2017年8月18日 (金)

反戦の旗

News & Letters/585
安倍は、韓国の大統領らと連帯して、トランプが北朝鮮と戦端を開くことを
押しとどめなければならない。日本の新聞やテレビは、北朝鮮が何をしようとも
日本は一発の弾も外国に向かって撃たないことを政府に求めねばならない。
米朝が開戦しても、日本は戦争に参加してはならない。日本から米軍が出撃
しないよう強く要求しなければならない。今こそ先の大戦の教訓を生かして新聞は
反戦の旗幟を高く掲げるべき時である。第二次大戦の轍をもう一度踏むつもりなのか。
あらゆる言論機関が戦争反対で動くべき時である。
国は、衆参両院の国会を開き、全国の地方自治体も議会を開き、自衛隊が参戦しないように、日本の基地から米軍が発進しないように、決議を挙げるべきである。
 
日露戦争には与謝野晶子が「君死に給うことなかれ」を詠った。
この歌には曲がついていて私はそれを中学2年生の時歴史の授業で
大寺美也子先生から教わり、それからずっと愛唱してきた。
最近島崎藤村の詩集を読んでいて、『夏草』という詩集に日清戦争時と思われる
激しい厭戦詩を発見した。それは1農夫が兵士として中国の戦線に召集をかけられた時の
懊悩の状況を如実に表していた。その一節を紹介する。
      ・・・・・・・ 
       まことのさまを尋るれば 戦(たたかひ)とてもまた同じ
       野末の草に流れゆく 活ける血潮やいかならん
       剣の霜に滅びゆく  人の運命(さだめ)やいかならん
       誰か火に入る虫のごと 活ける命をほろぼして、
       あだし火炎(ほのほ)に身を焚(や)くの
       おろかのわざをまなぶべき
       嗚呼つはものの見る夢の
       花や一時(ひととき)春行かば 
       剣も骨も深草の 青きしげみに埋るらん 
       げに凄まじき戦いの あとにもましてうつし世に
       いや悲しきはあらじかし
 議員や政治家だけでなくあらゆるジャンルの、学者や文化人、詩人、小説家、芸術家、労働者、医者、弁護士、大学、小中高校生老人団体、津々浦々の町内会が一斉に戦争反対を唱えるべきである。
  たとえ国が滅んでも、他国の戦争で滅んではならない。

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2017年8月11日 (金)

北朝鮮と抑止力

News & Letters/584


2017年8月10日 甲浦で稲刈り
北朝鮮の暴発行為はエスカレートの一途である。

しかし、この事件は、大きな真実をあぶり出した。
この真実は多くの平和主義者にはなんとなく分かっていたが、大多数の政治家や国民には全く分からないか 不分明であった。

 それは、北朝鮮の核武装・核ミサイルの無制限な開発によって「核の傘」とか「核抑止力」という想念又は政治思想が全く無力であり虚妄であることを暴露したと言うことだ。

 また、膨大な予算で維持してきた日本の自衛力又は自衛隊が全く無力であり何も出来ないと言うことも実証された。従ってクラウゼヴィッツの『戦争論』も好戦的な半狂人が権力を握る国については無力であることも証明されたと言うべきである。

クラウゼヴィッツの場合、戦争は政治の延長だという理屈であるが、これは政治を行う理性的な人間同士を前提にしている。核兵器を持った狂気の男には通用しない。自分も破滅するが相手も破滅させてやると言う論理、それを現実化できる核兵器の登場は如何なる理性も利害得失も通用しない別世界の、次元の違う非論理の世界なのである。

我々は北朝鮮のキムジョンウンに対抗する手段を持たない。誰も持たない。
ただ、北朝鮮内部でこの世の魔王を消し去る以外には、誰も何も出来ない。

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2017年8月 5日 (土)

続・国民機関説

News & Letters/583
現憲法前文の英語では
 Government is a sacred trust of the people,the authority of which is derived from the
 people,the powers of which are exercised by the represntatives of the people,and
 the benefits of which are enjoyed by the people.
となっている。これは、明らかに1863年リンカーのゲチスバーグでの有名な演説(The Gettysburg Address)の一節 と同じ趣旨である。
  人民の,人民による,人民の為の政府は地上から滅せさせないぞ
 Government of the peoole ,by the people ,fot the people shall not perish from the earth.
だから of the people というのは、by the people とは違って、人民の 保有する政府という意味である。
日本人民は、国政を政治家や官僚に「信託」してはいない。
ただ、それに属する権力の行使は、人民の代表(representatives)が行使することになっている。
人民の代表は、しかし、統治権者ではない。人民に選出された代表にすぎず、権力行使は人民の意思に沿わなけれない。
現在立法府は人民の代表が選出されているが、行政府たる内閣はそうなっていない。
人民の意思を反映するシステムが極めて不十分であるから、行政府は独善的になる。
総理大臣と閣僚は直接国民によって選出される必要がある。
さらに問題なのは司法権力である。これはほとんど全く人民によって選出された代表 representatives ではない。
最高裁長官が行政府によって任命されるシステムでは、行政府の補完物でしかない。
司法権力は憲法前文の趣旨からは完全に取り残され暗闇となっていて、人民圧服の旧体制のままである。
最高裁判事、高裁の判事、地裁の判事はすべて管轄する住民による公選で選ばれるべきであり、その判決文についても、それぞれ管轄地域の不特定の人民の代表によってチェック(審査)され、重大な過ちや故意の誤判について糾弾され責任が問われるがなければならない。
検察においても告訴・告発権(検察権)を人民に与え検事とともに人民も直接裁判所に犯罪を起訴できる制度が必要である。
現行憲法を変えずとも法令で相当改変することができるだろう。人民主権が貫かれねばならない。
天皇が国政を総攬し統治権者という憲法上の建前(国体)であったが、実際は重臣や官僚、軍部が国政を壟断していた。
天皇は国体の一機関と位置付けられ実権は干されていた。
今、憲法上国民が主権者として位置づけられているが、実際は「信託」論により骨抜きにされ、わずかに立法府の選挙の時だけお出ましが許されるというあわれな境遇に祭られているのである。戦後の憲法学者は天皇機関説に代わる国民機関説を東大法学部などすべての大学法学部の教壇から垂れ流してきたのである。

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2017年8月 4日 (金)

国民機関説

News & Letters/582
篠原英朗著の『ほんとうの憲法』は、戦後反改憲派の東大法学部の国民主権論が、戦前の美濃部達吉流の国体論(天皇機関説)の焼き直しであることを暴露した。
しかし、その基軸となるのは、憲法前文の国政信託論であるが、その点では、天皇機関説を攻撃した戦前の右翼と同様に篠原らの現代右翼論客も同じであって、国政は国民が政治家や官僚に信託したという説の上に立っている。
現代憲法学の国民主権論は結局、天皇機関説を→国民機関説に変更しただけなのである。
実態は、国民が主権を行使できるのは基本的に選挙の時だけであって、選挙権を行使した後は、政治家どもに国政は「信託」したことになり、政治家は信託(はく奪)された以上
何をやってもいい。選挙で美辞麗句を並べうそを言って当選して「統治権」を握れば独善的な権力行使をしてもかまわない。
森友学園、加計学園、PKO日報事件などは氷山の一角にすぎない。三権分立などというのはちゃんちゃらおかしい。刑事裁判、行政事件訴訟、原発や自衛隊、安全保障などの裁判では司法が行政権力と一体となって国民の真実、権利を踏みにじる、破たん調の判決文も恥じることはない。
わたしはこれまで、市民オンブズマンとして数えきれないほどの住民訴訟をやってきた。それに対する裁判所の支離滅裂な判決文をいつかまとめて本にしたいと思っている。
日本の地方裁判所(高等裁判所)がいかにでたらめか人が知ればびっくりするだろう。司法が行政権力の藩壁になって原告住民をあざ笑うのである。
戦前の国体と同じく現代の国民主権国家も国民主権は虚構であって実際は
天皇機関説の天皇と同じく粉飾にすぎない。憲法や法令で国民が直接主権を行使できるのは、憲法改正についての国民投票と地方自治法で若干の直接請求権が認められているに過ぎない。
あとは「信託」された政治家と官僚が国政を牛耳っているのであって、その姿は、何ら戦前と変わらないのである。
我々は、三権全般にわたって本当の意味の国民主権の政治のありようを構想し、それを構築しなければならない。

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憲法

News & Letters/581
トーンダウンしたとは言え、安倍内閣が憲法改正・自衛隊合憲・侵略戦争合憲化しようという姿勢は変わりがない。最近『ほんとうの憲法」(篠田英朗著)を読んでみた。
現行9条の規定でも日本が集団的自衛権を含む自衛戦争権を持つことができるという
途方もない見解(牽強付会の説)を主張していて噴飯ものだ。
憲法改正に反対する東大系の憲法学者を非難し戦力不保持の規定について英文を引き合いにして次のように言う。
「land,sea,and air forces as well as other war potentiai」
が「陸海空軍その他の戦力」に対応している。つまり禁止されている「陸海空軍」とは
「war potential」 としての「戦力」に該当するものである。逆の言い方をすれば、
「war potential」ではない陸海空軍は、必ずしも禁止されていない。
 
いったいこんな詭弁を使うものが学者といえるのであろうか。
war potential でない陸海空軍などが存在するのであろうか。
このような愚劣な歪曲をする本であるが、学ぶ面もあった。
それは、次のような指摘である。
東大憲法学者の系譜は、戦前天皇機関説の美濃部達吉の系統でありその第一の弟子宮沢俊義らは戦後憲法学をけん引し会見に反対してきたたが、実は戦前戦中は大東亜戦争賛美の憲法学者であって、ドイツ国法学の影響下にあったこと、即ち国体思想を現代的に国民主権論のなかで保有していることを剔抉している点である。
憲法学者が「国権」とか「統治権」というとき、それは戦前の国体論と同じく官僚国家体制であり、東大法学部系憲法学者はそれを主権者である国民が規制するのが立憲主義だとしている、と批判する。
ようするに観念的に措定した国体を憲法学の中核に掲げているとの批判である。
この指摘は鋭いものである。英米流の憲法解釈を主張するが、篠原は具体的に対置する政治思想は何か何も提示しない。
それは、彼も又国体論者であるからだ。
篠原も東大憲法学者と同じく憲法前文の 国政は国民の厳粛な信託による、という原理を挙げ、国民と政府間の信託契約が立憲主義だいう。
しかし憲法の原文たる英文は、そうはいっていない。前にも書いたように
Goverment is a sacred trust of the people,となっていて、
国政を人民が誰かに信託するとはなっていないのである。正確に訳せば、国政は、人民に所属する神聖なる信託物であり・・・、となる。
trust は動詞ではなく名詞なのであって、その前に sublime(厳粛な)ではなく sacred(神聖な) という形容詞がついている。
sacred神聖なという形容詞は、神(造物主)からの賜りものを意味しtrustが天賦のものであることを示唆する。
of the people のof は よる(by)ではなく 所属を表すもので人民による、ではなく人民に所属する、と訳さねばならない。
和文の憲法も東大の憲法学者もそして篠原もこの信託論によって、日本人民から国政の権限を奪うのである。
 
そして
国体論は、観念の世界の話ではない。それが日本の戦前戦後の政治的実態なのである。
その実態を示すものとして最近読んだ『虚構の法治国家』(郷原信郎、森炎対談集)がある。
日本の国体の中枢である司法権力(警察・検察・裁判所)が戦前の伝統を踏襲し、牢固として人民の前に屹立している姿が描かれている。
人民主権、国政が人民のものであるなら、例えば、犯罪の告発が検察の独占を許さず、誰でもが裁判所に犯罪者を告発し裁判にかけられるようにするとか、裁判官の大半を公選制にするとか、意図的な誤判裁判官に損害賠償請求や罷免請求ができるようにするとか、重要法案について国民投票や、住民投票がどんどん行われようにするなどあらゆる方面で
人民の主権行為を大幅に拡大しなければならない。直接民主主義を主とし、代議制を従とするべきであろう。
 

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2017年7月29日 (土)

非科学的マップ

News & Letters/580

政府によって本日核のゴミ・高レベル放射性廃棄物の埋設適当地が発表された。
ほとんど全国の海岸部に埋めることができるというものである。
東洋町も適当ということだ。全国に点々と散在するという形でなく予想に反し面状に塗りつぶされた。

「日本の活断層」(東大出版)という活断層に関する代表的な著作では日本列島いたるところに無数の活断層が走っていることがわかっているが、そんなことは全然お構いなしでごくわずかな活断層が徐外されただけだ。

日本の地下はどこも断層だらけで水浸しだ。安定した地層などひとかけらも存在しない。
南海地震の直撃を受ける高知県や和歌山、三重県なども適地だという。

室戸岬の突端が外れるというのは福岡市での昨11月の公聴会で大学の先生が隆起の激しい土地としてすでに例示されていたが、その室戸市でも半分ほどは適地に入る。海岸部には人口の大半が集まっている。

室戸だけではない全国的に大勢の人が海岸部に集中して住んでいるが、石炭や石油、火山地帯は避けるというが人間密集地帯は避けないのか。極めて非科学的、だけでなく非人間的な作図というほかはない。

うまく埋め込むことだけが頭にあるようだが、事故のことも考えねばならない。
核施設は海岸部が危険だというのは福島原発で実証済みだ。事故があれば海洋がとめどなく汚染され放射能汚染が全世界に永続的に拡散する。

いかなる核施設でも火山や活断層と同じくらい海や川を避けるべきだ。
潜在的には、東洋町と同じように日本国の津々浦々は良好な漁場であり、そこに住む人々は核廃棄物に対して強いアレルギー反応があると考えられる。

必要なのは科学的だけではなく政治・社会的マップだ。狙われたところだけでなくこうなったら、核燃料や核廃棄物を拒絶する条例を全国の都道府県、市町村につくるべきだ。
それを表面化すれば政府の科学的マップの緑色図面はことごとくリオマス試験紙のように赤色に変わるだろう。

原発の稼働を止め、すべての原子炉を廃炉にするまでは、高レベルであれ何であれ、核の埋め立てを拒絶するべきである。

高レベル放射性廃棄物の地下埋設は何ら安全性が実証されていない冒険的事業にすぎない。
また、同じ理由で、原発敷地内外の中間貯蔵についても乾式であれ湿式であれこれを拒絶するべきである。

政府エネ庁が発表した核のゴミ科学的マップは、東洋町などごく一部の市町村だけでなく、全国的な核廃棄物の恐怖とアレルギー反応を巻き起こし、核廃棄物の元凶である原発に対する反対運動を全国に広めることになるだろう。そうしなくてはならない。

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2017年7月13日 (木)

北朝鮮

News & Letters/579
北朝鮮のミサイル発射に対し制裁の強化、軍事的対決の姿勢の誇示など物騒な状況が続く。
しかし、少々の制裁や威嚇では北朝鮮の暴挙は止まないだろう。
北朝鮮を鎮静するには、武力や経済的制裁では収まらない。
むしろ、韓国木浦での田内先生のような人道的行為が必要である。
北朝鮮に民間病院や大学医学部などが進出し診療施設を開設し無償無料で
貴賤上下の差別なく医療を施すとか、孤児院や身寄りのない老人を世話する施設開設など
医療・福祉の方面で日本(韓国とも連携することも含め)が手を差し伸べる行動が必要であろう。
外交というのを単に政治、経済、軍事という面だけでなく、国によっては福祉を主要テーマとして行うことも必要であろう。北朝鮮はまさに医療や福祉の面で決定的に欠如していて日本が支援(無償奉仕)する必要があり、また、過去の償いの一つでもあろう。年に1000億円ぐらいは安いものだ。
惜しみなくそういう行動をとる国に対し北朝鮮もミサイルをうちこむことはないだろう。
無論在日朝鮮人の方々への支援も忘れてはならない。
虎穴に入らんずんば虎児を得ずだ。そこの人民を助けるために医療・福祉施設が北朝鮮に入るべきだ。
そうすれば憲法9条はさらに輝くだろう。
憲法9条は、憲法条文中にただ守ればよいというのではない。
それは、戦争を回避し平和を維持・発展する行動を政府や国民に促しているのであ

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2017年7月12日 (水)

談合不要「総合評価方式」

News & Letters/578
全国の建設業界では、今や談合という悪しき慣習はほとんどなくなったであろう。
談合をしなくても特定有力業者はゆうゆうと公共工事の契約が取れるようになったからだ。
それが建設工事の「総合評価落札方式」だ。
そもそも総合評価方式というのは平成17年ぐらいに地方自治法で定められ、具体的には「品確法」=「公共工事の品質確保の促進に関する法律」によって定められている。
入札を価格だけでなく請け負う業者の技術力などを加味して決定するという総合評価方式の趣旨は良い。
しかし、法律の趣旨は数段階にわたって骨抜きになり、総合評価方式は、施行計画、施行方法の提案などを重視する本来のものから「簡易型」に骨が抜かれ有力業者に有利な企業の実績の評価が重くなり、さらに骨抜き最後の段階では市町村向け簡易型=「特別簡易型」になると、入札対象の工事とは無関係の企業の実績だけの評価に絞られて評価点が決まる。
室戸市などのように最低制限価格を予定価格に近く設定(予定価格の90%)しておけば価格での競争はほとんど無意義となるから無競争で過去の実績を持つ特定業者が勝利する。
以前のように談合をして危ない橋を渡る必要はない。
過去の工事の実績といっても実際には下請けにやらせているから、架空の実績にすぎない。
その特定業者は実際の工事はほとんどすべて請負契約金の半額ぐらいで複数の下請け、孫請け業者に丸投げするから楽々と契約金の大半を懐に入れることができる。
国が「品確法」を定めたのはいいが、「マニュアル」などを作って換骨奪胎し、県や市町村がその骨抜き「総合評価方式」に基づいて各地域の特定企業においしい公共事業の独占と、その永続化(固定化)をさせている状況、その陰で多くの中小の業者が歯ぎしりをして嘆いている状況を放置するわけにはいかない。
歪曲された「総合評価方式」は公正な競争を促さず、かえって独禁法に違反する惨状をもたらしている。
新聞など報道機関が無関心であるから、県民のほとんどは巨額の公金が動くこの実態を知らない。

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2017年7月 8日 (土)

不可解な新聞記事

News & Letters/577
これは私の錯覚だろうか、見逃しているのだろうか。多くの県民も気が付かないと思う。
本年6月2日高知新聞の朝刊文化欄に載った「真覚寺日記」(土佐観光ガイドボランティア協会顧問岩崎義郎氏の投稿)についての記事㊤の続きが出てこない。大見出しは「貴重で面白い真覚寺日記」、小見出しは「幕末の事件、地震、生活を記録」とかが躍っている。岩崎氏の著した「抜き読み真覚寺日記 安政の地震と幕末の世相」が平尾学術奨励賞を受賞した記念に投稿したらしい。もう1か月以上もたつのにその続編が見当たらない。何らかの事情があるのかもしれない。
この「真覚寺日記」は土佐市宇佐の真覚寺の井上静照和尚が綴った日記であり確かに幕末の地震などの出来事や世相を克明に描いている。貴重な資料だ。だが、問題もある。
当時の被差別民の姿が極めて差別的に描かれているのである。和尚は、被差別民が堂々と往還を闊歩している姿などを描き、それを非難し嘆いている。差別をわきまえない横着な態度だという趣旨である。
私は、歴史的著作物上の差別文言についてそれを人に見せるなとは言わない。
それを図書館などで閲覧に供する場合は、問題個所について指摘し、それが差別偏見であるという解説が必要である。
差別的文章が強烈に刻印されている著作物をそのまま公表すれば重大な人権侵害が拡大される。
私はこの「真覚寺日記」についての紹介記事が続編でその部落問題についてどう触れるか関心をもって待っていた。
当然岩崎氏もそしてこのコラムの編集担当者もこの日記に描かれた被差別民の姿を知っているはずだ。6月2日の記事㊤では、この日記をべたほめしている。
これだけでは、差別文献を無批判的に推奨しているとみなされるであろう。高知新聞社はどうして㊤だけで㊦が出ないのか、㊤だけで終わるのか、説明すべきであろう。
「真覚寺日記」は高知県下の部落問題の歴史的資料としても「貴重」なものである。

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2017年7月 6日 (木)

慰安婦問題

News & Letters/576

安倍政府は朴政権との日韓合意に基づき慰安婦問題は不可逆的に解決した
と主張し慰安婦像の撤去を求めている。

しかし、政府間の協定が成立したからといって日韓両国の国民の合意まで完成した
という訳にはいかない。とりわけ韓国国民のほとんどは、納得していないし
歴史上の屈辱はいかなる代償をもっても打ち消すことはできない。

安倍政府だけでなく民主党のレンポウ代表が日韓合意を実行せよなどと叫んでいるのは
異様であり、帝国主義的傲慢である。慰安婦像が世界中で建設されるのは、
過去の問題だけでなく現代でも圧政に苦しむ多くの女性の人権確立の観点から
必要であり推奨されるべきことだ。

慰安婦問題についての安倍・パク合意=「日韓合意」
は破棄されるべきであって、この協定は日本外交史上の恥なのである。

慰安婦問題は、相手が嫌だということを強要することであるが、「日韓合意」を強要する
日本側の態度は、慰安婦問題で何も反省がない証拠である。

小池都知事の在日朝鮮人学校への冷酷な態度など朝鮮人民に対する仕打ちは日本帝国主義
の朝鮮支配について何も反省せず、現代的な抑圧差別の実態を示している

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2017年7月 4日 (火)

都議会選挙

News & Letters/575

都議会選挙で自民党は大敗北を喫した。
大勝利は小池知事が率いる都民ファーストであった。
しかし、負けたのは都民である。

都民ファーストの小池らの思想は、安倍自民党と何も変わらない。
憲法改悪、安保法制大賛成、共謀罪賛成・・・反民主主義の骨頂だ。
権力ファースト、議員ファーストであり、都民ラーストだ。

毎月100万円を超える報酬と政務活動費毎月60万円という破格の身分だ。
選挙中誰も政務活動費について批判や反省の弁はなかった。

自民党は大敗北だが、それに代わる人民の政党がなかったのである。
安倍―小池連合も憲法改定を旗印にやがて登場するだろう。
大敗北を喫していながら都民は勝ったと錯覚するところが悲劇なのである

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2017年6月28日 (水)

新天皇制

News & Letters/574

天皇の意向に沿うべく退位法案が成立し、上皇―天皇という重層的な新しい天皇制が誕生した。それが、どういう機能を果たすかわからないが、問題なのはこの法案を可決するに当たって共産党まで含めて翼賛的に全会一致がなされた事実である。

現代の天皇も、北畠親房の神皇正統記流の考えー天皇は常にその仕事(まつりごと)の可否によって「御運」が決まる、という教えがあるから、座して祈るだけでなく一生懸命何かしら働かねばならない。自然災害被災者の見舞いや日本軍による戦争の犠牲者への鎮魂の旅行など・・・それを国民はありがたく、尊いと感激する。狂気のように戦争を主導した昭和天皇よりはるかにましだ。

だからといって天皇制を維持することに加担するべきではない。
天皇制の存在は憲法第14条2項の貴族制度の廃止の規定に反する。それだけではない。
日本のプロレタリアートの階級意識の形成に大きな障害である。階級の敵ブルジョワジーへの戦い、プロレタリア革命はプロレタリアの階級意識の形成にかかっている。

商品として物象化されるプロレタリアートの階級意識の形成には、物象化そのものによって大きな困難を背負うが、特殊日本的には第一に民族植民地問題、第二に、天皇制、第三に部落問題などの困難が重畳される。

だから、ルカーチがいうようにプロレタリアは正しい階級意識を獲得するには「自分自身に対する戦い」すなわち絶えざる「自己批判」が必要なのである。(ゲオルグ、ルカーチ「歴史と階級意識」)堕落した中核派の中には、アジア人民に対する日本人としての反省の意識(血債思想)を攻撃するものもいるが、帝国主義下現代日本プロレタリアの階級意識形成の現実的困難に無頓着というべきである。

天皇が統治権を持たないしその牙は完全に抜かれているから大丈夫だと高をくくってはならない。天皇制を認めることは、現代の階級対立を解消し→天皇を奉戴するブルジョワジーとの城内平和意識に屈服することになる。

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2017年6月25日 (日)

大川村議会

News & Letters/574

超過疎の高知県大川村の議会が村民総会を検討しているという。
ふたつほど意見がある。

一つは、村民総会は議会が成立しづらいから仕方なしに検討する、という考えは
正しいとは思わない。議員のなり手がなくて困ったなどといって嘆く必要はない。
村民総会の開催は民主主義の原点であって、否定的に考えるべきではない。
代議制・議会制度は市町村民の総会、直接民主主義ができ難いから仕方なくとっているに過ぎない。

ヨーロッパの古代の民主主義は奴隷制の問題はあるが、公民の直接民主主義だ。
数万人規模の都市国家ですべての公民が参加して社会を自らあ統制した。
大川村で600人ぐらいの住民ならむしろ議会制度を止めて喜んで直接民主主義を実行すべきだろう。

もう一つ私が言いたいのは、最近大川村だけでなく高知県の各地で議員の立候補者が少ない、無投票選挙が多くなったという嘆きだ。しかし私の経験では、東洋町では澤山町政の終わりごろ(平成23年1月)の町議会選挙では10人程度の定数にその倍の20名ぐらい立候補しひしめき合い激戦となった。

何故か。私の身びいきの考えでは、それは私が絶えず町内に行政がやっている事業についてどんどん報道し町内世論を?き立てる活動をしてきたからだと思っている。

事業について住民説明会を繰り返し、町長の機関誌を発行し、毎日の本ブログに町政について考えを披瀝し、・・・議会では、議員から、どんどん、どんどん新しい事業をやるので議会がついていけない、とか、あまりにも素晴らしい予算案だから、だから賛成できない、とかの発言があり、毎議会、丁々発止の激論を町長と議員が交わしてきた、その結果町民の行政への関心が大いに高まり定数の2倍の立候補者が出現してきたのではなかったか。

だが今、東洋町の最近の選挙では無投票当選であった。死んだような静かな議会では立候補する者も少ないであろう。
給金や人口の過多の問題ではない。

これまでにない新しい事業、町民への情報公開、沸き立つような議会、それを実現すれば議員のなり手に困ることはないだろう。 

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2017年6月24日 (土)

隠す

News & Letters/573
私はいま帰農して毎日熱射のなか山上の畑の開墾に明け暮れている。
主に ささげ と ぶんどう と きしまめ を植え付けている。いづれも昔はこのあたりにもあったが今は作られていない。
 
加計学園事件は森友学園事件を超えて権力の隠ぺい体質・権力の私物化の深刻化を示している。
行政機関が記録を隠すなどというのは、権力の公的存在の自己否定であろう。
中世の封建権力でもそこまではやらない。権力が人民の上に統治者として認められるには、
何人も否定できない客観的な記録(証拠書類)の確認・提示が絶対的に必要だ。
平安時代から、最も著しいのは南北朝時代には記録所(記録荘園券契所)が権力機関の最重要部署であった。
武士たちの所領に関する争いを裁断する上で証拠に基づく裁判が政治状況を左右したのである。
南北朝時代は武士達は領土や恩賞に不満があれば南朝、北朝又は直義方にころころと変わっていった。上に立つ者が証拠に基づかずえこひいき
をすれば子分たちはたちまち敵側に寝返ったのである。
ある程度公正・公平であると見せかけることは封建領主にとっても大事なことであった。
安倍政権では、真実の記録(証拠)を恐れ、隠ぺいに努める。これは権力機関自体が利害に深く関係し権力を私物化して権力の公共性の粉飾をすら
投げ捨てているのである。現体制を保持したいとしている保守派やメディアらは権力が公共性(幻想的)を喪失している事態を大いに危惧し、暴走する安倍を引き下ろさねばなるまい。
日本人民は、新天皇制にまどわされず、権力のあからさまな姿をよく見て階級意識を研ぎ澄まさねばならない。
 
大衆運動団体でも、組織の私物化がある。このような団体がいかに反権力を唱えても結局徒労に終わるであろう。
私が組織の会計報告がないと批判すると、さっそく決算報告書が会誌に掲載された。特定の者に給与のようなものが支払われていた。
しかし問題なのは決算報告だけではない。予算が審議され決議されなくてはならない。決算の承認を求められても後の祭りだからだ。
誰にいくら払い、交通費は誰にどんな場合に支払われるのか審議せず会員の同意なく幹部の者の独断で資金が使われてはならない。
県や市町村の住民訴訟では議会の決議(決議にもいろいろある)の有無、会計処理の手続きの公正さなど厳しく追及する。
予算の提案、審議及び決議のない公金の費消などは問題外であり、公の機関(組織)の私物化として弾劾される。
反体制側の民主主義の欠如は、結局その幹部たちが権力と同じ精神状況にあるのであって、大衆運動の発展を必ず阻害する。
ロシア革命の果てにスターリン主義が発生したのは、革命側にもともとあったスターリン主義が支配的になったからである。

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2017年6月15日 (木)

共謀罪

News & Letters/572


共謀罪の成立によって、戦前型の日本社会、現在の中国や北朝鮮のような社会が到来する、ということだ。

計画や準備の段階で逮捕され処罰される。裁判所が権力の擁壁になっている現代、「計画」、「準備」はどのようにでもでっち上げができる。テロを防止するためだというが、日本人民には、政府に抗議したり反対運動を合法的に遂行することが困難になる。従って人民は、逆にテロや武装闘争をしなければ政治活動ができなくなる。今回の共謀罪法案の可決は→テロ・武装闘争への決定的な後押しとなるだろう。

天皇制の新たな整備(退位法案)によって日本プロレタリアートの階級意識の形成に大きな障害が設けられたが、共謀罪の成立は、その効果を大きく減殺するだろう。

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