労働者、医者、弁護士、大学、小中高校生老人団体、津々浦々の町内会が一斉に戦争反対を唱えるべきである。
  たとえ国が滅んでも、他国の戦争で滅んではならない。

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2017年8月11日 (金)

北朝鮮と抑止力

News & Letters/584


2017年8月10日 甲浦で稲刈り
北朝鮮の暴発行為はエスカレートの一途である。

しかし、この事件は、大きな真実をあぶり出した。
この真実は多くの平和主義者にはなんとなく分かっていたが、大多数の政治家や国民には全く分からないか 不分明であった。

 それは、北朝鮮の核武装・核ミサイルの無制限な開発によって「核の傘」とか「核抑止力」という想念又は政治思想が全く無力であり虚妄であることを暴露したと言うことだ。

 また、膨大な予算で維持してきた日本の自衛力又は自衛隊が全く無力であり何も出来ないと言うことも実証された。従ってクラウゼヴィッツの『戦争論』も好戦的な半狂人が権力を握る国については無力であることも証明されたと言うべきである。

クラウゼヴィッツの場合、戦争は政治の延長だという理屈であるが、これは政治を行う理性的な人間同士を前提にしている。核兵器を持った狂気の男には通用しない。自分も破滅するが相手も破滅させてやると言う論理、それを現実化できる核兵器の登場は如何なる理性も利害得失も通用しない別世界の、次元の違う非論理の世界なのである。

我々は北朝鮮のキムジョンウンに対抗する手段を持たない。誰も持たない。
ただ、北朝鮮内部でこの世の魔王を消し去る以外には、誰も何も出来ない。

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2017年8月 5日 (土)

続・国民機関説

News & Letters/583
現憲法前文の英語では
 Government is a sacred trust of the people,the authority of which is derived from the
 people,the powers of which are exercised by the represntatives of the people,and
 the benefits of which are enjoyed by the people.
となっている。これは、明らかに1863年リンカーのゲチスバーグでの有名な演説(The Gettysburg Address)の一節 と同じ趣旨である。
  人民の,人民による,人民の為の政府は地上から滅せさせないぞ
 Government of the peoole ,by the people ,fot the people shall not perish from the earth.
だから of the people というのは、by the people とは違って、人民の 保有する政府という意味である。
日本人民は、国政を政治家や官僚に「信託」してはいない。
ただ、それに属する権力の行使は、人民の代表(representatives)が行使することになっている。
人民の代表は、しかし、統治権者ではない。人民に選出された代表にすぎず、権力行使は人民の意思に沿わなけれない。
現在立法府は人民の代表が選出されているが、行政府たる内閣はそうなっていない。
人民の意思を反映するシステムが極めて不十分であるから、行政府は独善的になる。
総理大臣と閣僚は直接国民によって選出される必要がある。
さらに問題なのは司法権力である。これはほとんど全く人民によって選出された代表 representatives ではない。
最高裁長官が行政府によって任命されるシステムでは、行政府の補完物でしかない。
司法権力は憲法前文の趣旨からは完全に取り残され暗闇となっていて、人民圧服の旧体制のままである。
最高裁判事、高裁の判事、地裁の判事はすべて管轄する住民による公選で選ばれるべきであり、その判決文についても、それぞれ管轄地域の不特定の人民の代表によってチェック(審査)され、重大な過ちや故意の誤判について糾弾され責任が問われるがなければならない。
検察においても告訴・告発権(検察権)を人民に与え検事とともに人民も直接裁判所に犯罪を起訴できる制度が必要である。
現行憲法を変えずとも法令で相当改変することができるだろう。人民主権が貫かれねばならない。
天皇が国政を総攬し統治権者という憲法上の建前(国体)であったが、実際は重臣や官僚、軍部が国政を壟断していた。
天皇は国体の一機関と位置付けられ実権は干されていた。
今、憲法上国民が主権者として位置づけられているが、実際は「信託」論により骨抜きにされ、わずかに立法府の選挙の時だけお出ましが許されるというあわれな境遇に祭られているのである。戦後の憲法学者は天皇機関説に代わる国民機関説を東大法学部などすべての大学法学部の教壇から垂れ流してきたのである。

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