2012年5月27日 (日)

公務員の政治活動の規制

News & Letters/299

維新の会橋本市長は、市役所職員の政治活動の規制を条例化しようとしている。
違反者には国家公務員並みの罰則をかけるという。
先の市長選で市役所職員が現職候補を公務中にも応援したという事で頭に来たのであろう。その心情は判らないわけではない。

、感情に駆られて思い立った。事はそう簡単なことではない。
今から6,7年前、私が室戸市長選で戦った折、相手陣営である小松現市長が選挙期間中に、選挙カーを市役所玄関前に乗り付け、立候補のあいさつをやった。それには現職の県会議員も同伴し、それぞれが演説を数十分間やったのである。その間運動員が市役所のロビーに入り込み、演説を聞くよう呼びかけた。かなりの職員がその演説を聞くために職務を離れたという。これは公衆の前で公然とやった行為であり、明らかに公選法違反の行為だった。

私の支援者らがこれを警察に訴えたが、小松らが罰せられたということはなかった。小松は選挙直前まで市役所の幹部職員であり、大勢の市役所職員とその家族は小松を応援したと思われる。逆に私が市役所玄関前に車を横付けして選挙演説したらどうなったであろうか。私自身も悔しい思いをもっている。

しかし、私は、だからと言って市職員ら地方公務員の政治活動の規制は現状でもきついと思っている。

私は、議員や首長のリコール制度で、公務員が、たとえ非常勤の農業委員であっても直接請求の代表者になれない、なっていて収集したリコール署名簿は全て無効であるという50年前の最高裁判決や地方自治法令と対決し、最高裁大法廷においてそれら公務員への政治活動規制を憲法に抵触するとして覆した。

また、リコール署名運動につき、町職員が私は公務員だからと言って署名に応じない口実に公務員の身分を使う事についても、町長の通達として禁じた。
普通の町民と同じように署名に賛成なら署名し、反対なら拒否すれば良い。反対の理由に公務員だという身分をひけらかす必要はない。

要するに、公務員であるがゆえに政治活動はさせないとか、しないとかいう判決や言い分を不当とし、公務員が職務外では堂々と政治活動する自由がある事を闡明した。
それら二様の言い分では何か政治的中立を装うようであるが、けっしてそうではない。
例えば橋本市長は、今度自分が市長選挙に出た時市役所職員らが応援活動をした場合罰するであろうか。目を細めて容認するであろう。容認する理由はいくらでもひねり出せる。

違法行為については、現在の地方自治法でも罰することは可能である。刑事罰だけが罰ではない。違法行為について行政罰、懲戒処分を通じて罰することが出来る。
まして、公職選挙法に照らせば、罰条は十分にある。

現行法令でも、また新しく条例を作っても、問題は、その違法行為について、取り締まり機関が公正に動くかどうかである。特定の優勢な勢力がやることは野放しで、反体制的な者のすることはささないことでも見逃さず、規制を加えて排除する。
さらに、橋本の狙いは、現政権に賛成派は黙って静かにしていればよい。反対派は活動をせざるを得ないから必ず規制にひっかかるという仕掛けだ。

公務員が政治的に先鋭化するのは職務上避けることはできない。公務員も含め国民全体が何らかの形でも常日頃政治的に活性化しなければ、原発や核兵器、戦争や貧困など地球規模の危機的状況を克服することはできない。

むしろ、公務員であることを理由にして公務員が政治的活動を自制したり逃避したりしている傾向が次第に広がっている。無気力が支配的ではないか。教員や公務員らが組合旗をへんぽんとなびかせて原発など大きな政治テーマをめぐって国民大衆の先頭に立って時の政府と対決するというかつての雄姿を復活させるべきときだ。
そういうことのアンチテーゼとして橋本の今度の挑戦がある。

私が町長時代には、規制を加えるどころか、行政の職務としても政治活動に参加すべきだという考えで、職員を反原発集会に町有のバスを1台出して繰り出したり、また、東京の南京大虐殺の記念集会に職員を研修名目で参加させたりもした。

人権や環境をまもり国民の生活を守るための正しい政治活動は、行政も国民も区別なく
やらなくてはならない。これら政治的行為を批判する者があれば、地方自治の法令や先例を見てみればいくらでも抗弁の弁術は出てくるのである。

原発の見学に行くのでも公費を使う地方自治体はいくらでもある。原発の危険性を訴える集会へ職員を参加させる理由などいくらでもある。どちらも政治的行為だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年5月22日 (火)

原稿再開

News & Letters/298

しばらく、パソコンの不具合などで投稿することをやめていましたが、再開します。
現在リボルト社の責任者として、激務に耐えている所です。

朝は6時前に起床し、大小六つの薪の釜に火をつけ、飯、煮汁、湯、豆やジャガイモ、赤飯蒸しなどをやりながら、客室のシーツ等の洗濯を全部こなし、客室のメイクを手伝いフロント係を務め、その他一切の雑務を処理する。

夜寝るのは深夜12時過ぎとなる。24時間住み込みだ。私が寝るベッドは事務室の長椅子である。風呂どころかシャワーでさえ浴びる時間が滅多にない。

私はこの労働をしながらよく思うのは、死んだ母のことである。母は丹波篠山の旅館や信貴山の旅館などで住み込みで働き、田の稲が実る頃私ら子供のところに帰ってくる、そのような繰り返しで十年以上も過ごしてきた。

旅館の近くの谷川の水で山のような汚れものの洗濯をしていたという。昭和30年代だから当時は洗濯機もなかったであろう。谷川の水はいかに冷たかったか、察するに余りある。私は、これまで家でも全く従事してこなかった洗濯や炊事、掃除をしながら、今になって親の恩、女の人の苦労をしみじみと感じる。

わたしは、ここで新たな心で精神と肉体を鍛え、山のような汚れものをものともせず、生きていく。世の汚れものの洗濯もやはり清らかな水が必要だ。その水は自らの手が切れるほど冷たく清冽でなければならない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年4月 9日 (月)

4月13日公判のご案内&行政訴訟への原告参加のお礼

1月20日の第5回公判からあっという間の三か月でした。

今回は「玄海原発全炉停止」の初公判でもあります。

日本中の原発がすべて止まる秒読みの中、国は再稼働をごり押しに進めています。私達は原発をこの世からなくすために集中してきました。これからも集中していきましょう。

さて、再稼働阻止のため行政訴訟を準備しています。多くの方々の賛同があり、当初2
月末には提訴の予定でしたが、一番効果的に提訴しようと現在にずれ込み、今日に至っていることご了解をお願いします。なお、提訴日決定次第ご連絡を申し上げます。もう少々お待ちください。

- 記 -

■場所:佐賀地方裁判所(0952-23-3161)

■ 日 :2012年4月13日(金)
□午後0時から佐賀玉屋前でチラシ宣伝活動

■午後2時 第6回MOX燃料使用差止公判
※1時から傍聴整理券配布

■午後2時半第4回2・3号機再稼働差止仮処分審尋
※審尋は原告団長、事務局長数人のみ入廷

■午後3時半 第1回1-4号機運転差止公判
※2時半より傍聴整理券配布

□公判終了後アイスクエアビル5階大会議室にて記者会見及び公判報告会を開催し

ます。公判報告のみならず行政訴訟の進捗状況の報告もあります。

アイスクエアビル(佐賀駅徒歩2分): 0952-40-2002

□傍聴希望の方は整理券配布の1時間以上前にお集まりください。

※不明な点は事務局までご連絡ください。

* *

玄海原発プルサーマル裁判の会
〒840-0844佐賀市伊勢町2-14

電話:0952-37-9212  Fax:37-9213

mail:saiban.jimukyoku@gmail.com、http://saga-genkai.jimdo.com/

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年4月 7日 (土)

公務員の政治活動について

News & Letters/297

維新の会の橋下が公務員の政治活動について規制を加えようとしている。
要するに、公務員はその所属する行政機関の長の意思に従え、独自の政治活動は許さず、その首長の政治活動をやれ、ということだ。

現代日本の法令では、公務員は「中立」で偏った政治活動してはならないことになっていて、さまざまな制約が設けられている。公職選挙法がその最たるものだ。

しかし、第1に、実際上中立を装うもので中立あったためしはないし、中立を要求する者はそのことによって相手の無力化・無害化をもたらそうとするのであって決して公平を要求しているのではない。およそこの世の天地で天にも属さず地にも属さない中途半端な存在はあり得ない。

橋下が大阪市の公務員に中立を迫るのは、橋下に全ての公務員労働者が屈服せよと言うのと同義なのである。橋下の公務員中立化政策は、事の性質上決して成功しない。やればやるほど公務員は非中立・非橋下になって行くだろう。

だから、公務員の政治活動の規制は、実際上効果はない。公務員はそれ自体政治的存在であり、その公務は政治性を帯びている。
問題は政治活動かどうかではなく、その政治活動の中身なのである。

誰を首長に選ぶべきか、とか、原発に賛成か反対かなど公務員としてはその業務遂行上極めて密接なことがらについて中立であっていいはずがないし、それは抑えがたい。

私らが平成20年東洋町議田島きさお議員のリコール請求の直接請求のなかで、公務員はリコール請求代表になれない、もしなっていたら集めた署名簿が全て無効となる、という50年前の最高裁判例にぶつかった。

しかし、この判例をよく検討すると、現行地方自治法及びその施行令の規定をふみはずすものであり、そもそも地方自治法では規制がないのにその施行令で規制しているのは違憲であり、本来公務員にも直接請求の代表となる権利を与えるべきだ、という事で一昨年の最高裁大法廷で私らの主張が支持された。政治性の高い公務員を無害化するため中立という政治的規制は全て取り壊す必要がある。

公務員は如何なる規制があろうとも陰に陽に政治活動をしており止めることはできない。むしろ労働組合総体では、一般職員や教職員など公務員こそ政治活動の主導者であることは当然であって、今となっては誰もこれを止めることはできない。

職場でも業務中でも、業務そのものが政治性をもっているのだから、休暇中と区別はつかない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年4月 4日 (水)

東洋町職員措置請求書(住民監査請求)

News & Letters/296

東洋町職員措置請求書(住民監査請求)
東洋町監査委員殿
                 
                                      平成24年3月  日
                   高知県安芸郡東洋町

                                         大字河内1081番地1

                         澤山保太郎

【請求の趣旨】

東洋町が平成23年11月17日に野根漁業協同組合に貸付決定をし、その直後に同組合に貸し付けた1千万円の支出については、違法な支出であると考えるので、貸し付けた1千万円は貸付けに関与した関係職員が連帯して町に弁済することを求める。

【理由】

1、本件貸し付けについての東洋町の関係文書によると、野根漁業協同組合は、平成23年11月8日に東洋町長松延宏幸に災害対策だとして1千万円の借入申請を行った。平成23年7月に発生した台風6号で野根漁協の定置網らが被災したことは事実である。

同申請書添付の書類では、「被害漁業者の早期復旧と再生産及び経営の安定を図るため」を目的とし、具体的には、「全損、流出した漁具の再生資金」としてワイヤーやロープ、浮子、金具、土俵袋などを購入するということであった。

しかし、実際には、同漁業組合がこれらの資材を購入した事実はない。

2、実際には、この一千万円の借入金は、野根漁業協同組合が所属する1特定漁家に又貸しをしたということである。又貸しをした特定漁家が、何をいくらで買ったのかの資料は、開示されていないから、その資料は存在しない可能性が強い。

また、野根漁業協同組合は、この事案の前に定款を変更したようであるが、同組合が組合員らに貸し借りを行う信用事業を開始するうえにおいて、しかるべき手続きをなし、金融当局の認可を受けているという様子ではない。

3、以上のとおり、本件貸し付けは、組合に対し1千万円の貸付は事実であるが、実際には又貸し資金に使用というものであり、その資料は何もなく、借り受けた組合の漁具の購入費用という虚偽の使用目的となっている。 

その上実際の又貸しについても組合に無認可で信用事業をやらせるという無法なものとなっていて、公金の支出としては何らの正当性がない。

4、さらに、この貸付金には返済を担保するものは何も設定されていず、保証人すらもついていない。

「確約書」なるものがあるが、この文面でも、償還が滞納した場合に東洋町が各理事に法的措置を取るというだけで本件貸付金を回収する手立ては講じられていない。同「確約書」には、貸付金の償還が滞納した場合には、「組合に対し一切の支援策等を実施しないことを承諾」するという約束をさせているが、これは、人道に反する約束(漁民に対する行政施策を放棄する)を担保にするもので、違法を超えて非道というべきである。

添付資料:

 1、申請書
 2、事業計画
 3、償還計画書
 4、確約書
 5、組合理事会議事録
 6、借用書
 7、決定通知書
 8、貸付金請求書
 9、東洋町漁業災害対策貸付規則

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月26日 (月)

橋下維新の核武装への論理

News & Letters/295


先に私は、橋下の「船中八策」が日本の核武装路線を基底に持っていると指摘した。
橋下の最近の3月22日のツイートはそのことを立証した。それによると、次のような文章が載っていた。

「原子力の技術を保持しておく安全保障上の理由についてはこれは電力供給の話とは別次元ですから完全なる国策であり、電力供給問題とは混同してはいけないと思います。」

「安全保障上の理由」とは核武装のことである。安全保障上原子力の技術を保持しておくというのは、核兵器製造の技術を保持しておくということであって、電力供給のための原子力発電はだめだが、核武装のための原子力技術、とりわけ使用済み核燃料から取りだすプルトニウム精製の技術、そのための高速増殖炉や核の貯蔵施設、高レベル放射性廃棄物の処理施設は必要だというのである。

これまでの原発推進派が原子力の平和利用という名で隠れて核武装の材料と技術を保有してきたが、橋下は、そのようなまどろっこしいことではなく、国策として安全保障、核武装を公然と掲げて原子力を利用するという考えなのである。

この考えは、さきにこのブロッグで明らかにしたわが高知県の中谷元や山本有二らと同じであり、極右の幸福の科学とかとも共通の亡国国防論なのである。

ただ、橋下が、原発を廃止しようという動きをしているのは、それはそれでわるいことではない。彼は自己が核武装国家として日本を「自立」させようという政治活動をする中で、どうしても権力を奪取するためには一旦は脱原発の大衆の気運に迎合する必要があるという事でそうしているに過ぎない。

我々の立場からは、それは理性の狡知として評価はすべきであろうが、しかしその狡知は理性の大道に収容し解毒してから咀嚼するべきものであって、それ自体が善であるわけではない。

橋下が、悪をなさんとして善をなす、というものだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月15日 (木)

出資金返還

News & Letters/294

高知新聞の報道(3月10日朝刊)によると、東洋町議会は、9日、「出資金返還要請を決議」したとのことである。町が4年前に立ち上げたリ・ボルト社に出資した500万円は用が済んだので返せということだ。東洋町はリ・ボルト社200株のうち、1株10万円の株を50株保有している。

この発議した議員は、例の架空の住所をでっちあげ町外から立候補して当選した西岡議員であった。

一体この様な非常識な決議がどうして公的機関でまかり通るのであろうか。
地方新聞とはいえ高知新聞も、この様な決議がおかしいという事がわからないのであろうか。知的レベルが疑われる。

法律では出資者への出資金の返還は出来ないことになっている。これは商法(会社法)では常識だ。そんなことが許されるのなら会社の存立する信用が崩壊し株式制度も崩壊するであろう。それであれば、都合が悪くなれば株主は、いつでも元の出資金をひきあげることができるということになる。株主に許されるのはその持ち株を他人か会社に譲渡する以外にない。

株式というのは、いわば会社に対する株主の一定限度の所有権である。
例えば、金を出して購入した土地が4年後にもう使用済みだからと言って、元の地主に金を返せ、といえるであろうか。

それは、元の地主との間で土地の再売買の商談をするべきことであって、支払った金を返せという話ではない。松延町長もこの馬鹿げた議会の決議を「重く受け止める」という。

西岡議員ー松延町長ー高知新聞真崎記者のこのトリオのリ・ボルト社攻撃はかくも無茶苦茶であり、ほとんど正気を失った行為というべきであろう。
議会がこの様な無法行為をする場合には、本来なら、町執行部はそれに異議を申し立て、是正させなければならない。

たとえば、飲酒運転をさせろ、とか売春をさせろとか、してはならないことを議会が決議して、町執行部がそれを「重く受け止める」という、こんな話があっていいであろうか。新聞がそれを何の批判もなしに報道するであろうか。

この報道は、商法に疎い読者たちを惑乱させ、リ・ボルト社への信用をかく乱するというのがその狙いであろう。

出資金の返還要請という非常識な決議は町議会の権威を失墜させ議会を世間の笑いものにする愚行である。直ちに町民に謝罪し、決議を撤回すべきである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月12日 (月)

維新の会の危険な傾向

News & Letters/293

維新の会の橋下は、脱原発の動きを見せ、関西電力には一つの脅威となっているようである。しかし、反原発の住民投票については否定的意見を添付するなど、果たして本音は奈辺にあるのか、不明である。

関西を脱原発の方向に転化させるのはあるいはそうなるかもしれない。しかし、核兵器については、また別の考えがある可能性がある。

船中八策の中にある二つのポイント。

一つは、憲法9条の否定であり、もうひとつは自立した国家の建設論である。

1、憲法9条の否定は国際紛争における戦争の肯定とそのための武装の肯定である。
 そして現代の戦争において武装とは核武装のことである。
  中国、北朝鮮、そしてロシアの核に対抗する又は抑止力を示すには、核武装しかないと考えるだろう。パワーポリティックスの論理を取れば必然的に核武装である。

2、自立した国家を言う。橋下としては、アメリカ帝国主義の核の傘をのけなければ自立した国とはいえない。したがって橋下らは、必然的に日本の核武装を言いだすで あろ う。
  
核武装は、今や橋下の喉のびきにまで出かかっているが、ただ今ポピュリストの橋下には出すべきときではない、と様子をうかがう。

そして、核武装を唱える輩は、必然的に原発や高速増殖炉の維持の方向に向かわざる得ない。だから、橋下が、脱原発から脱線し出す日もそんなに遠くはないのではないか。

このポピュリストは大方の意表を突き、度肝を抜くことを面白がりそれで点数を稼ぐという性向をもっている。その方向性は悪魔の極殿に向かっており、破滅的である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

断罪

News & Letters/292

福島原発の大事故の後に、誰一人として罪に問われないのか。
そんな声が聞こえない。
天罰ではなく、日本の刑法に基づいて、この大罪をもたらした者どもに、
正当な誅罰が加えられねばなるまい。

①東京電力の関係者、原子力産業団体の役員

②国の関係者、国政の政治家

③ 学者先生、報道関係者

④地方自治体の首長及び議員達 

⑤電力関係の労組指導部

・・・・・。①~④・・・これらには罪の軽重はない、皆同罪である。

これらの徒輩は、死刑を含む重罪が課せられる必要がある。

放射能の噴煙を吐く福島原発のその猛毒の煙は、これら徒輩の腐った腹わたで醸成されその口から出る煙であり、これらを断罪しない限り、福島原発からの放射能は絶やすことはできない。国民からの嵐のような粛清がない今、彼らは、これからも高給をはみ枕を高くして寝そべっていられる。

ロッキード事件、サリン事件は言うはおろか、万引きや飲酒運転から、どんな些細な犯罪にもそれぞれ刑罰が科せられる。人類史を奈落に沈めた福島原発事故には、ただの1人の捕縛もないのはどうしてだ。

一般的な責任の追及ではなく、厳正な刑責が問われねばならない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月10日 (土)

3・11一周忌

News & Letters/291

3月11日がやってきた。巨大地震と大津波の犠牲、それに原発事故。
自然災害の結果であるが、それに備えなかった人間の敗北でもある。

とりわけ原発事故については、われわれ日本人の、というより人類の歴史的敗北である。
地震や津波の災害からは再起は可能である。だが、原発事故からはそうはいかない。

1年前のこの日の福島原発の事故から、人類史のその前史は終わった。おそらく終末に向かって敗残の歴史が急速度に展開するだろう。昔歴史学の学生時分に終末論というものを習ったが、それが本当のことだとは思いもしなかった。

人類は原子力をエネルギーや武器として使用することを選択し始めてから、その終末論を準備していた。去年の3月11日までは、そのことを自覚できなかった。その日から誰もが自覚的にか無意識的にか、人類の終わりを感ぜざるを得ない状況になってきた。
私は、だからもうどうなってもいい、という自暴自棄を勧めている訳ではない。

我々はこの半世紀の栄耀栄華のために、制御不能な猛毒発生器・原発や核兵器でこの地上を放射能だらけにし、自分自身が平穏に生きることが出来ない世界にしてしまう、この終末論を準備して来て、去年からそれを発動し始めたのである。

この認識の上にたって、なお我々は平家の落人のように、いかに美しく生を全うするかという事に専念しなければならない。

だれもこれまでのようにこの地上での幸福論や繁栄論を主張することはできない。
盛者必衰の祇園精舎の鐘の音を聞きながら、自ら招いた非業を観念し懺悔しながら、せめて余生を静かに清らかに生きなければならない。

浜に降りて流木を拾え、山に入って薪木を刈れ、それで風呂を焚き飯を炊け、どんな些細な試みでもいい、これ以上地球を汚染しない実践を積み重ねよ。

核を推進するぺてん師を見たら、つばを吐きかけろ、その声を聞いたら耳を漱げ、一枚のビラでもよい放射能の危険性を訴える資料をバラまけ、どのような選挙でも核を推進しようとする者、核にあいまいな態度を取る者に一票たりとも投票するな。・・・・・
これらの天からの声を実践し、せめての償いをしようではないか。

我々の周辺に目をやってみよ。
高知県選出の国会議員、自民党の中谷元と山本有二は、根っからの原発推進勢力である。彼ら二人は、1993年以来現在に至るまで、「社団法人 原子燃料政策研究会」(The Council for Nucler Fuel Cycle)の理事を務めてきた。

その団体の主な活動目的は、原子燃料のリサイクル、特に使用済み核燃料からのプルトニウムのリサイクルであって、その恐るべき機関誌の名前もずばり「Plutonium」という。福島原発3・11の後もなお一層その活動は強化されている。

この団体の活動目的がMOX燃料のプルサーマル原発の推進、FBR(高速増殖炉)の迅速な実用化などとともに「高レベル放射性廃棄物地層処分の技術的安全性」の理解を促進しその建設推進である。

平成18年から19年に起こった東洋町や東津野村への高レベル放射性廃棄物埋設施設の導入の騒動の折にも、二人はこの社団法人の幹部を務めていた。

高知県民は、福島原発の悲劇のあとでもなお公然とプルトニウムの活用を主張するこの二人の国会議員の原発推進活動を許してはならないし、そもそも国会議員への再選を許すべきではない。

二人の自民党議員は直ちにこの社団法人から身を引くことを求める。
選挙の折、彼ら二人は、少しもこの原発推進活動を県民に知らせていない。
東洋町の町長や議長が中谷元の選挙支援をすることは、町の条例に反する。

この社団法人「原子燃料政策研究会」は核不拡散、核兵器廃絶、日本の核武装には反対だという。しかし、その真意は、「原子燃料サイクル技術を保有」することによる中国、朝鮮、ロシアなど近隣諸国への「核抑止力」(2011年「Plutonium」NO.75 6頁)を発現することだと主張している。

すなわちプルトニウムを保有しいつでもこれを核兵器にすることができるぞという技術を顕示することで日本の「防衛上のセキューリティを高める要素」(「Plutonium」2012年NO.76 1頁)だというのであるから、れっきとした核武装推進勢力なのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月 9日 (金)

独断専行の「新・町政」の問題点

News & Letters/290

風邪をひいて3日間も寝てしまい体力を消耗しました。やっとパソコンの前に座っています。

最近の高知新聞で、突如として沢山町政の福祉無料施策の大半が全廃されたという記事が出ました。東洋町執行部が3月議会への議案でわかったことだ。

福祉無料施策が実行されていたという記事はこれまで全く出ていなかったから読者は初めて、沢山町政4年間で、教材費無料から給食費無料や医療費無料、米の配給実施等たくさんな福祉無料政策が実施されていたという事実を知らされたわけだ。

一つ一つの福祉無料の事業の開始や実施が報道されず、ばらまきだとかいうさんざんな悪口雑言を書き連ねそれで選挙キャンペーンまでやった新聞の「脱沢山」の総仕上げが無料施策の全廃報道だ。ざま見ろと言いたいのであろうか。

しかし、県民はバカではない。新聞を拾い読みすれば「全廃」された施策の一部でも何であったかがわかるから、澤山町政の本当の姿勢がわかったであろう。
新町政は、過去一年間は澤山が組んだ23年度予算を実行してきた。

だが、24年度は新町政の作成した予算だ。それは、福祉や教育予算をぶち切っただけではない、あれだけ澤山が力を入れてきた失業対策も
ほとんど切ってしまった。
漁業や農業への施策も見るべきものは一つもない。
そして、光ファイバーに14億円を投入するという事で大幅な借金財政に急旋回を開始した。澤山は4年間かけて10億円ほど借金を減額し健全財政を堅持して来たが、新町政はたった1年で10億円の借金を積み上げた。

新聞が拾い上げた一つの積極施策は、澤山が凍結したというサーファーへの助成金を200万円差し出したという話だ。ほとんどが県外であるサーファーへのサービスには熱い思いをかけ、町内のお年寄りや子供たちへのサービスは打ち切る、確かにこれは斬新な行政の在り方だ。福祉打ちきりでは大阪の橋下に似ている。

澤山も最初は徳島方面のサーファーに助成金を出していた。しかし、実績報告書を挙げてこなかった。ほとんどの補助金は徳島方面で使われていた。
澤山は、補助金を出す条件として町内での宿泊と弁当も町内仕出し屋利用を出したが、にべもなく断られた。だから、その条件が満たされない限り助成金は出せないと言明したのだ。

観光協議会とかにも400万円の補助金を出すという。澤山町政では観光協会に30万円出したが、何もすることもなく年々そのほとんどが残っていた。

県の観光振興課では、東洋町の観光拠点施設として海の駅とホワイトビーチホテルを挙げている。いずれも私が経営している施設であって、新町政や議会が口をきわめて非難攻撃をしている施設だ。

しかし、東洋町の観光施設は生見海岸の民宿街と白浜のホテルと海の駅が主力であることは誰でも知っている。中でも、年間10数万人ものお客が来る白浜海岸が東洋町の観光の拠点であることは県の統計でも明らかだ。その海の駅やホテルを除外して何の観光というのであろうか。

リボルト社や沢山町政へのヒステリックな攻撃の現実は、「町内融和」と地元出身を二枚看板にして当選した新町政と大きく矛盾するものであり、その新町政は、独断専行型の町政を敷いて町民を犠牲にした財政破たんの道を歩んでいくであろう。冷酷な福祉打ち切りを実行する現実を前に、新町政に期待した多くの町民が離反することはすでに見えている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月 1日 (木)

維新の教育思想(その2)

News & Letters/289

橋下は、教員が組合の政治方針を教育現場に持ち込んでいるではないか、教員は選挙の洗礼は受けていない、選挙で選ばれた首長が教育内容を決めるのは当然だ、と叫んでいる。しかし、
「組合の方針」というのは、それは教員たちの政治思想の結晶であり、倫理観である。持ち込んでいるのではなく、自らの精神を発現しているのである。

政治家は教育のあるべき姿を主張したり宣伝することは当然自由だ。しかし、政治家は教育者ではない。

教育の世界は思想と学問の世界だ。政治家の活動世界も思想(理念)が重要だが、理想通りにはいかず、現実の利害関係に拘束される。権力に関係しない全くの批判勢力の場合は比較的理想に合った主張や行動が現出されるが、権力にかかわる政治家の場合には、その言うところは利害関係の色合いが濃厚となる。時には虚偽の宣伝をし策謀、欺瞞がまかり通る。情勢が変われば転々とその主張を変えるし、その徒党は離合集散し、その政策的主張が180度変わっても平然としている。

そんなものが青少年の教育にふさわしくないことは言うまでもない。
政治家が教育者でありうるのは、その所属する政治団体、政党内部だけだ。
そこでの教育内容はおぞましい権謀術数の手練手管だ。

要するに政治家の世界は結果倫理であり、教育のそれは目的倫理なのである。
野球部は試合に勝ちさえすれば何をやってもいいというわけにはいかない。
負けても身につけるものを得なければならない。教育の世界は目的に達するまでの道程や動機が大事であり、結果だけ良ければいいのではない。

政治(戦争も含む)は、たとえ狡猾でダーティな動機で、卑劣な手段を使っても、政治目的が達成されればそれでいいのである。
動機が純粋でいくら善であっても、国民の福祉や災害対策などに無力であれば政治の世界では評価されない。

私の言うのは、政治の世界では動機は不純でも構わないと言っているのではない。
理想を高く掲げ動機も手段も清純でなければならないことは言うまでもない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年2月29日 (水)

維新の教育思想

News & Letters/288

橋下維新の会の教育思想は、その内容や手法において恐るべきだ。
内容的には、極右・反人権であり、手法は弾圧的権力の行使である。
やっこさんは、憲法九条を改悪し、アメリカ帝国主義の下で日本を軍事強国化する。
原発に反対するようだが、核兵器保有には身を乗り出すだろう。

労働者の団結権、政治的活動の自由を奪い、貧窮者の生活保護を切ってしまう。
そして、TPPに賛同しブルジョワジーのお先棒を担ぐ。

原発には反対の様だが、原発住民投票条例には反対だ。現行の議会や教育委員会制度を段々に破壊し、翼賛的議会のみを承認する。
この様な内容を教育の世界に持ち込むために、公務員制度と現行の教育体制に切り込んでくる。
教育の世界にストレートに権力の顔をむき出しこれをコントロールしようとする。

何度も言うが、首長も教育委員も、教育の内容に関与してはならない。

現在の法や制度では、首長や教育委員が出来ることは、教育条件の整備である。

その主なものは、①学校や公民館の施設を建設・維持すること、②教員や教育専門職を雇用しその生活と活動を支える財政を構えること、③教科書など教材や給食や制服など児童生徒らが通学し勉学に勤しむ材料を整えること。④私学や産業、地域での教育活動を財政的に支えること、などであろう。

これらのことが首長や教委のおもな仕事だ。これらの事業を通じて首長や教委は間接的に教育に自己の影響力を行使するのである。

世の中には、教育の場はいくつかある。学校教育、塾・各種学校、家庭、地域、職場、
各種団体だ。学校は先生であり家庭は親、それぞれの世界で、教育するものは決まっている。職場はもとより、各家庭での親の教育に関与できないと同じように、権力は学校や公民館の教育内容に直接関与してはならない。

学校での教育内容は、教員の担当である。教員が個人であれ団体であれ、教育を担当する。教員も一定の倫理観をもち、政治思想をもって政治活動をもする。教育は中立であるとはいえ、正しい政治教育をすることは義務付けられている。何が正しいかは、憲法の趣旨に照らし又本人の良心に基づいて判断されねばならない。

教員から教育の自由を奪うことはできない。その教育に彼らの道徳観や政治思想が出てくるのは仕方がないことだ。また、そうでなくては教育にならない。教育は、どのような知識や技術を教えても、それ自体に思想が入っている。原子力を教える場合に、原子力を肯定するか否定するかの思想は避けられない。

松下村塾の松陰先生に時の幕府に対する批判をやめよということは、松陰から教育事業を取り上げるのと同じだ。生徒や門弟は、その先生の思想を慕って集まって来る。

教員は大学で教育を受け、地方自治体の採用試験を受ける。教員の思想を左右したり関与したりできるのはその二つの場面だけだ。採用試験の場で、首長や教委は、論文などを書かせて、応募者の思想的傾向を把握できる。採否の決定には一定のルールがあるがある程度は、選考する側の裁量の部分がある。

私の経験では、ある年の採用試験で、小論文の選択的課題に南京事件を入れておいた。それをテーマに選んだ青年が、南京虐殺の史実を否定する論文を書いていた。

私は不快であった。論旨がはっきりしていなかった。他の試験委員はどう採点したか分からないが、私はかなり低い評点を出した。結局その青年は学科試験などが良好な成績であり、論文に配された点数はさほど多くなかったので、合格となった。このようにある限定された範囲内で採用者の思想的傾向が試験の評点に影響し、又受験者も、採用者の思想的傾向に迎合するような小論文を書くという場合もあるのである。

採否の決定に採用者の思想的傾向がある程度関与するのは避けられないだろう。しかし、私の経験でも、その影響は最小限でなければならない。小論文に決定的な評点を割いてはならないのだ。採否の評価において、思想性に大きな点数を割けば、権力者の考えが絶対正しいという姿勢となり、精神の自由が侵される。

最高学府である大学の教育では、もはや、学問の自由はだれも侵すことはできないから、権力者が、教員志望者の思想を左右することは困難である。そこで培った教養や専門知識・技能を学校などの現場で、既成の価値観をもって拘束しようとすることは、人権にかかわる事態となりそればかりか人類社会のためにならない。

教育者は次世代の人間を育てるのであって閉塞した現実の時代を切り開く人材にかかわるのであるから、現実世界の利害に制約された政治家や権力者の言うままになっては、その使命を果たせないのである。

教員は独立不羈であり日本国憲法に従うということと本人の良心とその研鑽した学問による以外何物にも束縛されてはならない。本人の良心の世界にその教員の世界観が入って来る。どんなに弾圧しても、真の教育者から思想や良心をはく奪することは出来ない。政治思想を含む思想のない教師からは立派な生徒は生まれない。

もし、橋下が己の思う教育をやりたいなら、一教員として教壇に立つことだ。自ら実践して己の教育が正しいかどうか見せるべきだ。
選挙で選ばれたからといって、教育を自由にしていいという権限まで与えられたわけではない。

但し、橋下が批判する現行の教委の有り様は極めて無責任体制だ。
教育委員は教育行政の執行官であるが、今の現状は諮問委員程度で教委事務局のイエスマン的存在である。

私は教育環境の整備については、教委や学校現場を超えてどんどんやってきた。
鉛筆から消しゴム、ノート、学級費やPTA会費に至るまで義務教育費を無償化する財政措置も取った。学校給食も100%実施し無料化した。中学3年生まで医療費も無償にし、保育園から高校生まで毎月米の配給もやった。

プラネタリウムや高性能の天体望遠鏡まで予算措置をしたが、議会の反対で実現しなかった。・・・・・。越境入学の惨状については厳しく対処した。

教育委員会や首長は、もっとこの様な教育条件の整備に力を注ぐべきだ。
不満は大いにあっても、しかし、教育の内容には一切関与はしてはならない。
ガサツな政治家が教育の世界を荒らし出せば、それは亡国の予兆である。
政治家自身が学問思弁の師を探し、常に教育を受けねばならない存在だ。

橋下は、教員が組合の政治方針を教育現場に持ち込んでいるではないか、選挙で選ばれた首長が教育内容を決めるのは当然だという。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2012年2月19日 (日)

大坂維新の会の橋下市長の市役所労組攻撃

News & Letters/287

先の市長選挙で大阪市の職員組合が現職市長である相手候補を応援した、市役所の職場を使って選挙運動をした、という事を激しく攻撃し、挙句には市職員の政治活動のアンケート調査までやりだした。労働組合の政治活動に敵対した感じだ。

確かに大阪市の職員組合に問題があった。民間企業ならともかく、公の機関を拠点にして特定候補の支持活動することは明らかに公選法違反であり、権力執行機関の選挙運動はもっとも忌むべきことだ。それは民主主義の根幹を揺るがす。北朝鮮や中国などと同じであり、票のすり替えや今回のロシアのように二重、三重投票ですらやりかねない。

かつて室戸市長選でも選挙カーごと候補者ら運動員が市役所の敷地内に入り込み、正面玄関前に陣取って演説したり、運動員が庁内に入って呼びかけをするなど選挙運動を展開したことがあった。その候補者は選挙直前まで市役所の幹部だった男だ。

それを告発したが、警察はお咎めなしであった。
市町村の職員は、労働者であると同時に権力執行を担う公務員である。その職場では自ずと政治活動に制限が出てくる。沖縄の防衛省の幹部が選挙について部下に説示したように、仮に中立的な発言であっても、権力をもつ者の発言には、言外にその意を汲めという示唆がにじみ出てくる。

橋下はこれを衝いた。職員組合の腐敗を剔けつした。失業と低賃金にあえぐ大阪の労働者や市民達に比べ、安定した身分と高給の待遇が保障された・・・一種の労働貴族と対決するという姿勢を取って、大きな得点を稼ぎつつある。

さらに、その組合の背後にある連合は原発推進の大きな原動力の一つであって、日本列島放射能汚染、それどころかアジア諸国へも原発輸出(原発侵略)に踏み出す、その母体となる労働貴族に対して、橋下は脱原発の方向性を掲げて、この点でも労組の腐敗と対決する構図となる。大阪市長選では、現職は橋下に対峙して原発に反対する劇的なアッピールが出来なかった。関電ら原発推進派に応援されたのでは、大衆の支持は期待できないだろう。関電を敵にし、労組を敵にした橋下が勝利したのはごく自然であろう。

だが、橋下の狙いは、労組の腐敗をただすということではない。目的は労組をやり玉に挙げて人気を博することであって、そのための口実として、職員組合の腐敗追及がある。
例えば大阪市役所の職員組合が後援会名簿集めなどをして橋下を熱狂的に支援していたとしたら、橋下は、これほどまでに組合を攻撃はしなかったであろう。政治活動は自由だとか言って組合を大いに擁護したであろう。

原発を橋下がやめようとしているのは、それ自体大変いいことである。それも大衆に迎合しなければ権力奪取の野望が実現できないからであり、権力を取った場合に脱原発の方針を貫くかどうかわからないだろう。脱原発の観点から、勢いに乗る橋下維新の会の力で、その野望を達成する方便としての脱原発であっても、これを遂行させられるかどうか、国民大衆の動向にかかっているだろう。
原発を止めるのであれば、橋下が止めるというのでもい
いだろう。選択肢がそれしかなければそれもやむを得ない。だが、橋下の力を借りずに、原発を止めなければならない。

だから、日本人民には二つの道がある。

①破綻調の橋下で原発を止めるか、それとも②国民独自の力で原発を止めるか、だ。
①の場合でも国民が油断をしていると橋下は脱原発路線から脱線するだろう。

労組員がたとえ労働貴族化し腐敗したとしても、政治活動を含む労働運動自体を権力が抑圧してはならない。労働者を主体にしなければ現代社会は支える者はいない。

大衆運動は大衆自身の力でしか浄化できない。大衆運動、大衆が腐敗すれば、その役場なり会社なり、さらには国は滅ぶ以外にない。福島原発事故に至る日本の原発史は、日本の大衆自身が許し齎したものであって、労働運動の腐敗の結果に外ならない。
橋下は普通の保守反動ではない。反体制側の腐敗を衝いて勢力を伸ばしてくる。

橋下と対決するには、厳しく自己を浄化し人類に課せられた課題を迅速に実現する戦いと働きをしなければ、勝利はおぼつかない。百の会議をし実行は一つ、では勝てない。一の会議で十の実践をしなければ再度の会議をかけるべきではない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年2月14日 (火)

大阪府の学区制自由化

News & Letters/286

橋下維新の会は大阪府の高校の学区制を廃止する、とのことである。
これは子供たちの選択の自由をひろめる、ということで歓迎する向きもある。
しかし、維新の会は義務教育や高等学校で学区制が布かれた意義が全く分かっていない。私の町東洋町も学区制が相当崩れていた。いわゆる越境入学だ。

越境入学で東洋町にある二つの中学校の一つ(野根中学校)が消滅しかかっていた。
役場の職員でさえ子弟を越境入学させていたのだ。

越境先の中学校の運動会では、部落対抗リレーのとき、越境組の地区が優勝するなど
喜んでほめてやるべきか、それとも悲しむべきか、困惑したものだ。
私は越境入学に厳しく対処した。

学区制の崩壊は単にその地域の学校の存亡の問題だけではない。
それは明治初年の学制がしかれた時の歴史的事情にさかのぼる。

学区制によって、サムライだった家の子も商人の子も百姓の子も、そして旧被差別民の子供たちも、みんな一緒の教室、同じ机に座らされた。学区制は、身分や貧富によって学校が違うという前近代の制度を粉みじんに砕いた。教室の中だけは身分制度は廃止された。金持ちの子も貧乏人の子もみんな仲良く学び遊ばなければならない。それは単に学科の勉強だけではなく、教室が一個の現実社会を投影して、それを学ぶ場でもあった。金持ちの子や官吏の子が貧乏人の子供とも交流しお互いに理解し合うことになった。

そして、学問に王道なし、という言葉が毎日の教室にさらけ出された。貴族の子や金もちの子よりも貧乏人の子の方が学力が勝り体育も勝るという事態が遠慮なく実現された。
学校を一歩出れば旧身分差別を含む激しい階級差別の嵐が吹きまくっていたが、学校の子供の世界だけは、楽しい清風が吹いていた。

そこは雅に福沢諭吉の「学問のすすめ」の世界で、上下さまざまな身分や職業の子弟が集まり、彼ら自身はそれぞれ階級社会の出身と宿命を負いながらも、努力するものが称揚されるという自由平等の世界であった。この学区制は今も続いている。
学区制では、貧乏人を嫌い金持ちは金持ちの学校に、貧乏人は貧乏人の学校という事が許されない。

学区制を廃止するという事はとりもなおさず、学校を前近代の階級別教育機関に復旧させることである。そして、上流階級の子弟は、貧乏人の友達を失い、貧乏人の生活や感情について何も知らずに社会に出、権力を握り・・・・、ひどい階級社会や国家を形成する。橋下維新の会には、そのようなことは何も分からず、しゃにむに歴史への反動に挑んでいく。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«橋下徹のツイッターを見て